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ひょうたんからサンドバッグ

「で、あのあとどうなったんだ?」

「ああ、僕が霊を引き寄せやすい体質だからって話したら分かってくれたよ」

 目を覚ましたタベオにそう説明したが、あまり納得していないようだった。まあ、葛城さんが素直に引き下がらなそうだと思うのは、なんとなくわかる。しかし、僕の霊を引き寄せる体質を治せるという話は、タベオにとってはバッドニュースだ。本当に治せるかはかなり怪しい気がするが、下手にそんなことを言って、わざわざタベオを刺激する必要もない。

「きっと実績が欲しくて先走ったんだよ。なんか組織の新人みたいなこと言ってたし」

「そうだったか?よくわからんが、あんまり関わり合いになりたくないヤツだったな」

 それには同感だ。しかし面倒なことに、明日また会う約束がある。僕は思わずため息をついたが、タベオは何も言わなかった。


 葛城さんから昨日と同じ時間にと言われていたが、考えてみればタベオが起きている間に動くと、不審に思われてしまう。必然的に遅刻することになった。

 僕はタベオが消えたのを確認すると、家をこっそり抜け出して神社へ向かった。親に出かけると伝えてもよかったのだが、七時の夕飯までに帰れば問題ない。外出の理由をでっち上げるのは面倒だったし、それまでには戻れるだろうという計算もあった。

 高平神社は、僕の家から北へ、歩いて七、八分のところにある。周りは住宅街なのだが、神社の一帯だけが自然あふれる山になっており、初めて見た人には、やや異様な光景に映るらしい。夕暮れが押し迫る中、僕はさして急ぐこともなく、神社へ続く急な階段を上った。

 境内には、昨日と同じように腕組み仁王立ちで、葛城さんが待っていた。

「遅い。可憐な乙女を待たせるなんてどういうつもり?」

 それ腕組み仁王立ちで言うセリフじゃないですよ、という言葉を飲み込んで、「タベオが眠るのを待ってたんですよ」と理由を伝える。すると、「そう。それじゃ仕方ないわね」と、すんなり納得してくれた。

 出で立ちは昨日とさほど変わりなかったが、腰にはひょうたんがふたつ下げられている。酔拳でもするつもりだろうかと思ったが、もちろんそんなことは訊かない。

「それで、僕のこの体質は本当に治せるんですか?」

「治せないわ!」

 葛城さんは、力強くそう宣言した。ここまで清々しいと、もう何も言えない。僕は梅干を食べたような、酸っぱい顔をした。

「だいたい、私は治せるなんて一言も言ってないでしょ?ここへ来てと言っただけよ。こんなに簡単に騙されるなんて、あんたバカね」

「じゃあ何のために呼んだんですか?」

 バカと言われるのは不愉快だったが、僕は冷静に問いかけた。すると、葛城さんは勝ち誇った笑みを見せる。

「知ってる?霊喰種れいばみしゅって共食いするのよ。だから今日、持ってきたの。あんたの霊喰種、タベオだっけ?今考えてもダサい名前だけど、そいつを食べさせるためにね。頼んでも貸してくれなかったから、組織の保管庫からこっそり拝借してきたわ」

 それは泥棒なのでは?と思っていると、葛城さんはひょうたんの栓を抜いた。すると、そこから何か半透明のものが勢いよく発射されたかと思ったら、葛城さんの前に、タベオによく似たキツネの霊が現れた。

「誰だ、私を眠りから覚まさせたのは」

 声からして女の子のようなので、僕は心の中でタベコと呼ぶことにした。

「私よ。感謝なさい」

「はいはい、感謝感謝。ではな」

 タベコはぞんざいに返して飛んでいこうとする。この適当ないなし方から察するに、不思議ちゃんの扱いに慣れているようだ。古来、霊関係の人にはその類が多いのかもしれない。葛城さんは行ってしまうタベコを呼び止めようと、慌てて声をかける。

「待って。その子についている霊喰種を食べてほしいの」

「なに?」

 空中でピタッと止まり、タベコは振り返る。

「それはいい。寝起きの馳走として頂戴しよう。して、その霊喰種はどこにいる?」

「その子どもに取りついてるんだけど、今は寝てるから見えないわ。起きて姿を現した瞬間に襲うのよ!」

「よし分かった」

 そんな作戦会議が、僕の目の前で大っぴらに繰り広げられていた。仕方がないので、「僕が逃げたらどうします?」と聞いてやった。すると葛城さんは、ふん、と鼻を鳴らして胸を張る。

「それも計算済みよ。こっちのひょうたんには、あんたの生気を吸わせるための霊が入ってるんだから。組織の保管庫に置いてあった最強の悪霊がね」

 また泥棒……こりゃ組織の人も大変だと、同情を禁じえなかった。

 葛城さんは、もうひとつのひょうたんの栓を開ける。すると中から恐ろしげな霊が飛び出してきた。こいつは恐いからコワオとしよう。

「こんな霊を野放しにしたらだめでしょう」

「大丈夫よ。あんたが死んだら、霊喰種に食べさせるから!」

 僕がたしなめると、葛城さんはヒステリックに叫んだ。なるほど、一応、考えてはいるのかと感心していると、「え?こんな強そうな霊は無理かも……」とタベコは戸惑った様子を見せる。そんなタベコを葛城さんがキッと睨みつけるので、タベコはますます委縮する。気迫だけで力関係が逆転してしまっていた。

 一方コワオはというと、僕を見定めて口をだらしなく開ける。そして、「うまそうな匂いだ」とつぶやいた。普通なら、それに恐れおののくところだろうが、僕の感想は、『あ、やっぱり匂いなんだ』だ。もし霊に効く消臭剤があれば、僕の体質への有効な処置になるかもしれない。そんなことを考えていると、霊はひと吠えして僕に向かってきた。

「やめてー、死にたくないよー」

 僕はとりあえず、怖がっているふりをしてみる。それを見た葛城さんは、完全に悪い人間の顔をしていた。本気で僕を殺させるつもりのようだ。

 僕はため息をひとつついて、向かってくるコワオを殴りつけた。すると、コワオは数メートル後退する。

「え?」

 葛城さんは驚きの声を上げた。僕もまた、別の意味で驚いた。

「並の霊なら、一発で消滅するんだけどね。確かに強い霊みたいだ」

 殴りごたえのある霊は好きだ。思わずニヤけてしまうくらいに。

「サンドバッグにちょうどいいね」

 僕は恐怖と憤怒の色が入り混じるコワオのもとへ近づく。

「くそっ、お前はあとだ。腹が減って力が出んわ」

 コワオはそんな負け惜しみにしか聞こえない言葉を吐いて、葛城さんの方へ向かった。

「何、こっちこないで」

 葛城さんは数歩あとずさると、足をもつれさせてしりもちをついていたが、今そんなことはどうでもいい。

「サンドバッグが勝手に動いたらダメじゃないか」

 僕はコワオの頭を掴んで手元へ引き寄せると、しっかりサンドバッグになってもらった。叩きこむ拳に感じる手ごたえと、そのたびに聞こえる呻きとが、何とも言えない快感をもたらしてくれる。充分に楽しませてもらったあと、最後に渾身の蹴りを放つと、コワオは霧散した。僕はそれを見届けたあと、地面に座り込んでいる葛城さんに向き直った。

「たぶん、僕がタベオに守られてると思ったんだろうけど、違うんだよ。弱い霊をいちいち相手にするのが面倒なだけなんだ」

 そう僕が話しているのに、葛城さんの焦点はおぼろげだった。

「なんなのよ……霊を殴り殺すなんて……化け物じゃない……」

「人のことを殺そうとしたと思ったら、次は化け物呼ばわりですか」

 僕はまたため息をついた。つくづく救いようのない人だ。とはいえ、どうしたものか。さすがに僕が直接、手を下すわけにはいかない。こんなことなら、さっきの霊を滅するんじゃなかったと思っていると、ぶるぶる震えているタベコに目が留まった。

「ねえ君。ちょっといいかな。ひとつお願いがあるんだけど」

「な、なんでしょう」

「この人のさ、生気を吸っちゃってよ」

「いえ、それは……」

 タベコは葛城さんの方を見やった。もはやへたり込んだまま動かず、ぼんやりとしている。

「君にとって人間の生気がマズいのは知ってるよ。でも、僕のを食べるつもりだったんだよね。もしやらないなら、君もさっきの霊みたいになってもらうよ」

 そう言われたタベコはしばらく固まっていたが、やがて無言のままゆっくりと葛城さんに近づき、生気を吸い始めた。いかにもマズいものを食べているという顔をしながら生気を吸う姿に、さっきとは違うニヤけが出そうになったので、僕はぺちぺちと自分の頬を叩いて表情を引き締めた。葛城さんは抵抗することもなくシワシワになっていき、途中でどさりと倒れた。

「おい、ここはどこだ?」

 生気を吸われ尽くした葛城さんがミイラのようになったころ、タベオが目を覚ました。目ざとく憔悴するタベコを見つけ、「お、あいつ食べていいか?」と聞くので、「ダメだよ」と制止する。そして僕が、タベオの寝ていた間のことを説明しようとした矢先、

「霊はね、日が暮れたころが一番活発になるの。だから、今この神社にきっと霊がいるはずよ!」

 階段の下から、そんな声が聞こえてきた。

 不思議ちゃんだ。話しぶりからすると、たぶん、いつも一緒にいる女子生徒たちを引き連れている。

 彼女らに、地面に転がっている、できたてほやほやのミイラと一緒にいるところを見られるのは、確実にまずい。僕はタベコの、ふさふさのしっぽのような体を掴むと、足音に気をつけて境内から移動した。「うっ」とタベコは口から生気を漏らしたが、そんなことにかまっていられない。

 神社には正面の階段以外にも、境内の横からなだらかに下りるスロープがある。僕はそこを歩いていき、身を隠せそうな木の陰でかがんだ。そして不思議ちゃんたちが階段を上っていくのを、幾本もの雑木の間から見届けると、僕は急いでスロープを下りきり家へ戻った。背後で不思議ちゃんたちらしき叫び声が聞こえたが、もちろんそれは無視した。


 次の日いつものように登校していると、今日も今日とて霊が襲いかかってきた。それを食べようとタベオが向かっていくが、横から飛び出したタベコが丸のみにする。

「おい、何するんだ。俺の飯だろうが」

「早い者勝ちですよ」

「ケンカしないでよ。ちゃんと順番にね」

 あのあと僕は、タベコを自分に取りつかせることにした。どこかへ放置するのは気が引けたし、マズい人間の生気を吸わせた挙句、滅してしまうのはさすがに可哀想だったからだ。もし、葛城さんのいた組織の人が返せと言ってきたなら返せばいいし、それまでは僕の手元に置いておけばいい。取り分の減るタベオは不満そうだったが、二匹には共食いをしないよう約束させた。

 葛城さんのことは、今朝の新聞で変死体事件として取り上げられていた。最後には短く、第一発見者の女子生徒が、これは霊の仕業に違いないと大騒ぎしていた旨が記されていた。

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