時間というものはどんなときでも無慈悲なまでに平等に流れるもので。今日、俺がどんなことを考えていようが、どんな気分で過ごそうが、そんなことお構いなしに時計の針は進んでいく。
空の色は夏が近いせいか、まだ昼間のように明るいままだ。それでも、今はもう授業が全て終わってしまった放課後だという事実は変わらない。
結局和泉は学校に来なかった。斜め前の席は今日一日ずっと空席。机の中はがらんどうで、置き勉用の教科書でいっぱいの俺の席とはまるっきり違う。
今日一日、ずっと和泉のことを考えていた。おかげでずっと上の空。今日の授業で教科書を開いた記憶はない。本当なら考えなければならないことは他にもあるはずなのに、今はそんな気持ちにもならなかった。
青空にぽつりと真っ白な雲が浮かんでいる。
「和泉があんなことで悩んでたなんてなあ」
「え? 氷川さん? 今日休んでたし、なんかあったの?」
ぼんやりと考え込んでいたことがどうやら口をついて出ていたらしい。俺はかぶりを振ってから、不思議そうな顔でこちらを見ている肇に嘘を吐く。
「ちょっとな」
自分でも分かりやすい嘘だと思う。本当はちょっとなんかじゃないのに。大丈夫の意味が良い意味と悪い意味の二つがあるように。
「例のこと?」
辺りをきょろきょろと見渡してから肇が小さな声で尋ねる。察しがいいな。
「まー、そんなとこだ」
「何かあったら言ってよ? ほら、俺って透流の親友ポジションなんでしょ。でも、それ差し引いても友達なんだから相談してよね」
あー、そう言えばこいつ俺の親友ポジションだったわ。俺が憧れていた場所。それが憎らしいと思えないのは、彼の性格ゆえなのかもしれない。
「そうだな、それじゃあ、帰りながらちょっと相談にのってくれ」
荷物をさっさと片付け、すっかり人の少なくなった教室を後にする。心なしかいつもより学校中に流れている空気に覇気がないように感じる。
「なあ、俺が暗いからそう見えるだけかもしんないけどさ。なんか今日学校中が暗くないか?」
「そりゃあそうでしょ。何たって学校の二大美少女がそろっていないんだし」
「えっ、あのエミリアも休んでんのか?」
あの毎日元気いっぱい娘が休みとは考えられん。
「何言ってんの? パスティーネさん、昼休みで早退したよ? って言うかいつの間に下の名前で呼ぶような仲になったの?」
「それについてはまた今度話してやる。で、あいつが早退? マジで言ってんのかそれ」
「嘘吐いてもしょうがなくない?」
ごもっとも。肇が今嘘を吐いたところで何の利点もない。
「そう言うこともあるんだな」
確かにあの二人がいないとなれば士気は下がるのも頷ける。今が戦場とかだったら、いくら戦況が優勢でも間違いなく全滅するレベル。
「まあ、そんなとこ。それにしてもその学校の二大美少女がうちのクラスにいるってなんか凄いよね」
なんてことをイケメン様がおっしゃってもなあ。こいつ自覚がないだけでかなりモテるし。何回仲が良いって理由でこれを真宮さんに渡してください! って手紙渡されたか。その度に心をときめかした俺の気持ちになって欲しい。
「それに、最近では氷川さん派とパスティーネさん派で人気が二分してるとかなんとかって噂があったりなかったり?」
「なんだよその噂……」
うちの学校は暇人の集まりか何かなのだろうか。ただまあ、俺も立場が違えば間違いなくどっち派だーって騒いでたと思うからあんまり言わないでおこう。
「ちなみに透流はどっち派?」
「それを俺に聞くか?」
どっちって言われたら清純派という言葉がぴったりな和泉が俺の好みには当てはまるが、確かに西洋美人という言葉がぴったりのエミリアもなあ。
「あーそう言うことか……」
そこでようやく気が付いた。そうか、和泉はそれで悩んでたのか。そんなこと、気にする必要なんかないのに。だって、彼女はヒロインなんだから。でも、それは飽くまでも俺視点というだけで、彼女からは違ったように感じられたのだろう。その程度で? と自分が思うことは他人には死ぬほどつらいこともある。逆もまたしかり。そりゃそうだ。だって、俺たちは同一の人物ではないんだから。
「透流? どうかした?」
「あぁ、実はな。今朝、和泉が私はヒロインに向いてないって言われたんだわ」
「えっどういうこと?」
「どうもこうも言ったとおりだよ」
「いや、意味分かんないからね、それ」
確かに俺の説明が足りてなかった。でもなあ、俺も多分そうだろうって見当をつけただけであって、合ってる自信はないんだよなあ。そうなると手っ取り早いのは状況説明か。
「まあ、詳しく言うとだな。和泉は最近……聞いてる?」
「…………」
無視か。ったく人が説明しようとしたのによおと正面に視線を向けたとき、俺も肇同様に言葉を失う。
見知った女神と見知らぬ男性が酔っぱらいながら肩を組んで歩いてる光景ってさ。そうそう見られるもんじゃないと思うんだ。
「ゲハハハハハハハ!! 姉ちゃん昼間から酒たあ景気いいねえ!!」
「いやー、これが大当たりでよぉ! 確定ボーナスからの十五万勝ちよ。今日はあたしのおごりだ飲め飲めぇい!」
「飲め飲めぇいじゃねえよ! 真っ昼間から何してんのお前!?」
顔が真っ赤になった二人組に近寄ると、酒臭い息がふわりとこちらに漂ってくる。くっせえ……。
「あ? お前はうちのとこの出来損ない主人公じゃねえかいよう」
「なんでえ姉ちゃん、知り合いか?」
「そうそう知り合い知り合い! こいつがねぇ、えーっとなんだっけ……分っかんねえやニャハハハハハハハハハ!!」
「分かんねえなら仕方ねえわなガハハハハハハハハ!!」
「酔っ払ってんじゃねえよ!!!!!!」
「あーん? 全然酔ってねえよ、なあ? おっちゃん」
「おうとも酔ってなんかぁオエッいねえよ」
今絶対吐きかけただろこのおっさん。って言うか二人とも目の焦点があってないせいでかなり怖い。タレイアに至っては普段から目が死んでる分余計に怖い。
「っつーことでだ、あたしは今からオエッおっちゃんと二軒目行ってくるからよ。和泉ちゃんによろしくちゃーん」
「吐きそうになるまで飲んでんじゃねえよおおおおおおおおおおお!」
「待っオエッ吐くからオエッそれ以上揺らウップさないでオエッ待って本当にオエッそれ以上は本当に吐ウッ……! おろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろ」
タレイアがえずいたのと同時に街路樹の根元へ押し込むファインプレイ。タレイアの口から流れ落ちる、きらきらした何か。あぁ、これが規制ってやつなのかと少しだけ、この世界が物語になりつつあることに感謝する。正直見たくないよね。俺も見たくない。
「ってんめえ……何しやがるクソが……おかげで酔いが完全に覚めただろうが」
「うるせえ! 昼間から酒なんて飲んでんじゃねえよ!」
「あん? あたしの稼いだ金だぞ? それで飲んでんだから文句ねえだろうがよぉ」
「稼いだってお前、それパチで稼いだだけじゃねえか」
「馬鹿め、今日のはスロットだ」
「変わんねえよ!?」
「はああああああああああああああん!? 一緒にしたな? 一緒にしたなてめえ!? 覚悟できてんだろうな、えぇ!?」
「だああああああもうめんどくせえなもう! っつーかまず人の家の金で賭け事してんじゃねえよ!」
「増やしましたけどぉー? 増やしましたけど何かぁー?」
「そういう問題じゃねえからな!?」
言い合う俺たちの肩に、優しくぽんと手を置かれる。
「「んじゃゴルァ!?」」
「えっ何? 二人とも怖いんだけど」
二人同時に睨まれ、肩に手を置いた張本人である肇がたじろぐ。しかし、それでもしっかりと、交互に俺とタレイアの顔を見比べ、一度大きなため息を吐き出した。
「あのね、二人ともよーく聞いてね? ちょー目立ってるから」
聞こえてくるひそひそ声。いつの間にかいなくなっていたおじさん。いつの間にか増えていた近所の奥様方。
肇は言わずもがな整った顔立ちで目立つし、タレイアもまあ……目が死んでることと、目の下のクマを覗けば見てくれはいい。ついでに言うなら金の瞳とか普通はありえないよね。しかも服装が古代ギリシャのそれだし。そりゃ目立つわな。加えてこれだけわーぎゃー騒いでるわけだし。
「あぁ、げふん。うん、テレビだったらいったんCMでとかほざいてるとこだな。それじゃあ、CMスタート! きゃぴっ☆」
「どこ見て言ってんの?」
「どこってそれはあれだ。消費者側に決まってんだろうが」
「……そういうメタっぽい発言道端でやめろな? あの人たち何なのかしら……みたいな感じで見られてるからな?」
恥ずかしいったらありゃしない。気のせいじゃなければひそひそ声が増えたような気がするし。本当にこいつに関わるとろくなことになりゃしない。
「ははは、お前ら面白いなー」
「いや、全然面白くないから」
「はーあ、道端で騒いでんじゃねえよ。みっともねえ」
「………………」
てめえにだけは言われたかねえ。