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第五回 対決三囚人




 魯乗ろじょう百威ひゃくいを加え、旅は続いた。


 こうしゅうを抜け、三月の上旬にはこうしゅうに入っていた。




 ある日、昼過ぎになってから急に大粒の雨が降り出した。


 こうせんたちは小さな酒場を見つけ、駆け込む。


 昼飯がまだだったので、李秀りしゅうらいせんが腹を鳴らした。鋼先がそれを聞いて笑い、


ラオバン(おやじさん)、蒸し鶏と焼き魚、揚げ豆腐と吸い物、あと野菜炒めに、ああ、それから飯を四人前。で、その前に酒」


 と注文する。二人も照れて笑った。


 すぐに酒が出される。


 飲みながら、鋼先は、右隣の卓にいる、水色の上衣に白の裳裾もすそを着た若い女性に目を向けた。


 高髷たかまげを結い、色白で線の細い佳人かじんである。


 帳簿を付けているらしく、帳面と筆が置かれていた。


 ただ、書き物をするでもなく、じっと外の雨を見ている。


(おや、この人は)


 鋼先は、どこかで見たことがあるような気がした。しかしその時、ガラガラと大きな音を立てて、酒場の真正面に馬車がついた。


 馬車には車の付いたおりがつながっていて、檻の中には首枷くびかせめられた三人のしゅうじんがいる。


 馬車から護送の役人が二人と、御者ぎょしゃが一人降りてきて、酒場に入ってきた。


 その三人は横柄おうへいに座り、威張った声で酒を注文する。


 そして彼らが飲み始めたとき、檻の中の囚人が騒ぎ立てた。


「おい、俺たちはれっぱなしかよ」


「腹が減ったぞ、何か食わせろ」


「こんな檻、今に抜けてやるぞ」


 しかし、役人たちは冷笑しているだけだった。


「お前らが濡れようが知ったことか。悪行の報いだ」


 御者が、へつらいを言いながら酒を注ぐ。


「お二方も大任で。あんな奴らを護送なさるんですから。さあ、今くらいはごゆっくり」




 様子を見ていた李秀りしゅうが、声をひそめて言った。


「ねえ、あの囚人って、もしかして」


 鋼先が答える。


「ああ。江州の城門で人相書きを配ってた。これだ」


 鋼先が出したビラには、三囚人の似顔絵が描かれていた。


「名はきんかんえきかくこうけい千山原せんさんげんと呼ばれるさんいき根城ねじろとした殺人放火の三人組強盗、とある。そろって捕まったのか」


「物騒な雰囲気になってきたな。もう出るか?」


 雷先がそう言ったとき、外の檻車かんしゃから大きな音がした。


 鋼先たちが見ると、檻車の扉が壊れ、千山原せんさんげん三人組の一人、向景が店に飛び込んできた。首枷は外れている。


 役人の片方が驚いて立ち上がったが、向景は鋭く手を伸ばし、役人の喉をつかむ。そして彼の腰から剣を抜き取り、即座に腰斬ようざんした。


 役人は声もなく倒れる。


「ひっ、ひと殺しだぁ!」


 見ていた店の主人が、そう叫んでさっと奥へ引っ込む。


 次に易角が駆け込んで来た。この男は、首枷を嵌めたままである。


「ひいい!」


 御者が悲鳴を上げる。易角は体をひねって御者の脳天に首枷を叩きつけた。その一撃で首枷は壊れ、がらりと落ちる。御者は倒れて、動かなくなった。


 鋼先たちが唖然あぜんとしていると、ゆっくりと最後の一人、金還が入ってきた。やはり首枷は外れている。


 金還は曲がった釘を見せて言った。


「『檻を抜ける』って言ったろう。鍵開けは得意でね」


 もう一人の役人が、おびえながら尋ねた。


「檻を出たなら、さっさと逃げればいいだろう。なぜこんなことを?」


 すると向景が、剣を向けて言う。


「ここまでの道中、ずいぶん雑にあつかってくれたな」


 易角が後をぐ。


「今日は雨の中に置き去りにしやがって。まとめて礼をしたまでよ」


 役人は震え、腰を抜かした。


 金還が、ふと気付いたように鋼先たちに目を向ける。


「何見てる。邪魔だ、失せろ」


 だが鋼先は、愛想笑いをして言った。


「すまねえ、腹が減っててな。食ったら出て行く」


「死体が転がってるのに、大した食い意地だ」


 金還が鼻で笑い、好きにしろと手を振った。


 鋼先は、そっと李秀に耳打ちする。


朔月鏡さくげつきょうを。奴らに魔星がいるかもしれない」


 李秀はうなずいて朔月鏡を取り出し、素早くその場の者を映した。すると、金還に地魁星ちかいせい、易角に地周星ちしゅうせい、向景に地隠星ちいんせい、そして誰かは分からなかったが地文星ちぶんせいの文字が浮かんだ。


「いた。四ついるよ」


 雷先が、いぶかしげに言う。


「数が多くないか」


「そうね。でも、これ以上鏡を向けると怪しまれるわ」


「じゃ、全員に追魔剣ついまけんか。楽じゃないな」


 鋼先が苦笑して、豚骨のタン(スープ)を飲み干した。




 金還が役人に近付く。向景から剣を渡され、狙いを定めていた。


 何とかすきを作りたいと思った鋼先は、魯乗に目配せをした。


 魯乗は短く頷き、ふところに隠していた百威をぽんと叩く。


 意を受けた百威が、勢いよく


「ピイーッ!」


 と鳴いた。


 音に驚いた三囚人は、慌てて辺りを見回す。


 李秀が素早く飛び出し、向景に双戟そうげきを繰り出した。向景は椅子を取ってこれを受ける。


「えいっ!」


 李秀は真正面から斬り付けた。向景の椅子はまっぷたつになったが、向景はそのまま両手武器として振り回す。二人は店の中を駆け回り、左右の得物で打ち合った。互いに素早いざんとつを見せながら、近づいたり離れたりを繰り返す。


 雷先は金還に棒で打ちかかった。金還は剣で受け止め、力比べになる。しかし、金還は急に力を抜いて体をかわし、雷先は前へつんのめった。金還はそこを狙って斬りかかる。雷先は棒を背負うように振り回し、剣を防いだ。


 易角が、二組を見ながら首を捻って言う。


「ただの道士かと思ったが、れだな。賞金でも欲しいのかね」


 その声を聞き、百威が飛びかかったが、易角は跳躍し、店のはりに上って躱す。そして梁を伝って店の奥へ進んでいった。


「金還、向景、もうけるぞ」


 そういうと、易角は厨房に下りて油を持ち出した。そして慣れた手つきで撒き始める。


 魯乗が叫んだ。


「放火する気か。おい役人、そこの娘を連れて逃げろ!」


 あの色白の女性は、この騒ぎにも動じずに座っていた。


 役人は彼女に目もくれず、四つんいで逃げようとしていた。


 鋼先が、その背中に無造作に追魔剣を刺す。


「痛い! おい、何をする?」


「こいつにはいないか。だとすると……」


 その時、店内に火が点いた。油のせいで、あっという間に燃え広がる。


 包丁を手にした易角が、雷先に攻めかかった。雷先は金還も相手にしているので、防戦一方になる。


 向景の方も、火に応じるように勢いが上がり、李秀がり飛ばされた。


 鋼先がうなる。


「火事場で暴れるのが得意なのか。ちくしょう、何とか奴らの動きを止めないと」


 すると、かたわらにいた例の女性が、ふらりと立ち上がった。


「止めれば、いいのね」


 彼女はすずりに入った筆を取ると、手首を返し、墨液を数回飛ばす。


 鋼先は何事かと思ったが、事態は急変した。


 三人の囚人の顔に、墨の文字が現れた。「停」と読める。そのとたん、三人は麻痺したように倒れてしまったのである。


「なんだこれは」


 鋼先は、驚いて彼女を見た。


 が、機を逃すまいと、急いで三人に追魔剣を突き立てる。


 じんしょうの姿をした魔星が三人、追い出されてきた。


「李秀、朔月鏡を!」


 鋼先が叫ぶと、李秀が鏡を投げた。


 鋼先はそれを受け取ると、素早く魔星を吸い込ませて言った。


しゅうせいしたぞ。みんな、外へ」




 外はまだ雨が降っている。


 役人が、一人で逃げようと馬の手綱を解いていた。


 雷先と李秀が、素早く役人を捕まえる。


「おい、どこへ行く気だ」


「早くあの三人を縛るなりしなさいよ。何だか分からないけど、あいつら動けなくなってるから」


 こしくだけになった役人を、雷先が強引に店の中に放り込む。


 そのとき魯乗が、あの女性を連れて出てきた。


「奴らが動かなくなったのは彼女のせいじゃ。鋼先、お主は見ていたろう」


 すると女性は、その手に持った筆を見せて言った。


「そう、私がやったの。私の術は、墨を飛ばして、文字のままの力をあらわす。……彼らにつけた文字は『停』よ」


 か細くて、しかしりんと響く声だった。


「何? では、もしや」


 魯乗が驚きの声を上げると、鋼先たちは一歩下がって身構えた。


 しかし、彼女は首を振る。


「私ではないわ。『地文星』はこの筆に宿っているの」


「筆に?」


 鋼先の問いに、彼女は頷く。


「魔星は、何にでも取りける。地文星が教えてくれたわ」


「その筆と、話せるのか?」


「もうできない。筆との同化が強くなったから」


 そんな説明を聞いていると、あの役人が声をかけてきた。


「火は収まってきた。あいつらは縛ったから、応援を呼んでくる」


 役人は慌てて馬車に乗り、去って行った。


 入れ替わりに、裏に隠れていた酒場の主人夫婦が現れた。


「娘さん、ここにいたか。無事かい」


 そして、まだ煙を出している店舗を見ながら言う。


「あれでは、しばらく店はやれん。わしらは一度田舎へ帰るよ」


 主人に礼をしながら、彼女が言った。


「お世話になりました、お元気で」


「一緒に来てもいいんだよ?」


 会話を聞いた鋼先たちが首を傾げていると、妻が説明した。


「この娘は、先月ふらりとこの町に来てね。困ったことに、記憶が無いみたいなの。可哀想だから、何か思い出すまで、うちで帳簿付ちょうぼつけをしてもらっていたのよ」


「記憶が無いの? ……何か、たいへんなことがあったのかもしれないね」


 李秀が心配そうに彼女を見た。彼女は、また主人に礼をする。


「お気持ちは嬉しく思います。今までありがとうございました」


 彼女はそう言って、本当に去ろうとした。


 鋼先は慌てて声をかける。


「ちょっと待ってくれ。さっき助けてもらった礼がしたい。今晩の宿くらいは面倒見るぜ」

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