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第四回 頭巾の男と鷂




 こうせんたち三人は、を終えた後、こうしゅうに入った。


 その後何日か過ぎたが、その間は特に事件もない。




 二月下旬のある日、三人は、森に近い田舎道を歩いていた。


 畑に鳥がやってくる、のどかな風景だった。


「あたし道士って、風を呼んだり式神しきがみを使ったりするのかと思ってたんだけど、あなたたちそういう術は無いの?」


 唐突とうとつ李秀りしゅうが訊いた。兄弟は苦笑する。


「そういうのは、張天師ちょうてんし様とかおうきゅうさんくらい素養がないと無理だな」


 と鋼先が言うと


「そうだな。俺も、法位ほうい(道士の位階)の昇級試験は二つしか進んでない」


 と雷先らいせんも頭をかく。


「兄貴は武術一辺倒いっぺんとうだもんな」


「そういうお前は、落第ばかりで一つも進んでないだろう」


「だって興味ねえもん」


 兄弟の言い合いに李秀は笑ったが、ふと思いついて言った。


「それにしても鋼先って弱いわね。この先大丈夫なの?」


 けなされた鋼先は、しかし照れもしない。


「弱いね。去年の竜虎山りゅうこざん武術大会では最下位だった」


「毎年そうだろ」


 雷先が指さして補足した。


 鋼先は苦笑くしょうして、


「こんなことなら、もう少し真面目に練習したんだがな。まあ、兄貴と李秀が来てくれて心強いよ」


「確かに、雷先はなかなかやるわよね。あなたも大会に出たの?」


 李秀の質問に、雷先はうれしそうにうなずく。


「もちろん。俺は第二位だ」


「二位? じゃあもっと強い人がいたんだ」


「応究さんだよ。俺は棒であの人は素手なのに、一度も勝てたことがない。歳もそれほど離れてないのに」


 雷先は口を歪める。


 李秀が笑った。


「ねえあなたたち、生まれも育ちも竜虎山?」


 鋼先は頷いて、自分たちの生い立ちを話し始めた。




―鋼先は十九歳、本名を賀港がこうという。雷先は二十一で、本名は賀濱がひん


 二人は子供の頃から、近所だったじょうせいぐうで働き、やがて道士になった。雷先・鋼先という道号どうごうは、その時付けられた。


 やがて雷先の方は武術を習い、棒術の使い手になったが、鋼先は、剣術を少しやっただけでやめてしまった。




「どうしてやめたの?」


 李秀が聞いた。


とう御代みよになって、もう何十年も平和が続いている。戦も辺境にしか起きない。なんだか、武術なんか必要ないように思えてきてね」


 すると雷先が、腕組みしながら頷いた。


「確かに今は、戦乱の時代じゃないからな」


 それを聞いた李秀が、鋼先に指を突きつけた。


「でもね、今は自分の身ぐらい守れるようにならなきゃね」


 そう言って双戟そうげきを抜き、歩きながら戦い方の指導を始めた。鋼先は困った顔をして雷先を見たが、兄は顎を突き出して「教えてもらえ」とうながす。


 その時、樹上から何かが落ちてきた。それは急に向きを変え、鋼先に襲いかかった。


「何だ?」


 鋼先は転ぶようにかわすと、それを目で追った。


「鳥みたいだったよ」


 李秀が言った。雷先が指さして言う。


「旋回した。また来るぞ」


 鳥は、今度は地面すれすれに滑空して突っ込んできた。三人は跳躍してかわす。


 鳥は、一直線に上昇して飛び去ってしまった。


「魔星のいた鳥かしら?」


 李秀の問いに、鋼先が首をひねる。そして


「二人とも、ちょっと」


 と小声で話し始めた。




 三人は縦並びになって歩いていく。


 真正面から、灰色の羽の鳥が飛んできた。しかし今度はわざと反応せずに歩き続ける。鋼先の指示だった。


 鳥が鋼先の眼前に迫る。しかし、鋼先がよけないので、鳥は焦ったように軌道を変えて飛び去った。


 鋼先が、歩みを止めて叫ぶ。


「飼い主さん、出てきな。あんたの魂丹は分かったぜ」


 すると、近くの木立からふわりと人影が飛び降りてきた。


 深緑の外套がいとうに身を覆い、つながりになっている頭巾を、顎の先まですっぽり被った小男だった。


 鳥も戻ってきて、彼の腕に止まる。


「若いの、なぜけなかった」


 頭巾が聞く。


「殺気がなかった。だから、誰かが俺たちを試してるんだろう、と」


 鋼先がほほ笑むと、頭巾も笑ったように肩を揺すった。


はとみたいな大きさだが、そいつは鷹か?」


 雷先が聞いた


「ハイタカじゃ。小柄の鷹の一種で、狩りにはよく使われる」


「でも、なんか普通じゃないわ」


 李秀がいぶかった。そのはいたかは、右の翼と左足が義肢ぎしで、さらに左の目が潰れていた。頭巾が頷く。


「こいつは、魔星に襲われて大怪我をしてな。わしがよくそくを作ってやった。さらにわしの仙丹せんたんを飲ませたので、力も強い」


「おい、魔星に仙丹だって? 何者だ、あんた」


 鋼先が問う。


「わしも道士じゃ。名は魯乗ろじょう。よく聞け、百八星は人界じんかいに降りて久しい。もうあちこちで騒ぎを起こしておるんじゃ」


「なるほどな」


 鋼先は納得した。百八星は五十年前から人界に来ている。事件を起こしていない訳は無い。


「この鷂は、百威ひゃくいという。こいつがお前さんから、魔星の気配を感じた。それでちょっと探りをいれてみたんじゃ」


「俺たちに何の用があるんだ」


「わしの仲間が、ある魔星に殺された。わしもやられ、法力ほうりきを失った」


「ほう。その仕返しがしたいから、俺たちと組みたいと?」


 鋼先が先を読む。魯乗は、首を振った。


私怨しえんと思ってくれるなよ。その魔星が憑いている相手は、この国をひっくり返す野心を持った男じゃ。それを止めようとしたが、力が及ばなかった」


「信用したいが、その格好は怪しすぎるな。顔だけならともかく、全身隠しているのはどうしてだ」


 鋼先の言うとおり、彼の服装は一部の肌も見えない。すると魯乗は、自分の体をさすりながら言った。


「うむ。実を言うとな、わしの肉体はもう無い。こんぱくだけになってさまよっている状態じゃ。軽い衝撃を受けても、消えてしまう」


 雷先が驚いて、手を差し伸べる。


「おい、危なっかしいな」


「この姿も所作しょさも、念動力なんじゃ。声も、空気の振動で作っておる。けっこう疲れるぞ」


「なぜそこまでして来るのよ?」


 李秀が、驚きをまじえつつ訊く。


「言ったろう、倒さねばならん相手がいると。魔星もからんでおるんじゃ」


「だが、俺たちもまだ不慣れだ。互いに力不足というのは、どうもな」


 鋼先が尻込しりごみした。


「まあそう言わず、これを見るが良い」


 そう言って、魯乗はふところから書状を取り出す。


 鋼先は、書状を開いて驚いた。


「兄貴、見てくれ。張天師ちょうてんし様が、この人を推薦してくれている」


 雷先と李秀も驚いてのぞき込んだ。確かに張天師の文字で、印鑑も押してある。魯乗は張天師の知り合いで、頼りになるから仲間に加えよ、とあった。


「魔星のことで張天師どのに相談に行ったら、助力を頼まれた。それでお主らを探していたんじゃよ」


「法力を失ってるんだろう。どう頼りになるってんだ」


 鋼先は、まだ承知しない。


 魯乗は困ったように首をひねり、


「そうなのだ。今はこれくらいしかできん」


 と言い、包帯の巻かれた両手で空中にいんを切った。


 急に、晴れていた空が曇り出し、雷が鳴り響いた。同時にものすごい大雨が降り始め、大風が吹き荒れる。


 鋼先たちは目も開けられず、立っているのがやっとだった。


「分かった分かった、もう充分だ!」


 魯乗がすっと腕を下ろすと、とたんに嵐がやんだ。


 三人が周りを見回すと、空は晴れたままで、地面も服も濡れていない。


「幻術か。なるほど、使えるな」


 鋼先がそう言って兄を見る。雷先も驚いたまま、頷いていた。


「李秀はどう思う?」


 鋼先が聞くと、李秀は魯乗をにらんで言った。


「いいけど。でもちょうどいいから、決めておきたいわ」


「何をだ」


 鋼先が問うと、李秀は鋼先を指さした。


「今後もしゅうせいじんえいが増えるなら、団長というか、指揮官が必要よ。魯乗は年長者でしょうけど、行動の決断は鋼先にゆだねる。それでいい?」


 雷先が頷いた。


「鋼先の体を元に戻すことが目的だからな。俺もそれがいいと思う」


 魯乗も頷いた。


「それはもちろんじゃ。わしだけでなく、百威もな」


 意を受けて、百威が短く鳴いた。




 一同は夕方まで歩いて街に入り、宿屋に部屋を取った。


 歩き通しだったので、足も疲れ、空腹も限界になっていた。鋼先は親睦しんぼくも兼ねて、豪華な料理を注文する。すぐに、大きな川魚の塩焼きと甘辛の煮付け、すっぽんのあんかけが食卓に上った。皆はさっそく食べ始める。百威がついばむ姿がかわいいと李秀が喜び、楽しい食事会となった。


 やがてそれも終わる頃、不意に魯乗が言った。


「土産というには野暮じゃが、ここに来る前に魔星を捕らえてきたぞ」


 魯乗は符印ふいんの貼ってある革袋を取り出すと、口を開けてみせた。豆粒のように縮んだ魔星がひとつ見える。


 鋼先が朔月鏡さくげつきょうで映すと、「地俊星ちしゅんせい」の名が現れた。


 収星の様子を見たあと、魯乗が鋼先に訊ねた。


追魔剣ついまけん朔望鏡さくぼうきょう、それだけか。貸してもらった法具は」


「英貞さんが言うには、強力な法具は危険なんで、許可が下りなかったんだと」


「あたしも、何かおもしろい武器期待してたんだけど。わざわざ貸してくれるんだから、すごく特別な力があるかと思ったのに」


 李秀が不満そうに言ったので、鋼先は笑って


「李秀は船だって武器にできるだろ。危険だから貸さなかったのは、正解だと思うぜ」


 とからかった。魯乗が何のことだと聞くので、例の天平星てんぺいせいを封じた話になり、その日は更けていった。




 夜明け前。


 鋼先は、皆が寝ているうちに起きだし、宿屋の裏庭で剣を振るっていた。だがすぐに息が切れ、切り株の上に座り込む。


「ひとりの練習では、上達も遅かろう。仲間に手伝ってもらいはせんのか」


 魯乗が見ていた。鋼先はあわてて立ち上がる。


 魯乗が続けた。


「わしは、自分の未熟さ故に、仲間を死なせてしまった。お主には、わしと同じ甘さを感じる。……若さゆえであろうが、少し、不安じゃな」


 面と向かってそう言われた鋼先は、思わず苦笑した。


「そうかい。まぁ、体力作りから地道にやるさ。……あんた、本当は何者だ。張天師様の手紙で紹介はあったが、どうも控えめな書き方だった。悪意は無いだろうが、何かを隠している」


「それは、わしのきゅうてきのせいじゃ。そいつに会えたとき、すべてを話そう」


「もったいぶるね」


「お主も隠しているじゃろう」


 魯乗に言われて、鋼先は目をそらした。収星の旅そのものが、不穏な空気をはらんでいる。それを魯乗に話すことを、鋼先はためらっていた。


「じゃあ言うが、この一件はどうもきな臭い」


「ふむ」


「だから、あんたはひょっとして、俺たちを監視しに来たんじゃないのか、と思ってるんだが」


 鋼先は鋭く魯乗を見た。しかし魯乗は、きっぱりと否定する。


「それは違う。もしそうなら、わざわざお主らを試したりせん」


 魯乗にそう言われて、鋼先は頷いた。


「そうか。何しろこちらには百八星の首魁がいる。監視がつくのは当然と思ってた」


「それは困るのう。だが、向こうからすれば、そうしたいじゃろうな」


 魯乗の言い方を聞いて、鋼先は目を光らせる。


「向こうって、誰のことだ」


「いや、今の話を聞いて『もしも主謀者がいるなら』と思っただけじゃ」


「張天師様は何か言っていなかったか?」


「ない。『こんなに弱っているあなたに無理を頼んで申し訳ない』とひたすら謝られたがな。まあ百威がいるから心配はない、と返答しておいた」


 鋼先は、ふと思って言った。


「百威の義肢は精巧だったな。あんたに懐いているのは、信頼しているあかしか」


「わしのことは疑ってもいい。だが、百威はいい奴じゃよ」


「わかった。俺は死にたくないだけだ。お互いに、利害を一致させて協力するとしよう。よろしく頼む」


 鋼先が、落ち着いた笑顔になる。


「うむ、こちらこそよろしくな。口が悪くて済まなかった。既に無いが、命を預ける身ゆえ、厳しいことも言わせてもらった。寛容に感謝する」


 魯乗は、そう言って庭を去って行った。


 いつのまにか朝日が差している。


 鋼先は大きく息をつくと、また剣を振り始めた。

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