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アオミズ様
アオミズ様
明海 詩星
ホラー怪談
2025年01月30日
公開日
8,747字
完結済
村八分された青野が死んだらしい。
嫌われ者だから死んだことは村は騒ぐことはなかった。
私も、青野が死んだことよりも息子の虫取りのほうが大事だった。
しかし、どちらも面倒なことだった

アオミズ様

「青野がな、死んじまったっで」


 村長の櫻田さくらだが唐突に話しかけてきた。訛りの激しい言葉に、私は呆気にとられながらも、心の中でため息を吐いた。青野が死んだのは、自業自得だとこの村に住んでいる人たちは全員が思っているはずだった。


 畑周りの雑草を取ることに集中していると思わせたくて、櫻田の目を見ずに返事をした。


「……よかったですね」


「んだぁ、あいつが死んで、みな清々しでるんだろう。お前さんもあいつを嫌っていたよな」


「嫌ってなんていませんよ。家がかなり離れているので、話しかけてなかっただけです」


「そういうんな。あんただって、あいつのせいで、米をやられたんだろう?」


「……米はやられましたが、他の作物は無事でしたし、恨んでないですよ」


「そういって、本心はどうなんだ」


 櫻田は、まるで怨んでいるのは同じだと同意するように話を持って行こうとしているようだった。死んだ青野を特に嫌っていたのは、櫻田だ。死んだことを笑い話にしたいから、周囲の同意を求めているのだろう。


 酷く不快だった。


「本心は、そうですね。農薬をしっかり使うべきだっていうべきでしたね。年上の櫻田さんよりも同い年の俺が先に話を持って行くべきでした」


 櫻田は、しわまみれの瞼を見開いた。驚いているようだった。


「俺が言っても聞かなかったんだぁ、あんたの話なんて聞くと思うか」


「櫻田さんを無視するほどの頑固ものでしたし。思いませんね」


「だろう。あいつは、しんであたりまえだ」


「……葬式は行う予定なんですか?」


 櫻田は、首を横に振った。


「燃やした。墓に入れるわけにもいかないからなぁ、川に流しちまおうか」


 青野の嫌われ具合を、私は把握していなかったらしい。もう火葬を行われたということに、渇いた笑いが出そうになった。


 櫻田の方を見て、森がある方角を指さした。


「……遺骨は、あいつが管理していた森林に撒けばいいと思いますよ。骨は飼料しりょうになりますから」


 櫻田は、ぐちゃりとした笑顔を浮かべた。


「そうしよう。ええこといったなぁ」


 櫻田は満足したように、頷いた。


「そんじゃなぁ。あんたもきいつけなぁ」


「そうします」


 櫻田は背を向けて家へと戻っていく。歪に曲がった背中。私はその背中に唾を吐き捨てたくなった。


「次はお前が死んじまえよ」


 小さく吐き捨てた呪詛は、老人である櫻田の耳には届くことはなかった。


◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽


 畑仕事を終えた私は自宅にあがった。


 汗まみれの服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びてすっきりとした後、テレビをつけた。くだらない番組が流れる。チャンネルを変えても何も面白そうと感じるのはなかった。


 コメディアンが話す東京弁の喋りに、嫌悪感を感じながらも時間を潰そうとしていると、スマートフォンが震えた。


 このあたりは電波が全くとして届かないというのに、珍しいことだった。液晶画面に目を向けると、見覚えのない番号だった。


「誰だよ」


 携帯の番号ということはわかる。知らない番号に興味をわかせる好奇心はない。拒否するように着信を切った。


 スマートフォンを、机に置くとすぐに震えた。


 何度も拒否をした。また同じ番号から着信が来た。


 何度切っても、着信がくる。


 数回目で私は、着信を受け入れた。


 画面に耳を近づけて、


「もし、おまえはだれだ」


 返事はない。枝が折れる音が断続的に聞こえて、周囲から水が流れる音が聞こえるだけだった。


 森の中にいる相手から掛けられたのだろうか。


「おい、何度もかけたくせに名前ぐらい、いえないのか」


 ブツっと、電話が切られた。


 いらついてしまって、着信履歴に残った番号を見た。


「……青野のか?」


 この機械は、青野の番号から着信があったことを知らせていた。あり得ない。電話番号が違う。


 青野はすでに死んでいるはずだ。私は、あり得ないと知りながらも青野の番号に掛けた。しかし、十回ほどかけても、相手は一度も受け取ることはなかった。


 意味のない行為とはわかっている。休んでいる最中の起きた不思議なことに苛立った。


「ふざけんじゃねぇ」


 近くにあったごみ箱を蹴り飛ばす。長方形の箱は音を立てて倒れた。中に入っていたゴミが散乱した。


 ものに当たれば、ある程度の怒りは忘れることは出来る。少しだけ冷静になった私は、へこんだゴミ箱を立たせて、散らばったゴミを片付ける。


 破り捨てられた紙を拾う。ゴミの中にくしゃくしゃになったテスト用紙があったのを拾う。息子が夏休み前に受けたテストだろう。百マスの足し算で百点を取っていた。


 息子の彩斗は、体育と虫取りが大好きな典型的な子供のはずだ。胸の中に少し、黑い靄が浮かび、私はそのテスト用紙を破り捨てた。


「くだらねぇ」


 勉強が出来ても、この村から外に出る事なんてできない。


 それが、普通だった。


◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽


 夕方、玄関の扉を開ける。湿った風が通りすぎた。


「あっちぃな」


 着ている白シャツが汗で滲み、気持ちの悪さにため息を吐いた。真夏の夜風は、サウナのように湿度が高い。爽やかではない。真昼よりも、下がったはいえ、外を歩くのは怠かった。


 昨日、息子の彩斗あやとが夏休みの宿題が終わったために、我慢させていた虫取りを許可した。なぜ私は夜の虫取りを一緒に行くことを約束してしまったのだろうか。酔った自分を殴りたい気分だった。


 彩斗は、二階で歌いながら準備している。いつも以上に機嫌がよさそうだった。


「めんどうくせぇ」


 虫取りに行くことをやめるといえば、彩斗は裏切られたと思って癇癪かんしゃくを起す。その状態になった機嫌の治し方は私は知らない。深々とため息を吐き捨てた。


 背中が前に押されて、ぐらついた。


「父ちゃん」


 私の気分を知らず知れずか、機嫌よさそうな声だった。振り返り、彩斗を見る。


 妻によく似た猫のような瞳、短く切られた髪が良く似合う息子は、虫かごを肩にかけて、虫網を小さな手に持っていた。


「はやく、カブトムシをとりにいこっ」


 返事する前に長靴を履いた彩斗は、わたしの手を引っ張りながら何度も跳ねた。


「はやくっはやくっ」


 私は、彩斗が虫取りをどうすれば諦めるのかを考えていた。どれもどうやっても、癇癪を起こすのは目に見える。


「父ちゃん、どうしたの」


 彩斗は、動かない私を首を傾げてみていた。


 玄関から見える空は、雲は一つとして無く満月が輝いていた。


「今日は、満月か」


 祖父に語る怪談が、耳の奥から聞こえた。臆病だったころの幼い私は、作り話の怪談を聞かされ、夜が眠れないことが多々あった。


 唾をからめるように喋る祖父の声は、吐き気を及ぼすものだった。


――満月の夜はな、こわいやっこさんがおりてくる。


「今日はな満月だから、絶対に後ろを向いたら駄目だ」


「なして」


――アオミズ様が下りてくるんだ。わらべを連れていくためになぁ。


 ねっとりとした笑みを浮かべて祖父の顔が思い浮かぶ。あの男の怪談話。語る理由はない。


 ただ、私は酒が飲みたかった。なにかを我慢することは嫌いだ。息子が楽しむ時間よりも、自分の時間が欲しかった。


「それはな」


 彩斗の眼鏡越しに映る眼は純朴じゅんぼくそのものだった。同じ顔の高さまでしゃがむと、やさしく諭すように云った。


「おっかないお化けがでるからだ」


 この村でずっと住み続けた私が一度も見たことのないのだから、そんなものがでるわけがない。幽霊や妖怪は、親が子供を支配するための脅し文句だ。


 幼い子というのは大人が吐き捨てた戯言ざれごとということを考えない。大人の言葉はすべて真実だと、考える。


「……おばけ」


 彩斗の小さな瞳の中に、微かな恐怖が浮かび始めていた。


「虫取りが終わってから、家に帰るまでは、後ろを向いたら、お化けが、出てきてしまうからな」


 彩斗は唇をきゅっとしめて、私の言葉を聞いていた。


「後ろは向かないって、約束できるか? できないないなら」


 彩斗は、首肯することなくうつむいた。約束が出来ないなら、虫取りを拒める。


「虫取りは、やめに――」


 彩斗は首を横に振って、「やだ。やくそくする。うしろみない」


 できないといってほしかった。するならば、仕方がなかった。


「……虫取りいくか」


 不機嫌そうに吐いた言葉に、息子はどのような感情を思ったのだろうか。


「うん」


 元気をなくした彩斗と手をつないで玄関の扉を閉めようとしたとき、彩斗の視線が私の後ろを見ていた。


「どうした」


 何もなかったかのように彩斗は首を振った。脅し文句ひとつで、ここまで臆病になるのならば、約束せず家にいればいいと私は、思った。


◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽


 月明りが照らされた夜道は、懐中電灯を使わずとも歩けるほどに明るい。


 蛙の耳障りな合唱。視界の端にいる蛾。田んぼの稲が風で揺れている。


 手を繋いでいる彩斗は、鶏のように顔を固定して前を向いていた。


「父ちゃん、後ろ何もいないよね」


 ここまで怯えているのならば、帰ってしまおうかと思うほどに、腹の中で笑いが込みあがっていた。


「足音は二つだけだろ」


「……うん」


 彩斗と二人で暮らす一軒家から雑木林ぞうきばやしまでは、裏道を通ればすぐだ。目をつぶっていても歩けるほどに、この道に慣れている。


 歩いて数分、闇を反射する樹木の群れが視界に入った。


 森に入ると、雑草が鬱蒼うっそうと生えており、最低限の管理すらされていなかった。この林の管理をしていたのは青野だ。


 今日の朝、死んでしまった。


 青野とは、陰気な顔に痰が絡まったような声で、気色が悪い外見だった。三十過ぎたというのに、結婚すらしてなかった。恋人の気配ひとつなく、仕事だけをするおかしい奴だった。


 あいつは無農薬栽培していた。無農薬が環境に良いとしても、水脈や土壌が非常に健康な土地に限る話だ。この土地は農薬に依存しなければ、ろくな作物が育たないほどに、疫病問題えきびょうもんだいがずっと続いている。


 実際、あそこが害虫が発生する原因になった。近くの田んぼも被害を受けていた。


 怒りを売ってしまった青野は、老人どもによって水田などに異常な量の農薬を散布され続けた。


 稲というのは、想像する以上に繊細な植物だ。農薬を使うとしても、どの程度使用するかの計算をしなければ一瞬で全滅する。


 育てていた稲は米になる前に全部が死んだ。水田が農薬で汚染されたことに青野は怒り狂った。


 しかし、青野の怒りを理不尽であると拒絶された。


 村役場も話を受けつけなかった。周囲の人々も、青野が悪いと思ったのだろう。櫻田が命じた村八分の処分は、すぐに広まった。


 そして、あいつは自死をするまで追い込まれた。


 私は青野という人間のことは良く知らない。一度もロクな話をしたことがない。


 村の祭りで、息子に気色の悪い笑みを浮かべて話しかけているのを、見たことがある程度だった。


「父ちゃん、ここなら後ろ向いても大丈夫?」


 息子が虫取りをさせて早く家に帰りたい。


「たぶんな。ほら、虫ならたくさんいるから採ってこい」


 私のほうに振り向いた彩斗の視線が、少し上を向いていた。顔よりも上、空を見ているように見えた。


「どうした」


「ううん、なんも」


 同じことをされたのが、不快で私も振り向いてみるが、なにもなかった。


 夜天に鉛色の重たい雲が増え始めいるだけだった。


◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽


 虫かごに沢山に入ったカブトムシを満足そうに見ている彩斗を傍目に、「もう十分だろ。帰るぞ」


「うん」


 彩斗の顔が少し明るくなっていた。


 手と繋いで、すぐ近くの自宅に帰るための帰路をまっすぐ。静かな夜道を二人で歩く。空はいまだに満月が私たちを照らしていた。


 胸騒ぎがあった。


 何かが足りない。


 私は足を止めた。後ろを向くことがしたくない彩斗は歩を後ろに戻して、私の身体にしがみついた。


 音一つない静寂。


「カエルさん鳴いてないね」


 気のせいだと思っていた。


 私は、視線を少し上げて周りを見渡した。


 産まれ親しんだ村の裏道だ。道の隅には古臭い電灯が規則正しく並び、水の笠を被っている田んぼには、稲が生えていた。


 しかし、それだけだ。


 蛙の合唱が途絶え、蛾が一匹もいない。名前の知らない鳥やフクロウの鳴き声もない。


 彩斗の呼吸の息が聞こえるほどの、不気味な静寂だった。


「父ちゃん、怖い」


 来た道を戻る。それができない。さっきまで、帰りたくて仕方なかったはずなのに、後ろを向くことができなかった。


「彩斗、このまま前に歩くぞ」


 まっすぐ、来た道を戻ればいい。


 彩斗は、脅えているように私の足に全身を寄り付けた。


「父ちゃん、後ろ。誰もいない?」


 返事はしない。彩斗の身体を押す様に、前に歩かせる。


「お化け、出てこない?」


「後ろ見ないなら出てこないから。ほら、歩け歩け」


 私の足にしがみつくような彩斗は押し続ける


――アオミズ様はなぁ、忌子いみこの片割れでも童ならぁな、誰でもええんじゃ。


 クズが私を脅かすに作った噺だ。嘘しかない。


――それでもなぁ、無垢な幼子がよぅ、連れてかれるんじゃけ


 昔に語られた一言一句が、耳の奥で木霊する。


――おまえさんのようなぁ、阿呆あほうおのこが特に好かれるやろうなぁ


 私は童ではない。四半世紀を超えた成人だ。すでに息子がいる大人だ。あの男が語った内容を、怖がらすために使っただけだ。なぜ、私が怖がる理由がある。


 安心するために、振り返ろうと――

 ぺしゃ。ぱしゃ。

 水面に物が落ちたような、音がした。


 背筋に冷たい汗が伝う。


 気のせい。


「父ちゃん、音したよね?」


 彩斗が振り向かないように、手で目を覆う。


「見るな。聞くな。前にいけ」


「うん」


 背を押して無理やり前に進む。


 その間もどんどんと音が近づいてくる。


 ポシャ。

 近づいてきている。


 パシャ。

 近づいてくる。


「父ちゃん、あとどれくらい?」


「あと、少しだ」


 玄関を開ければ、すぐに閉めて鍵を掛ければいい。


 それで、これは終わる。


 自宅が見えた。玄関まであと少しだ。


『――――――――――――――――――ぇ』

 声を含んだ吐息が耳の傍でした。


 全身が粟立った。心臓が痛いほどに、身体を揺らした。


「手ぇ離すから一直線まっすぐ走れ」


 何かを言う前に、私は彩斗から、手を離した。背中を叩く。


 まっすぐ玄関へと走っていく、彩斗を追いかけることはできなかった。


 足が、動かない。水の中にいるかのように、身体の自由が利かない。


 彩斗は、玄関を開けた。そして、「とうちゃん」


 振り向いてしまった彩斗の顔が、青ざめていく。足が小刻みに震えていた。

「……ぁ」

 息を吐く。


 私の後ろにいる"ソレ"の息なのか、前にいる彩斗の息なのか。それとも私の吐息なのかは、わからなかった。


――アオミズ様はなぁ、童をなぁ。


 私は童ではない。振り向いたら、どうなってしまう。


 湿った風が、わたしの頬に触れた。


 今、”ソレ”は私の後ろにいる。彩斗が見ている、ソレは。


『――あぁぁぁぁ――なぁぁぁぁ――たぁ』


 唾液が絡まったと思うような、舐め舐めしい声が、鼓膜を震わした。


 その声は、あまりにも、聞き覚えがあった。


「……おばちゃん――」


「違う」


 咄嗟に、彩斗の言葉を遮る。


「あいつじゃない!」


『――――――あぁやぁぁぁとぉ』


 間延びに彩斗を呼ぶそれは。聞き覚えのある声で、息子を呼ぶその声。


「なんで」


「ぃっぃみぇて」


「あいつの……」


 生きているわけがない。


 もう、死んでいる。


 生きているわけがない。


『わぁっだっしぃぃぃ』


 吐き気がするほどの頭痛と寒気。


『ぁあぁぁぁぁぁいぃぃぃてぇぇ』


 ソレは、彼女でしかなかった。記憶の片隅に覚えていた、ソレだった。


 乾いた唇、私は声に出してしまう。


「――あおの」


 生きているわけのない、死んでいる女の名前を呼ぶ。


◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽


 青野の遺体を最初に見つけたのは、私だ。


 昨日青野から電話を受け、早朝そいつの自宅にいった。汚濁に塗れた玄関を開けて、中に侵入した私は、青野の首吊り遺体を見つけた。


 遺書がリビングに置かれた机に置かれていた。


 寝室を開けると、畳の下に失禁した糞や尿を垂らし流した女の遺体があった。ぐにゃりと首が伸びた姿に、私は声を上げて笑った。笑えるほどに滑稽な姿だった。


 私は子供の時から臆病者だった。私以外の人間が、生きていることが気持ち悪くてたまらなかった。植物のように、身動きしなくなる人間の姿が好きだった。


 こんな簡単に人は死ぬことに、心の底から面白く感じてしまった。


 しかし、櫻田や他の奴らはこのことを知らない。普通であれば死体の最初に見つけた人間に詮索せんさくしたがるだろう。青野という嫌われ者を間接的に殺した人間であれば、なおさらだ。


 青野の遺体を嘲笑あざわらいながら、私は遺書を持ったまま自宅に帰った。


 リビングに置かれた遺書には、私の恨みつらみが書いてあった。


 助けてくれると思ってくれた相手に、何度も裏切られたのだから仕方がない。


 青野の無農薬栽培に失敗するように行動したのは、私だ。


 青野は様々なことが複雑に絡み合っている農業という仕事を甘く見ていた。農薬を使えば、簡単に育つと思っている節があった。


 その考えを後押しするように、青野の祖父母から継いた水田や畑は、この村の中でも非常に優れていた。青野の杜撰な計算であっても、農薬散布はうまくいっていた。米もジャガイモも、雨が降らない割には豊作だった。


 管理も計算も杜撰というのに、成功した青野は農薬を一切使わない方法で始めたいと、私に相談をしてきた。


『まずは小さい田んぼを使って、試してようと思うんです。この村でも問題なく育つのかどうなのかを』


 できるわけがないと思った。否定するのは簡単だったが、話し合いをすることが面倒だった。


『やればいいだろう。ただ、疫病や害虫が大量に発生したら農薬を勝手に撒くからな』


『はい。気を付けます。でも、失敗しないように頑張ります!』


 その話をした翌年から、あの女は無農薬栽培を始めた。


 私は害虫や疫病に感染させた稲を青野の水田にばらまいた。


 馬鹿な真似をしているのだから、失敗をさせなければならなかった。たった一人のせいで、考えることが増える栽培方法が広まったら面倒だったからだ。


 青野も私も一回ぐらいの凶作であれば、問題がないほどに蓄えはあることは知っていた。


 稲を殺す疫病、大量発生したコウロギやトンボ、バッタなどの害虫。


 青野の田んぼが原因になるように行動した。そして、その思った通りの結果になった。


 老人によって、青野の無農薬栽培は阻止された。米も畑も害虫によってすべて食べられた。青野が育てていた作物は、壊滅した。


 失敗した青野を慰めることはしなかった。


『農薬撒いてくれるっていっていたじゃないですか!』


『俺のとこも、大変だったんだ。青野のとこは……壊滅したんだってな』


『私、この村の人たちは優しいって思っていたんです。でも、農薬を使わなかっただけなのに、こんなひどいことをされるんですか』


『お前の田んぼ、死んだのか?』


『洗浄しないといけないぐらいに、殺されました』


『村役場にいけよ。話ぐらいは聞いてくれるだろ。』


『もう、行きました。何も取り合ってくれませんでした』


 声が震え、朱くなった目尻をこすった青野は、私に腰を曲げた。


『わたしじゃあ無理です。だから、櫻田さんに話をしてくれませんか』


『……いいぞ。ただ、間違いなく時間はかかる。櫻田に理解してもらうのは、難しいからな。それまでは待っておいてくれ』


『どうか、お願いします』


 私は櫻田に何も言うことはしなかった。どうでもよいことに、力を割く時間など無かった。


 青野の村八分が始まったのは、それからすぐだった。


◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽◇▽


「たぁあぁぁぁかぁぁぁあし」

 ゆがんだ声を発する青野がいる。


 アオミズ様ではない。物の怪ではない。


 青野という死んだ人間だ。


 それなのに、どうして足が震える。


 死んだ人間が目の前にいるからか。


「おまえ、なんで」


 ソレは、枯木のような細腕を伸ばして、私の傍を通り過ぎていく。


「―――――――ぉ」


 私をみてない。


 玄関で動けなくなっている彩斗。


 後ろを見た子供。大人に興味がない。ソレは、間違いなくアオミズ様だった。


 森の中にいる子供をさらう村八分された女。子供を奪われた女の幽霊。それがアオミズ様の正体だった。


 ソレは、どんどんと近づいていく。


 彩斗の顔が青ざめていく。


「やだ」


「ぁぁぁあ」

 私の足は動かなかった。


「いやだ」


 彩斗は、玄関の扉に触れて閉めようと身体を動かした。


 ソレが、扉に手を掴んだ。彩斗に馬乗りになったのを、見ているだけだった。


 私は、息子をまもることを考える事が出来なかった。


「……ちゃん」


 青野が死んだ理由を生んだのは、間違いなく私だ。恨まれる理由はある。恨まれることは、仕方ないと思うが、気色が悪い。無駄なことをしなければ何もしなかった。


 罰ではない。これは、ただの夢だ。


 だから、私は息子を助けない


 これが夢ならば目を醒ませる。


 それよりも、私は、息子の死んだ姿を見たい。


 彩斗は小さな手足で抵抗していた。


 ただ、眼を向けず、目を瞑る。


「これは、夢だ」


 彩斗がいる方からいろんな音がする。


 ぐちゃ、ばき、がりっ。


 鮮明な音が、鼓膜を震わせていく。


 眼を開けて、彩斗を見る。


 玄関が血に染まっていた。彩斗の小さな手足が関節を無視して折られていた。馬乗りになっていたソレは、立ち上がり私の横を通り過ぎていく。


 ソレが見えなくなってから、私は玄関に横たわる彩斗の頭を撫でた。


 ぐちゃぐちゃになった顔が、あまりにも愛らしかった。


 玄関を閉じて、ぐちゃぐちゃの彩斗だったモノを抱き開けて、寝室のベットに横たわって目を閉じた。


「ああ、なんて」


 動くことのない息子の愛らしい姿に興奮しながら、私は彩斗と一緒に眠りに付いた。


 この子の死体を見る事が出来た。


 とても、とても、幸せだ。


(了)

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