ルシルとアイラへ宣戦布告を行った後、パトモスは変わらぬ調子で口を動かす。
「実に愚か、と汚い言葉を遣わずにはいられません。無知であることは罪ですが、より罪深いのは、何一つ理解していない事柄をさも知っているように思い込むことです。貴女方はじき打ちのめされることになる。この世界の真実に」
それだけ言って、パトモスはローブを翻してルシルとアイラに背を向ける。
「兎にも角にも、今日のところはそろそろお引き取りをお願いしましょう。なに、心配せずとも近い内、またお会いすることになるはずです」
その台詞が終わるか終わらないかのうちに、その場に異変が生じる。
部屋の天井、それから壁一面に走る亀裂。
目にも留まらぬ速度で、それが蜘蛛の巣のような形に広がっていく。
その端から次々と、天井を構成していた瓦礫が床へ落下し土煙を巻き上げ轟音を響かせる。
「だ、団長! 下がりましょう、危険です!」
「賢明な判断です。それにそろそろ貴女方も、帰路に着いた方がいい……。もっとも運命の岐路は、もう通り過ぎてしまった後ですが」
不気味に響くそんな言葉を最後に、パトモスとジャクリーンは瓦礫の雨と埃の霧の中へ。
「逃さない――もう一度
「ダメです団長、これ以上は魔力が保ちません! 残念ですが、この場は――」
そんなやり取りの間にも、一度崩れ始めた大部屋はその崩壊を止めることなく加速していき、数秒の内に部屋の内部を分厚い瓦礫の下へしまい込んでいった。
◇◇◇
イーストエンド・オブ・ロンドン、黒の黎明アジト跡地。
地下に存在したその広大な空間が丸々陥没し沈下した影響で、地上にあった建造物も壊滅的な被害を被っていた。
しかしその領域にいた者達は予め避難でもしていたかのように、逃げ惑う人も悲鳴を上げる人もいない。
そこら一帯の人の気配がごっそりと無くなっていた。
「……上手いこと逃げられた、というべきでしょうね。色々と、手際が良すぎる」
「あの二人も崩壊から逃げおおせていると見るべきですね……。取り逃がしてしまったのは痛恨ですが……。いずれ借りを返す場もあるでしょう」
「酷い気分だわ……。駐屯地への帰営を遅らせてまで追ってきたというのに、得るものも無く砂埃に巻かれこの有り様とは」
「パーティ会場では血に塗れ、敵のアジトでは泥に塗れる……。散々でしたが、取り敢えず団長がご無事で何よりです」
ルシルは苦笑を溢す彼女を一瞥し、それから少しだけ口角を吊り上げた。
「……いえ、それでもやはり、多少は得たものもあったかしらね。奴ら黒の黎明は私達が決着を付けないといけない相手だということがはっきりしたし……。それに、あなたの啖呵も聞くことができた。黒の黎明主宰を相手に、一歩も引かない弁舌は大したものだったわ。あなたもどこかの教主にでもなったらどう?」
「ルシル団長、からかっておいでですか?」
「いいえ、それなりに本心よ。……お陰で私も、自分の心を決められたから」
きょとんとするアイラに向き直る。
困ったように下げられた眉尻。
微かに瞳へ灯る哀しげな色。
同時に、穏やかな微笑みを浮かべるルシル。
辛い過去の光景に想いを馳せながらも、彼女は真っ直ぐにアイラを見ていた。
「誰も死なないのが一番だけど現実はそんなに甘くない……。ならばせめて、先に死んでいった仲間達の想いに応える為、歩いていかないといけないわね。……より輝かしい未来へ向けて」
「はい団長。けれど、私達は空を駆ける魔女でありますれば、ゆっくり歩かねばならないというわけでもないでしょう。飛んでいけばいいのです、この空を、例え果てまででも」
「なら差し当たっては、駐屯地まで飛んで帰りましょうか。予定時刻をこんなに遅れてしまった言い訳は、副官に考えておいてもらいましょう」
「言い訳って……。一応理由ならありますし、副団長も怒ったりはされないと思いますが」
「どうかしら。ルート大尉も結構、小言が多いから」
そんな彼女の愚痴にアイラも笑みを溢す。
ようやく訪れた、一時の些細で穏やかな時間。
しかしそれを、即座に一変させた声があった。
「お二人とも、直ちに駐屯地へお戻りくださいッ!」
それはガーデンパーティ襲撃の後バッキンガム宮殿に駆けつけてきた近衛騎士の一人。
慌ただしく血相を変えて駆け寄ってくる。
そのただならぬ様子に、二人は顔を見合わせる。
そして、とても俄かには信じられないような報告が、その口からもたらされた。
「――ドーバー上空でネフィリム戦が発生。詳細は不明なるも、白鳩騎士団副団長ルート・フォン・カレンベルク大尉とロザリ・サン=ジュスト中尉が、共に撃墜されたとのことです」
現実はそんなに甘くない。
語った先から改めて思い知らされるとは、想定していなかった。
月明かりは無く、未だ夜の帳が下りきった真夜中。
しかし今夜は明けた後でも、昏き緞帳に変わらず閉ざされたままだろう。