天界。
西王母は、
その日、仕事を片付けた英貞は、自室で
「では、報告書を見せていただきます」
英貞は九天から書類を受け取り、目を通す。
「なるほど。
簡潔な文章を読み終え、英貞は目を閉じた。
「やっぱり、人界の者は仕事が速いわね。天界ではこうはいかないでしょう」
九天が
「天界の者は不死である故、危機感が薄く、
「しかし?」
「西王母
「では明日、娘々にお会いして、直接
そう言って、英貞は姉妹を下がらせた。
翌日、姉妹は英貞に連れられて西王母の宮殿に来た。
その表情は厳しい。
「あなたたち姉妹は、長く私に
「畏まりました」
姉妹は礼をして答える。
西王母は姿勢を正して話し始めた。
「百八星の中に、
姉妹は黙って
「荒くれ者揃いの百八星ですが、皆、根はしっかりしています。しかし、天界を出て人界へ下りたとなると、気持ちが
「では、天機星だけを
九天がそう言うと、西王母は首を左右に振る。
「百八星は仲の良い兄弟。人界に下りた天機星が、他の兄弟に秘密を漏らすことも考えられます」
「その確認を取るための、
六合が訊くと、西王母は頷いた。
「百八星は
九天が訊く。西王母はため息をついて
「退屈だったから、というのが大きな理由ですが、人界はおもしろいと
とこぼした。
「そんなことをした方がいたのですか」
驚く六合に、英貞が教えた。
「ええ、私の父です」
英貞の表情は
西王母が、助けるように言った。
「ただの世間話だったのでしょう。故に、罪に問うつもりは無いと英貞には言ってるのですけど……」
「はい。そのお気持ちはありがたくお受けします。ですから、百八星の収星は私が責任を持って監督します」
西王母はほほ笑みながら頷き、
「お願いしますね。……では、私は『
と退室を促した。
◇
その後、九天玄女と六合慧女は、英貞童女から
「賀鋼先からは、
「地文星の力を使う娘? そんな人も加わったのですか」
不思議そうに尋ねる九天玄女に、張天師は解説を補足する。
「その娘本人は、記憶を失っているようですが、出身は会稽で、書聖・王羲之の子孫に当たるらしいとのこと。地文星が筆に宿り、方術のごとき力を発揮しているようです」
「あの、危険ではないのですか?」
と、心配そうに尋ねる六合慧女。
「実はその娘と家族は、二年前に竜虎山に来ており、地文星のことで相談を受けていました。おそらくその後に、あの家族に何かあったのでしょう。娘はうまく地文星の力を使いこなしているようなので、心配は要らぬと思いますが」
張天師がそう答えた。
九天は、周囲を見回して訊く。
「それにしても、広い建物ですね。たくさん寝台があるということは、宿泊施設ですか?」
九天が見回して訊くと、張天師は頷いた。
「はい。あれが宿泊客です」
張天師が指をさす。さされた三人の客は
「おお、張天師! 川下り面白かったぞ。いい天気で、山がきれいだった」
三魔星が満面の笑顔で手を振る。張天師も、ほほ笑みを返して手を振った。
女神姉妹は、
「あの、あれ、魔星ですよね。封印してないんですか?」
張天師は苦笑した。
「あの暴れ者たちを封印するのは一苦労です。しかも数は増える一方。以前からこの地で生活していた者もおり、
「でもあれでは、簡単に逃げられますよ?」
慌てる姉妹を、張天師は笑顔でなだめる。
「この竜虎山一帯に、特殊な結界を張りました。貧道に逆らうような行為をすれば、とたんに激しい空腹感に襲われるまじないが仕掛けてあります。……来た魔星はみな一度は逆らいますが、
「まさか、そんな方法で……」
九天が疑うと、張天師は目を鋭くして言う。
「失礼ですが、貧道の法力を見くびられておいでですな。では、お試しいただきましょう」
姉妹は、急にものすごい空腹を感じてきた。身体から血の気が引き、その場に倒れ込んでしまった。
「これは……」
「う、動けない……!」
二人は目がかすみ、意識が遠くなった。
張天師は手を打って合図をし、二人を食堂に運ばせる。
二人はいい匂いで目が覚めた。
目の前には食卓があり、山海の珍味がどっさり載せられている。
二人は何も言わず、夢中になって食べた。
満腹になってひと息ついたとき、張天師が現れた。
「いかがですかな」
九天が、口元を
「ええ、たいへんおいしかったです。ごちそうになりました」
「いや、そうではなくて、貧道の法力のことです」
口を拭きながら、六合が
「恐れ入りました。これなら、魔星が逃げ出す心配はないと思います」
張天師は、笑顔を見せる。
「
九天と六合は、張天師の度量に驚きを示して
◇
「そんな方法で? 張天師はさすがですね」
報告を受けて、英貞童女も驚いた。
「百八星を
九天が補足した。英貞が頷く。
「上清宮側は、ひとまず安心ですね。賀鋼先たち収星陣も安定しましたし、あなたたちも少し休んでください」
「あの」
六合がおずおずと言い出した。
「
「ああ、西王母娘々が占った結果ですね。どうかしましたか」
英貞の反応は冷ややかだった。
「暗の名が付く魔星に出会えば、彼は命を落とすとのことでした」
「人間はいつか死にますよ。わたしたちと違って」
「そういうご意見なら、わざわざ私たちが告知する必要もなかったではありませんか」
形の良い眉をひそめて六合が反発すると、英貞は厳しい目を向けた。
「西王母娘々のご判断です。賀雷先だけが、魔星との
「そんな。もっと
「それは、西王母娘々を愚かと言っている意味になりますよ。聞かなかったことにします、お下がりなさい」
◇
人界。
川で捕った魚を焼き、塩を振ってがつがつと食う。
五
「誰だ」
いつのまにか、隣に座っていた。
「どうだった呉文榮。賀鋼先には会えたかい」
そう言いながら、
呉文榮は瓢箪をひったくると、無愛想に言った。
「あの剣の力は見てきた。奪ってやろうとしたが、鳥に奇襲されて調子が狂った」
そして歯で栓を抜き、酒をあおる。
童子服が、低い声で笑った。
「剣を食らって、魔星を奪われたね」
呉文榮は
「だが、また別の魔星を取り込んだ。こいつは役に立つ。それに、あの剣の感触は憶えた」
「次は負けないと言いたいんだね」
童子服は、笑いを止めずに言った。
呉文榮は、瓢箪を返して、ぎろりとにらむ。
「で、何者なんだお前は。魔星のことを教えてくれるのは助かるが、
「ああ、利用しているよ。魔星は数が多いからね」
「やかましい。目的を言え」
「教えてもいいけど、君とはこれきりになるよ」
童子服は笑っていたが、声にははっきりと殺気が浮かんでいる。呉文榮は、心臓が握りつぶされるような威圧を感じた。
「ふざけるな。何様のつもりだ」
呉文榮は、怖れを振り払って童子服に飛びかかった。だが童子服はひらりと跳び、軽くかわす。
呉文榮は素早く間合いを詰め、拳や蹴りを繰り出すが、どれも紙一重でかわされる。そして、童子服に手首を押さえられ、軽々と宙に投げられてしまった。受け身を取ろうと身体を
「ぬうう……」
地面に倒れ、呉文榮は
「速さはあるね。だが、速すぎてつんのめっているよ」
童子服が笑う。
「
呉文榮は悔し
「君ほど魔星と親和できる人間はいないね。もっと取り込んで強くなれば、君の願いも叶うよ」
「願い? 願いなものか。あんなものが」
「そうだったね。うん、まあ協力するよ」
童子服は、楽しそうに笑う。
その表情に、呉文榮はなぜか背筋が寒くなった。