うちの父方の祖父母の家は山奥の小さな村にある。なんかよく田舎に行くって言うとみんなが想像しそうな感じの田舎って言えば分かってもらえるだろうか。その近くをよく暴走族だか走り屋が走っていた。夜中になるとぶぉんぶぉんと排気音を大合唱しながら走り去って行くわけだ。
最初の方は俺もうるさいなあと思ってたわけだが、いつしかその音を聞く度に自分が祖父母の家に来たことを実感できる一つのアクセントになっていた。
これは俺が中学二年生のときの話。
祖父母の家には毎年なぜか和泉も同伴することになっていたのだが、その年から和泉は部活が忙しくなってきたとかなんとかで来ることはなくなった。二人とも思春期まっさかりだし、お互いを一男女と意識するようになっていた、と言えば聞こえはいいだろう。悪く言えば避けられていた。
まあ、今はそのことは置いておこう。話してたら悲しくなるし。
無理矢理話を戻すと、その山村では毎年お盆の時期には小さなお祭りが開かれることとなっている。祭りと言っても、やることはと言えば村の自治体が子ども向けに小さな屋台を開いたり、大人たちが休憩所とかいう名前だけの場所で明け方までしこたま酒を飲んで騒いでいるだけのものだ。
村の近くの峠を根城にしている暴走族だか走り屋も例年その日だけはなりを潜め、一緒になって酒を飲んでわいわいと騒ぐわけだ。仲良いなあんたらとは思わなくもないが、いるもんはいるんだから考えることは放置。楽しければなんでもありみたいなのが村の暗黙の了解だった気もするし、つまりはそういうことなのだろう。
さて、中学二年生と言えば、ちょっとワルに憧れを持ったりする年齢だったりするんだと思うけど、俺もその例に漏れなかったわけで。今まで遠巻きに見ていただけのその暴走族だかの兄ちゃん姉ちゃんのとこに行ってみたりしたわけですよ。すっげえびくびくしながら。
とりあえず隅の方にいた、見た目からしてまだ優しそうだった姉ちゃんに声をかけてみようと思い立った俺は、こそっとその姉ちゃんの隣に座ったわけよ。こう、ちょこんって。
最初こそ優しく笑いかけてくれたりすんのかなあとかって考えてたんだが、その考えは甘かったとコンマで実感することとなった。
「お前、神田のばあちゃんのとこの坊主だな」
めっちゃ眼飛ばされながらそんなことを言われたせいで、ガキだった俺は恐怖からもう何も言えずに頷くことしかできなかった。
するとどうだろう、急に姉ちゃんはすっごい綺麗な笑顔を浮かべて、俺を仲間に迎え入れてくれたわけだ。
「神田のばあちゃんさんにはめっちゃお世話になってんすよ」
とか。
「神田のばあちゃんがいなけりゃ俺らは今いねえからなあ」
とか色々。
とりあえずなんでか知らないけど、祖母のおかげで俺はその日楽しい一日を過ごすことができた。後で聞いても祖母は笑顔を浮かべるだけで何も教えてくれなかった。
そして、俺が家に帰る日のこと。
その日は少しだけ散歩したい気分になってたから、俺はその村をぶらっとしてた。村に唯一ある駄菓子屋でアイス買って店先でのんびりしてたら、一台のバイクが爆音をまき散らしながら走ってきた。俺はびびってたけど、駄菓子屋のおばちゃんは穏やかに麦茶をすすっていた。
俺たちの前に来ると、運転手はフルフェイスのヘルメットを脱ぎ、その顔をあらわにした。
「よう坊主」
そう言って笑いかけてくれたのは、祭りの日に俺が話しかけた綺麗な姉ちゃんだった。
「聞いたぜ。今日東京に戻るんだってな」
まあ、ここは小さな村だし、そういった情報もすぐに広まるのだろうと俺が頷くと、姉ちゃんはバイクの後ろに積んでいたカバンを一つ投げて寄越した。
「これは選別だ。困ったときはそれ着て、あたいたちに連絡してきな。神田のばあちゃんの孫が困ってるってんならあたいたちはどこだろうと駆けつけるからよ」
姉ちゃんはにっと笑うと、再び爆音をまき散らして消えてしまった。後で聞いた話だが、彼女はその暴走族だか走り屋のヘッドだったらしい。とんでもない人に話しかけていたようだ。
さて、家に帰ってからどんなものをもらったのだろうと引っ張り出すと、そこには俺の身長に合わせてくれたのであろう、特攻服が入っていた。
背中に大きく書かれていたのは『煩・慕夜亜呪』という文字。
あっ、ボン・ヴォヤージュかこれ。って納得するのに時間がかかったけれど、それがすっごい嬉しくてしばらくの間家の中でずっと着てたよね。本当は外でも着たかったけど親に猛反対されたし、着なくて良かったって今なら思う。今も探せば出てくるんじゃないかな。着ようとは思わないけど。
さて、なんでこんな思い出話をしたかと言うと、『羽守紅茶祢家』と大々的に書かれた表札を見たからなわけですよ。この文字見た瞬間、中学二年生の記憶が色々フラッシュバックしたよね。