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第七回 呉文榮現る




 こうせんたち一行は旅を続けた。どうかんびょうがあれば張天師ちょうてんしの手紙を見せてそこに泊まり、無ければ一般の宿屋に入る。


 四月の上旬のある日、雷先らいせんは朝食の後、買い出しに出た。


 帰りがけ、ちょっとした広場を見つけ、棒術の練習を始めた。


 夢中になって棒を振っていたが、ふと、誰かの気配を感じ、動きを止めた。


「何か用か?」


 雷先の後方に、二人の女性が立っている。


「あ、確か、えいていどうじょ様の」


 雷先が思い出して言うと、一人が答えた。


侍女じじょ九天玄女きゅうてんげんじょです。こちらは、妹の六合慧女りくごうけいじょ


 そして軽く礼をした。雷先も慌てて返す。


「あなた方が旅に出て、二月ほど経ちましたね。何かあれば、お聞きしようと思いまして」


「はい。私たちに、仲間が増えました。今は五人と一羽です」


 姉妹が怪訝けげんな顔をしたので、雷先はへいかく魯乗ろじょう百威ひゃくいの説明をした。


「是非、会って行ってください」


 雷先がそう言うと、九天玄女が言った。


「その前に、あなたにだけ、話しておかなければならないことがあります」


「姉さん、あたしから言うわ」


 六合慧女が、さえぎって言った。


 雷先は急な事になって戸惑う。


「俺に、何かあるのですか?」


 六合慧女は、きれいな睫毛の目を伏せて告げた。


「あなたのことを、西王母娘娘せいおうぼじょうじょうが占いました。らいせん、あなたは――あんほしうと死にます。気をつけなさい」


「えっ……?」


 唐突なことを言われ、雷先は耳を疑う。


 六合慧女が続けた。


「遇わなければ、助かるかもしれません。怖がらせるだけでごめんなさい、あとはあなたがご判断を」


「西王母娘々も、そこまでしか判らないそうです」


 九天玄女が気の毒そうに雷先を見る。


 雷先は、目の前が真っ暗になった感じがした。しばらく間を置いてなんとか気を取り戻すと、がみまいを宿屋まで案内した。




「助かるね。ふところがこころもとなくなっていたところだ」


 姉妹から路銀ろぎんを渡されて、鋼先は礼を言った。さらに、これから進む道程として、北上して淮南わいなん山東さんとうを経て、その後は西進してちょうあんを目指すように、と指示をもらったので、とりあえず安心した。


 九天玄女が言う。


「道程は、西王母娘々の占いによるものです。ただ、魔星に出くわしやすい道ということですから、つらい報せなのですけど」


「いえ、旅慣れない身でしたから、指標しひょうができてちょうどいい。ところで」


 と鋼先はちらりと横目をする。


「うちの兄がかなり落ち込んでいるようですが、何かありましたか」


「ええ……」


 帰ってきてから雷先は、姉妹をちらちらと見ながら、ため息ばかりついている。


 姉妹は言いにくそうに口ごもった。鋼先はおおぎょううなずいて、姉妹に改めて路銀の礼を述べる。二人は愛想笑あいそわらいと共に、素早く去って行ってしまった。


 鋼先たちは雷先に話を聞きたかったが、何も話したくないというので、深くは聞かず、宿をつ準備を始める。


 荷をまとめている途中で、李秀りしゅうがこっそり鋼先に訊いた。


「困ったね、雷先。どうしたのかな」


 しかし鋼先は、苦笑して答える。


「何か大事なことを言われたのは違いないが、それは問題じゃない」


「そうなの?」


「ああ。兄貴は、自分に忠告をしてくれる女にれるくせがある。こうなると楽じゃないぜ」




 夕方になり、一行は川縁かわべりまでやって来た。


 長江。


 この国でもっとも大きく長い川で、国土を南北に分けている。川幅は広く、向こう岸は水平線の彼方にある。


 この川を渡り、北を目指して進む。


 暗くなってきたが、大きな渡し船がちょうど出るというので、乗せてもらうことにした。


 渡っているうちに夜になった。岸に着くのは翌日になるので、鋼先たちは船中で眠りに就いた。


 突然、船が何かにぶつかり、大きく揺れる。


 かなりの衝撃だったので全員が起き出し、月明かりで照らされた周囲を見回した。


「どうした」


 鋼先が尋ねると、船頭たちの頭格の二人が、震えた声で言う。


「だ、誰かの船にぶつかりました。灯りも点けてないんで、直前まで見えなかったんです」


「何をそんなに怖がってるんだ」


「深夜に無灯で出ている船は、ほとんどがぞくなんです」


江賊こうぞくか」


「はい。たぶん、密輸の品を運んでいるんでしょう。灯りを点けると人目に付きますから」


 そのとき、向こうの船からがやがやと声がして、大勢がこちらの船に乗り込んでくる気配がする。やがて松明たいまつが何本も灯り、大柄で目の鋭い、大将らしい男が映し出された。


「やっぱり! 荀洋雲じゅんよううんだ」


 二人の船頭は、泣き出しそうな声を上げる。


 やって来る連中は、抜き身の刀を手にしていた。その刃渡りに映る松明の光が、鋼先の目をまぶしくする。


「大勢だな……また水中戦になるのは勘弁してくれよ。ここは深そうだ」


 その時、雷先たちと、他の乗客らも集まってきた。鋼先は、黙っているように、と手で合図する。


 二人の船頭が震えながら、賊の頭領にきょうしゅの礼をした。


じゅんのおかしら、勘弁してください。こんな闇夜ですもんで」


 だが、荀洋雲は答えもせずに、刀を抜いて二人を斬り伏せた。部下が手際よく、うめいている二人を船の外へ捨てる。


「ひ、ひええっ! 助けてくれ!」


 他の乗客たちが、目の前の凶行に恐れおののき、次々と水へ飛び込んで逃げ出した。


 荀洋雲が、いまいましそうに唾を吐く。


「積み荷が一部、水に落ちた。これから取引だってのによ」


「どうせまともな取引じゃないんだろ」


 鋼先が苦笑すると、荀洋雲がにらみつけた。


「悪いが、見られたからには死んでもらう」


「ふん。人間に取り憑いて悪さをするな、魔星ども」


 鋼先がびしりと言うと、荀洋雲は急に後ずさった。


「なぜ知っている、そんなこと」


「お、当たったか。カマをかけただけなんだが」


「くっ」


 荀洋雲が、手下に手で合図した。十人近くがばらばらと散らばり、鋼先たちを包囲し始める。


「兄貴と李秀は前衛ぜんえいを頼む。魯乗と萍鶴は援護えんご。俺と百威が奇襲きしゅうだ」


 鋼先が短く指示を出した。


 手下たちは一斉に斬りかかってきた。荀洋雲は船縁に下がり、様子を見ている。


 足場の悪い船上では、江賊たちの方が有利だった。大きな船ではあるが、さすがにこの総勢では狭い。


 雷先と李秀は、無理に攻めず、相手の刀を受け流し続けた。敵が勢いづいてきた頃、魯乗が草刈鎌くさかりがまで手下たちの足をすくって転倒させた。江賊たちに混乱が生じ始める。


 攪乱かくらんを続けながら、魯乗は萍鶴に小さな壺を渡した。


墨壺すみつぼじゃ。こぼれにくい仕組みにしておいたから、存分に使え」


 萍鶴は頷いて受け取り、素早く飛墨顕字象ひぼくけんじしょうを放って数人をこんとうさせた。


 百威は、手下のしゅかく二人に襲いかかって威嚇いかくする。鋼先はそれに便乗して、二人に追魔剣ついまけんを突き込んだ。


「させるかっ」


 しかし、あとわずかの間合いで荀洋雲が割り込み、追魔剣を跳ねのける。


「なるほど、その二人にも魔星がいるんだな」


 鋼先がにやりと笑うと、荀洋雲は満面に怒りを表した。


「また探りか、小癪こしゃくな」


 と、鋭く刀を振る。


 鋼先は危うく胸元を切られそうになったが、李秀が横から刀を受け止めた。


「鋼先、ここはあたしたちに任せて」


「わかった。頼むぜ」


 鋼先は素早く水に入り、ふなかげに隠れて行く末を見守った。


「ほらほら、こっちこっち!」


 李秀は船上を跳ねるように走り、手下を自分に引きつけた。


 雷先は、その手下を追うように打ちかかり、次々に川へ叩き落としていく。


「この小娘!」


 しかし、手下の一人が李秀に追いついて、手首をねじ上げた。


「痛っ! 離してよ!」


「李秀、危ない!」


 萍鶴が素早く飛墨を打つと、手下は気を失って倒れた。李秀は萍鶴にほほ笑みながら、また違う手下をいなして、川に落とす。


 そしてついに、荀洋雲と二人の手下頭てしたがしらだけが残った。


 雷先が、船縁に集まった三人を、棒で狙う。


「川に飛び込め、早く!」


 荀洋雲は指示を出したが、雷先の棒先と、萍鶴の飛墨、そして百威のクチバシがそれぞれに当たり、船底に倒れた。


「よし、今だ」


 鋼先は船に上がると追魔剣を抜き、三人を突く。すると、荀洋雲からは天寿星てんじゅせいが、手下頭の二人からは地進星ちしんせい地退星ちたいせいが、じんしょうの姿で抜け出てきた。


 李秀が朔月鏡さくげつきょうを投げると、鋼先は素早く三魔星を収星する。


 余力よりょくのある手下が、慌てて荀洋雲たちをかついで自分たちの船に戻り、急いで漕ぎ去っていった。




 鋼先たちは全員、疲れて船の中にへたり込む。


「あの人数相手に勝てたな。みんな無事でよかった」


 鋼先が笑うと、皆も笑顔になった。


「すみません、ちょっといいですか」


 急に、聞き慣れない声が聞こえた。船の下、水面の方からである。


 一同が見ると、大きな亀が一匹、水面に顔を出している。


 その亀が口をきいた。


「私も魔星です。地理星ちりせいといいます。この亀にいて暮らしていました」


 鋼先が、船から身を乗り出して訊く。


「自分から名乗るとは珍しいな。天寿星たちの仇討あだうちをするっていうのか」


 しかし亀は、首を伸ばしてゆっくりと左右に振る。


「彼らは自業自得です。私はただの亀、戦う力もありません。呼び止めたのは、お願いしたいことがあるからです」


「聞こう」


 鋼先がうなずくと、百威が羽ばたいて、亀の背に乗った。偵察ていさつ親善しんぜんを兼ねているらしい。


「私はこの亀に憑いて何十年とのんびり暮らしていたのですが、いつの間にか親和が強くなりすぎてしまったのです。どうか私を、亀から出していただけませんか」


「出すことはできるが、自由にはしてやれないぜ」


「察しはついていますよ。私たちを封印なさっているんでしょう。いいんです、私もそろそろ、兄弟たちに会いたくなってきたところです」


 鋼先たちは、驚きながら顔を見合わせて頷いた。


「そういうことなら、引き受けるぜ」


 鋼先が追魔剣を刺そうとすると、亀が言った。


「よろしければ、ちょうこうを渡ってからにしましょう。向こう岸はまだ遠いですから。船の艫綱ともづなをよこしてくれませんか」


 李秀が艫綱を亀の方へ投げると、亀はそれをしっかりくわえ、船を引っ張り始めた。


「泳ぐ力だけはあります。速度を上げますよ」


 船はたちまち速くなり、鋼先たちはふなべりにしがみつくのがやっとだった。百威が、競うように飛んでいる。


 ちょうど夜が明けた頃、岸にたどり着いた。


 一同が船を下りると、せいがめは艫綱を放し、ゆっくりと近付いてくる。


「ありがとうよ。なぁ、魔星に憑かれた奴は、みんなお前みたいに宿やどぬしの意識を奪ってしまうのか?」


 鋼先が、礼と共に疑問を口にした。天魁星てんかいせいに意識を奪われていない自分を、不思議に思っていたからである。


 亀は少し首を捻って、


「宿主との相性なのでしょう。影響も個々に違うはずです」


 と答え、目を閉じた。


 鋼先は頷き、その美しい甲羅に追魔剣を突き立てる。出てきた神将は、にこりと笑って朔月鏡さくげつきょうに入っていった。


 魔星の抜けた亀は、人間の姿を見て驚き、さっさと川に戻った。


「忙しい一日だったな。鋼先、これからどうする?」


 雷先が聞いた。


「ほとんど寝てないからな、宿を探して休みたいね」


 鋼先がそう言ってあくびをしたとき、岸辺のあしの茂みが、がさがさと揺れた。


 鋼先が手で合図をすると、雷先たちは円陣を組んで身構える。百威は空へ飛んだ。


 茂みを割り、一人の男がぬっと現れる。


 頭を丸坊主に剃り、くちひげを生やしたきょかんであった。身体には、色あせた黒い半袖のそうふくまとっている。


 鋼先たちが様子を見ていると、男の方から口を開いた。


「見ていたぞ。魔星だな、今のは」


 鋼先は、男の口調から、はっきりとした害意がいいを感じ取った。それでも、とぼけて答える。


「見てたのかい。お騒がせしてすまないね」


 しかし男は動じずに手を伸ばした。


「そこの茶髪ちゃぱつ、お前の剣をよこせ」


「俺は賀鋼先という道士だ。あんた、何者だよ」


せっしゃは、ぶんえい。いちおうそうりょだ。魔星を集めて、吸収している」


「なんだって。どういうことだ?」


 鋼先が聞き返す。李秀がとっに、朔月鏡で男を映した。


 天空星てんくうせい


 地闊星ちかつせい


 地耗星ちもうせい


「鋼先、こいつ、魔星が三人も憑いてる!」


 だが呉文榮は、にやりと笑って訂正した。


「憑いているのではない。拙者が魔星を取り込んでいるのだ。よこさぬなら、腕ずくでいただくぞ!」


 呉文榮は、突然駆けだして突っ込んできた。鋼先に体当たりする動きである。しかし、鋼先はかわそうとしなかった。


 上空から狙っていた百威が、急降下して呉文榮の頭をしたたかに蹴ったのである。呉文榮は体勢を崩し、顔面から地面に激突した。それでも勢いが死なず、呉文榮は岸辺の砂利じゃりをまき散らしながら転がった。


 百威は魯乗の腕に乗り、誇らしそうに鳴く。


「どうじゃ、百威は強かろう」


「ぬうう……小癪こしゃくな!」


 呉文榮が、顔面を血まみれにしながら起き上がった。


「ほれ、剣だぜ」


 鋼先が、呉文榮の真正面に回って、追魔剣をその腹に刺した。


 とたんに、呉文榮の身体から電光のような強い光があふれる。


「ぬああっ! しまった、魔星が!」


 鋼先は追魔剣を抜き、後ずさる。


 神将姿じんしょうすがたの三魔星が、抜け出てきた。それと同時に、呉文榮は白目しろめいて倒れる。雷先と李秀が、急いで魔星たちを朔月鏡へ追い込んだ。


 大きく息をつきながら、鋼先が失神している呉文榮を見る。


「一人の人間に、複数の魔星が入るとはな。しかも、こいつは自ら取り込んでいると言ってたが」


 李秀が頷く。


「これまでとは違う相手ね。不気味だわ」


 その言葉の終わらないうちに、呉文榮はいきなり跳ね起きた。


 顔の血をきもせず、鋼先たちをぎょろぎょろとにらむ。


「……賀鋼先といったか。憶えておくぞ。また会おう」


 そう言うと、呉文榮は岸を駆けだして長江に飛び込む。そのまま下流へ泳ぎ去り、見えなくなってしまった。


 雷先が悔しそうに言う。


「厄介な感じだな。逃がしたのはまずかった」


「まあいいよ。それより、今夜は忙しすぎた。早く休みたいぜ」


 と、鋼先は大きなあくびをした。


 やがて一行は小さな宿屋を見つけ、腹いっぱいに食事を済ませると、そのまま眠りに就いた。




(第一部 完)

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