拝啓 残暑も和らぐころとなりましたが、いかがお過ごしですか。
以前頂いたお手紙に記されていました小森様のお考えの通り、ぼくと篠原はスケープゴートで会う以前に面識がございました。
順を追って記させて頂きます。
ぼくには無実の罪で約三年間、少年院へ入所させられた過去がございます。
当時、中学二年生だったぼくは、学校で同級生達からいじめを受けておりました。その日も人気のない校舎裏にぼくは呼び出されました。そこでリーダー格の同級生が「昨日届いたコイツの切れ味を試したいから協力しろ」と、ナイフを取り出して、ぼくに振り上げてきました。今までは甘んじて彼等に殴られ続けてきたぼくも、この時ばかりはさすがに命の危険を感じたため、刺されまいと懸命に抵抗し、揉み合いになりました。そして手元から滑ったナイフの刃先が同級生の首かすったと思いきや、そこからおびただしい量の血が噴き出しました。
法律の知識もない上、人を死なせてしまったという負い目からぼくは、取り調べにおいて警察の、「大人しく自分が殺意を持って同級生を殺したと認めれば、罪が軽くなって社会復帰が早くなるぞ」という言葉に折れ、「あいつ(ぼく)がいきなりナイフを取り出して友達の首を切りつけた」とする周囲にいた他の同級生達や、「加害生徒は普段の生活態度に問題が多かった」とする、当時のぼくの担任教師であった篠原の、嘘の証言を元にして作られた調書に、印を押してしまいました。それから後の弁護士の先生との面談によって、それが悪質な誘導であったことを知ったぼくは、審理では自供を覆し無実を訴えましたが、時すでに遅く、乱心の状態で印を押してしまった調書が最たる証拠として扱われ、結局ぼくは少年院へ送られることとなりました。
篠原佳子は子どもの視点から見ても、熱意も責任感も欠落した教師でした。授業中に生徒が居眠りや雑談をしていても構わず授業を続け、顧問をしているはずの部活にも顔を出さず、終いには悪天候……単なる雨天であっても学校を休みました。自分で言うのもなんですが、ぼくは家庭環境こそ問題はありましたが、学校生活での態度は品行方正そのものだった自負しております。少年院でも出院直前は髪を伸ばすことも認められたくらいです。ぼくの生活態度に問題があったという証言は明らかなでたらめで、そもそもろくに生徒と向き合おうともしなかったあの女が生徒達の言動を把握できていたとは思えません。スケープゴートでの事件があったあの晩、偶然再会した篠原に素知らぬ顔をされた時には、本気で縊り殺してやりたい衝動に駆られました。
中田を殺してしまった卯月をぼくが庇ったのは身内可愛さもありましたが、大きくはこの過去のできごとが根底にあったからです。……正当防衛を主張した所で、かつての自分と同様、無実の罪で投獄されることになるかもしれない。そう考えるといても立ってもいられませんでした。
ですが、ぼくの行った隠蔽工作は卯月を追いつめ、結果彼女を死へと誘いました。ぼくは卯月と幼少のころから親しく、彼女のご両親もぼくを本当の息子のように可愛がって下さいました。ぼくが審判で有罪判決を受けてもなおぼくの無実を信じ、出所後はペンションの仕事を紹介して下さったり、元の名前では何かと不自由するだろうと養子縁組をして下さったりと、かけがえのない恩人達でした。そんな恩人達の想いをぼくは踏みにじりました。出院後は遠くの地に消えるか、自ら命を絶つべきだったのです。
……無駄な私事が多くなりましたが最後に貴方様の妹様、真理花様のことについて書かせて下さい。弁護士の先生曰く、ぼくは殺人の罪に問われることはないと仰っております。しかし中学校での事件とは異なり、ぼくは明確な殺意を持って真理花様の頭に花瓶を振り下ろしました。あなたやあなたのご両親は気にしなくても良いと仰いますが、ぼくは自分が真理花様を死に至らしめた、殺したと思っております。一生お詫びを続けさせて下さい。これがただの身勝手なエゴであると理解しております。ですが、過去にいわれのない罪を被せられ、卯月まで亡くしたぼくは、もはや謝罪し続けることでしか人としての理性を保てなくなりました。
重ね重ね、誠に申し訳ございませんでした。
敬具
岳飛
小森真介様