テントから出た私は、太陽の光に目を眩ませた。
周りを見渡すと、傭兵らしき人達がちらほらといる。彼等は私の姿に気付くと声を掛けてきた。
「よぉ、お嬢ちゃん! 怪我はもういいのかい?」
「は、はい。色々とありがとうございます」
正直男性には未だに恐怖心が残っている。でも、気さくに話しかけてくれたこの人達に失礼な態度は取れないと、ペコリと頭を下げた。
「俺たちは何もしてないよ。それに……色々と助けられなかった」
「……すまない」
今度は彼等が私に対して頭を下げてくる。私は慌てて彼等の元へ走り寄った。
「や、やめてください。皆さんが来てくれなかったら……私は死んでいました。本当にありがとうございます」
「そ、そうかい? そう言ってもらえると……」
「おい! 何照れてんだよ!!」
「お嬢ちゃん! 早く離れろ!!」
私が一人の手を握ってお礼を言うと、周りにいた傭兵さん達が賑やかして来た。その明るい空気に、つい私も微笑んでしまう。そして握った手を離そうとした時、その手に包帯が巻かれていることに気づいた。
「怪我してるんですか?」
「え、あぁ……ちょっと切っただけさ」
「もし良かったら、私に診せてもらえませんか?」
「え……い、いいけど」
了承を得た私は包帯を解いていき、傷口を診る。少し切っただけと言ったその傷は、手の平に大きく斜めに刻まれていて、傷口が化膿し始めている。
私は、迷わずその傷口に自分の手を合わせた。
「あ、汚いからあんまり──」
「大丈夫ですよ」
心配する傭兵さんに微笑みかえし、私は手に魔力を集中した。
私の手から生じた光が、傷付いた手のひらに流れ込んでいく。これが、
でもこれくらいの傷なら、この人の自己治癒力だけで十分治せる。あとは私がそれを後押しして、傷口が残らないように魂の記憶を元に調整してあげればいい。
手を離し傷を確認すると、痛々しかった傷は見る影も無くなっていた。
「すッ、すげえぇ! 傷が綺麗さっぱり無くなってる!!」
「これが本場ソレイシアの治癒士の力か!?」
治癒を受けた傭兵さんも、周りの傭兵さん達も皆が感嘆の声をあげている。私がソレイシア出身の治癒士だということは、既に広まっているみたいだ。
「お嬢ちゃん! 俺も診てくれないか!?」
「待てよ! 俺の方が重症だぞ!!」
一斉に私に詰め寄る傭兵さん達……うーん、やっぱり少し怖い。
「あ、あの……順番に診ますから──」
「何の騒ぎだ?」
私の背後には、龍を模した仮面をつけた長身の男性が立っていた。いつ背後に立たれたのか、私でも分からなかった。
「ガウロン隊長。いや、この子が傷を診てくれるって」
「……」
ガウロンさんが無言のまま私の顔を見ている。……仮面で分からないけど、多分見てる。
「ガウロンさん、ですか? 私、フラウエルって言います。パン粥美味しかったです、ありがとうございました」
「手解きはしたが、作ったのはオウガだ。礼ならあいつに言え」
「え……」
てっきりガウロンさんが作ってくれたのだと思っていたけど、まさかオウガ様が作ってくれてたなんて。あの鎧姿で作ったのかな?
「身体はもう大丈夫なのか?」
「は、はい。おかげさまで!」
なんて言うか、ガウロンさんって見た目は怖いし、口数も少ないけど……すごく優しい人な気がする。側にいると、なんだか癒される感じがする。
「こいつらはほっといて構わない。一人診て欲しいやつがいるんだが」
「はい。私でよければ」
「そ、そんなぁ……たいちょおぉぉ〜」
嘆きの声に後ろ髪を引かれながらも、私はその場を後にした。
ガウロンさんと一緒にやって来た一つのテント。その中からは微弱な気配しかしない。きっと重症患者なんだ、と私の直感が告げていた。
「プロディ、入るぞ」
中には、全身に包帯を巻き付けた男性が横たわっていた。包帯のあちこちに血が滲んでいる。その男性はガウロンさんに気付くと、申し訳なさそうにゆっくりと身体を起こした。
「が、ガウロン隊長……すんません、気づかなくて」
「そのままでいい。フラウエル……だったな。こいつを診てやってくれないか?」
「……何があったんですか?」
「炎上した家が爆発してな。そのすぐ側にこいつがいたんだ」
「へへ……いや、ほんとに……運が無いことで」
おどけて見せてはいるが、その声は掠れていて、包帯の隙間から見える肌は焼け爛れている。包帯を解く必要も無い程に、彼が重症だということはすぐに分かった。
「破片が身体中に食い込んでいる。大きいものは取り除いたんだが、正直俺達では手に余る」
「少し我慢して下さいね」
私は、包帯の上からプロディさんの胸に触れた。そして、魔力を身体中に行き渡らせる。
今私が行なっているのは治癒ではない。魔力を行き渡らせ、それを妨害する箇所……つまり、破片が残っている場所を特定している。プロディさんにとっては、全身を弄られているような感覚に襲われているはず。なるべく痛みを感じないようにしてはいるけど、それでもやはり苦悶の表情を浮かべている。
「ぐッ……うぅ……」
「何をしている? 破片を取り除かず傷口を塞いでしまったら──」
「大丈夫です。私に任せてください」
キッパリと言い放った私の言葉に、ガウロンさんは静かに後ろに下がった。
私は、両親にすら黙っていたことがある。
でも私は、人間以外の物体からでも魔力を……いえ、物体そのものを自分の身体に取り込むことができた。
A・Sの治癒も万能ではない。大きく開いた傷口は縫合しなくてはならないし、異物は除去しなければならない。脳の損傷などは治したとしても、その人は廃人のようになってしまう。
だからこそ、A・Sである治癒士は医師とペアを組んで医療行為にあたる。治癒士の治癒とは、あくまで医師の補助……患者の回復を短縮させているに過ぎないのだ。
医師である父が患者を診て処置を施す。そして私が傷を塞ぐ。私達だけではない、どの医師団もそうしている。私もその流れに逆らわぬよう、この『力』のことは黙っていた。
でも、もう父はいない。医師がいない治癒行為は、難易度が格段に跳ね上がる。治癒魔法の加減を間違えれば、傷口が歪になってしまう可能性もあるし、ましてや破片を身体に食い込んでいるのなら、それらを全て取り除かなくてはならない。
──大丈夫。私ならできる。だって私は、ずっと父の姿を見て来たのだから。
だから私は……自分の持てる力でこの人を救ってみせる。
「どうですか?」
「う、嘘だろ……こんなことが……」
プロディさんは、手を震わせながら自身に巻きつけられた包帯を解いていく。
「な、治ってる……息をする度に激痛がはしってたのに……」
その声は震えているけど、さっきまでのような掠れた声ではない。包帯の下から出てきた肌も、健康的な男性の肌そのものだった。
「ありがとうッ……ありがとう! これで……また戦えるッ」
その言葉に胸が締め付けられた。
あの男達の顔が頭をよぎり、鼓動が早くなる。そして、彼をまた戦いに向かわせることになる……そんな罪悪感が私の心に押し寄せた。
「ご苦労だったな、フラウエル。お前がいなければ、こいつはここで死んでいた。礼を言わせてくれ」
「えッ……い、いえ……」
「プロディ、お前は念の為今日はこのまま休んでいろ。二日後には【ネブラーム高原】に向けて出立する。今のうちに休んでおけ」
「へ、へい……もう動けそうなんだけどなぁ」
「駄目だ。フラウエル、お前も休んだ方がいい。重症患者の治癒はかなり魔力を消耗すると聞いている」
「私なら大丈夫です。……さっきの人達を診てきますね!」
そう言って、私はそそくさとテントを後にした。
彼等を死なせたくない。そう思って出てきたのに、私はまた悩んでいる。
私が治癒した彼が悪事を働いたら……戦争でまた傷付いて死んでしまったら。──そんなことを考えてしまう。
これは邪念だ。治癒士にとって、この考えは邪念でしかない。
私はその邪念を振り払うべく、ひたすら治癒行為に勤しんだ────
☆ ☆ ☆
「オウガ」
オウガのいる天幕に、神妙な雰囲気のガウロンがやって来た。その空気を感じ取ったのか、オウガが書物から目を離してガウロンに向き直る。
「どうしたガウロン。何かあったのか?」
「あの少女……フラウエルの治癒を見た」
「そうか。どうだった?」
「フラウエルは、ただのA・Sではない」
「どういうことだ?」
「フラウエルは破片を取り除かずに、プロディの傷を治した。だが、奴の身体に破片は見当たらなかった」
「治癒魔法に、破片を取り除く術があったのか?」
「俺には
「その破片がフラウエルの
「俺がプロディの身体に食い込んだ破片を取り除いた時、少なくとも四種類の破片が混在していた。その全てが、偶然フラウエルのレゾンだったと思うか?」
「……」
「しかもフラウエルは、プロディを含めて30人以上の仲間に治癒を施している。熟練の治癒士ですら、重傷患者一人を治せば疲弊すると聞いている。並の魔力量ではない」
ガウロンの報告を聞いたオウガは立ち上がり、考え込むように手を兜に添えた。そして次第に、その肩を小さく震わせ始めた。
「ふふ……ふふふ、ははははははッ」
「オウガ?」
「はははッ!まただ、まただよガウロン。また、俺達の元に新たな『力』がやって来た」
「…………」
「やはり偶然なんかじゃない。何か大きな存在が、俺達に戦ってほしいと言っているのさ」
──誰かが助けを求めている。その為に自分の元へ力を集結させている。
その『誰か』とは一体誰のことなのか……それはオウガ自身も分かっていない。だが、オウガはフラウエルという存在が現れたことで、その存在をより実感していた。
「世界は変わろうとしている。ふふ、俺の占いはよく当たるからな」
「そうだな。【時のレガリア】……その力で、俺たちを導いて来たのだからな」
夜の帳が包む薄暗い幕舎の中で、オウガの剣が星のように神聖な輝きを放っていた────。