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第一部 翔集編     第一回 道士たちと江賊



 流れ星だ。


 若い道士のこうせんは、兄の声で夜空を見上げる。


 大きく、明るい。


 今彼が手にしている、せいかんろくに載りそうな、見事な流星だ。


 だが鋼先は、すぐに違和感を感じる。今日は、昼から雪が降っていた。


「兄貴、空は雲でいっぱいだ。どうして星なんか見える?」


 しかし、考える間もなく、流星は激しい音を立てて兄に接近している。


「危ない!」


 とっに、兄を突き飛ばした。


 そして爆音が起き、流星は鋼先に激突する。


 全身を潰されて、鋼先は動かなくなった。


「鋼先! おい! しっかりしろ! 目を開けてくれ! おおい!」


 雷先は、さっきまで元気だった弟が自分をかばって死んだと気付き、大声で泣き叫んだ。




 それから数日。


 とうおうちょうてんぽう十四さい(西暦七五五)二月十二日の夜。


 先日の雪はほとんど消えたが、地面は凍り付き始めていた。




 なぜか、死んだはずの賀鋼先が、ざくざくと歩いている。


 連れは二人。


 兄のらいせんと、たいかん(天文台の役所)からきた李秀りしゅうという少女。


「兄貴、渡し船だ」


 鋼先はそう言うと、あわあいいろの道士服をひるがえし、十人乗りほどの小舟に乗り込んだ。二人も続いて乗る。


 船頭は背の高い、せた男だった。せんきゃくに一人、役人らしい男が乗っている。


 船が出た。


 しかし、河の中ほどに来たとき、船がきゅうていされた。


 役人がる。


「おい、行かぬか!」


 こうせんも聞いた。


「岩にでも当たったか?」


 すると船頭は、持っていたを役人に突き付けて言った。


「お前、おぼえがある。しょはくのうだな。そでしたほうだいの、悪徳役人め」


 役人は、うっと詰まった顔をして、言い返した。


「なにを、人聞きの悪いことを! 早く渡れ!」


 しかし船頭は、わめく役人を櫓で叩いた。役人はどすんと船底に転がる。


「や、やめろ。じゅんけん(見回り役人)を呼ぶぞ!」


 役人の悲鳴を聞いて、鋼先は声をひそめていった。


「変な具合になってきたな。李秀、あれを使ってみてくれ」


「あれって?」


 頭の左右にある短いおさげを整えながら、李秀は鋼先に問い返した。鋼先は、こう(荷物入れ)を指して


「あの鏡だ。いるかもしれない、魔星が」


 らいせんが、驚いた声を上げる。


「まさか。旅の初日だぞ」


「初日でも、怪しいと思ったら、確かめないとな」


 船頭と役人は、口論を続けている。


 李秀が、鏡を出して二人を映し、小声で叫んだ。


「鋼先! これ見て」


 きょうだいがのぞき込むと、鏡に映る船頭の姿に、うっすら文字が重なっていた。


 てんぺいせい


 と読める。鋼先が薄く笑った。


「本当にいたか。いきなりだな」


「どうする、河の真ん中だぞ」


 雷先が心配そうな目をした。


「それより、ねえ、まずいよ」


 李秀が、役人を指さす。怒っていた船頭が、役人をめっちにし始めている。雷先がうなった。


「見ていられない。止めるぞ、鋼先」


 だが鋼先は、肩まである赤茶髪をかきながら言った。


「兄貴は知らなかったのか? こうぞくの噂を」


「江賊? 河べりの盗賊ってこと?」


 李秀の問いに頷いて、鋼先が説明した。


「ああ。たんどくで、民衆はおそわず、金持ちや役人だけが狙われてる」


 その時、船頭が櫓を大きく振りかぶった。


「あの世へ送ってやる!」


 そのとき鋼先がさっと飛び出し、当たる直前、もくけんさやで受け止めた。


 船頭が、不思議そうに鋼先を見る。


「道士さん、あんたらには何もしないさ。なんでそんな男をかばう?」


 震えている役人を見ながら、鋼先は笑った。


「成り行きだ。俺たちはお前に用があるのさ、天平星」


 天平星と言われた船頭は、おののいた表情になり、櫓を大きく横へいだ。


 鋼先が上体をかがめてかわすと、後ろにいた役人に直撃し、河へ落ちてしまった。


「ありゃ、かわせなかったか。――天平星、人に取りいて暴れるのは止めろ」


 鋼先にそう言われて、船頭はいっ退いて櫓を構える。


「お前、なぜその名を?」


 鋼先は得意げに笑顔を見せ、


「お前たち百八星を、封印してやるぜ。りゅうざんじょうせいぐうの道士、賀雷先さまがな!」


 と、ばやく兄の白い道士服をつかんで、前へ押し出した。


「おい鋼先、やっぱりか!」


 急に出番を振られ、雷先は慌てる。


「兄貴、正面は頼む。俺の腕じゃ無理に決まってる」


 拝むような顔の弟に、雷先はむくれて頷いた。


「まあ、お前の考えそうなことだけどな」


 そう言って、得物を振り回した。


 彼の背に等しい丈の、正八角に面取りされた、こくたんのまっすぐなぼう


 それを槍のように、船頭の眼前へと、鋭く突き出した。


「生意気な!」


 船頭は櫓で受け止める。雷先は、そのまま素速いとつを繰り返し、注意を引きつけた。


 さらに、船頭の側面から、李秀が打ってかかる。得物は、左右の手に一本ずつ持った短いげき


「やあっ!」


 かん高いかけ声と共に、李秀は右の戟を突き込んだ。船頭はそれをはじこうと櫓を振る。しかし、突きは見せかけで、李秀はくるりと回転してまわし蹴りを放った。船頭は肩口かたぐちにそれを食らい、ぐらりと身体を揺らせる。


「それっ!」


 雷先も引き続き棒を突き出した。真正直に力強く、ガツガツ押した攻撃を繰り返す。李秀がそれを器用にくぐりながら、船頭の足下を狙って斬りつけた。


「ええい、うっとうしい奴らだ!」


 二人を相手にしてされ気味になるや、船頭は櫓を投げ捨てて、水に飛び込んだ。


 鋼先たちが、あわてて水面をのぞき込む。船頭はもう見えない。その時、足下がぐらぐら動いたかと思うと、急に船がひっくり返り、鋼先たちは水中に放り出された。


「何て力だ、船を持ち上げやがった」


 水面に出た雷先が、頭のてつかんを直しながらぼやく。李秀もき込みながら顔を出した。


 二人の無事を確認した鋼先は、くつがえされた船を、少し雪の残るなかに押し上げる。そして表向きに戻すと、


「初めてのしゅうせいが水中戦か。この寒いのに、楽じゃないな」


 と苦笑くしょうした。


 不意に、船頭が水面に現れる。鋼先をじっと見つめていた。


「おい道士、なぜ俺を狙う。やとぬしは誰だ?」


「それは言えないね」


「勝手なやつだ!」


 とぼけた鋼先に、船頭は怒声を発する。そして水中に手を突っ込むと、長い水草をつかんで勢いよく投げた。


 それは鋼先の不意を突き、頭部にからみついた。船頭は手繰たぐり寄せて鋼先の髪をつかみ、ちからまかせに沈める。


 鋼先はもがいたが、振りほどけない。


 様子を見ていた雷先が、慌てて近づく。


「天平星、これでも食らえ」


 雷先は、河底から石を拾って船頭に投げつけた。船頭は防御のため、両手で身をかばう。鋼先はすかさずのがれ、ひとびせて距離を開けた。


「鋼先、その木剣を使え。長引くと不利だ」


「わかってるよ」


 しかし、船頭は水中にもぐってしまった。そして、そのまま細い水路へ泳いで行く。


「まずい、逃がすな!」


「あいつ、水路を知り尽くしているな」


 鋼先が舌打ちした時、河の上流の方から何かが流れてくる音が聞こえた。鋼先が振り返ると、さっきまで乗っていた船が猛烈な勢いで突進して来る。船尾には李秀が乗っていた。


「それっ、うまく曲がってよ!」


 李秀が櫓を川底に差し込んでった。船は重々しく左に船首を向けると、船頭が逃げた水路に直進した。


「乗って、鋼先!」


 素早く乗り込んだ鋼先は、れた道衣を引きずりながら船首へと走る。


 船が、船頭を追いつめていた。必死に押し返そうとしているが、勢いがついている。押し流されながら、船頭が叫んだ。


ちくしょう、なんてことを!」


「悪いね、荒っぽいむすめで」


 鋼先は同情しながら、ゆっくりと木剣を鞘から抜いた。後ろで李秀がふてくされている。


 あしでできた中洲に乗り上げ、船は完全に止まった。船頭は船首と葦にはさまれて動けなくなり、目を怒らせている。


「くそっ、放せ!」


 鋼先は答えず、ゆっくりと船頭の身体に木剣を突き刺した。木であるはずなのに、剣は彼のむないたに吸い込まれるように刺さっていった。


「何だ、この剣は?」


 船頭が驚く。刺した鋼先自身も驚いていた。


「よく分からん。初めて使うんでな」


 剣を抜いた。船頭の身体が、強く光り始める。


 やがて刺した辺りのところから、強く光るきゅうじょうのものが出て来た。球はだいに人の形に変わっていき、ついにはぐんそうを着たじんしょうの姿になった。


 胸のしんきょうに「天平星」と彫り込まれている。見えない縄で縛られたみたいに、棒立ちの姿勢のまま身動きをしない。神将は思い切りむくれた顔をして、鋼先をにらみ付けている。


 雷先と李秀もそばに来て、この怪異かいいな光景を見守っていた。


 船頭の身体から出て来た神将は、薄く青い色を放って、ゆっくりと上昇していく。


「李秀、さくげつきょうをくれ」


 鋼先は木剣を鞘に戻す。李秀があわてて腰の袋から鏡を出して渡した。始めに船頭を映した時、天平星という文字を表したあの鏡である。


 鋼先は鏡を持つと、神将に近付けた。


 鏡は直径一尺(約三〇センチ)ほどで、鋼先が神将を鏡面に触れさせると、そのまま鏡に吸い込まれていき、消えてしまった。


 雷先が、に言った。


「鋼先、鏡の裏を見てみろ」


 鋼先が朔月鏡を裏返してみると、「天平星」という白い文字が、傘の骨のような配置で浮かび上がっていた。


 鋼先は、納得して頷く。


「ああ、天平星の名前が出た。内周がてんこうせいで、外周はさつせいになるみたいだな。まあともかく、これで収星はできたってわけか」


 その時李秀が、船の下に目を向けて言った。


「ねぇ、あの人どうする? 生きてるかな?」


 船頭は、船と葦の岸辺に挟まれたまま、動いていなかった。


「生きてるも何も、船でいたのはお前じゃないか」


 雷先が李秀をなじる。


 李秀は、山吹色のふく(裾と袖が細い服。唐代に流行した)をひるがえして言った。


とっのことよ。さ、早く助けよう」


 はいはいと答え、雷先が櫓で船を後退させた。


 鋼先は船頭のそばに降り、彼の身体を船の上に抱え上げる。幸い大きな怪我はなく、気を失っているだけだったので、李秀は胸を撫で下ろしていた。


「なあ兄貴、やっぱり」


「うん、俺もそんな気がしてたんだが」


 兄弟のあいづちに、李秀が首をかしげたので、鋼先は説明した。


「この船頭、見たことのある顔をしていると思っていたら、上清宮に出入りしてるぐすりだ」


「そうだな。だが、正気には戻るだろうが、このままでは江賊として捕まってしまう。ずいぶんと有名だったみたいだしな」


「それが実は、魔星の仕業だったのね。本人の意思でやってたんじゃないんだから、捕まるのはかわいそうよね」


「まあ任せろ。こいつが知り合いで良かった」


 鋼先はそう言って、船頭の上体を起こして活を入れた。


「う……」


 船頭がうめいて目を覚ますと、鋼先が話しかけた。


かくさんろう、俺が分かるか。上清宮の賀鋼先だ」


 霍三郎は、目をしばたたいて鋼先を見る。


「ああ、鋼先さん……じゃあ、ここは上清宮?」


「いや、ここはけいの中洲だ。お前さん、自分が何をしていたのか覚えていないのか?」


 鋼先にそう言われると、霍三郎はしばらく記憶をたどるような顔をし、やがて大きな声で叫んだ。


「お、俺、なぜか船頭になって、何度も役人を襲って……あ、ああ!」


 と、後悔の叫び声を上げた。鋼先は彼の肩を抱くようにして、優しく言葉をかける。


「確かあんたは、役人にだまされて、借金を抱えちまったんだったな。その恨みに、魔星が反応したんだろう。だがもう大丈夫、憑き物は追い出したよ」


 しかし霍三郎は、何が起きたのか理解できない顔をしている。鋼先は頷きながら続けた。


「簡単に言うと、ある魔物の集団が逃げてな、俺たちはそれを追っている。あんたがおかしくなったのも、その魔物のせいだったんだ。――役所に捕まったら、そんな言い訳じゃ通らないだろうけど」


 役所と聞いて、霍三郎の顔が青くなった。うろたえ始めた彼を押し止めながら、鋼先は告げた。


「分かってる。江賊の噂が消えるまで、どこかに身を隠した方がいい。霍三郎、上清宮へ行って張天師様ちょうてんしさまに事情を話すんだ。後は何とかしてくれる。ついでに、俺たちは無事に進んでいると伝えてくれ」


 そう言って鋼先は道を指し示し、霍三郎を送り出した。




 手を振り、星明かりの中を走って行く霍三郎を見ながら、李秀が言った。


「ねえ。今さら聞くのもなんだけど、今みたいなことが、これからも続くの?」


「ああ」鋼先が答えた。「あわただしいことばっかりだろうぜ。その分、退屈はしないがな」


 皮肉な言い方をしたが、しかし鋼先は楽しそうな笑顔を浮かべていた。


 そして一息ついて、言葉をぐ。


「どうせやらなきゃ生き返れないんだからな、俺は」

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