「サンシャインシティってこんなに人多かったっけか」
エスカレーターに乗ったとき、考えていたことがふいに口から転げ落ちる。先に乗っていた和泉が、くるりと振り返る。
「今日は休日だからねー。平日はもう少し空いてるかなあ」
「ん? 和泉はよく来るのか?」
「そんなしょっちゅうは来ないけど、友達とたまーにって感じかなあ。あっ、ここね。時々だけど、有名人が来てトークショーとかライブとかするんだよ」
「ほーん」
吹き抜けになった場所を指さし、そう教えてくれる。和泉に連れられるように手すりまで歩いていき、中をのぞき込むとそこは噴水になっていた。不規則に水が飛び出ては、見ている子どもたちがきゃっきゃと嬉しそうにはしゃぐ。
「私たちも昔、あんなふうに遊んでたよね」
「たいてい和泉に連れ回されて泥だらけになってたな」
「あははっ、なんだか懐かしーねっ」
悪びれる様子もなく、屈託なく笑う彼女を見ていると、なんだか幸せを感じている自分がいることに気がつく。一瞬、このまま主人公になることを受け入れれば、和泉のこんな表情がこれからも見られるのかと思う反面。偽物の笑顔を浮かべ続けさせるなんて、そんな悲しいことを和泉にはさせたくないと思った。だから、彼女の洗脳を、早く解かなければいけないんだ。元の和泉と俺の関係に戻した方がきっと彼女のためだから。心の中で、そんな決意を固める。でも、俺はそれを悟られないよう、その思いを隠して頷く。
「そうだな」
本当に、懐かしいと、思う。今でもちゃんと覚えてはいる。それでも、今ではもうそれは遠い昔のことで。なんだかあやふやで、どこか現実味がない。
「さっ、もう行こうぜ。まだ目的のものは買えてねえんだし」
「そうだね」
ぶらぶらと店内を見て回るも、季節はすでに夏に片足をつっこんだ春。本来冬に使うはずのニット帽はなかなか見あたらない。うーん、これは通販で買うしかないのだろうか。でもなー、それだと数日かかるから間違いなく月曜日には間に合わない。どうしたものだろうかと思案し始めたとき。ふと、目に止まったのは健全な青少年には大変目のやり場に困る店。いや、健全な青少年に限らず男性ならそうなんだろうけどね。
ちらっと見ただけでも様々な色、デザインが並んでいることが分かる。中では仲むつまじいカップルがけらけらと笑いながら商品を物色している。
その店の総称はランジェリーショップ。女性の下着が売られているお店である。一瞬、今日の和泉の下着はどんなのだろうと考えてしまう。和泉のことだからちょっとおしゃれなデザインなのだろうか。いやもしかしたらもっと過激な――いや、落ち着け何をしてる神田透流。お前はそんな変態じゃないはずだ。男子たるもの紳士でなければ。よし、一回深呼吸をしてぇ……。すぅーはぁー。
『想像するのは本当に、悪いことですか?』
突然脳内でそんな声が響く。お前は……俺の中天使!
『健全な男子たるもの、可愛い女の子の下着を想像するのは仕方がないことです。もう一度問います。それは本当に悪いことでしょうか?』
だ、だよね! 俺悪くないよね! いや、そうじゃねえよもう一人はどうしたよ。何で止めない。っつーか出てきてるの天使だけってそれどうなの。
『ちなみに悪魔は私が縛り付けておいたので出てきませんよ?』
おいいいいいいいいお前何してくれてんの!? まるで俺が女の子の下着を想像する変態みたいじゃねえか!
『何も間違ってませんよね、それ』
確かにね。実際に考えてたしね。じゃなくて! なんで天使が勧めてんだよ。それ悪魔の役目じゃないの!?
『諦めてください。それがあなたです。人間受け入れることも大切ですよ』
ふっざけんな! 俺が和泉に変な目で見られたらどうする!
「どしたの透流?」
「えっ、あぁいや、ななな何でもない」
脳内に現れていた俺の中の天使を投げ飛ばす。二度と出てくんじゃねえ。
じーっと、不思議そうに和泉が俺のことを見上げる。身長差があることも手伝って、隣に和泉が来られると自然とそんな構図になってしまう。だから、彼女の顔から下。ふくらみのあるその部位に視線が移ってしまうのは仕方のない流れで――じゃねえ、何考えてるんだ。俺は急いで視線を和泉に戻す。
「見てたでしょ?」
「な、何をでしょうか……?」
ちらっと和泉は先ほど俺が見ていた店を見て、それから自分の胸を見てから、ようやく俺を見る。
彼女の俺を見る視線が、ひやりと冷たい。っつーか怖い。
「透流の変態」
吐き捨てるように言われてしまう。
「違うんだ和泉の胸は魅力的だから――じゃない、違うそうじゃなくてあぁいや、違わないんだけどさぁ! じゃなくて!」
「馬鹿じゃないの? 透流って昔から本当にエッチだよね」
「えっ昔から……?」
どういう事だろうか。いや、確かに中学生ぐらいのときに妄想いや、今のなし。
「案外女子ってそーいう視線は分かってるから、気を付けた方がいいと思うよ?」
トゲのある声で言うと、和泉はすたすたと歩き出してしまう。
「ご、ごめんって和泉」
「しーらない」
ふてくされたように言われてしまうと、こちらとしても何も言うことができない。気まずいまま和泉の後を着いて歩いていると、彼女があっと声をあげた。
「見つかったか?」
おずおずと尋ねるも、彼女はさっきのことなどなかったかのように、ううんと首を左右に振った。
「いや、そうじゃなくてね。ほらあれ」
和泉が指さした先。そこにはサンシャインシティに併設されている水族館のポスターが貼り付けられていた。つぶらな瞳をしたカワウソの吹き出しには、僕に会いに来てねと書かれている。
「ねえ透流。せっかくだからさ、水族館行かない?」
「また今度な。まだ目当てのものも買えてねえんだし」
「へー。今度なら一緒に行ってくれるんだ」
いたずらっぽく細められたその目に、思わず心臓がどきりと跳ね上がる。その目は幼い頃に和泉が俺を試すときによくしていたはずなのに、数年ぶりに見たそれは恐ろしいほど艶っぽく見えた。
「そ、それはそのぉー……和泉次第ってことで」
どうして人は挙動不審になるのを避けようとして、余計に挙動不審になってしまうのだろうか。
「ふふふっ。そっかぁ。ふふっ」
「……んだよ気持ち悪い笑い方して」
「なんでもないよ」
隣でそう含み笑いをされてはなんだか落ち着かないんだが。まあ、いいか。楽しそうだし。俺はふぅと小さく息を吐き出してポスターの前のラックからチラシを一枚取り出し、持ってきていたカバンへそっと二つ折りにして入れる。
「透流も乗り気になってくれてるんだ」
「これはあれだ。カワウソがかわいかっただけ」
嘘は言ってない。まあ、本音は和泉に一緒に行こうと誘われたからとかそんなの。絶対に本人には言わないけど。洗脳解けた後、キモいとかって思われたら一生部屋から出られなくなりそうだし。
「とりあえずそろそろ昼時だし、さっさと目当てのもん買って飯でも食おうぜ。腹減った」
「あっ、もうそんな時間?」
和泉もスマホの時計を取り出して確認した後、うんと軽く頷いた。
「とりあえず急いで買っちゃおっか」
「そうしてくれると助かる」
少し早足で店内を見て回り、ようやく一店舗だけまだ冬物の服などを扱っている店を見つけることができた。店員に聞くと笑顔で売り場まで案内してくれる。俺が同じこと聞いても絶対にここまで笑顔じゃないだろうなあと思ってしまうと、やはり和泉は可愛いのだと実感する。うん……なんか急に俺なんかが隣にいるのが申し訳なくなってきた。心なしかどうしてお前なんかがとでも言いたげな、ちくちくとした視線を感じる気さえしてしまう。
きょろきょろとするのもなんだか悔しくて、ニット帽を選んでいるのに集中するふりをする。だめだ全然頭に入ってこない。
もし、隣にいるのが俺じゃなくて肇だったなら。美男美女カップルとして羨望の視線を送られていたのだろうか。主人公に選ばれたのが俺ではなく肇だったなら。そちらの方がきっと、和泉も幸せなんじゃないだろうか。