その後何日か過ぎたが、その間は特に事件もない。
二月下旬のある日、三人は、森に近い田舎道を歩いていた。
畑に鳥がやってくる、のどかな風景だった。
「あたし道士って、風を呼んだり
「そういうのは、
と鋼先が言うと
「そうだな。俺も、
と
「兄貴は武術
「そういうお前は、落第ばかりで一つも進んでないだろう」
「だって興味ねえもん」
兄弟の言い合いに李秀は笑ったが、ふと思いついて言った。
「それにしても鋼先って弱いわね。この先大丈夫なの?」
けなされた鋼先は、しかし照れもしない。
「弱いね。去年の
「毎年そうだろ」
雷先が指さして補足した。
鋼先は
「こんなことなら、もう少し真面目に練習したんだがな。まあ、兄貴と李秀が来てくれて心強いよ」
「確かに、雷先はなかなかやるわよね。あなたも大会に出たの?」
李秀の質問に、雷先は
「もちろん。俺は第二位だ」
「二位? じゃあもっと強い人がいたんだ」
「応究さんだよ。俺は棒であの人は素手なのに、一度も勝てたことがない。歳もそれほど離れてないのに」
雷先は口を歪める。
李秀が笑った。
「ねえあなたたち、生まれも育ちも竜虎山?」
鋼先は頷いて、自分たちの生い立ちを話し始めた。
―鋼先は十九歳、本名を
二人は子供の頃から、近所だった
やがて雷先の方は武術を習い、棒術の使い手になったが、鋼先は、剣術を少しやっただけでやめてしまった。
「どうしてやめたの?」
李秀が聞いた。
「
すると雷先が、腕組みしながら頷いた。
「確かに今は、戦乱の時代じゃないからな」
それを聞いた李秀が、鋼先に指を突きつけた。
「でもね、今は自分の身ぐらい守れるようにならなきゃね」
そう言って
その時、樹上から何かが落ちてきた。それは急に向きを変え、鋼先に襲いかかった。
「何だ?」
鋼先は転ぶようにかわすと、それを目で追った。
「鳥みたいだったよ」
李秀が言った。雷先が指さして言う。
「旋回した。また来るぞ」
鳥は、今度は地面すれすれに滑空して突っ込んできた。三人は跳躍してかわす。
鳥は、一直線に上昇して飛び去ってしまった。
「魔星の
李秀の問いに、鋼先が首をひねる。そして
「二人とも、ちょっと」
と小声で話し始めた。
三人は縦並びになって歩いていく。
真正面から、灰色の羽の鳥が飛んできた。しかし今度はわざと反応せずに歩き続ける。鋼先の指示だった。
鳥が鋼先の眼前に迫る。しかし、鋼先がよけないので、鳥は焦ったように軌道を変えて飛び去った。
鋼先が、歩みを止めて叫ぶ。
「飼い主さん、出てきな。あんたの魂丹は分かったぜ」
すると、近くの木立からふわりと人影が飛び降りてきた。
深緑の
鳥も戻ってきて、彼の腕に止まる。
「若いの、なぜ
頭巾が聞く。
「殺気がなかった。だから、誰かが俺たちを試してるんだろう、と」
鋼先がほほ笑むと、頭巾も笑ったように肩を揺すった。
「
雷先が聞いた
「ハイタカじゃ。小柄の鷹の一種で、狩りにはよく使われる」
「でも、なんか普通じゃないわ」
李秀がいぶかった。その
「こいつは、魔星に襲われて大怪我をしてな。わしが
「おい、魔星に仙丹だって? 何者だ、あんた」
鋼先が問う。
「わしも道士じゃ。名は
「なるほどな」
鋼先は納得した。百八星は五十年前から人界に来ている。事件を起こしていない訳は無い。
「この鷂は、
「俺たちに何の用があるんだ」
「わしの仲間が、ある魔星に殺された。わしもやられ、
「ほう。その仕返しがしたいから、俺たちと組みたいと?」
鋼先が先を読む。魯乗は、首を振った。
「
「信用したいが、その格好は怪しすぎるな。顔だけならともかく、全身隠しているのはどうしてだ」
鋼先の言うとおり、彼の服装は一部の肌も見えない。すると魯乗は、自分の体をさすりながら言った。
「うむ。実を言うとな、わしの肉体はもう無い。
雷先が驚いて、手を差し伸べる。
「おい、危なっかしいな」
「この姿も
「なぜそこまでして来るのよ?」
李秀が、驚きを
「言ったろう、倒さねばならん相手がいると。魔星も
「だが、俺たちもまだ不慣れだ。互いに力不足というのは、どうもな」
鋼先が
「まあそう言わず、これを見るが良い」
そう言って、魯乗は
鋼先は、書状を開いて驚いた。
「兄貴、見てくれ。
雷先と李秀も驚いてのぞき込んだ。確かに張天師の文字で、印鑑も押してある。魯乗は張天師の知り合いで、頼りになるから仲間に加えよ、とあった。
「魔星のことで張天師どのに相談に行ったら、助力を頼まれた。それでお主らを探していたんじゃよ」
「法力を失ってるんだろう。どう頼りになるってんだ」
鋼先は、まだ承知しない。
魯乗は困ったように首をひねり、
「そうなのだ。今はこれくらいしかできん」
と言い、包帯の巻かれた両手で空中に
急に、晴れていた空が曇り出し、雷が鳴り響いた。同時にものすごい大雨が降り始め、大風が吹き荒れる。
鋼先たちは目も開けられず、立っているのがやっとだった。
「分かった分かった、もう充分だ!」
魯乗がすっと腕を下ろすと、とたんに嵐がやんだ。
三人が周りを見回すと、空は晴れたままで、地面も服も濡れていない。
「幻術か。なるほど、使えるな」
鋼先がそう言って兄を見る。雷先も驚いたまま、頷いていた。
「李秀はどう思う?」
鋼先が聞くと、李秀は魯乗をにらんで言った。
「いいけど。でもちょうどいいから、決めておきたいわ」
「何をだ」
鋼先が問うと、李秀は鋼先を指さした。
「今後も
雷先が頷いた。
「鋼先の体を元に戻すことが目的だからな。俺もそれがいいと思う」
魯乗も頷いた。
「それはもちろんじゃ。わしだけでなく、百威もな」
意を受けて、百威が短く鳴いた。
一同は夕方まで歩いて街に入り、宿屋に部屋を取った。
歩き通しだったので、足も疲れ、空腹も限界になっていた。鋼先は
やがてそれも終わる頃、不意に魯乗が言った。
「土産というには野暮じゃが、ここに来る前に魔星を捕らえてきたぞ」
魯乗は
鋼先が
収星の様子を見たあと、魯乗が鋼先に訊ねた。
「
「英貞さんが言うには、強力な法具は危険なんで、許可が下りなかったんだと」
「あたしも、何かおもしろい武器期待してたんだけど。わざわざ貸してくれるんだから、すごく特別な力があるかと思ったのに」
李秀が不満そうに言ったので、鋼先は笑って
「李秀は船だって武器にできるだろ。危険だから貸さなかったのは、正解だと思うぜ」
とからかった。魯乗が何のことだと聞くので、例の
夜明け前。
鋼先は、皆が寝ているうちに起きだし、宿屋の裏庭で剣を振るっていた。だがすぐに息が切れ、切り株の上に座り込む。
「ひとりの練習では、上達も遅かろう。仲間に手伝ってもらいはせんのか」
魯乗が見ていた。鋼先は
魯乗が続けた。
「わしは、自分の未熟さ故に、仲間を死なせてしまった。お主には、わしと同じ甘さを感じる。……若さゆえであろうが、少し、不安じゃな」
面と向かってそう言われた鋼先は、思わず苦笑した。
「そうかい。まぁ、体力作りから地道にやるさ。……あんた、本当は何者だ。張天師様の手紙で紹介はあったが、どうも控えめな書き方だった。悪意は無いだろうが、何かを隠している」
「それは、わしの
「もったいぶるね」
「お主も隠しているじゃろう」
魯乗に言われて、鋼先は目をそらした。収星の旅そのものが、不穏な空気を
「じゃあ言うが、この一件はどうもきな臭い」
「ふむ」
「だから、あんたはひょっとして、俺たちを監視しに来たんじゃないのか、と思ってるんだが」
鋼先は鋭く魯乗を見た。しかし魯乗は、きっぱりと否定する。
「それは違う。もしそうなら、わざわざお主らを試したりせん」
魯乗にそう言われて、鋼先は頷いた。
「そうか。何しろこちらには百八星の首魁がいる。監視がつくのは当然と思ってた」
「それは困るのう。だが、向こうからすれば、そうしたいじゃろうな」
魯乗の言い方を聞いて、鋼先は目を光らせる。
「向こうって、誰のことだ」
「いや、今の話を聞いて『もしも主謀者がいるなら』と思っただけじゃ」
「張天師様は何か言っていなかったか?」
「ない。『こんなに弱っているあなたに無理を頼んで申し訳ない』とひたすら謝られたがな。まあ百威がいるから心配はない、と返答しておいた」
鋼先は、ふと思って言った。
「百威の義肢は精巧だったな。あんたに懐いているのは、信頼している
「わしのことは疑ってもいい。だが、百威はいい奴じゃよ」
「わかった。俺は死にたくないだけだ。お互いに、利害を一致させて協力するとしよう。よろしく頼む」
鋼先が、落ち着いた笑顔になる。
「うむ、こちらこそよろしくな。口が悪くて済まなかった。既に無いが、命を預ける身ゆえ、厳しいことも言わせてもらった。寛容に感謝する」
魯乗は、そう言って庭を去って行った。
いつのまにか朝日が差している。
鋼先は大きく息をつくと、また剣を振り始めた。