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第一章 くじ引きって当たって欲しくないときに限って当たるもんだよね①

 第一章 くじ引きって当たって欲しくないときに限って当たるもんだよね


「それじゃあ、透流とおる。お母さんたち、行ってくるから」


 世間的には五月の大型連休が終わって、次の祝日が七月までないのかと絶望していた、そんなある金曜日のこと。


 玄関先。そこには両親がにこにこと笑いながら、制服に身を包んだ俺を見ていた。この文章だけなら入学式を思わせるが、違う点は外にいるのが両親であること。そして、俺が二年生であるということだろうか。


「えっ、あっうん……行ってらっしゃい……。でも、本当に行くの?」

「当たり前だ。こうしている間にも世界には謎が溢れているんだ。それを解明しないで何が人生だ! なあ、母さん!」

「やーん! お父さんったらかっこいいー! お父さんが行くって言うなら例え地獄だろうが終焉の地だろうがどこだって着いて行くわ!」

「だーっはっはっ! そう言うことだ透流。困ったことがあればお隣の氷川こおりかわさんの家に頼るんだぞ」

「大丈夫よぉ~お父さぁん。だって、この子は私たちの子よ?」

「そうだな母さん。我が神田かんだ家の一人息子だから心配なんてする方が失礼ってもんか!」


 二人はそう言って楽しげな笑い声を上げるが、こっちからすればたまったもんじゃない。なんだよ世界には謎が溢れてるって。昨日まで父さんは仕事一筋。母さんも毎日の家事や、ご近所さん付き合いで死んだような顔してただろ。いやまあ、両親が仲良くしてるって分には全く問題ないんだけどさ。


「じゃあ、行ってくるからな。ミーコをよろしく頼むぞ」


 父さんが言い終わるか言い終わらないかのタイミングで扉が勢い良く閉まり、俺は家の中に文字通り取り残されてしまった。足下ではお行儀良くお座りしたペットのミーコ(黒猫)が俺のことを綺麗なグリーンの瞳で物寂しそうに見上げている。


「なんだミーコ。慰めてくれるのか? ハハハ……もうどうしたら良いっ――」

《まあ、そう言うこともあるわよねえ》

「ぅへぇい!?」

《あら、良い反応》


 ミーコは楽しげに、ころころと鈴が鳴るような声で言うと、驚いて腰を抜かしている俺を放置してリビングへと去ってしまう。


「えっ? どういうこと……な、なんでミーコが喋ってんの……?」


 混乱したままの頭の中で、ぼんやりとした声が反響する。


『あなたは選ばれました』


 嫌にはっきりした夢。今でも細部まではっきりと覚えていて、紙に書けと言われたらびっしりと文字で埋められるような気さえしてしまうぐらい。


「まさかな……」


 そう言って否定をするものの、ペンキか何かぐらいの粘度で俺の頭にびったりとこびり付いた嫌な予感は拭えそうにはない。俺は無理矢理唾液と一緒にその疑問を飲み込むと、ゆっくりと重くなった腰を持ち上げた。

 向かいたくないなあと足を引きずりつつも、今は何かを知っているであろうミーコに尋ねるしかないわけで。本当は死ぬほど行きたくない。だって喋る猫だよ? 冷静に考えると普通じゃない。そんなものに自分から関わりに行くなんて、何かしらの主人公だけで十分だ。


 そろそろとありったけの時間をかけて、先ほどミーコが消えていったリビングを覗き込む。

 カーテンが開け放たれたガラス戸から柔らかい朝日が部屋中を照らし、ソファの上では先ほど話した人語など無かったかのように、幸せそうな顔でミーコが眠っている。


 少し視線を動かせば暖かな朝食らしきものが用意されていた形跡があって、母さんが残してくれた優しさに感謝したくなる。そう、したくなるだけ。

 だって、そこにあるのは既に骨だけになった魚(おそらく鮭)。真っ白な陶器の皿の上に残った卵の黄身の残骸。それに混ざるようにして輝く多分ベーコンからにじみ出た油。その上に残った手つかずのプチトマト三つ。いやそれも食えよ。好き嫌いしてんじゃねえよ。そして、米粒一つ残されていないご飯茶碗と味噌汁のお椀が一セット。


 どう見ても俺一人を対象に作られた朝食のセットなわけで。それを誰かに食べられたということは、俺の朝食はもうないというわけで。そんなものに感謝しろと言うほうが難しいと思う。少なくとも俺はできない。

 目の前にいる古代ギリシャの人が着てそうな服を身にまとった人物は、気怠そうに小さく折りたたまれた新聞紙に何やら書き込むと、ぎろりと俺を睨む。目の下に色濃くその存在を主張するクマと、死んで光のない金色の瞳のせいで正直見られただけで恐い。


「何?」

「いや、何? じゃねえからな!?」


 思わずツッコんじまったじゃねえか。触れないようにしてたのに!


「おーナイスツッコミだねー。振り回される系の主人公の素質あるんじゃない? まあ、それは置いといてこの食器片付けといて」

「それぐらい自分で……じゃなくて!」

「んだよ朝からうっさいなー。めーわくって単語知ってるか?」


「それこっちのっ――あぁもう! そうじゃなくて誰だよお前は!? っつーか人の家に勝手に上がり込んで何悠長に人の飯食ってんの!?」

「いやーだってなあ。今日からあんたの担当になったわけだしぃ? それぐらいはねえ?」

「たん……とう……?」


 こいつは突然何を言っているんだろう。


「いえす担当。あいあむ担当」

「何の?」

「いや、夢で言ったっしょ?」

「夢だあ?」

「ほら、今朝の――」


 ――さかのぼること(多分)数十分前。


 まるで、水の中にいるような優しい浮遊感。

 気持ちがいいなと、どこかぼんやりする頭で考えていた。ここはどこだろうとか、どうして俺はこんなことになってるんだろうとか。そんなことは限りなくどうでもよくて。ただただ、この気持ちの良い世界に浸っていたかった。


『――――い』

「……?」


 声が聞こえた気がして、そっと目を開く。だが、そこには誰の姿もなく、ただただ暗闇が広がっているだけだった。


「気のせいか……」


 ぽつりと呟いた言葉が柔らかく反響する。それさえもどこか気持ちが良くて、俺は導かれるようにまた目を閉じた。


『――なさい』


また、声が聞こえた。今度は先ほどよりもはっきりと。誰だよ、俺の眠りを邪魔しないでくれ。


『さあ、目覚めるのです』


 その言葉に、俺はゆっくりと目を開く。そこには後光が差しているということを差し引いても神々しい雰囲気をまとった美しい女性が微笑んでいて、その優しい雰囲気に思わず笑みがこぼれてしまう。


『目覚めましたね、神田透流くん』

「名前……」


 俺の呟きに、女性は軽く頷く。それだけで俺はこの女性が神か、それに準ずる存在であるのだと悟った。彼女の金色の瞳が、優しく俺を捉える。慈しみの籠もったそれに、俺の心臓がどきりと高鳴る。なんて、なんて美しいんだろう。


『我が名は文芸を司る神、ムーサの一柱、タレイア。あなたの想像通りの存在です』


 あぁ、やっぱり。俺はそう安心すると同時に、一つの疑問を抱く。


「俺、死んだんですか……?」


 そんな不治の病にかかったという記憶もなければ、事故に遭ったという記憶もない。だが、死ぬ間際の記憶がショックでなくなるという可能性もないわけではないだろう。


『いいえ、あなたは確かに生きています』


 その一言に、俺はとりあえず安堵する。どうやらお迎えとかそう言う類いではないらしい。


「じゃあ、あなたは一体……」


 その言葉を待っていたかのように、女性は優しく微笑むと、両手を大きく広げた。


『あなたはこの世界の主人公に選ばれました』


「………………は?」


 何言ってんだこいつ。俺が主人公? 馬鹿言え。


『そうです。あなたは選ばれたのです。この世界の主人公という、栄えある立場に』

「えっ、はっ? 何言ってんの? 俺が主人公? なんで?」

『主人公に選ばれたから、あなたは主人公なのです』


「いや、全然説明になってねえよ!?」

『ともかくあなたは主人公に選ばれたのです。これからは一主人公らしく。物語を面白く、そしてドラマチックになるように生活なさるようお願いいたしますね』

「いやいやいやいや、そんな決めつけられても困るんだけど!? って言うか俺の意見は無視か!?」

『嫌なのですか?』


 めちゃくちゃ面倒くさそうに言われた。美人にそんな顔されるとなんか罪悪感が……。違う今はそんなもの感じてる場合じゃない。


「あぁ、嫌だね。それに、俺にだって都合ってもんが――」

『それでは、ご健闘をお祈りいたします』


 女性は登場した時のような美しい微笑を浮かべながらそう言うと、俺の話を少しも聞こうとはせず、徐々に俺から遠ざかっていく。


「待て待て待て待て! 俺はそんなの望んでなっ――あっ待てこのっ! 話聞けっ、聞けってば! 待って! 待てやぁ!!」

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