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第三回 収星の旅




 翌朝、張天師ちょうてんしたちが来てみると、本堂の前にこうせんが立っていた。


 らいせんが真っ先に駆け寄って声をかける。


「鋼先! うまくいったんだな」


 鋼先は、うなずいてほほ笑んだ。


「ああ。面倒をかけたな」


 張応究ちょうおうきゅうが、慎重な声で言う。


こうせん、元気になって何よりだ。……ことの経緯は、聞いたか」


 鋼先は一礼して言った。


さいうかがいました。旅の件、うけたまわります」


「そうかそうか、よろしく頼む。危険だとは思うが、お前ならきっと大丈夫だろう」


 張天師はそう言って、大げさに笑った。鋼先は少し首をかしげたが、


「いえ、私も竜虎山りゅうこざんに長くおりまして、そろそろ外の地を見てみたくなっていたところで。ご心配いただいてきょうしゅくです」


 とほほ笑んだ。


 本堂から、えいていどうじょが出てきた。


ゆうごうはうまくいきました。鋼先の体に、反動は無いようです」


 張天師が、硬い笑顔で言う。


「いよいよ、旅の始まりですな。英貞童女様にお訊ねしますが、百七の魔星を集める段取りは、どうなさいますか」


 すると、英貞童女が急に天を見つめた。


 上空からゆっくりと、二人の女神が舞い降りてくる。桃色の衣がきゅうてんげんじょ、薄緑色の衣がりくごうけいじょであった。


「英貞童女様、お待たせしました。西王母娘娘せいおうぼじょうじょうが、これを」


 二人が差し出したのは、一本の赤いもくけんと、二枚の鏡だった。


 英貞童女が、それらを指さして言う。


「西王母娘娘と相談して、役に立ちそうな法具を用意してきました」


 九天玄女が剣を取って説明する。


「こちらのついけんは、取りいたしんせんようを追い出す力があります。追い出すのみで、退治する霊力はありません」


 次いで六合慧女が鏡を取る。


「これは朔望鏡さくぼうきょうといい、朔月鏡さくげつきょう望月鏡ぼうげつきょうの一対になってます。天界の戸籍表こせきひょうと連動しているので、これで映せば魔星の有無が分かります。また、一方通行ですが、朔月鏡から望月鏡へと、ものを転送することができます」


 張天師が覗き込んで言った。


ぎんや食料を渡すのに使えますな」


 だが英貞童女が首を振る。


「いえ。これは、魔星を移動させるのに使ってもらおうと思っています。追い出した魔星を手元に置きながら旅を続けるのは無理ですから、こちらにしゅうせい、つまり管理していただきたいのです」


「は? こちらに、管理? いや、聞き違いましたかな」


 張天師が嫌そうな顔をする。


 英貞童女が、うやうやしく拝礼した。


「荒くれ者の魔星を管理できる者は、天界にもおりません。ですが、西王母娘々が言われたのです。『竜虎山の張天師ならばほうりきそう、うまく取りまとめられるでしょう』と」


「なんと。にんまかせにもほどがある。竜虎山を留置場りゅうちじょうとでもお思いか」


 怒り出した張天師を、英貞童女が手でなだめた。


「勝手を言っているのは承知しております。百八星が揃いましたら、天界に連れ帰り、裁きを受けさせます。ですから、どうかお聞き届けください」


 張天師はふんの形相でつかつかと歩み寄る。しかし、応究が引っ張って止め、小声で言った。


「いけません。あちらは、例の条件を呑んでくれているのですから」


 張天師は、はっとして足を止める。


「そうか。仕方ない、百八星が揃うまでだな」


 にがにがしく言うと、張天師は魔星をしゅうかんする場所を決めるからと、その場を去った。


 英貞童女が、李秀りしゅうを見て声をかけた。


「あなたは、たいかんから来たそうですね。我々天界の者は、あまりじんかいと深く関わりたくありません。できたら、ないみつにしておいてほしいのですが」


 李秀は、あわててはいれいする。


「はい、もちろん口外など致しません。それより、お願いがあるのですが」


「良いですよ、言ってみなさい」


「その旅に、私も加わって良いでしょうか。腕にはいささか覚えもありますし、それに」


「それに?」


「実は私も、魔星とはえんのある身なのです。男装までして太史監れいになったのは、それが理由です」


「ほう。どんな縁です」


「今は、申し上げられません」


 李秀はそう言うと、口をきつく結んだ。


 英貞童女は少し考える顔をしたが、すぐにほほ笑んで言った。


「強そうなお嬢さんね。いいでしょう、彼らをたすけてあげてください」


 李秀は再度礼をすると、兄弟に歩み寄ってほほ笑んだ。


「そういうことで、改めてよろしく、李秀です」


 雷先が、李秀との勝負を思い出して言う。


「確かに、お前の腕前なら頼りになりそうだ」


 率直に褒められて、李秀は照れた。


 鋼先も、きちんと礼をして挨拶する。


「よろしく頼むよ。俺は武芸が得意じゃないんでな」


「任せて。もう男装もやめて、動きやすい服で行くわ」


 李秀は、左右の大きい袖を振りながら笑った。




 半日が過ぎ、三人がたびたくを済ませて張天師に挨拶あいさつに行くと、張応究も旅支度で立っている。筋骨隆々とした巨体が、いかにも強そうだった。


「もう行くのか。長い旅になると思うが、まずどこへ向かう?」


 そう訊いた応究に、雷先が笑顔で答える。


「はい、李秀がちょうあんの太史監へ帰りますので、一緒に行こうと思います。応究さんも来てくれるんですか、それは頼もしい」


 鋼先も、嬉しそうに礼をして、


「ありがとうございます。応究さんの腕があれば、魔星の退治も怖くない」


 しかし、応究は首を振る。


「すまない、私は便べんはかるために、一人で行く。お前たち、宿を取るときにはどうかんびょうに泊まれ。私は前もって、各都市の大きな道観に連絡しておく。そこから中小のところにも連絡が行くだろう。道中いろいろと物入りだろうから、路銀は大事にするんだ」


 張天師が、困り顔で言った。


「道観なら、わしが持たせた手紙があるから、大丈夫だろう」


 しかし、応究はほほ笑んで言う。


「良い機会ですから、各地の道観を周りたいと思います。私も竜虎山天師道てんしどう後継者として、顔出しをしておかなければならない時期ですので」


「そこまで言うなら止めはせぬが、お前は何かとツキが悪いからな、用心しろ」


 張天師は、不安そうに忠告した。




 ◇




 そして、鋼先たちが出発した日の夕方。


 早速彼らはてんぺいせいに出くわし、しゅく最初の収星を果たしたのだった。




 三人だけになった渡し船を、雷先がぐ。


 鋼先と李秀は、水と風で冷えた身体を温めるため、ひょうたん濁酒どぶろくをあおり、さんしょうをまぶした干し肉を食いちぎっている。


 漕ぎながら、雷先が言った。


「さっきみたいな調子で、魔星と出会って行くのかな。案外早く収星も終わるかもしれないぞ。がんばろうな、鋼先」


 鋼先を見ながら、李秀がため息をつく。


「あんなこと言ってるけど。あなたのお兄さん、ずいぶん暢気のんきね」


「ははっ」


 鋼先は苦笑くしょうした。


「何の話だ?」


 不思議がる雷先に、鋼先が説明した。


「張天師様は、『お前なら大丈夫』なんて、見えいたはげましをした。俺とはほとんど会ったこともないのに」


「どういうことなんだ?」


にぶいわね。どうしても旅に行かせたかった、ってことよ」


 李秀が腕組みする。雷先は、まだ信じられない表情だった。


「そんな……。いったい、何の目的があって?」


「なんとしても百八星を集めたい、ってことだろうな。それ以上は今は解らない」


「あたしが来たときは、せいかんろくも見せたがらなかったよ。何か隠している様子だった」


「女神さんたちとのやりとりも、きわどかったな。何か大きなものがからんでいる気がする。その中で俺たちは、便利に使われているだけなんだろうな」


「なんてことだ。俺は……全然気がつかなかった」


 がくぜんとしている雷先に、鋼先は笑って干し肉を分けた。


 船はゆっくりと河を下り続ける。


 に、李秀が鋼先に聞いた。


「ねえ、てんかいせいはどうなの? あなたにゆうごうしてから、なにかかんしょうとかある?」


 鋼先は苦笑して、


「俺もねんしていたんだが、霍三郎かくさんろうみたいに怪力にもならないし、意識が支配される感覚もない。安心ではあるが、ちょっとつまらないな」


「どうしてなのかな」


「英貞さんが言うには、憑依ひょういした宿やどぬしとの相性なんだとさ。俺と天魁星は、悪くはないが良くもない」


「魔星ってのはせいしんだろ。神なのに相性うんぬんなんてあるのか」


 雷先が怪訝けげんに言う。鋼先は頷いて


「神だから万能ってわけじゃなさそうだな。人間みたいに死なない分、あきらめが悪いから、かえってくせが強いらしい」


 李秀が肩をすくめてため息をつく。


「なんだか先行きが不安になってきたわね。大丈夫かな?」


「旅に出てみたかったことは本当だしな、そこは楽しんで行きたいね。ただ、これが何かの陰謀なら、使い捨てにされるつもりはないぜ。きっちりとお返しをしてやる」


 そう言って、鋼先は挑戦的に笑った。




 ◇




 同じ頃。じょうせいぐう、張天師の部屋。


「あの賀兄弟。わしはよく知らないが、お前はめんしきがあったのか?」


「はい。兄の雷先とは、武芸の練習場でよく会います。弟の鋼先も、時折顔を出していました」


「賀鋼先は、無事に百七星を集めきれると思うか?」


 父の正直な問いに、応究は強く頷く。


「確かに武芸は不得手ふえてですが、賢明でしっかりした若者です。あれだけの事にそうぐうしながら、ずいぶんと落ち着いていましたし、途中で逃げ出すようなことは無いと思います」


「そうか。さすがに命がかかっているからな。……それにしても」


 張天師は、紙くずになった星観録をつまみ上げた。


「これが天魁星に巻き込まれて破損したのは、ぎょうこうだった。どうきょうが国家の庇護ひごを受けている手前、太史監には逆らいにくいしな」


 応究が、紙くずを受け取りながら訊く。


「何か問題のある記録だったのですか?」


「百八星の消失に関しては、太史監と同じ記録だ。その星観録には、天界の機密に触れる記載も混ざっているのだ」


「それがちょうていに知れると不味まずい、ということですね」


 すると張天師は首を振り、


「朝廷が見ても信用しない内容だが、漏れたこと自体が天界に知られると、不味いのだ」


 応究は頷く。


「しかし、百八星が逃げてから五十年経っていますが、どうして天界は今頃になってあせっているのでしょうね」


 その問いに、張天師は笑って首を振った。


「あれでも急いでいるのだ。天魁星は気を遣っていたようだが、おそらく英貞様に追われていてぶつかったのだろう。さすがに彼女の口からは言えまいな。とにかく、天界の神たちは不死ふしだから、何事も緩慢かんまんでな。手続きだ何だと、段取りがある。我々には五十年でも、向こうには五十日くらいの感覚なんだよ」


「それは、鋼先にはしらせたくないですね」


「うむ、恨みが生じてはまずい。見た目は美しい女神でも、戦神の側面も持っているのだ。古代の帝王・黄帝こうていに、蚩尤しゆうを倒す術をさずけたほどだぞ」


「蚩尤……獣身に銅の頭、八つの足を持つなどと伝承される悪鬼ですね。涿鹿たくろくの地で争い、黄帝をさんざんに苦しめた末に討ち取られたという」


「そうだ。よいか応究、伝説をあなどってはいかんぞ。賀鋼先たちには、くれぐれも失礼の無いよう言い含めておいた」


「はい」


 応究は恭しく礼をする。張天師は頷いた。


「天界が動いたということは、おそらく、あの秘密に気付いてしまったのだろう。放っておけば、こちらとのきんこうが崩れてしまう。だから百八星を集め、それを阻止そしせねばならぬ」


「――分かりました。では、私はそろそろ出発の準備をします。父上、魔星の管理は、くれぐれもお気を付けて」


 張天師は頷く。


「それは考えがある、心配するな。それよりも、『あの魔星』だけは、いち早く見つけたいものだが」


「私も、それを第一に考えます。ですが、そればかりは、運任うんまかせですね」


 応究は拝礼をすると、荷物を肩に掛けて部屋を出る。


 張天師はそれを見送ると、夜空にまたたいている星を見る。


 そして、深くため息をついた。

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