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【第四章 捜査と推理】1

「どうせ事件の捜査をするなら、怪しい人を尾行したり、悪者の隠れ家に潜入したりしたかったな。小林くんとその仲間達みたいに」


 乱歩の小説の登場人物を引用しながら、真理花は残念そうに呟く。


 手袋をはめて(警察がきた時のために現場を荒らしてはいけないという意思は一応あった)、ぼくと真理花は事件現場の二号室の前に立った。


 真理花がドアノブを回すも、扉は開かなかった。


「やっぱり鍵が掛かってる……か」


「おい、お前達そこで何をしている」


 突然大声を掛けられて、ビクリとぼく達はその方を向いた。廊下の先にある物置から出てきた所でぼく達を見つけたのだろう。


「岳飛さん……」


「人が死んだ部屋に忍び込んで何をするつもりだ」


「事件の捜査をするんです」


 答えに窮していたぼくの代わりに、真理花が答える。


「猿渡さんがおっしゃっていた推理には信憑性がありませんので、代わりにわたし達が捜査をして犯人を突き止めるんです」


 真理花がそう言うと、ぼくの胸中に別の不安が過った。ぼく達が今いる二号室の前は、その信憑性のない推理をした猿渡さんがいる四号室の前でもあるのだ。二つの客室はちょうど、対面に位置しているのである。


「真理花、そんなこと言って猿渡さんに聞こえたりしてないかな」


 声を潜めて真理花をたしなめるぼくを、岳飛さんは笑った。


「心配いらねえよ。ここの客室は全て防音がされているから、奴の耳には手前の出す生活音以外何も聞こえちゃいないさ。それで、この部屋を調べたいんだな?」


 岳飛さんの声の調子からして、ぼく達がやろうとする行為を咎めるつもりは微塵もないらしい。二つの意味で安心したぼくは彼に頼んだ。


「そうなんです。ぼく達は泥棒ではなく他に……ぼく達の中に犯人がいると睨んでいます。今朝、岳飛さんもおっしゃっていたじゃないですか、この天気の中じゃ外に出るのは無理そうだと」


 岳飛さんは片手で自身の輪郭を包むように口元を覆った。


「そういえばそんなことも言ったな……。分かった分かった、今から鍵を持ってきてやるから待ってろ」


 岳飛さんは背を向けて階段を降りていった。ぼくは安堵した。


「怒られるかと思ったけど、案外あっさり協力を得られたね」


「そうね……」


 これから殺人事件の捜査を始める緊張のせいか、真理花の顔は険しかった。


 しばらく待っていると、岳飛さんが階段を上って戻ってきた。


「ほらよ、これでいいだろ?」


 岳飛さんが真理花に鍵を手渡した。


「鍵は使用していない時、どちらにあるのですか。また、スペアキー等はありますか」


「使っていない鍵やスペアは管理人室の箱の中にある。別に監視がついている訳じゃないから場所さえ知っていれば誰でも盗って使うことができる。マスターキーもあるが、それは一本しかなくてオーナーが常に身に付けているよ。ほら、捜査するならさっさとしろ。オーナーに正当な理由なく鍵を持ち出してるのがバレたらおれが面倒なことになるんだからさ」


「分かりました。さあ魁くん、始めよう」


「そうだね。岳飛さんもどうです。一緒に現場を見ませんか」


「馬鹿か、死体なんざ見たくねえよ。外で待ってる」


 鍵が開錠され、扉が開けられる。部屋から漏れ出る冷気のせいか、それとも緊張のせいか、足から背筋にかけて冷えていくのを感じた。


 真理花とともに二号室に入り、扉を閉める。


 二号室の中は調度品など、ほとんどぼく達の三号室と同様だったが、それでもいくつか相違点はあり、その最たるものが、ベッドの陰から突き出た見覚えのあるズボンを履いた二本の足だった。


「捜査開始」


 真理花がそれに歩み寄るのを、ぼくは扉の近くから遠巻きに見ていた。


「うっ……」


 真理花が両手で口と胸を押さえてよろめく。さすがに本物の遺体はショックが強かったようだ。駆け寄りたかったが、小心なぼくは一歩も踏み出すことができなかった。それでも、何とかぼくは声を絞りだした。


「大丈夫? ……無理しなくてもいいんだよ」


「うん大丈夫、平気……。中田さん、額を真正面から殴られたみたい。出血が物凄いや……。凶器はそれだろうね」


 真理花が指した先には、色は異なるものの、ぼく達の部屋にも置いてある花瓶が血を付けて床に転がっていた。中に入っていた造花は無残に床へ散乱している。


「可哀そう……結婚も決まったって言っていたのに」


 真理花はしゃがみ込むと、床に両手を付けた。床の上やベッドの下を調べるつもりなのだろう。捜査をすると決めた以上、ぼくも何かしなくてはと思い、部屋全体を見渡してみた。


 まずは窓。開いていたのをオーナーか猿渡さんが閉めたのか、ピッタリと閉じられてはいたが、その下にはそれなりに雪が積もっていた。開いている時に舞い込んだのだろう。


 次に机の上。小型テレビと固定電話の他に、充電器が差されたスマートフォンとこの二号室の鍵が置いてあった。先ほど岳飛さんから借りた鍵はスペアキーのようだ。


 その次にベッド。ぼく達の三号室と同様、綺麗にベッドメイキングがされたベッドが二台あり、その内の入口側にあるベッドの上は、鞄の他に服、車の鍵等、様々な小物が散乱していた。財布や特別高価そうな物は見当たらなかったが、もしかすると犯人が持ち去ったのかもしれない。これで猿渡さんは犯人が泥棒であると考えたのだろう。


 バスルームの扉が眼に入った。一応中を調べておこうと思い、扉を開けてバスルームに入ると、昨日ぼくがシャワーを浴びる前に見たのと同じような光景があった。シャワーカーテンを開けてバスタブを覗いてみたが、水滴等は無かった。


 バスルームは総じて使用された痕跡はなかった。


「魁くん、ちょっときて」


 真理花に呼ばれてバスルームを出ると、彼女が手招きをしていた。遺体を視界に入れないよう、真理花の元へ行く。


「どうしたの。何か見つけたのかい」


「これをベッドの下から見つけたの」


 真理花から差し出されたのは、何やら小さな白い物体だった。不規則なその形状からして、何かの破片のようだ。


「素材は何だろう? ……プラスチックかな」


「陶器の破片だと思う。ただ、色からして花瓶の物ではないね」


 転がっている花瓶の色は青色で、改めて見てみると、欠けた箇所は見当たらなかった。


「何だろう、この破片」


「おーい、まだ捜査は終わらないのか。早く鍵を戻しに行きたいんだが」


 扉をほんの少し開けて岳飛さんがぼく達に呼びかけてきた。


「真理花、そろそろ引き上げよう。現場の捜査はこのぐらいでいいだろう」


 真理花は顔を上げて岳飛さんに問い掛けた。


「岳飛さん、客室はお客さんが入る前にちゃんと掃除をしていますよね」


「ああ、俺と卯月で、隅から隅までな。……どこか不手際でもあったか?」


「いえ、ベッドの下にも埃一つありませんでした。魁くん、後で気付いたことがあったら教えてちょうだい」


 真理花が白い破片をベッドの下に戻すと、ぼく達は現場を後にした。


「捜査に協力して頂き、ありがとうございました」


 二号室の鍵を閉める岳飛さんに真理花は丁寧に頭を下げた。それに倣ってぼくも頭を下げる。


 岳飛さんは不敵な笑みを浮かべた。


「構わないさ。しかし良かったな」


「何がですか」


「もしおれが犯人だったら、二人とも死んでたぜ。これからは気安く「事件を捜査している」なんて言わないことだ」


 そう言って岳飛さんはぼく達に背を向けると、エプロンのポケットに鍵を入れて一階へ下りていった。


 確かに迂闊だった。捜査をするという選択を選んだ以上、眼の前にいる人を疑わなければならないのは必然だった。


 それができなければ最悪の場合、命を失うこととなる。


「……これからは安易に人に協力を求めない方がいいかもしれない。犯人がぼく達の中にいるのだとしたら、犯人が何をしてくるか分からない」


「でも、それだと真相に近づけないじゃない。それに、篠原先生のように疑心暗鬼に陥る方が危険だって。わたし達も一階に行こう。牛尼先生ならまだいるだろうから、昨晩わたし達が二階へ上がった後のことを教えて貰おうよ」


 真理花は、一切臆してはいなかった。勇んで一階へと向かう彼女の後をぼくは追った。

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