魔鎧騎の飛行機動は騎士による飛行魔法に依存しているため、騎体が抱える駆動系の不調には基本的に無縁である。
例えば、火や水の属性魔法に適性を持たず騎士の素養が無い魔女であっても、飛行魔法の適性さえ充分であれば魔鎧騎と共に空を飛ぶことくらいはできる。
しかし今のリベレータは途中で騎体の姿勢を損なったり、失速や加速を繰り返す不安定な飛行を見せていた。
これは琴音が懸念していたリベレータの騎体消耗による性能の低下が原因、ではない。
原因は、アイラ自身の疲労によるものだ。
昼間にも単独でネフィリムとの戦闘を敢行したばかりで、消耗した魔力は回復しきっていない。
他の魔法に比べて飛行魔法は彼女の苦手とするところという事情もあり、駐屯地を飛び立った後も彼女の飛行は中々安定しない。
とはいえ急を要するこの状況では全速力が最優先。
額に滲む嫌な汗を拭い気合いを入れ直し、同時に駐屯地での最後のやり取りを思い出す。
上官である彼女に対して、完全な命令無視。
着任早々の大きすぎるやらかしだ。
昼間の会話も相まって、最早彼女からの印象は最悪だろう。この後の死線から運良く生還することができたとしても、もう白鳩騎士団には自分の居場所は無いかもしれない。挽回できる気がしない。
冷静に考え始めると自分の決意が曇ってしまいそうだったので、アイラは意図的にそれ以上考えないようにする。
考えようによっては、戻る場所を失ったが為に前進へ集中できるとも言えるかもしれない……。
取り敢えずこの悲劇的な事態の原因となったネフィリムには相応の報いを受けさせてやらねばならないと、自暴自棄気味に戦意だけは旺盛だった。
そんな、襲撃地点急行の道中。
アイラは後方から伝信魔法による思念接続を感知した。
駐屯地のロザリによるものかとも思ったが――違う。
この魔力は彼女ではなく、ルシルのものだと、アイラは即座に理解する。
『――追いついたわよ、少尉……』
そして、低く押し殺された不穏な声色が頭の中へと直接響く。
「し、シルバ団長っ!?」
アイラは反射的に後方を確認し、そして息を呑む。
そこには生身のまま鬼のような形相を浮かべて途轍もない速度で接近してくるルシルの姿があった。
「ひっ、ひィッ!?」
思わず漏れる悲鳴。
ネフィリム戦でも感じたことが無いほどの恐怖を掻き立てられる。
『――こぉの、大馬鹿者がァーッ!』
直後、冷静沈着な英雄のものとは思えないほどの怒号と共に、アイラのリベレータへ物理的な衝撃が走る。
「きゃ、きゃああああああああああああっ!?」
騎体制御に支障が出るほどの衝撃。急激な重力により目が回る。
猛烈な速度で飛来したルシルにそのまま騎体をぶん殴られたのだと理解したのは、魔力の全力投入でどうにかこうにか体勢を立て直せたその後だった。
いや、理解はできない。
魔鎧騎を生身で殴るか普通??
「だ、団長!? え、えっと、その、なんと言いますか……。お、お手はご無事ですか?」
『…………』
まさかこんなにも早く果たされることになるとは思っていなかったルシルとの再会にアイラはしどろもどろ弁明する。
彼女の目的は疑いようもなく、抗命の咎による団員の処断だろう。
このままではネフィリムにではなく彼女に殺される。
アイラははっきりとそう思った。
「も、申し訳ありません! 命令違反の件は改めて何なりと処罰を受けますので、どうかここはどうか見逃していただけないかと……。せめてネフィリムとの戦いの中で騎士の本懐を遂げさせていただけないかと、最後の嘆願を申し上げる次第であります……」
『…………。……はあ』
伝信魔法越しでもはっきりとわかるため息。
次の瞬間にもこの世との別れを告げさせられそうだ。
アイラは背筋を震え上がらせる。
しかし次いで向けられた声色は、普段と同じような落ち着いたものへ戻っていた。
『……あなた、格納庫を出る前に、自らの騎士道に殉じると言っていたわね』
「は、はいでありますっ、ルシル・シルバ白鳩騎士団団長殿っ」
狭い魔鎧騎の中で最敬礼し、必死に返答するアイラ。
『……では聞くけれど、あなたの騎士道とは、なに?』
「――主君に対して、いつ何時も胸を張れる自分であることであります!」
『そう……。その女王陛下への忠誠だけは、立派なものね』
「いいえ、団長殿っ! 確かに王冠への忠誠を誓った我が身ではありますが、私が主と定めるのは、団長殿ただお一人です! 団長殿の下で、団長殿の矛となり盾となり挺身することこそが! 母なる国を救う道へ繋がるものであると、小官は確信しておりますっ!」
『……はあ。まあいいわ。私に尽くすとか命を捧げるとか軽はずみに言うくせに、自分を決して曲げないのだものね、あなた』
「そ、それこそが信念というものであると愚考します! 加えて申し上げれば、決して軽はずみではありません!」
必死に抗弁しながらアイラは思う。
状況は切迫しお互いの立場には決定的な溝がある。
にも関わらず今この瞬間、彼女は初めてルシルとまともに会話をしているという風に感じた。
『――もういいわ。ならば精々、胸を張り続けられるよう努力しなさい。あなたなりの自分らしさというやつで』
「……え、えっと、それでは……」
『先程の抗命については、上には黙っておいてあげます。ただし、一度だけよ。正しい胸の張り方を少しは考えなさい』
「ゆ、許して頂けるんですか? 本当に!?」
『許したわけではないわよ、しっかりと反省しなさい。そしてそれをこれからの行動で示しなさいと、言っているの』
「はい! 不肖このアイラ、必ずや団長のお役に立ってみせます!」
『……あと、騎士団としての処分は追って考えるから、覚悟しておきなさい』
最低でも営倉入り、最悪銃殺も覚悟していた彼女にとってそれは異常なほど寛大な処置。
やはり団長は自分が思っていた通りの人だと、自然と笑みが溢れてくる。
打って変わってとても晴れやかな気持ちだ。
リベレータを飛び出して力いっぱい抱きつきたい。
『……なんだか気持ちの悪い思念が伝わってくるわよ。いいから早く行きましょう。わざわざ駐屯地を飛び出したのに、間に合わなくなっても知らないわよ』
「は、はい! ……って、まさか団長殿も向かわれるおつもりですか!?」
『当然でしょう、何の為に来たと思っているの』
何の為かと聞かれれば、自分を処断するためだと思っていた。寝耳に水な話だ。
「いや、しかし、団長の雷雪は……」
『条件は傍付きと同じ。魔鎧騎が無い程度で戦えなくなるようでは、騎士として二流よ』
確かに優秀な騎士は魔鎧騎に頼らずとも魔法戦闘でその力を発揮できる。
傍付き達も、魔鎧騎が扱えない代わりに各々が得意な魔法でネフィリム相手に立ち回っている。
しかし、元々なぜ魔鎧騎が開発されたのかと言えば、生身の魔女が戦闘を行うにはネフィリムの力が強大過ぎたからだ。
魔女の生存性と戦闘力の向上。
その役割を果たす魔鎧騎が無い状態でルシルを戦地に立たせるというのは、アイラには到底受け入れがたい話だった。
『――あのねぇ。あなただって似たようなものなのよ? 意地なのかなんなのか知らないけれど、こんな型落ち騎に乗って……。よもや、自分はこれだけ勝手しておきながら、私に反対するわけじゃあないでしょうね』
だが、他でもないルシル本人から剣呑な視線と共にそんなことを言われてしまえば、受け入れる他無い。
自分が他の何に代えてもお守りしなければと、彼女は改めて本気で思った。
『……あと、援軍は私だけではないみたいよ』
不意にルシルがそう言って、それに応えるように、声が聞こえてくる。
『おぉーい、団長ぉー! 待ってくださぁーいっ!』
真っ直ぐ、これまた猛烈な速度で接近してくる一人の魔女。
『はあ、はあ、団長、速すぎっすよぉ。飛行魔法にだけは自信あるのに、喪失っす……。おっとアイラちん、よかった、まだ生きてるっすね!』
「ノエミ先任少尉! あなたも来てくれたんですか?」
『まあ傍付きは魔鎧騎の状態とか関係無いっすからね。騎士様が一人でも戦場を飛ぶなら、お供しないと……。それに私だけじゃないっす。他の子達もその内追いついてくるっすよ』
息を整えながらそう言ってライフルを担ぎ直すノエミ。
『あぁ団長これ、団長の分です』
『……要らないわよ、邪魔だし。いつもそうしてるでしょ』
『まあまあ、そう言わずに。今日は雷雪無しなんすから……。にしても最悪、姫さまの魔法で見るも無惨な姿と果てたブラックロードに対面することも覚悟してたんすけど杞憂でしたね』
『そんなことしないわよ……』
渋々と肩にライフルを担ぎながら、胡乱な眼差しをノエミへ向けるルシル。
実際に差し迫った死の恐怖を感じさせられたアイラとしては、何も言うことができなかった。
『いやだって、アイラちん追いかけた時の様子なんて尋常じゃなかったですし……。ああ、一発殴って気は済んだって感じっすか?』
『私はそんな単純じゃないわ』
『どうっすかねぇ……。実際、アイラちん追っかけるために自分も一人で飛び出してるわけですし。顔真っ赤にして。……おあいこでは?』
『……貴官は、自身の処遇が、私が上官侮辱罪を適用する気に、あとほんの少しなるだけで即座に決定するということを、よく理解するべきね』
これ以上は本気で処罰されると悟ったのか、ノエミは口を閉ざして目を逸らす。
ルシルはそんな彼女を放って、ネフィリムの襲撃方向へ向き直りながらぽつりと言う。
『……私はただ、部下を一人きりで死なせるのが嫌いなだけよ』
「――団長も死なせません! 私がお守りいたします!」
ルシルの呟きを聞き逃さず、声を上げるアイラ。
するとルシルはリベレータをチラリと見やり、それから有無を言わさぬ言葉。
『……本当に私のことが大事なら、約束しなさい。まず、あなた自身が死なないことを。生きて帰ってくることを』
丁度その時、雲の切れ間から降り注いだ銀色の月光が彼女を包む。
透き通るような金色の瞳は有無を言わさぬ力を秘め、それでいて、どこか悲しげな光を灯していた。
まるで幻想的な絵画だと、アイラは思う。
まったく意識していない吐息が自然と溢れる。
――ああ、そうか。
そのときアイラは理解した。
白亜の英雄と呼ばれる彼女が何を考え戦っているのかを。
何を抱えて飛んでいるのかを。
全てではないにしても、その一端を。
「――はい、お約束します。偉大なる王冠に誓って」
白い光に照らされた黒騎士は、静かなる空の上で恭しく頭を垂れた。
まるで、神に祈りを捧げるかの如く。