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第六章 だいたい毎回あいつのせい④

「離せっ! 今すぐ俺を離せっ!!」

「どうどう。一回落ち着いて話し合いましょ?」


 見た目からは想像できないほどしっかりと俺を押さえている。さっきの和泉といい、一体その細い身体のどこにこんなパワーがあるのだろうか。


「和泉も、ね」


 その言葉に和泉が一瞬気まずそうな顔をして、それからこくりと小さく頷いた。


「さっきはその……叩いてごめん……突然のことでびっくりしちゃって……」


 いや、さっきのあれ。どう考えても叩くって勢いじゃないんだけど。めちゃくちゃ吹っ飛ばされたよ俺。それでも、自分が悪いと思ったらしっかり謝ることができることは凄く大事なことだと思う。どこぞの駄女神も学んで欲しい。


「大丈夫……うん……。むしろ、俺の方こそ悪かったって言うか……でもまあ、なんだ。和泉が無事で良かったよ」


 にっと、もう大丈夫だと伝えられるように笑う。頬がまだズキズキしてるせいでちゃんと笑えている自信はなかったけれど、何もしないよりかはマシだと思ったから。


「あ、あのね透流。そのっ……今朝、私がヒロインに向いてないんじゃないかって言っちゃったじゃない?」

「お、おう……」


 よーく覚えている。だって、その一言がある意味で始まりだったのだから。


「それでね、エミリアさんにどうしたらヒロインらしく、透流の側にいれるかなって相談してただけなの……。だから、透流が言ってたみたいにさらわれてる? って訳じゃなくて……その……心配かけてごめんなさい」


ぺこりと、和泉が頭を下げる。


「和泉が謝らなきゃいけないことなんて何もないさ。むしろ謝らなきゃいけないのは俺の方だ」

「透流の方が……謝らなくて、いいと、思う」


 とぎれとぎれになった言葉。和泉が被っていた黄色いニット帽をするりと脱いだ。露わになった猫耳がぴくぴくと不安げに揺れている。


「私ね。エミリアさんが来たとき、負けちゃうって思ったんだ。だって、私なんかよりもエミリアさんの方が見た目とか性格とか、何倍も素敵だから……」


 ぎゅっと、ニット帽を握りしめる。目には大粒の、透明な涙が溜まっていて、それが今にもこぼれ落ちそうだった。


「だからね。負けたくないって。透流を取られたくないって思ったらどうして良いのか分かんなくなって……分かんなくて……」


 溜まった涙が、ぽろぽろと和泉の頬を伝い、地面を濡らしていく。


「ずっと好きだった人のヒロインに選ばれたのに大した進展もなし。そりゃ乙女心も傷つくって思わない? 鈍感さん?」


 鈍感さんとは俺のことだろうか。失礼な。それに、和泉の気持ちだって……。そこまで考えたとき、ふいに先ほどタレイアに言われた言葉を思い出す。そうだ、和泉の幸せは俺が決める事じゃない。それは洗脳されているかどうかにかかわらず、だ。

 ただまあ言った張本人は先ほどからずっとにやにやと笑っていて、実に楽しそうになさっている。後で絶対殺す。絶対にだ。

 隣を見ると、ぐずぐずと泣いている和泉がいて。それが昔の和泉と重なって見えた。


 こいつは、本当に昔から変わらない。


 泣き虫なくせに強がりで。自分より他人のくせに、自分の悩み事は一人で抱え込んでしまう。嘘が下手くそで隠せてるわけないのに、大丈夫だと笑って誤魔化そうとする。

 氷川和泉は、そういう女の子だ。

 最近ずっと一緒にいたのに、そんなことを思い出すのに今の今までかかってしまった。


「和泉は泣き虫だからなあ」

「えっ……?」

「昔一緒に動物のドキュメンタリー見たことあったろ? あのとき俺は泣いてくださいどうぞってシーンが退屈で欠伸したとき隣でぼろぼろ泣いてたよな」

「はっ? へっ!? なななな何突然!?」


 混乱している彼女をよそに、俺は話を続ける。


「そんときな、なんで和泉はこんなので泣いてるんだろうなーって思ったんだわ。もしかしたら嘘泣きじゃないかとも。でもさ、番組が終わった後、なんて言ったか覚えてるか?」

「えーっと……?」


 必死に思い出そうとしている姿に、思わず笑ってしまいそうになる。そう、そう言うところが和泉らしいんだ。


「私、生きなきゃって言ったんだよ。すっげー力強い声で」


 和泉はピュアだ。それも底なしの。まっすぐで馬鹿で。それは、ひねくれた俺とは違う。


「昔から変わらないよな本当に」


 だから、和泉はずっと覚えていた。俺と彼女が出会った日を。俺がついさっきまで忘れてしまっていた、その日を。

 意味が分からないという顔をしている和泉に、俺は胸ポケットに入れたままの花を……花をー……やっべえがっちりホールドされているせいで上手く取れない。


「あーそのっ、すまんエミリア。とりあえず手を離してくれ」


 ぺしぺしと叩きながら抗議すると、あっさりとホールドは解かれる。最初から解いて貰えばよかった。そんな様子を見て、タレイアが鼻で笑う。


「しまらねえ主人公だなぁおい」

「ほっとけ」


 それに、俺は主人公になったつもりなんかねえよ。その言葉は言わず。代わりに胸ポケットから先ほど摘んだばかりの黄色いそれを取り出して和泉に差し出す。


「これ……」

「忘れててごめんな。でも、ちゃんと思い出したから」


 口元を押さえた和泉の目に、せっかく静りかけていた涙が、再び浮かび上がる。その涙の意味は、さっきとは違う。俺は確かにタレイアやエミリアの言うように鈍感なのかもしれない。でも、今和泉が浮かべている涙の意味だけは、しっかりと理解できた。


「それにな、俺は和泉がヒロインに向いてないなんて思ってないから。むしろそのっ……向いてると思う。俺が主人公になるよか全然」

「……ばかっ」


 和泉は嫌々とでも言うように首を横に振る。


「向いてるよ……透流は主人公に向いてる。私は、そう思うよ。それにね。透流が自分のことを主人公だって言ったとき、すっごくかっこよかったし、嬉しかった」

「……そっか」


 和泉にそう言われるのはちょっと、いや、かなり悪くないな。なんて。

 しばらくもじもじと身体をよじった後、顔をゆでだこのように真っ赤に染めた和泉が上目遣いで俺を見る。何この雰囲気。俺、こういうの、ゲームとかでしか、知らない。

 俺の心の準備がまだできていないタイミングで、和泉が意を決したように俺をまっすぐに捉える。それから、一言一言。ちゃんと俺に伝わるように。


「それから私本当にね、洗脳とかじゃなくて、ずっと透流のことが――」

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