目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

【第四章 捜査と推理】3

 食堂の前に着くと、ちょうど盆を持った岳飛さんと卯月さんが出てくる所だった。二人が手に持つ盆の上には、耳を切られていない食パンが使われたサンドイッチが載せられており、岳飛さんが持っている盆にはさらに缶ビールが載っていた。


「お部屋の方で食事をされる篠原先生と猿渡さんに、お食事を持っていかれる所ですか」


「そうだよ。まったく、真昼間から酒って……どんな会社を経営してるかは知らねえが、絶対ろくな経営者じゃねえぞあいつ」


「……お客様の前でそんなこと言わないの」


 毒づく岳飛さんを小声で卯月さんが窘める……これがこのペンションの日常風景なのかもしれない。そんな二人の様子を見て牛尼先生は微笑する。


「別にいいじゃない、きっと事実だろうし。それより卯月さん、あなたが持っているそれは私が佳子に届けてあげるから、あなたはこの子達の相手をしてくれないかしら」


 牛尼先生は有無を言わさず、卯月さんの手から盆を取り上げると、ぼく達に向かってウインクした。彼女の意図を察した真理花が卯月さんに言った。


「そうなんです。わたし達、卯月さんとお話がしたいんですよ」


「お前、仕事の方はどうするんだよ。客に飯持って行かせるつもりか」


 戸惑う卯月さんに対して岳飛さんが口を挟んだが、牛尼先生が反論する。


「客である私が良いって言ってるんだから構わないでしょ。それにお客の話相手をするのも立派な仕事だと思うけど、あなたはそうは思わない?」


「……かしこまりました。牛尼様、よろしくお願いします」


 ぎこちない笑顔を浮かべながら、卯月さんは牛尼先生に丁寧にお辞儀をした。岳飛さんはまだ何か言いたそうだったが、これ以上口を開けることはなかった。


「それじゃ……あっ、食事は私抜きで先に始めてくれて結構だから」


 牛尼先生と岳飛さんが行ってしまうと、ぼくと真理花、卯月さんは三人で食堂に入った。食堂に入ると柳沢オーナーが出迎えてくれた。


「小森様、弓嶋様、軽い物しかお作りしていませんが、どうぞお召し上がり下さい」


「謙遜なさらないで下さい。先ほど卯月さん達がお盆に載せていたのを拝見しましたが、美味しそうなサンドイッチだったではありませんか。それよりも、お食事をご一緒にいかがですか。オーナーさんともお話がしたいので」


「かしこまりました。それではお飲み物をお持ち致しましょう。何がよろしいですか。卯月ちゃんも、何がいい?」


 人数分の紅茶の注文を受けたオーナーが厨房に引くと、ぼくは何気に食堂を見渡してみた。当たり前だがぼく達以外、誰もいない。昨日の夕食の賑やかさが嘘のようだ。


「中田さんと猿渡さんがチェックインした際に、彼等の対応したのは卯月さんですよね?」


 席に座るとすぐに真理花は卯月さんに話を切り出した。卯月さんの顔に明かな驚きと狼狽の色が浮かぶ。


「簡単なことです。昨晩のあの時間帯、オーナーと岳飛さんは厨房やこの食堂にいた上に、卯月さんは中田さん達と一緒に食堂に入ってきたじゃないですか。その際に彼等の内、どちらかから何か頼まれたことや、気になったことはありませんか?」


 卯月さんは軽く俯いて考え込む様子を見せていたが、しばらくして「気になることといえば」と顔を上げた。


「猿渡善人様。あの方は中田様がチェックインなさったすぐ後に、このペンションにお越しになられ、チェックインなさったのですが、あの方は予約を入れたお客様ではないんですよね」


「それのどこが気になるのですか」


「このペンションはこの通り、町から離れた山奥にあります。町中にあるビジネスホテル等とは違い、飛び込みのお客様は望めないのです」


「……なるほど。急に宿が必要になったとしても、ここまでやってくる人はいないと」


「はい。……あんな飛び込みのお客様なんて初めてでしたから驚きました。幸いお部屋が一つ余っていて、料理も多く作っておりましたから、何とかお泊めすることができたのですが。雰囲気からしてスキーや登山、料理を楽しみにこられた感じでもありませんし……一体何をしにこられたのでしょう、猿渡様は」


「お待たせいたしました。さあどうぞ、お召し上がり下さい」


 オーナーが厨房から出てくると、ぼく達の中心に人数分のサンドイッチと紅茶を載せた盆を置いた。さすがにもう、全員集合してから食べるという方針をとるつもりはないらしい。ぼくは「いただきます」とオーナーに会釈をし、サンドイッチを一つ手に取りかじった。耳のせいで多少歯ごたえはあったが、挟まれた具のチキンとデミグラスソースの旨味、香ばしさが口から餓えた身体中に伝わる。自然と笑みがこぼれた。


「……魁くん」


 いきなり真理花がぼくの左の二の腕を掴んできた。見ると彼女の顔は紫に変色し、大量の汗で濡れていた。息も荒い。


 突然の真理花の変化にぼく達は驚いた。


「一体どうしたんだい真理花」


「ああ、疲れた。ようやくあの子を引きはがせた」


 牛尼先生と岳飛さんが食堂に入ってきたちょうどその時、ぼくの二の腕を掴む力が緩み、真理花は椅子から崩れ落ちた。彼女に配られた紅茶の入った白いカップも、ともにテーブルから床へ滑り落ち、辺りに紅茶と破片を散らばらせる。


「真理花!」


 ぼくはすぐに床に倒れた真理花を抱き起こした。意識を手放しゆく真理花の震える唇から、蚊の飛ぶような小さな声であったが、ぼくは何とかその言葉だけを聞き取ることができた。


「……話があるの……」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?