ある国に、一つの物語があった。
その物語は、子供達に道徳的な教訓を与える為か少々過激な内容であり、保護者からは少し不評だった。
物語を聞いた子供達の中には、『そんなバカな』と笑い飛ばし強がる子もいた。だが、年配者の中には顔を強張らせ、身体を震わせる者もいた。
そんな物語の内容を、簡単に説明するとこうだ────
満月の夜、二体の魔物がやって来る。
片方の魔物は、翼を生やしたその姿から神の御使いなのではとも噂された。だが、その魔物は高笑いを上げながら人々を地獄へと引きずりこむ。
魔物の全身を覆い尽くす黒い闇から、無数の子供の手のようなものが伸びてくる。それに捕まったものは、まるで眠るように息絶え、闇へと消えていった。
死という名の祝福をもたらす堕天使。魔物は、【黒い祝福】と名付けられた。
もう片方の魔物は、何をやっても死なない。
剣で斬っても、銃で撃っても、大砲で吹き飛ばしても決して死なない。
周りにある物を取り込み、地形を変えながら再生する。
人も、魂も、土地も……全て食べられてしまう。
その特性から魔物は、【星喰らい】と名付けられた。
二体の魔物が狙うのは悪しき魂。
悪事を働くな。改心し、罪を清算せよ。さもなくば──
【黒い祝福】と【星喰らいのセレスティア】がやって来る
──そんな内容だった。
★ ★ ★
空が、炎によってオレンジ色に染め上げられている。村の家々からは火と煙が立ち上り、人々の悲鳴や怒号が響き渡っている。
……頭が痛い。こめかみから熱い液体が流れてるのを感じる。歪んだ視界の中で、二人の男性が更に顔を歪ませている。私の上にのしかかる男性。私を剣の柄で殴打し、押し倒したこの男性……その顔には見覚えがあった────
★
私の名前は【フラウエル】。医師である両親と共に、戦時下にある『ライヴィア王国』に派遣医師団としてやって来た。私の祖国 『ソレイシア』は、医療大国として多くの医師を育成している。
そして、世界にとっては希少な存在 ……【
魂とは人の数だけ型がある。型が合わない魔力は相いれず、場合によっては猛毒となる。
でもA・Sは自分の魂を、 魔力を他者に適合させることができる唯一の存在。女性にしか存在せず、その割合は百万人に一人とも言われている。
ただでさえ数が少ないのに、自分がA・Sであることに気付かず一生を終える人もいるから、この数値も当然かもしれない。
他者に魔力を与える事ができる……それは、自分の命のエネルギーを与える事ができるのと同義であり、熟練のA・Sになると瀕死の人間ですら治す事が可能だ。だからこそ、A・Sは主に『治癒士』として重宝されている。
祖国ソレイシアでは見逃しがないよう、産まれたばかりの赤子にA・Sの適正検査が行われる。その検査方法とは、微量ながら他者の魔力を溶かし込んだ魔力溶水を注射するという、少し乱暴なものだ。
拒絶反応が出れば不合格、何事もなければ更なる検査が行われる。
聞いた話だと、私がA・Sだと分かった時の両親の喜び様はすごかったという。
ソレイシアは、主に他国へ派遣する医師団によって国益を得ている。自分の所属する医師団にA・Sが誕生すれば、その医師団は一生食べて行くには困らないと言われている。
でも……父の想いは違っていた。
『この子なら、僕よりもっと多くの人を助ける事ができる!』
そんな聖人の様な考えを、父は屈託のない笑顔で母と赤子の私に話していたという。
────ライヴィア王国に来ても、私たちはいつもと変わらぬ働きをしていた。ライヴィア王国は今、多くの都市が反乱・独立を宣言している内乱状態だ。そしてそれに乗じてか、隣国のライザールにまで攻め込まれている。
私は戦争が嫌いだ。戦争をする人も嫌いだ。でも……戦争の下では何の罪もない人たちが傷を負い、苦しんでいる。父の想いを知っているからこそ、私はこの国で負傷した人達を、治癒士として分け隔てなく治癒していた。
私達はとある小さな村に拠点を置いた。父が診断し、処置をした患者を私が治癒する。そんな私達を、母が懸命にサポートしてくれている。
相手が誰だろうと関係ない。目の前で怪我に苦しむ人がいるのなら、全力で私達はそれを助ける。
それが、私達が所属する医師団の……私達親子の、決して変わることのない信念だった────
★
20人程の若い兵士の一団が、私達のいる村にやって来た。彼らはライヴィア王国の正規兵らしい。
クレセント騎士団と名乗った彼らの中の一人は、ライザール軍との戦いで腕を酷く怪我していた。父の診断では、剣で斬られたことによる裂傷・打撲で神経が損傷しているとのことだった。
父の診断に従って、私はその兵士の腕に手を添えた。
人体構造、患者の魂の記憶を自分の中で鮮明に思い描きながら、自分の魔力を流し入れていく。その傷はみるみる消えていき、変色していた腕は生気を取り戻した。
その兵士は涙を流しながら私達に感謝していた。『これでまた……戦うことができる』と。
できればもう戦って欲しくない。命を大切にして欲しい。
でも……私達には、患者のその後を縛り付ける権利もない。
(患者さんを助けれたんだ。それでいいじゃない)
患者が元気になって喜ぶ父を見て、私もそうやって自分に言い聞かせることにした────
★
私達親子が助けた兵士。
その兵士が今、私の上にのしかかり下卑た笑いを浮かべている。
(人って……たった一日でここまで醜くなれるんだ……)
私の隣では、両親が血溜まりの上で力無く倒れている。恐らく、医師団の仲間達も……。
父の想いを無下にした。それだけで私の中の何かが沸騰しそうになる。
でも、私にはそれ以上怒ることができなかった。
(こんな目に遭ってるのに……変なの……)
A・Sという存在は、人を助ける為に生まれてきた存在。決して私利私欲で人を害することはできない。その禁を破らないよう、魂に刻まれた何かが行動と感情を抑制する。もし禁を破れば、A・Sの魂は壊れてしまうらしい。
私が尊敬する治癒士……世界に名を馳せた聖女が言ったという言葉。教科書に載っていたその言葉を思い出し、『あぁ、こういうことなんだ』と納得した。
親を殺されても、私には何もできなかった。
誰かを殺すくらいなら、私が死んだ方がいい。
生きることを諦めた私の意識は、暗い闇の中へと沈んでいった────
★ ★ ★
「おいおい、火がまわってるんだッ。早くしろ!」
「まぁ待てよ。A・Sの女なんて初めてなんだ、楽しませろよ」
「しかしよぉ、昨日そいつに腕を治して貰ったんだろ? よくそんな事ができるなぁ!?」
「だから、腕の
「へへ、まぁそれもそうか。お国のために敵と戦い続けてきたんだ。これくらいの報酬はあってもバチは当たらないだろうよ」
ニヤニヤとした笑いを浮かべながら、二人は自分たちを正当化しようと言い聞かせ合った。そしてゴクリと喉を鳴らし、気絶する治癒士の少女フラウエルに手を伸ばした、その時だった────
「ぐッ……!?」
突如胸に感じた鋭い痛みに、男は声を漏らし視線を下に向けた。
痛みの正体……血に濡れた槍が、自分の胸から飛び出している。その状況を飲み込めず、男は首を傾げて声を漏らした。
「は……はぁ?」
「なッ……」
周りには、男達を取り囲むように多くの騎馬兵が立ち並んでいた。その騎馬兵団は真紅の鎧を身に纏い、鋭い眼光で二人を睨みつけている。
そして、男を貫いた槍の持ち主……その騎士だけは特に異様だった。
皆が真紅に染まる中、その騎士だけは白銀に輝く兜と鎧を身に纏っている。そして、彼の乗る馬さえもが月光の如き輝きを放っていた。
「お前達も、このライヴィアには不要だ」
そう言い放った白銀の騎士が槍に力を込めると、男の身体が軽々と宙に浮いた。騎士が槍を振り抜き、胸に風穴の空いた男は燃え盛る家へと吹き飛んでいく。
激しい衝突音と崩落音が響き渡り、男の身体は火と瓦礫に飲み込まれていった。
相方の最期を目の当たりにした片割れが、慌てて騎士に喚き散らす。
「な、なんだお前ら!? 俺達はライヴィアの正規軍『クレセント騎士団』だぞ!! こんな事をして──」
「こんな事をして、タダで済むとは思っていないよな?」
騎士の鋭く、冷気を纏ったような声に男は萎縮した。そして次の瞬間、男は脇目もふらず逃げ出した。
「ガウロン」
「……」
騎士の隣に控えていた、『ガウロン』と呼ばれた仮面の男が、無言のまま弓に矢を番える。
スラリと伸びた身体・腕……そして絹のような黒髪。まるで自分自身が弓であるかの様な力強さと柔軟性を併せ持っている。ギリギリという音と共に、弦が限界まで引き絞られる。だが、ガウロンの身体は震える事なく静かに標的を見据えている。
ガウロンが手を放すと、矢が空気を切り裂き、吸い込まれるように男へ飛んでいく。その矢は鉄の鎧を難なく貫通し、男は吐血しながら地面に倒れ伏した。
「オルメンタ」
「はい」
『オルメンタ』と呼ばれた、グレー色の髪の女性が前に躍り出る。凛々しい顔立ちに、左右で色の違う目。そして、右目の泣きぼくろが特徴的な美しき女性だった。
「お前は部隊を率いて生存者の救出にあたれ」
「はッ」
「ガウロン、お前もオルメンタと共に行け。略奪に加担している者は、敵味方問わず殲滅しろ」
「あぁ」
「オウガ様は?」
オルメンタが口にした名前。『オウガ』──これが、この白銀の騎士の名前だった。
「俺は、この少女を天幕まで運ぶ」
「分かりました。よし、行くぞガウロン!」
オルメンタの掛け声と共に、全ての兵士が走り出す。
その場に残されたオウガは馬から下り、優しくフラウエルの身体を抱き上げた。
「……すまない」
それは、誰に対する謝罪だったのか。
誰の耳にも届かない懺悔の声は、虚しく炎の音に掻き消されていった────。