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第二部 流旅編   第八回 神々の相談



 天界。


 えいていどうじょは、西王母せいおうぼの補佐官として多忙な日々を送っていた。


 西王母は、ぎょくこうじょうていと並んで天界の最高神に位置し、神仙たちをとうかつしている。毎日多くのえっけんや相談があり、英貞はその予定管理を行っていた。


 その日、仕事を片付けた英貞は、自室で九天玄女きゅうてんげんじょ六合慧女りくごうけいじょの姉妹に会った。


「では、報告書を見せていただきます」


 英貞は九天から書類を受け取り、目を通す。


「なるほど。賀鋼先がこうせん収星陣営しゅうせいじんえいは六名となり、こちらからは旅費と道順を提供。現時点ですでに五人の魔星を収星済み、と」


 簡潔な文章を読み終え、英貞は目を閉じた。


「やっぱり、人界の者は仕事が速いわね。天界ではこうはいかないでしょう」


 九天がかしこまって答える。


「天界の者は不死である故、危機感が薄く、怠惰たいだになりやすいですから。しかし……」


「しかし?」


「西王母じょうじょうは、百八星が天界を抜け出したと聞かれたとたん、ばくをお命じになりました。何かまずいことがあるのでしょうか?」


「では明日、娘々にお会いして、直接うかがいなさい」


 そう言って、英貞は姉妹を下がらせた。




 翌日、姉妹は英貞に連れられて西王母の宮殿に来た。


 そうれいな建物の最奥部さいおうぶで、西王母は待っていた。


 その表情は厳しい。


「あなたたち姉妹は、長く私につかえてくれています。話しはしますが、絶対に外へは漏らさぬよう。特に、人界へは」


「畏まりました」


 姉妹は礼をして答える。


 西王母は姿勢を正して話し始めた。


「百八星の中に、やっかいな者がおります。天機星てんきせいです。天機とは秘密を指しますが、この者は、天界の秘密をすべて知っているのです。そういう役割です」


 姉妹は黙ってうなずいた。


「荒くれ者揃いの百八星ですが、皆、根はしっかりしています。しかし、天界を出て人界へ下りたとなると、気持ちがゆるくなって秘密の大切さを忘れてしまう危険があります。天界の秩序ちつじょを守るために、何としてもその秘密を漏らしてはならないのです」


「では、天機星だけをさがせば良いのでは。それならば鋼先たちの負担もずっと少ないですのに」


 九天がそう言うと、西王母は首を左右に振る。


「百八星は仲の良い兄弟。人界に下りた天機星が、他の兄弟に秘密を漏らすことも考えられます」


「その確認を取るための、ぜんいんかくですか」


 六合が訊くと、西王母は頷いた。


「百八星はぼうなため、勝手に天界を離れることは禁じられていたはずですが、なぜ人界へ下りたのでしょう?」


 九天が訊く。西王母はため息をついて


「退屈だったから、というのが大きな理由ですが、人界はおもしろいとそそのかした者が天界にいたのです」


 とこぼした。


「そんなことをした方がいたのですか」


 驚く六合に、英貞が教えた。


「ええ、私の父です」


 英貞の表情はこわばっていた。姉妹が言葉を失う。


 西王母が、助けるように言った。


「ただの世間話だったのでしょう。故に、罪に問うつもりは無いと英貞には言ってるのですけど……」


「はい。そのお気持ちはありがたくお受けします。ですから、百八星の収星は私が責任を持って監督します」


 西王母はほほ笑みながら頷き、


「お願いしますね。……では、私は『天書てんしょ』の執筆に入ります。皆、下がってください」


 と退室を促した。




 ◇




 その後、九天玄女と六合慧女は、英貞童女から張天師ちょうてんしの様子を見てきて欲しいと頼まれたので、人界へ下りて竜虎山りゅうこざんを訪ねた。


 らいほうの報せを受けて、張天師は二人を上清宮じょうせいぐうの奥にある建物に導く。


「賀鋼先からは、朔月鏡さくげつきょうを通して手紙が来ております。ひんどうが推薦した魯乗ろじょうや、状況はよく分かりませんが、地文星ちぶんせいの力を使う王家おうけむすめなど、協力者が増えたそうですな。収星の陣営が厚くなって心強いことです。息子のおうきゅうも、順調にどうかんを廻っていると手紙を寄越しました」


「地文星の力を使う娘? そんな人も加わったのですか」


 不思議そうに尋ねる九天玄女に、張天師は解説を補足する。


「その娘本人は、記憶を失っているようですが、出身は会稽で、書聖・王羲之の子孫に当たるらしいとのこと。地文星が筆に宿り、方術のごとき力を発揮しているようです」


「あの、危険ではないのですか?」


 と、心配そうに尋ねる六合慧女。


「実はその娘と家族は、二年前に竜虎山に来ており、地文星のことで相談を受けていました。おそらくその後に、あの家族に何かあったのでしょう。娘はうまく地文星の力を使いこなしているようなので、心配は要らぬと思いますが」


 張天師がそう答えた。


 九天は、周囲を見回して訊く。


「それにしても、広い建物ですね。たくさん寝台があるということは、宿泊施設ですか?」


 九天が見回して訊くと、張天師は頷いた。


「はい。あれが宿泊客です」


 張天師が指をさす。さされた三人の客はじんしょうの姿をしており、胸の護心鏡ごしんきょうには地魁星ちかいせい地周星ちしゅうせい地隠星ちいんせいの名が刻まれていた。


「おお、張天師! 川下り面白かったぞ。いい天気で、山がきれいだった」


 三魔星が満面の笑顔で手を振る。張天師も、ほほ笑みを返して手を振った。


 女神姉妹は、呆気あっけにとられて訊く。


「あの、あれ、魔星ですよね。封印してないんですか?」


 張天師は苦笑した。


「あの暴れ者たちを封印するのは一苦労です。しかも数は増える一方。以前からこの地で生活していた者もおり、地魔星ちませい地妖星ちようせいがそうでした。何にせよ、機嫌をそこねて反抗されると厄介ですから、閉じ込めるような真似はやめたのです」


「でもあれでは、簡単に逃げられますよ?」


 慌てる姉妹を、張天師は笑顔でなだめる。


「この竜虎山一帯に、特殊な結界を張りました。貧道に逆らうような行為をすれば、とたんに激しい空腹感に襲われるまじないが仕掛けてあります。……来た魔星はみな一度は逆らいますが、にした後で当地の名物料理を振る舞うと、すぐに心を入れ替えます」


「まさか、そんな方法で……」


 九天が疑うと、張天師は目を鋭くして言う。


「失礼ですが、貧道の法力を見くびられておいでですな。では、お試しいただきましょう」


 姉妹は、急にものすごい空腹を感じてきた。身体から血の気が引き、その場に倒れ込んでしまった。


「これは……」


「う、動けない……!」


 二人は目がかすみ、意識が遠くなった。


 張天師は手を打って合図をし、二人を食堂に運ばせる。


 二人はいい匂いで目が覚めた。


 目の前には食卓があり、山海の珍味がどっさり載せられている。


 二人は何も言わず、夢中になって食べた。


 満腹になってひと息ついたとき、張天師が現れた。


「いかがですかな」


 九天が、口元をきながら礼を言う。


「ええ、たいへんおいしかったです。ごちそうになりました」


「いや、そうではなくて、貧道の法力のことです」


 口を拭きながら、六合がびた。


「恐れ入りました。これなら、魔星が逃げ出す心配はないと思います」


 張天師は、笑顔を見せる。


おさえ付けるばかりが管理ではありません。ここ竜虎山は古くからの景勝地けいしょうち、毎年たくさんの観光客が訪れています。来客をもてなすことも、我らの大事な役目です。せっかく来たのですから、魔星にも楽しく過ごしてもらいたいのですよ」


 九天と六合は、張天師の度量に驚きを示していとまを告げた。




 ◇




「そんな方法で? 張天師はさすがですね」


 報告を受けて、英貞童女も驚いた。


「百八星をひんかくとしてもてなしています。彼らも満足そうでした」


 九天が補足した。英貞が頷く。


「上清宮側は、ひとまず安心ですね。賀鋼先たち収星陣も安定しましたし、あなたたちも少し休んでください」


「あの」


 六合がおずおずと言い出した。


らいせんの問題があります」


「ああ、西王母娘々が占った結果ですね。どうかしましたか」


 英貞の反応は冷ややかだった。


「暗の名が付く魔星に出会えば、彼は命を落とすとのことでした」


「人間はいつか死にますよ。わたしたちと違って」


「そういうご意見なら、わざわざ私たちが告知する必要もなかったではありませんか」


 形の良い眉をひそめて六合が反発すると、英貞は厳しい目を向けた。


「西王母娘々のご判断です。賀雷先だけが、魔星との所縁しょえんが薄い。彼らの結束のために、こういう形で共有項きょうゆうこうを与えたのでしょう」


「そんな。もっとしんぼうかと思っていましたのに」


「それは、西王母娘々を愚かと言っている意味になりますよ。聞かなかったことにします、お下がりなさい」




 ◇




 人界。


 合肥がっぴという街の、人のいない荒れ地で、夜、呉文榮ごぶんえいき火をしていた。


 川で捕った魚を焼き、塩を振ってがつがつと食う。


 五を平らげ、竹筒で水を飲んだとき、誰かの気配に気付いた。


「誰だ」


 いつのまにか、隣に座っていた。まちはずれには場違いな、深紅のきれいな童子服どうじふくを着ている。長い前髪で目元は隠れているが、顎と口の形は良い。


「どうだった呉文榮。賀鋼先には会えたかい」


 そう言いながら、瓢箪酒ひょうたんざけを差し出した。身なりは子供だが、声は大人びている。


 呉文榮は瓢箪をひったくると、無愛想に言った。


「あの剣の力は見てきた。奪ってやろうとしたが、鳥に奇襲されて調子が狂った」


 そして歯で栓を抜き、酒をあおる。


 童子服が、低い声で笑った。


「剣を食らって、魔星を奪われたね」


 呉文榮はしぶづらで応じる。


「だが、また別の魔星を取り込んだ。こいつは役に立つ。それに、あの剣の感触は憶えた」


「次は負けないと言いたいんだね」


 童子服は、笑いを止めずに言った。


 呉文榮は、瓢箪を返して、ぎろりとにらむ。


「で、何者なんだお前は。魔星のことを教えてくれるのは助かるが、せっしゃを利用しているだけだろう」


「ああ、利用しているよ。魔星は数が多いからね」


「やかましい。目的を言え」


「教えてもいいけど、君とはこれきりになるよ」


 童子服は笑っていたが、声にははっきりと殺気が浮かんでいる。呉文榮は、心臓が握りつぶされるような威圧を感じた。


「ふざけるな。何様のつもりだ」


 呉文榮は、怖れを振り払って童子服に飛びかかった。だが童子服はひらりと跳び、軽くかわす。


 呉文榮は素早く間合いを詰め、拳や蹴りを繰り出すが、どれも紙一重でかわされる。そして、童子服に手首を押さえられ、軽々と宙に投げられてしまった。受け身を取ろうと身体をひねったが、顔面に蹴りを受けて吹っ飛んだ。


「ぬうう……」


 地面に倒れ、呉文榮はうめき声を上げた。


「速さはあるね。だが、速すぎてつんのめっているよ」


 童子服が笑う。


天速星てんそくせいを取り込んだ。だが、まだ馴染なじんでいない」


 呉文榮は悔しまぎれに言った。童子服は頷いている。


「君ほど魔星と親和できる人間はいないね。もっと取り込んで強くなれば、君の願いも叶うよ」


「願い? 願いなものか。あんなものが」


「そうだったね。うん、まあ協力するよ」


 童子服は、楽しそうに笑う。


 その表情に、呉文榮はなぜか背筋が寒くなった。

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