陽は沈み、漆黒の闇に包まれた山間部を月が優しく照らしている。敵同士が相対しているにも関わらず、戦場となるはずだった高原は異様な静けさに包まれていた。
聞こえてくるのは風に揺られる草木の音……そして、その間を駆け抜ける足音のみ。
木々の間から一瞬姿を現したのは、銃を抱えた一人の少女だった。
だが、木々を抜けた少女が月明かりに照らされると、少女の姿が瞬く間に影となって消えてしまった。
( ルナフェード……月光を受けたボクの身体は、所持物と一緒に影となって周囲に溶け込むことができる。ふっふっふ、圧倒的ステルス能力。これなら敵にバレることはないよね!)
フンフンと鼻息を荒くする月の少女フルティナ。
森の中へと入ったフルティナが再び姿を表す。闇の中では姿を表し、光の中ではその存在を隠蔽する。そんな矛盾とも言える能力を持った少女は、止まることなく敵陣との距離を縮めていく。
再び森を抜け、フルティナは敵陣を見下ろすことができる草むらへと姿を隠した。目の前にある岩にド派手な銃を乗せ、スコープ部分に現れた小さな魔法陣を覗き込む。だがその異様な光景も、第三者の目からは草むらに揺れる影にしか見えない。
(ここからなら敵陣がよく見える。距離は約千m……最大射程二千mのこの子なら問題なく届く)
フルティナがスコープを通して見つめる先には、静けさに包まれた敵陣がある。見えるのは多くの天幕……そして、赤々と燃える大きな
(あの人……立ってる。お姉様の毒が効かなかったのかな?)
五番隊 隊長ガウロン。龍を模した仮面で顔を隠した長身の男は、微動だにすることなく佇んでいる。篝火に照らされ、静止するその姿はまるで絵画の様だった。
そして一際目を引くのは、ガウロンが持つ弓だった。ガウロンの長身を遥かに超える長さのその弓は、まるで夕陽の様な光を仄かに纏っている。
(全然動かないんだけど、生きてる……よね? 仮面で表情も分からないし……)
困惑したフルティナは、再び移動を開始した。ガウロンの横顔を狙える位置にまで移動したフルティナは、照準をガウロンの側頭部へと定める。
(本来なら、自身の魔力をそのまま撃ち出すなんてことは不可能。例え撃ち出したとしても、色々な要素に阻害されてすぐに霧散してしまう。それができるのは、強大な魔力を持つお姉様のような
フルティナが手にするトランスガンとは、魔力によって様々な効果を発動する『魔導具』の一種だった。
圧縮した魔力を、制御炉に組み込んだルミタイトで生成した殻に内包し、外部の影響を受けない魔力弾を撃ち出すことができる銃型の魔導具。
自作し、自分用に調整したトランスガンのトリガーに指をかけるフルティナ。だが、その指は小刻みに震えている。
(お姉様が言ってた。仮面を付けてる人は偉い人だって。この子で撃ち出した魔力は、重力や風の影響も受けない。照準を合わせてトリガーを引けば……あの人は死ぬ)
人を殺したどころか、殴ったことすらない少女。頭がよく手先が器用で、魔導具造りを得意としていた。
何の為に魔導具を造るのか……それは、姉妹達の喜ぶ顔が見たかったからだ。
きっかけは、幼き頃に長女リリシアが創り出した花を使って花冠を作ったことだった。フルティナの作った花冠は、幼子が作ったとは思えない程よく出来ていた。それを受け取った姉三人は、満開の花の様な笑顔になり、フルティナを褒め頭を撫でた。
自分の作ったモノで姉達が喜んでくれる。そう思ったフルティナは、その日からモノ作りに没頭した。
『良かれと思って』 ────それが口癖のフルティナの魔導具は、リリシアやオルメンタを怒らせることもあった。だが、そんな出来事も思い出となり、結局最後にはみんな笑っていた。
姉達を喜ばせたくて没頭した魔導具造り。決して人を傷つける為ではない。このトランスガンも、姉の力になって喜ばせたいという一心で作り上げたモノだった。
(うぅッ……)
フルティナは目を閉じ、大きく深呼吸をした。
目の奥に浮かび上がるのは、花冠を載せた姉三人の笑顔。
(そう……立ち止まってなんかいられない。またみんなで暮らす為にも、敵は倒すんだ。あの人は敵……ボクがやるんだッ!)
目を見開いたフルティナが、照準を合わせ力強くトリガーを引く。
放たれる閃光。フルティナの心情を表現するかのように、その魔力は真っ直ぐにガウロンへと向かっていく。その速度は凄まじく、一秒にも満たない時間でガウロンの元へ到達し、ガウロンの側頭部を撃ち抜いた────
────ハズだった。
「よッ、避けた!?」
予想外の出来事に、フルティナはスコープから目を離し叫んでしまった。
狙い通りガウロンの側頭部へと到達した魔力弾は、その魔力が皮膚を焦そうとする刹那の瞬間に躱された。暗闇の中で行われた遠距離からの狙撃……それを躱されたことで、フルティナはパニックに陥っていた。
頭の中を整理する暇もなく、更にフルティナの頭を混乱させる出来事が起きる。静けさ漂う高原に、突如として耳をつんざくような甲高い音が鳴り響いたのだ。
「な、なになに!?」
音は上から聞こえる。音のする方へと視線を移すと、月光に照らされた矢の様な影が見える。
その正体は、敵の襲来を告げる為にガウロンが撃ち出した『鳴る矢』だった。
その警戒音に慌てたフルティナが再びスコープに目をやるが、既にガウロンの姿は跡形も無くなっていた。
「いない!? そ、そんな……どこに──」
スコープの倍率を変え広範囲を見渡すが、敵陣地内に姿は確認できない。天幕の中へ逃げ込んだか、あるいは────
(バレた!? だ、大丈夫……あの一瞬でボクの位置が分かるハズがない。しかもここまでは1㎞近く離れてるし、崖にもなってる。ルナフェードで姿を隠しておけばバレるはずがないッ)
自身にそう言い聞かせながら、フルティナは口を抑え祈るように目を閉じた。
だがその直後、崖下から『ズドン』という何かが打ち込まれた音が響き渡る。その音に驚き、フルティナが崖側に視線を向けると……何かが空中へと飛び出してきた。
月光に照らされたシルエット。それは矢などではなく、明らかに人の形をしたものだった。
「ひッ……ひええぇぇッ!!」
突如目の前に出現したガウロンに、フルティナは涙を滲ませながら悲鳴をあげた。慌てて逃げ出したフルティナの後を、着地したガウロンがすぐさま追いかける。
「な、なんでッ……どうしてバレてるのぉ!?」
フルティナの共鳴魔力は『月光』。アマツクニの戦士シロガネ族と同様の共鳴魔力を持つフルティナは、月下では身体能力が著しく上昇する。
だが、一向にガウロンとの距離が離れない。それどころか縮んでさえいる。
(ダメッ……逃げきれない! こうなったら──)
意を決したフルティナは、トランスガンの銃身を折りたたみ反転した。そして、大きく広がった銃口をガウロンへと向ける。
「ごめんなさい!!」
銃口から魔力弾が放たれる。その弾は細やかな光の線ではなく、荒々しいと感じるほどに大小様々な光の弾だった。
至近距離から放たれた魔力散弾を躱すことは不可能。逃げ場を失ったガウロンに、無慈悲に散弾が襲いかかる。
それに対しガウロンは、動揺することなく腰に帯刀していた短剣を引き抜く。その七色に輝く刀身を天に向かって振り上げると、フルティナの放った散弾は霞のように消え去ってしまった。
「へ?」
何が起きたのか分からず、フルティナはその場でフリーズしてしまった。消滅しなかった散弾が、岩や木を破壊する音に我に帰るが──
「あでッ──」
足に凄まじい衝撃が走り、フルティナの視界が反転する。ガウロンの足払いによって転ばされ、仰向けに倒れ込んだフルティナの首元には短剣が突きつけられていた。
「動くな。この『七星剣』はあらゆるモノを無効化する。お前の生命活動を止めることだってできるぞ」
「……ッ」
もう逆転はあり得ない。フルティナは怯えた表情でガウロンを見つめた。美しいオッドアイが、涙によって水面の様に揺れ動いている。
「その赤い瞳……オルメンタに似ている」
「え……?」
突如ガウロンが口にした姉の名前。
敵の口から出た名前に驚愕し、フルティナは大きく目を見開いた。
「オルメンタ……オルちゃんを……知ってるの?」
「ルリニア、そしてオルメンタは俺の仲間だ。オルメンタから聞いたリリシアの特徴とは違う。もしかしてお前は──」
「ぼ、ボクの名前はフルティナ・ノヴァリス! お願いッ、ルリ姉とオルちゃんに会わせて!!」
涙をボロボロと流し懇願する少女。ガウロンは首元にあてがっていた短剣をしまい、泣きじゃくる少女の体を抱きかかえた。
「ふぇ?」
「行くぞ」
フルティナを抱えたままガウロンが走り出す。人間を一人抱えているとは思えない速度で山野を走り抜け、フルティナが狙撃していた場所まであっという間に辿り着いた。そして────
「え、ちょッ──」
突如発生した浮遊感に、うわずった声がフルティナの口から飛び出した。
「ふええええええぇぇぇッッ!!」
【落下死】────そんな言葉が頭をよぎる。
だが、覚悟していた衝撃は来なかった。謎の足場が二人の体重を吸収し、ガウロンは緩やかに着地した。
フルティナは、謎の足場の正体を確認する為に岩壁へと目をやった。
岩壁には深々と何かが突き刺さっている。それは、篝火の側に立つガウロンが所持していた巨大な弓だった。
(も、もしかして……これを足場にして崖上まで飛んできたのッ!?)
困惑するフルティナを下ろし、ガウロンは突き刺さった弓を掴んだ。メキメキという音が響きわたり、岩肌に刻まれたヒビが大きさを増していく。
どれほどの
その力を証明をするかのように、ガウロンは周りの岩ごと弓を引っこ抜いた。そして、その弓は暁のような光を放ち、まるでガウロンに吸収されるように消えてしまった。
「え……い、今のは?」
「待たせたな」
再びフルティナを抱きかかえ、走り出すガウロン。有無を言わさぬガウロンの行動に、フルティナは顔を赤くして慌てふためいた。
「あ、あのあの!!」
「俺のせいで足に怪我をさせてしまった。腕のいい治癒士がいるから診てもらうといい」
(おりょりょ、見た目に反して実は優しい? うーん……まぁいっか!)
お姫様抱っこも悪くない……そう思い、成り行きに身を任せることにしたフルティナであった────
☆ ☆ ☆
「うぅ〜ん。ジャスミンもいいけど、ローズもいいわね。あたしの高貴なイメージにピッタリだしね」
そんな妹のドタバタ劇など露知らず、リリシアは巨大な花の浴槽で入浴を楽しんでいた。