僕には、物心ついた時から不思議な記憶が存在していた。
自分ではない他の誰かの、遠い世界の知らない記憶の数々。
大きな建物の中で、パソコンと呼ばれる箱から流れる映像に向かって仕事をしている自分がいるのだ。
自分ではないのに、それがかつての自分だという自覚がある。そんな不思議な感覚がずっとついて回っていた。
それに、僕の持っている固有スキルも、恐らくそれの影響なのではないかと思っている。
「なんなんだよ、"エロ同人"って……」
名前の響きからいかがわしいものである気がしてならないこのスキルを、僕はこれまでの人生で一度として使えたためしがない。
用途は不明。どういう言葉の意味なのかも、どうやって使うのかも、何に使うのかも全く分からない。
生まれ持って所持している力なのに、使い方が分からないというのは不気味であり不吉だった。
一応ギフトスキルなのだが、こんなものを神からの
この訳の分からないスキルのおかげで、僕は子どもの頃から周りに馬鹿にされ続けてきた。
なぜならギフトスキルは啓示によってもたらされるので、必ず一度は公開されてしまうからだ。
だけどエミーとお姫様だけは違ったんだ。周りから蔑まされ、謂れのなき暴力に晒されてきた僕をいつも守ってくれて、友達でいてくれた。
それは今も変わらない。だからこそ、立場が違いすぎる今に甘えてはならないと思って、最近は距離を置こうとしていた。
だけどそんな僕の心なんて彼女はお見通しで、今日みたいに助けてくれた。
彼女には幸せになってほしい。できるなら、それを実現するのは僕でありたいと思っている。
叶わないことだと分かっていても、願わずにはいられないのだ。
今の僕は実家からエミリアのお父上が納めるサウザンドブライン領の都市に昇って学生をしている身だ。
全てのカリキュラムを卒業しても、実家に戻るつもりはない。
貴族の三男坊というのは、家を継ぐことはできない。
僕の家は兄上が継ぐのが確定しており、よほどのことがない限り僕にお鉢が回ってくることはないだろう。
領内の仕事が割り振られても、大したことはできないし、家族を養っていくこともできない。
いずれ家を出て町で働くか、冒険者にでもなるしかないが、剣も魔法も才能からっきしの僕には非常に困難だろう。
どこかの貴族の令嬢と政略結婚となれば、まだマシな方だ。いっそのこと貴族の身分を捨てて平民として生きていく方が楽なのかもしれない。
◇◇◇
「本日は試練の洞窟で訓練を行なう。各自気を引き締めて取りかかれ」
『はいっ!』
ある日の事、学園で定期的に行なわれる遠征訓練の最中で事件は起こった。
僕達は初心者が訓練を行なうための洞窟ダンジョン『試練の洞窟』に赴いていた。
例のボンクラ貴族の奴らとグループを組まされ、いつものようにキツい罵倒を浴びながら訓練に臨んでいた。
モンスター退治の経験を積むために、洞窟の中で戦うのだが、なんの才能もない僕は魔法や剣術を使える貴族のボンボン達の荷物持ちだ。
本来なら荷物が沢山入る魔道具のカバンに入れて持ち運ぶ筈のアイテム類を、わざわざむき身のまま押し付けられて背負わされていた。
無駄に重たい所をみると、必要も無いガラクタが沢山入っているに違いないな。
相変わらずレベルの低い嫌がらせだ。そんな低レベルの嫌がらせにすら抗えない僕は、もっと情けない。
「おいブタゴブリン。もたもたしてないでサッサと歩け」
「ええ、分かってますアルフレッド様」
試練の洞窟は未熟な者達が戦いの訓練を行なうのに適したダンジョンだ。
それでも僕達未熟者にとっては決して油断できない場所でもある。
僕は無駄に重たい荷物に足を取られながら、ボスフロアと呼ばれる場所に向かうパーティーの後ろをついていくのがやっとだった。
こんなことがもう何度続いただろう。少なくともこんなことをさせられているのに、僕の体は一向に強くなる事がなかった。
このダンジョンにはボスがいる。不思議なことに何度倒しても一定時間が経過すると復活し、洞窟どころか部屋からは決して出てくることがない不可解な生き物だ。
僕は疲労の蓄積した重たい足取りに気を取られ、後ろから迫ってくる悪意に気が付くことができなかった。
そう、それは突然だった。疲労した僕の体が、いきなりの衝撃に見舞われる。
「バーカッ、死ねやッ」
「え……ッ?」
ドンッ!
「うわぁああああっ」
油断していた僕は不意を突かれて崖から突き落とされてしまった。
重たい荷物が足かせとなって体のバランスが上手く取れず、為す術もないまま転げ落ちていった。
「ぐぅ、ううぅ……がはっ」
20メートルは落下しただろうか。岩場に背中を強く叩き付けられ、その拍子に頭を強く打ってしまった。
不幸中の幸いか、荷物がクッションとなって背骨は守られたものの、投げ出された体はそのまま岩場に叩き付けられた。
「ケケケッ。エミリアお嬢様の権力を笠に着て調子に乗ってるからだよ、バーカッ」
「ぎゃはははっ! ザマァねぇなブタゴブリンッ」
僕はバカ貴族のどら息子達の罠に填められ、そのまま置き去りにされてしまった。
「これなら確実に死んだな。キックの的がいなくなるのは残念だが、貴様は目障りなのだ。そこで死ねッ」
「ぐぐ……うっ……アル……フレッドォ」
「エミリアお嬢様はいずれ俺のものになる! あの世で我々を祝福するがいい! はーはははははっ!」
頭を強く打ち、僕はそのまま意識が薄れていった。
ああ、ヤバいな……これは流石にヤバい。
それと共に自分という存在がどんどん希薄になっていく。
「これ、が……死ぬって……事か……。人生って、あっけない……っな」
人はいつか死ぬものだ。どんな貴族でも、国王でも、底辺貴族でも貧民でも、いずれ必ず死を迎える。
そういえば、僕はいつだったか、この感覚を味わったような気がする。
あれは……いつだっただろうか。それはきっと、僕が生まれるずっと前。
自分という存在が闇の中へ飲まれていく、柔らかい死の予感だ。
死。
これが死なんだ。もう指を動かすこともできない。
視界がぼやけてきた。思考も鈍い。
不思議と恐怖はなかった。エミーに会いたい。そんな僅かな未練もあったが、僕にはもうどうすることもできない。
いずれ彼女もどこかの貴族の子息と結婚することになるだろう。
彼女の父上は自分の勢力を大きくすることを目標としている。
三女のエミリアは美人揃いの姉妹の中でも飛び抜けて美しいから、もしかしたら王族との政略結婚という線もあり得る。
この国の王子は容姿端麗で剣と魔法の天才と言われている。
高等部の学生だが、わざわざこのサウザンドブライン領の領事館まで赴いて彼女に婚約を申し込んだのに、断られたとも聞いている。
だけどその他にも候補は引く手あまただ。成人すればもっと増えるだろう。
彼女は賢い。アルフレッド如きにどうにかなるとは思えないから、そこは心配していない……だけど。
ああ、未練だな……。エミリア。――エミー。
好きな女の子が他の誰かのものになってしまう。
貴族の社会では当たり前のことなのに、割り切れない。
割り切れない。
そう、割切ることなんてできる筈もない。
嫌だ。彼女が他の男のものになってしまうなんて……。
"俺"が愛してやまない一番のヒロインが、他の誰かのものになんて……。
ヒロイン……? ヒロインってなんだ?
ヒロイン…ッ!
「思い出したッ!」
急激に開けた視界が思考をクリアにする。
痛みが吹き飛び、自分が死にかけていたことも忘れて叫んだ。
思い出した。自分が、『日本人』だったことを。