ぼくと真理花を含めた宿泊客五人と、柳沢オーナー達ペンション従業員三人の計八人。ペンションにいる生きた人間が全員、談話室に集まった。
「やはり中田は死んでいた」
中田さんの二号室を始め、柳沢オーナーと手分けしてペンション内を見て回った猿渡さんはぼく達に告げた。何とこの人、元警察官だという。確かに服の上からでも分かる彼の盛り上がった筋肉を見ればそれも頷けた。警察を辞めた現在は、東京で会社を経営しているらしい。
「それって本当? どうして」
元警察官が出てきて話に現実味を感じ出したのか、篠原先生は声と身体を震わせる。口数の少ない陰気な人かと思えば、食事が遅れたぐらいで大人げなくオーナーに怒鳴り散らし、そして今度は人が亡くなって顔を青くする……本当に感情の起伏が激しい人だ。
「ああ、頭を鈍器で割られていたよ。間違いなく殺しだな」
猿渡さんの言葉に卯月さんが小さく悲鳴を上げてよろめくも、それを横から岳飛さんが素早く支える。
「殺しって……それなら人殺しがいるってことじゃないの!」
「確かに中田は誰かに殺されていた。だが、その殺人犯はすでにこのペンションを去っていると俺は考えている」
ヒステリックに叫ぶ篠原先生を猿渡さんは片手を上げて制すと、彼は語り始めた。
「犯人は金銭目的でこのペンションを訪れた泥棒だ。深夜になって俺達が眠ったのを見計らい、ペンション内に侵入」
「先ほど私は一階を見て回ったのですが、裏口の鍵が壊され、開けられておりました」
柳沢オーナーが補足を入れる。
「そして犯人は二階へ行き、中田が泊っている二号室の扉もこじ開けて侵入。金目の物を求めて中田の荷物を物色するも、その最中に眠っていた奴が起きて騒ぎ出したため、咄嗟に犯人は奴を殺害。そして他の人間が騒ぎを聞きつけてやってくる前に、犯人は時間稼ぎのため部屋の鍵を掛け、窓を開けて、そこから脱出して逃走……。まあ、こんな流れだろう」
「だとすると、もしかしたらあれは……」
「どうした? 何かあるのか」
ポツリと篠原先生が呟いたのを、猿渡さんは聞き逃さなかった。
その場にいた全員の視線が自身に集中する。彼女は「その時は、気にも留めなかったんだけど……」と前置きした上で話し始めた。
「昨晩、場が解散して自室に戻ってからわたし、トイレへ行きたくなったの。自室のバスルームのトイレは小夜子がシャワーを浴びていて使うことができなかったから、従業員のお嬢さんに頼んで、一階の従業員の居住区にあるトイレを使わせて貰ったの。
そして、用を足してトイレから出た時、わたし見たの。廊下の先で、わたしの眼から逃れるかのように、誰かが慌てて部屋の中に飛び込む姿を」
誰も声を発さなかったが、動揺がぼく達に広がったのが分かった。中でも取り分け反応したのはペンションの従業員達で、柳沢オーナーと卯月さんは溜息を吐き、岳飛さんは小さく舌打ちした。自分達の私的な空間に、不審者が侵入したことが遺憾なのだろう。
「それで、そいつはどんな顔で恰好をしていたんだ。……いや、そもそも不審者を見かけたなら、どうして誰も呼ばなかったんだ」
猿渡さんが非難したが、篠原先生は強気に反論する。
「仕方ないじゃない。見たと言ってもほんの一瞬のことで顔もよく見えなかったし、従業員の誰かだと思ったから特に詮索もしないで放っておいたのよ。……とにかく、もうここには人殺しはいないようね」
篠原先生は安堵したようにぼく達を見渡す。
だがぼくは彼等の話を聞いても、どこか釈然としなかった。それは隣にいる真理花も同様らしく、手を唇に当てて考えごとをしている様子だった。
篠原先生の話が終わると、猿渡さんは後ろに控えている柳沢オーナーに尋ねた。
「ところでオーナー。この件、警察への通報はしたのか」
「恐縮ですが、外に繋がるこのペンション唯一の電話は昨日から故障しておりますので、警察を呼ぶ所か外部とも連絡を取れない状況です」
猿渡さんは舌打ちをする。
「そういや昨日、従業員のお嬢さんが言ってたな。電波も悪くてケータイも繋がらないんだとも。……ったく、どうしてこんな不便な場所にペンションなんざ建てたのか、理解に苦しむぜ」
「嘘よ。連絡が取れないなんてことはないはず」
鋭い声が飛んだ。また篠原先生だ。彼女は自身のスマートフォンの画面をオーナーに突きつける。
「このスポットは何なの。このペンション、本当はWi-Fi繋がってるでしょ。こんな事態になってるのに、どうしてまだ存在しないとか言うのよ!」
「どういうことだ。オーナー。説明しろ」
「それは、その……」
篠原先生と猿渡さんに詰められて柳沢オーナーは顔を硬直させて押し黙る。狼狽するその姿はまるで、探偵に名指しされ、犯行を暴かれそうになっている犯人のようだ。
そんなオーナーに助け船を出したのは岳飛さんだった。彼はオーナーと二人の間に割り込むかのように一歩踏み込んだ。
「Wi-Fi等はないと何度も言っているじゃないですか。それに、元警察官の猿渡様がもうここにはもう犯人はいないと仰るのですから、そう躍起になってすぐに手段を講じる必要はないでしょう。違いますか、篠原様」
やや皮肉めいた口調であったが彼のこの言葉により、篠原先生と猿渡さんはこれ以上オーナーを追及することはなかった。
「それなら、この中にポケットWi-Fi等の、外部と連絡を可能にする機器を持ってる奴はいないか?」
猿渡さんに問われるも、皆黙ったままだった。まさか現代の宿泊施設に、電話以外の通信手段が備わっていないとは考えもしなかったのだ。
「じゃあ吹雪が止んだら俺が麓まで行って警察を呼んでやるから、それまで自分の部屋に引きこもらせてもらう。お嬢さん」
突然、猿渡さんに呼ばれた卯月さんは身体を強張らせて反応する。
「俺、これからは部屋で食事を済ませるから、食事の時間になったら料理を部屋まで持ってきてくれ。ビールも付けてな。ああ、それと」
猿渡さんはぼく達全員を睨みつけるかのように見渡した。
「全員、くれぐれも変な気を起こすなよ。てめえの下らねえ英雄願望を満たすような……な」
そう言い残して猿渡さんは談話室を出て行った。柳沢オーナーを初めとする従業員三人もそれに続いた。
「……そんな訳ないじゃないの」
牛尼先生が呟いた。談話室に残ったぼく、真理花、篠原先生の視線が牛尼先生に集中する。
「一体どういう意味よ小夜子。あの元警官が語った話に穴があるとでも言うの?」
篠原先生の問いに牛尼先生は鼻を鳴らす。
「あなたも昨日の天気予報は聞いてたでしょ? 「今夜から明日一日に掛けて吹雪く」って」
推理小説が好きなせいか、ぼくはすぐに先生の言う前提を理解した。
「先生、あなたはこのペンション内に……ぼく達の中に中田さんを殺した犯人がいるとお考えなのですか?」
「ええそうよ」
牛尼先生はあっけからんと答えた。
「仮に奴が言うように私達の知らない、外部からきた泥棒が犯人なのだとしても、この猛吹雪の中をやってきたり逃げたりなんてできないでしょうし、寒さを凌ぐためにペンション内のどこかに隠れているのだとしても、さっきペンション内を見て回ったオーナー達に発見されるでしょ」
「じゃあ昨晩、わたしが見たあの不審者は何だったのよ」
「それはやっぱり、あなたと顔を合わせたくない従業員の誰かだったんじゃないのかしら? どこの馬の骨とも分からない人物がペンション内にいたとは思えない」
そう牛尼先生が言った瞬間、篠原先生がソファから立ち上がった。
「わたしも部屋に戻る。小夜子、オーナーに私もこれからは部屋で食事をとるって言っておいて」
そう言い残すと篠原先生は、さっさと談話室を出て行ってしまった。
「確か、こういうのを世間では『死亡フラグ』というのよね」
「どうしてこのことを先ほど猿渡さんに言わなかったのですか。あの人の推理に穴があるということを」
笑う牛尼先生に、ぼくは気になったことを問い掛けた。その人が間違った答えを信じているのなら、その間違いを指摘し、正すべきなのではないだろうかと思ったのだ。
「可愛そうじゃないの。得意げに披露した推理を否定しちゃったら。私なりの気遣いよ」
そう語りながら牛尼先生はソファから少し腰を浮かせて前のテーブルからリモコンを取り、それを壁のテレビに向けた。画面に賑やかな朝のバラエティ番組が映し出される。
――確かに正面切って人の考えを否定するのは気が引けるかもしれないが、人が殺されており、その人を殺めた犯人が分からない、もしかするとこのペンション内の誰かが犯人なのかもしれない以上、下手な安堵を周囲に与えてしまったのは悪手だったのではなかろうか? ここは意を決するべきだったのではなかろうか?
しかし気の弱いぼくはそう思っても、実際に口に出すことはできなかった。
「あーあ、それにしても、小説みたいに名探偵でも現れてパパッと華麗に事件を解決してくれないものかしらねえ」
無邪気な子どものような微笑を浮かべて、牛尼先生はぼく達の方を振り向いた。
ぼくは決心がついた。
「真理花、ぼく達も部屋に戻ろう。それでは先生、失礼します」
ぼくは真理花の手を引いて談話室を出ていくと、素早く階段を上って自分達の部屋の前に立つ。
「魁くんどうしたの一体」
「鍵は? 早く開けて」
真理花が扉の鍵を開けると、そのまま真理花と共に素早く部屋に滑り込んで、再び鍵を掛ける。
「一体何なのよ」
「真理花、この事件、ぼく達の手で解決させよう。殺人事件に込まれるなんて、こんなの一生に一度としてないだろう。小説に出てくる名探偵達と名前を連ねられる大きなチャンスだ」
ぼくがそう言うと、真理花は動揺の色を見せてかぶりを振った。
「人が亡くなってるんだよ? そんなゲーム感覚で捜査するなんて不謹慎だよ」
震える声で真理花は反対した。スキー旅行に誘った時のこともあり、この反応は予想できた。ぼくも一言ですぐに説得できるとは思っていない。言葉を続けて彼女を口説き落とす。
「ゲーム感覚でやるんじゃないよ。だって犯人はどんな奴か分からないじゃないか。もしかしたら、ペンション内にいる全員を皆殺しにするような血に飢えた殺人鬼かもしれない。きみはおめおめと殺されるのを待つつもりかい?」
「捜査をしているのを誰かに見つかって、咎められたらどうするの。猿渡さんからも「変な気を起こすな」って言われてるのに」
「正直に「事件の捜査をしてるんです」といえばいい。真相に向かおうとしているぼく達を、誰も強くは咎められないだろう。それでも咎められるようなら、その場はいったん引いて、ほとぼりが冷めるのを待ってから再開しよう」
「わたし、人の血や遺体なんて見たくないよ」
「視界に入れなきゃ問題ないだろう。きみは、周辺の様子を調べてくれるだけでいいからさ」
こうしてあれやこれやと取り繕ってはいたものの、結局はN大学に入学できるほどの自分の優れた頭脳をもってすれば、殺人事件など簡単に解決できるはずだという自信過剰。将来殺人事件を扱った小説を書くための取材。そして真理花に恰好の良い所を見せたい、世間から尊敬の眼差しで見られたいという、自分勝手なエゴイズムしかなかった。
ぼくの言葉の数々に、真理花は諦めたかのように、眼を閉じて溜息を吐き俯いた。
「……分かったよ、やるよ。それで、どこから捜査を始める気なの?」
彼女のこの反応を見たぼくは、すでに事件を解決したかのような高揚とした気分となり、内心ほくそ笑んだのだった。
「そうだね、まずは事件現場となった中田さんの二号室を調べに行こうか。あそこを起点に捜査を始めよう」
――思えばこれが最後のチャンスだった。これ以上の悲劇を、そして自分自身を止める最後のチャンスだった。
だが愚かにも、ぼくはそのチャンスを不意にした。