一口に魔法と言ってもその種類は多岐に渡り、魔女によっても得意分野は様々だ。
一般に魔女の魔法力を決定するとされる三要素、魔力量・制御力・適性域。
魔法の威力や規模に関わる魔力量と制御力は鍛錬で向上させることが可能であると言われるが、魔法の得意不得意に直結する適性域についてはその限りではない。
属性魔法への適性があるか否か、適性があるのは四大属性のいずれなのか、あるいは応用属性への適性をも持っているのか。
それらは全て生まれた時点で既に決定しているとされ、言わば才能がものをいう世界なのである。
どれだけ魔力量と制御力を鍛えたとしても、飛行魔法への適性が乏しければ、飛ぶことに対しては不得手なままだ。
反対に、いくら希少魔法への適性があっても魔力量や制御力が未熟なら、宝の持ち腐れという誹りは免れない……。
「――きゃ あ あ あ あ あ あッ!? あ あ あ あ あ あっ!! ギャーッ!!??」
そしてアイラはというと、これまで経験したことの無いほどの猛烈な速度で、夜空を翔けていた。
騎体全体が不気味にガタガタと揺れ、その中のアイラも身体中の臓器が背中ごと座席背部え押し付けられる不快感と、骨格が軋んでいるような痛みを感じる。
本能と理性がどちらとも叫んでいる。
これはヤバいと。
『……うるさいわね。騎士ならもっと、泰然自若としていなさい』
「むっ、無理がありますぅ! そもそも人は空を飛ぶようにできていないんですぅ!」
『まあ、ウチら魔女っすけどね!』
「魔女だって人間なんですぅぅぅ!!」
何故アイラがこんなにも無様な悲鳴を上げているかというと、現在リベレータはルシルとノエミという、精鋭集団白鳩において飛行魔法への適性ツートップを邁進する二人に牽引され、アイラ単独では決して実現できない高速飛行を敢行しているからである。
道中の会話で時間を浪費してしまった分を取り返さなければいけないからとルシルから発案された方法であったが、実は命令を無視した自分への腹いせなのではと、アイラは思い始めていた。いや、そんな人ではないと信じているけれど……。
『――着くわよ。覚悟しなさい』
「覚悟って!? 覚悟ってなんですか!? まさか、このまま突っ込むおつもりなんですか!?」
『当然でしょう。戦力が足りない以上、戦術で補わなくては』
『この距離からこの速度で突っ込めば、気付いた時にはもう懐っす。奇襲ってやつっすね』
「戦術!? 奇襲!? これはただの突撃です!」
そんな彼女の嘆きは受け入れられずに事態は進む。
現在、リベレータの飛行速度はアイラが制御できる域を遥かに超えてしまっている。
止められないのだ、残念ながら。
標的との衝突は免れられない。
確かにネフィリムへの痛撃は期待できるだろうが、ダメージを負うのはぶつかる側のこちらも同じだ。
覚悟を決める以外にないアイラは、せめて騎体大破は防ごうと、魔法を発動させる。
「――リベレータ……。ごめん、耐えてね」
アイラが得意とする氷魔法は応用属性と呼ばれる属性魔法の一つであり、属性魔法の中でも特に攻守に優れたものであると言える。
ただしその真価を発揮するには氷結させる対象となる水分が必要であるため、決して万能ではない。
しかし、氷魔法に加えて水魔法にも高い適正を持つ彼女は、自身の魔法のみでその弱点を補うことができた。
アイラの呟きと共に、リベレータの黒い騎体が、青白い氷を纏っていく。
装甲、間接部、排気口……。
魔鎧騎としての駆動を阻害しないよう、騎体各部のそれぞれに形状を調整された氷の装甲が形成される。
それはさながら、黒衣の騎士が白い甲冑に身を包んでいくようで、そしてその甲冑は月明かりを受け幻想的な輝きを宿す。
『――綺麗な魔法……』
そんなルシルの呟きは実際にその姿を見た者であれば誰しもが抱くであろう素直な感情。
「――ブラックロード・リベレータ、
そして。黒い夜空を引き裂くようにして、一筋の光が異形の巨体へ吸い込まれるように。
「――菴輔′襍キ縺薙▲縺ヲ縺?k!?」
「うおおおおおおおおおおおッ!!」
防衛部隊による陸海からの攻撃をものともせず夜空を闊歩していたネフィリムは突然の乱入者に嘶く。
狙い通り完全に意表を突くことに成功したアイラは、衝突の衝撃に顔をしかめながらも一気呵成にたたみ掛ける。
慣性による勢いをそのままに繰り出されるリベレータの格闘戦術。
最初の激突で弾き飛ばされたネフィリムに食いつきながら、なおも叩き込まれる乱打。
何が奇襲戦術だ。
死ぬかと思った。
まだ意識があるのはただの幸運だ。
見ようによっては自暴自棄に陥った騎士の闇雲な攻撃。
しかし。鋭く厚い氷に覆われたブラックロードの拳は、とある一部を狙い撃つ。
即ち、翼。
「はぁあああああああああああああッ!!」
今回のネフィリムは、六本の手足に一対の翼。
その巨体を二枚の羽で支え飛んでいる。
戦いにおいて、敵の弱点を狙うのは当然だ。
今回のように、こちらが万全でないなら尚のこと。
そしてアイラはネフィリムとの激突直後から、狙うべき敵の弱点を見定め攻撃を集中していた。
それが、ネフィリムの翼。
急行の甲斐あり未だドーバーの海上を飛行しているネフィリムは、その飛行能力を失えば、深い海へと真っ逆さまだ。
水を苦手とするネフィリム。
一度海へ沈めばひとたまりもない。
故に攻撃を集中する。
魔力はもう限界寸前。
大技は使えない。
突撃によって得た推進力を可能な限り活かす。
そんな瀬戸際の戦い――先に限界を迎えたのはブラックロードだった。
「ッ!? リベレータ!?」
繰り出そうとした右腕が、関節部で外れて飛んでいく。
破損部から蒸気が噴き出し、駆動能力が激的に低下する。
「くっ――!」
弁を締め右腕部への蒸気をカット。
それでも漏れ出る分は凍らせて無理矢理穴を塞ぐ。
主要な計器へ目を走らせ、騎体状況を確認する――
「――繧?▲縺ヲ縺上l縺溘↑縺!!」
しかし当然、ネフィリムはそんな隙を与えない。
右腕を失いバランスを崩したブラックロードへ、追い打ちをかけるようにその腕を振るう。
『――
瞬間、ブラックロードのすぐ脇を瞳で捉えられないほどの速度で突っ切ったそれは、ネフィリムの左翼膜を穿った。
「縺ェ繧薙□縺ィ!?」
翼を破損し体勢を崩したネフィリムの攻撃はブラックロードを捉えることなく空を切る。
『へへ……、白鳩騎士団傍付き筆頭の見てる前で、狼藉は許せないっすよ、化け物風情め……!』
ネフィリムの翼膜を突き破ったそれは、生身の魔女。傍付き筆頭ノエミによる突撃だ。
「ノエミ先任少尉ッ!!」
そんなことをして、無事でいられるはずがない。
魔鎧騎に守られた状態でも、ネフィリムとの激突には気を失いかけるほどの衝撃があった。
それを、生身で実行するなど……。
『おっと、心配はご無用っすよ。死んで団長に怒られたくないのは、私も一緒っすからね』
風魔法によって自身の前方に空気の膜と真空の膜を積層構造で構築し、自身に対する空気摩擦の影響は抑えつつ標的へ摩擦熱と真空波によるダメージを与えるノエミの奥の手、彗星。
魔鎧騎を駆る術を持たない彼女がネフィリムと渡り合う為編み出した攻撃魔法。
翼膜のような比較的柔らかい部位ならば今回のように突き抜け、激突自体の衝撃はそこまでではない。
しかし音速を超えて加速することによる身体への負担や魔力消費は大きく、ここぞという時の大技だ。
何より、彗星では穿ちきれないような対象へ突撃してしまった場合、風魔法の壁で打ち消しきれない衝撃は当然その身へ降りかかる。
そうなれば少女の身体などひとたまりもないのだから、まさに捨て身の一撃だった。
「雋エ讒倥i繧。――險ア縺励r隲九≧縺ヲ繧る≦縺?◇!!」
片翼はブラックロードの格闘戦で損傷し、片翼はノエミの魔法により穿たれた。
最早ネフィリムに星の引力へ抗う術は無く、ただ真っ逆さまに落ちていくだけ。
――そう考えていたアイラとノエミを、しかし現実は翻弄する。
「まさか――」
『――飛行魔法!?』
翼の損失に体勢をぐらつかせたネフィリムだったが、どういうわけか、翼も使わず浮遊を続け、ブラックロードの眼前に留まり大口を開ける。
口元への魔力の収束。
ネフィリムのブレス、拡散魔力咆哮。
「しまっ――」
回避は間に合わない。
緊急機動のためには魔力不足、排出で姿勢を変えるには蒸気不足。
『――悪いのよ、往生際が』
直後であった。
いつの間にか接近していたルシルが、その細い脚で、華奢な踵で。
ネフィリムの頭部を上から踏みつけるように踵で打ち付け、魔力咆哮が大きく下へと逸れる。
『潔く墜ちなさいッ!』
そんな気合のこもった一声と共に。首元へ振り下ろされる拳。
「――縺ェ繧薙→縺?≧蜉帙□!?」
グシャリという音が聞こえて来そうなほどに身体を歪ませて、巨体が落ちる。
魔女は身体強化魔法や魔力付与といった技術で常人よりも肉体強度を向上させる手段を持つが、それを極めたところでネフィリムという怪物と殴り合えるような膂力には至らない。
しかし、並外れた適性域と魔力量を誇るルシルは、第三の方法でネフィリムとの肉弾戦術を確立していた。
火・水・風・土、基本四属性の魔力を同じ力でぶつけ合った時、各属性は相殺され、代わりに閃光と衝撃が生まれる。
ルシルが活用したのは、その衝撃力だった。
踵や拳がぶつかる直前、四属性の魔法を展開して相殺し、生まれた衝撃をそこに乗せる。
その威力は、人の域を遥かに超える。
しかしそれは、言葉で表現するほど容易ではない。
基本四属性全てに適性を持ち、均一な大きさで同調展開できる制御力を兼ね備えた、ルシルくらいにしか再現できない
普段は魔鎧騎を駆る騎士として戦場を飛ぶ彼女がその技を披露することは少ないが、魔女が一度目にすれば、その隔絶した技量を見せつけるには十分すぎる技術だった。
「――縺?>豌励↓縺ェ繧九↑繧亥ー丞ィ倥′!!」
しかしネフィリムもまた怪物であることに異論は無い。
殴り飛ばされながらもなお飛行魔法で体勢を立て直しながら咆哮。
口腔で凝縮された魔力がエネルギー波となり解き放たれる。
「ッ、団長っ!」
咄嗟にルシルの前へブラックフォードで割って入り、氷の装甲で受け止めるアイラ。
「こ、のぉぉおおおおッ!!」
残る魔力を振り絞り、正面から咆哮を相殺する。
もう魔鎧騎を動かすための火・水属性魔法も、飛行魔法すらも覚束ない。
虚ろになる意識の中、目から涙が滲んできたかと拭ってみると、手の甲がドス黒い赤に染まっていた。
『……無茶をして。別にあなたが庇わなくても、あれくらいなら何とかできたわよ』
「い、いちおう、だんちょうの、きしですので……」
努めて明るい声で、アイラは言う。
しかし伝信魔法によって油断すれば深層心理すらも伝わってしまう状況下。
どんなに隠したいものでもさらけ出されてしまうのが戦場だ。
そしてだからこそ、より強い声でアイラは言う。
「団長、もうすこしです。敵の魔法出力も、はじめと比べてていかしていますっ」
『……。……そうね。けれど飛行魔法持ちのネフィリムというのは、存外に厄介だわ。翼を潰しても墜とせないとなると、泥臭く息の根を止めるしかなくなる』
『私の捨て身も大して意味無く終わっちゃいましたからねぇ……。まったく、酷い話っす』
いつの間にか戦線へ復帰していたノエミが、疲労感を滲ませながら言う。
『ダメージを与えているのは確かで敵の攻撃もある程度は対応できるけど……。雷雪無しでは決め手に欠けるというのが正直な所ね。まさか味方ごとこの空域を吹き飛ばす訳にもいかないし……』
『あ、あの、団長? 本気でそう思ってくれてますよね? 間違っても、私達は吹き飛ばさないでくださいね?』
「えっ、いまのジョークじゃないんですか……?」
『団長はやる時はやる女っす……』
眉を顰めてそう溢すノエミに、アイラはごくりと喉を鳴らす。
ルシルはそんな二人に辟易したように息を吐いて、それから言った。
『けれどどうやら、そんな必要は無さそうね』
次の瞬間。
認知圏外から放たれた銃弾の雨が、ネフィリムの傷付いた身体へと降り注ぐ。
魔鎧騎用に開発された大口径のライフル弾と、傍付き魔女達が扱う携行火器の銃弾。
統制されたそれらが、上空から一気呵成に敵を襲ったのだ。
『――遅くなりました、団長』
『早かったじゃない、意外とね』
そして、見上げたアイラはその目に映す。
デュッセルドルフS.Ⅱ、ゴールウェイ・ウィッチーズ、魔女の編隊。
戦場を羽ばたく、白鳩達の姿を。
『コトネ少佐はじめ、整備兵の皆さんによる努力の賜物です。――団長へ、こちらも預かってきておりますよ』
そして傍付き魔女達が牽引してきた、その騎体が月夜に煌めく。
雷雪。
双界の守護者、ルシル・シルバの愛騎。
雪色に染まったように純白の騎士。
『――ご苦労。それでは騎士団各位、しばらく任せる。ただし足止め程度よ。奴との決着は、私がもらうわ』
『承知いたしました。各員散開ッ!』
号令と共に散った魔女と騎士達が、方々から入り乱れる。
無骨な大剣で斬りかかるデュッセルドルフ。
それに対応しようとするネフィリムをライフルで牽制するゴールウェイ。
銃弾で、擲弾で、一瞬の隙を突いていく傍付き隊。
芸術的なまでに洗練され、調和の取れた戦闘行動はまるで魔女の夜宴のようで。
アイラはそれを、食い入るように見つめていた。
「これが、アルベルニアの白鳩……」
ネフィリムは碌な反撃行動も取れずに、まるで手玉に取られているように、いいように弄ばれていく。
そんな攻勢の中で雷雪へと乗り込み準備を整えていたルシルがアイラへ告げる。
『少尉、誇りなさい。あなたが身命を賭し稼いだ時間が、王国に朝日をもたらすのだから』
そして純白の騎士が、光を放つ。
ルシル専用騎である雷雪は、通常の魔鎧騎が持つ蒸気機関とは別に、もう一つの駆動系を持つ。
それは科学技術の先端である、電気駆動。
有り余るルシルの魔力によって作られた蒸気は蒸気機関を動かすと同時に発電用のタービンを回す。
発電機で生み出された電気によって動く魔鎧騎は、通常の何倍もの運動性能を発揮する。
同時に、対ネフィリム戦の決め手となり得る大技を発動可能に至らしめるのだ。
『ルート大尉、ロザリ中尉。敵の動きを止めなさい』
『はっ――
『ッ!』
傍付き隊がネフィリムからの距離を取り、ルートとロザリがこれで最後とばかりに懇親の一撃を叩き込む。
そうして動きを止めたネフィリムへ、雷雪は両の腕を真っ直ぐに伸ばす。
『――
弾き出されたのは金属錬成魔法によって生み出された拳大の砲弾。
弾き出したのは雷雪によって発電された電気を操作することで制御された電磁気力。
青白い稲妻を伴い空を駆けたそれはネフィリムの堅固な外殻を砕き飛ばし、強靭な筋肉を爆ぜ飛ばし、命の灯火を吹き飛ばす。
後には何も残らない。
訪れるは静寂。
戦うべき敵がいなくなった空で、アイラは思う。
「やっぱり、かっこよすぎですよ、団長……」
それだけ呟いて、アイラは意識を失った。
何故だか心地よい浮遊感に満たされながら、深い眠りについたのだった。