「いよぉ、フィン。無事だったか」
「は、はい。ごめんなさい団長……俺、団長のこと……」
「生きているならそれでいい。それに、『生き残るためなら俺を売れ』と言ったのは誰でもない。この俺だ」
息を切らしたフィンを労うようにカザンが声をかけている。もしかして、俺たちはフィンに騙されていたのか?
「おい、そこにいる奴ら出てこい」
まぁバレてるよなそりゃ。もはや隠れていてもしょうがない。俺たち三人は茂みを出て、カザンの前に姿を現した。
「三人か……」
「あ、あの団長ッ! 森の中にヴィクターの使い魔らしき虫もいます! あと彼らは……」
「分かっている。フィン、お前は下がっていろ」
フィンを後ろに下がらせ、カザンが手に持った金棒を握りしめこちらを威圧してくる。
「あんたがカザンか。一応聞いておきたいんだが──」
「撤退しろと言うのならそれは聞けねぇな。俺たちの目的はあくまでイズモ村に行く事。邪魔するなら、ここで死んでもらうぜ」
カイの質問は呆気なく終わった。カザンから有無を言わさぬ威圧感を感じる。
もう……やるしかないのか。
「……シン、あとは頼む」
「う……うわあああぁぁぁぁぁぁッ」
カイがカザンに向けて走りだし、続けてモンゾウが叫びながらカイのあとを追った。カザンは武器を握っているが未だに動こうとしない。俺たちなど構える必要すらないということなのか……だが、そんなことはお構いなしにカイが跳躍し、カザンに向けて剣を振りかぶる。
静寂な森に気味の悪い音が響き渡った。カザンの持つ金棒がカイの脇腹にめり込んでいる。カザンが勢いよく金棒を振り抜くと、カイは血を撒き散らしながら吹き飛んでいき、地面に叩きつけられてしまった。
「ひぃッ!?」
その惨劇にモンゾウの足が止まる。だが、そこは既にカザンの射程範囲だった。振り戻した金棒がモンゾウの体にめり込み、叫び声を上げる暇もなく、モンゾウの体は地面に叩き伏せられていた。
──俺は既にカザンの背後にまわっていた。カザンの体はまだこちらを向いていない。地面に叩き伏せられた二人は、ピクリとも動かない。二人が倒れた場所には、暗闇のせいか真っ黒な水たまりができている。だが、二人のことを悲しんでいる暇はない。そう心を奮い立たせ、俺はカザンに向けて跳躍した。
「はあッ!!」
「────ッ!?」
全霊の蹴りがカザンの頭部に炸裂する。兜が砕け、体勢を崩し落馬……もとい落牛するカザン。
──だがその時、俺の脇腹に凄まじい衝撃が走った。その衝撃で俺の体はくの字に曲がり、肋骨から発せられた変な音が全身に伝わる。俺はそのまま吹き飛ばされ、幾度か地面に叩きつけられてから動きを止めた。立ちあがろうとするが、手足に力が全く入らない。無理に力を入れようとすると、今度は猛烈な吐き気に襲われた。
「ぐッ……がはッ!!」
口の中に鉄の味が広がる。俺が吐き出したのは大量の血だった。霞んだ視界で捉えたカザンの姿……兜が砕かれ、その素顔が顕になったカザン。その毛髪は燃えるように赫く、混じった銀色の髪がまるで二本の角のように煌めいている。
その姿はまさしく……『鬼』そのものだった。
「……チッ」
カザンが血を拭いながら不機嫌そうに舌打ちをし、こちらに歩いてくる。トドメを刺すつもりなのだろう。カシューの時とは違い、チリチリと俺の体を燃やすような明確な殺気を感じる。
逃げようにも体は動かない。それどころか呼吸すらままならない。
(これは……死んだな)
まさかここまで実力差があるなんて……ゲームだったら負けイベだよなこれ? こっちはまだ力の勉強中なんだぜ、チュートリアル中に来る敵じゃねぇだろ────。
(……タツ)
目を閉じ最後に想ったのは……やはりタツのことだった。もし俺がここで死んだら、タツが一人ぼっちになってしまう。
(そんなことは許されないッ。しちゃいけないんだ! 俺はもう二度とあいつを────)
鉛のように重い瞼を、最後の気力を振り絞って見開いた。既にトドメを刺されていてもおかしくないくらい時間が経っている。でも、俺はまだ生きている。そのことを疑問に思いながら、俺は未だに霞んだ視界でカザンを捉えた。
「……ダイン。なんの真似だ?」
『……』
ダインと呼ばれたカザンの騎獣が、主人であるカザンと対峙している。その巨躯からは魔力と思しきオーラが放たれており、明らかにカザンを威嚇していた。
(な、なんで……?)
それは、俺をカザンから守っているようだった。
「……」
カザンが何かを考えるように押し黙っている。だが程なくして踵を返し、俺から離れて行った。ダインがチラリと俺を見るが、そのままカザンの後に付いて行ってしまった。
「肉も手に入った。フィン、行くぞ」
「は、はい!!」
そう言ってカザンは、カイとモンゾウの死体をダインに積み上げ、フィンを連れて森の中へ消えていった────。
★
風に揺れる木々の音だけが虚しく響いている。一人取り残された俺は、ブルブルと震える手で腰につけられた皮袋の中身を手にした。
【タツ印の太陽石】だ。
優しく煌めく光が俺の中に流れ込んでくる。その光が、力が……俺の体内を駆け巡り傷を癒してくれた。
(タツ……助かったぜ)
この場にいないタツに感謝する。もしこれがなかったら、どちらにしろ俺は死んでいたかもしれない。仲間を殺され、自分自身も殺されかけた。
しかし、何故かカザンを憎いとは思えない。それどころか俺の心は妙にスッキリしていた。
(完敗だな)
カイとモンゾウが命懸けで作り出してくれた隙を、俺は活かすことができなかった。一撃を入れることはできたものの、大したダメージにはなっていない様だったしな。
(二人とも……すまない……)
二人の死体は既にこの場にはない。カザンが『肉』と称して持っていってしまった。まさか食うつもりじゃないよな……。
俺は次にダインという牛について考えていた。あの牛は明らかに俺を庇っていた。
あの牛も、カシュー達と同じように俺たちの立場を汲んでくれたのだろうか? それだけで主人であるカザンに歯向かったのか? 見ず知らずの俺のために……。
だとするなら、俺のこの胸に去来する感情はなんだ?
俺は、カザンに立ちはだかるダインの後ろ姿に頼もしさを、そして……俺を見た眼差しに懐かしさを感じていた。俺はあの牛を知っている? だが、いくら考えても思い出すことができない。
(ったく。何だってんだ、この世界は……)
分からないことだらけだ。だが、今はそんなことを考えている暇はない。どちらにしろ、カザンを何とかしないといけないのは間違いないのだから。
だが、カザンとの間には埋めようのない実力差がある。このまま俺が戦っても勝ち目はない。
正直自惚れていた。この世界に来てから、戦ったのは数体の
この世界にはカザンのような強者がいることが分かった。もっと慎重にならなければいけない。
いっそこのまま死んだふりをするのはどうだろうか? セコーモの虫が俺から監視を外せば、何とかタツ達の元へ行けるかもしれない。人質さえ何とかできれば、カザン達と戦う意味は無くなる。
……だが、俺の死んだふり作戦はすぐに瓦解することになる。
『おい、生きてるなら起きろ』
俺の真上で虫がホバリングしている。
「……何だよ?」
『タツがお前を助けろ助けろって五月蝿いんだよ』
「なッ……タツがいるのか!?」
『牢屋にな』
どうやらタツには俺たちの動きが視えていたらしい。さぞかし慌てたことだろう。心配かけてすまないな、タツ。
死んだふりができなくなった以上、またカザンと戦うしかない。
またあいつと戦う……本来なら恐怖するところだろうに、何故か俺は安堵していた。『戦うしかない』という引き返すことのできないこの状況が、俺の背中を押してくれるからだ。
俺は運命の様なものを感じていた。
『カザンと戦う為にこの世界にやって来た』……そう感じているのだ。
だが、俺一人ではあいつには勝てない。悔しさなんて微塵も感じられない、負けて当たり前……そう思えるほどの実力差がカザンとの間にはあった。
そう、
「おい、セコーモ」
『何だ?』
「タツを……俺のところまで連れて来て欲しい」