やはり談話室には牛尼先生がいて、彼女はテレビを観ていた。テレビ画面には日本の関東地方の地図が映し出されており、その地図を全面的に数多の雪だるまが占めていた。
「天気予報ですか。やはり今日一日は吹雪くみたいですね」
「せめて外部との連絡が取れるといいんだけど。……それであなた達、何か私に聞きたいことがあって、またここにきたんじゃないの」
牛尼小夜子先生。同い年で同じ教師の篠原先生と比較してもやはり異なる。常人とは一線を画した知性を感じる。まるで別の次元に住む崇高な存在のようだ。
「そうなんですよ。先生に少し、お伺いしたいことが……」
話していた真理花が突如言葉を切った。その眼はテレビ画面を注視していた。天気予報が終わり、無機質な声の女性アナウンサーがニュースを読み上げていた。
『……昨夜午後六時三十分ごろ、Kスキー場から「女性が倒れている」と119番通報がありました。救急隊等が駆け付けた所、長野県内在住の女子大生、鶴岡杏香さん(21)が死亡しているのが発見されました。鶴岡さんは首を絞められ殺害されたと見られ、警察は殺人事件として捜査をしています……』
「嘘でしょ……Kスキー場って、わたし達が昨日滑った場所だ」
殺害されたという女子大生の顔写真がテレビに映し出された。黒髪で化粧っ気のない、素朴な顔立ちをした女性だ。制服を着ていたため、おそらくは高校時代の写真であろう。
――ぼくはこの写真の女性に既視感を覚えた。もしかすると、あのスキー場ですれ違ったかもしれない。
ともあれ、このペンションだけでなく、昨日楽しい時間を過ごした場所でも人が死んだ。それも殺された……ぼくは憂鬱な気分になった。
「ぼく、この国は治安が良くて平和な国だってイメージを持っていたけど、こんな殺人事件が立て続けに起こることもあるんだね。ショックだよ」
そう言うぼくに対して真理花は何か言いたげな表情をしていたが、結局黙ったままだった。代わりに牛尼先生が答える。
「そうでもないわよ。確かに日本は世界全体で見ると治安は良い方だけど、稀に衝撃的な事件が起こることがあるわ。そうね、例えば……」
牛尼先生は一瞬、談話室の扉に眼を向けた後、チョロリと舌を出して唇を湿らせて語りだした。
「今から三年ほど前になるかしら。ある中学校で生徒同士の殺人事件が起こったの」
真理花が反応する。
「覚えています、その事件。確か犯人は当時十四歳の男の子でしたよね」
「そう。魁くんは詳細を知らないだろうから説明するけど、三年前のある日のこと、十四歳の少年が学校で同級生の首をナイフで切りつけて殺したの」
それを聞いて首筋が疼き、無意識にぼくは手でそこを押さえていた。
「どうしてその少年はそんなことをしたのですか。その後どうなったのです」
「動機に関して本当ことは分からない。とにかく少年は捕まり、家庭裁判所で審判が行われた。少年は警察からの取り調べの時点では自分の罪を認めてはいたものの、なぜか審判では一転して無罪を主張し出したの。でも、周囲の同級生や担任教師の証言から作成された調書が決め手となり、彼は少年院へと送られることになったわ」
「当時の世論も荒れていましたよね。……本当に、その少年は殺人を犯したのかって」
「もっとも、これはもう三年も前の話。もう出院して世間に紛れているでしょうね」
「えっ、もう外に出ているかもしれないんですか? 人を殺したのにたったの三年で」
「『少年法』のせいよ」
その単語を口にした瞬間、牛尼先生はその美しい顔を曇らせる。
「主に犯罪をした二十歳未満の少年少女に対して適用される法律なんだけど、犯した罪に対して異様に軽い罰しか適用されないのよ。彼等の健全な育成だの矯正だの言って、被害者やその遺族の感情を完全に無視してね」
「法律にお詳しいのですね。アメリカでは州によっては子どもであっても、自分のしたことに対して責任を取らされ、場合によっては終身刑や死刑もありえるのですが……」
「そう、本来はそうであるべきなのよ。子どもだからって、それを免罪符にしては決してはならないわ」
牛尼先生の重く、どこか覇気のあるその言葉に、その身が引き締まる思いだった。それは真理花も同様らしく、彼女は憂いだ長い溜息を吐く。
「……さて、話が色々とそれちゃったけど戻しましょうか。私に聞きたいことって?」
先生に言われ、ぼく達はハッとして居直した。そうだ、ぼく達は今現在ここで起きている事件について話を聞きにきたのだった。三年前の少年事件の話を聞きにきたのではない。
「昨日、ぼく達は九時に皆さんと別れて二階へ上がりました。あの後、何時ごろに皆さんは二階へ上がられたのですか?」
「あら! あなた達、中田さんが殺された事件を捜査しているのね」
牛尼先生は手を口に当てて驚く素振りを見せたが、あまりにも芝居掛かって、わざとらしいリアクションだった。
「まあいいわ。あの晩、あなた達が二階へ上った約一時間後にわたし達も解散して二階へ上がったわ」
「その際に何か気が付いたことや、変わったことはありますか?」
ぼくが尋ねると、先生は即答した。
「特にないわね。何かあったらちゃんと覚えてるから」
「十時ごろに解散したとなれば、それから翌日八時の遺体発見までの十時間の間に犯行があった……と言うことは、一緒の部屋に泊っていたわたし達と牛尼先生達のペアはアリバイがあるから犯人から外してもいいでしょうね」
「分からないわよ? どちらかが寝ている間に抜け出して殺しに行ったのかもしれないし、そもそも共犯なのかも」
牛尼先生がクスクスと笑う。それに真理花が答えた。
「確かにその可能性も考えられますが、それは、今はあえて考えないでおきます。初めからそうやって考えていくと、挙句の果てには、自分以外の全員が共犯なんじゃないかと疑心暗鬼に陥ることになるでしょうから」
「なるほど、まずは単独犯の線で考えるのね」
ぼくは真理花に提案した。
「真理花、今得ている情報から少し考察……推理してみない? せっかく現場まで見たんだしさ」
「あなた達、現場も見てきたんだ。なかなか度胸があるのね」
「先生は見に行かなくてもよろしいのですか?」
「嫌よ。仕事ならまだしも、死体なんてただ気持ち悪いだけじゃないの」
「そうですか……。なら魁くん、考えをまとめてみましょう。とりあえず、犯人の行動の順を追ってみるのはどうかな」
「いいかもね、始めようか」
これも不謹慎な話ではあるが、一人で小説を前にトリックや犯人をあれやこれやと考えるよりも、こうして真理花と二人、実際の事件について語り合う方が楽しかった。
ぼく達は空いたソファに並んで座った。
「まず最初に猿渡さんの、外部からきた人がペンション内に侵入したんじゃないかという説だけど、この悪天候でそれはないだろうと、牛尼先生は仰っていたよね」
「そう、だから犯人は内部……ぼく達の中にいる可能性が高いと考えた」
「次にどうやって犯人は部屋へ侵入したのかだね。犯人が内部にいる人達だとしたら、ピッキングか何かで無理矢理こじ開けたんじゃなくて、やっぱり犯人は正規の鍵を使ったのだと思う。岳飛さんの話だと管理人室にスペアキーがあって、オーナーがマスターキーを所持しているそうだから」
「そうだろうね。中田さんに渡されたと思われる二号室の鍵は机の上にあったから、そのいずれかを持ち出して使用したに違いない。さて、次は二号室に浸入した後の話になるけど……」
「ちょっと待って。わたし、一つ気になる所があるんだ」
「何だい、それは」
「そもそもの話、どうして犯人は二階の中田さんの二号室に侵入したんだろう? 一階のオーナーさん達の部屋でも、牛尼先生達の一号室でも、わたし達の三号室でも、猿渡さんの四号室でもなくて」
盲点だった。確かに、どうして二号室なのだろうか。とりあえずぼくは瞬時に脳裏に浮かんだ考えを述べた。
「ベッドの上に、中田さんの荷物を物色した形跡があった。当初は眠っている隙を狙った人を傷つけない物取りが当初の目的だったとすると、一階には従業員達、一号室には牛尼先生と篠原先生、三号室にはぼくときみ。人が二人以上いて気付かれる可能性が高いし、四号室には強そうな元警察官の猿渡さんがいた。だから一人で泊っていて線の細い、そして、いざとなったら殺してしまいやすそうな中田さんが狙われたんじゃないかな? それに彼、代議士のご子息だと名乗っていたから、お金を沢山持ってると思われたのかもしれない」
「動機がそうだとすると、ますます犯人は内部犯の可能性が高くなるね。ペンションにいる人達の特徴と、泊っている部屋を把握していたんだから」
そして、話はいよいよ客室内に入った。
「スペアキーを使って二号室に侵入した犯人は中田さんの荷物を物色。しかし、その時の音か何かで、眠っていた中田さんが眼を覚ましてしまう。中田さんに騒がれたため、犯人はとっさに机の上の花瓶で彼を撲殺。その後、窓を開けて外に犯人が逃げ出したように見せる偽装工作した後、廊下側から部屋の鍵を掛ける……。こんな所でどうかな」
こうして犯人の行動を追ってみたは良いものの、問題はやはり犯人の正体である。いくら行動が分かった所で、最終的にそれが分からなければ意味がない。
ぼく自身と真理花、同室に泊まっている先生達は互いのアリバイを立証できるため犯人から除いて良いだろう。そうすると、一人で泊まっている猿渡さんと、ペンション従業員の柳沢オーナー、岳飛さん、卯月さんの四人の誰かが犯人ということになるが、何とかして特定する方法はないだろうか。
あれやこれやと考えている内に、真理花がぼくに問い掛けた。
「魁くん、あなたバスルームを調べてたよね。そこが使用された痕跡はあった?」
真理花の質問の意図がよく分からなかったが、取りあえず見たままに答えた。
「そんな痕跡はなかったな。中田さん、昨晩はシャワーにもお風呂にも入っていなかったのかもしれない。亡くなっていた時の服装も、昨日最後に見た時と何も変わっていなかったようだから」
その時、今まで黙っていた牛尼先生が口を開いた。
「話もキリがいい所みたいだし、もうすぐお昼だからそろそろ食堂へ行かない? 正直、あまりお腹すいてないけど」
時計を見ると、確かに時刻はもうすぐ昼の十二時になろうとしていた。言われてみれば、朝の騒動のショックで朝食をほとんど食べられていないぼくは猛烈な空腹を感じていた。
「そうですね。真理花、少し休憩しよう。あまり根詰めて事件のことばかり考えるのも良くないだろうから」
「……そうね、リフレッシュしましょ」
気が付けば、真理花の顔は赤く、額には汗が浮かんでいた。……それをぼくは単に暖房が効きすぎて暑がっているせいだろうと自己完結してしまった。