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【第二章 ペンション『スケープゴート』】4

 夕食後、ぼく達は談話室に集まった。柳沢オーナーと岳飛さんは夕食の片付け。猿渡さんは声を掛ける間もなく、すぐに二階へ上ってしまった。


 猿渡さんと共に遅れてやってきた金髪の若い男性は、中田一太郎と名乗った。普段は代議士である父親の事務所を手伝っており、この長野にはスノーボードをするために訪れたと言う。


「中田さんもゆくゆくは、お父様の跡を継ぐおつもりですか?」


 卯月さんがサービスしてくれたアップルジュースに口をつけながら尋ねると、中田さんはニッとはにかんだ。


「俺が働かなくてもいいぐらいの金を、親父が稼いでくれてるんだよね。親父が死んだら、その金で自適に暮らそうと思ってるよ。それよりきみ、大学卒業したらどうすんの。ちゃんと雇ってくれる所はある訳?」


「両親が勤めている商社から誘いはあるんですが、ぼくとしては企業で働くより、作家になりたいんですよね。ぼくは推理小説が好きなのですが、それだけではなく、今まで両親が連れて行ってくれた旅行等で培った経験を基に、SF小説や恋愛小説といった幅広いジャンルの小説を書いてみたいです」


「恋愛か……実は俺、今度結婚するんだよね」


 中田さんのいきなりの発言にぼくは驚いた。


「結婚ですか! おめでとうございます。一体お相手は、どんな方なのですか」


 中田さんは手に持ったウイスキーグラスの氷を、反対の手の指でクルクルと回し弄ぶ。


「大学の時に合コンで知り合った女なんだけど、その親が堅苦しい連中でな。マジでウザいの何のって」


 その時の光景を思い出してか中田さんは苦笑する。相手の親御さんは彼のことをお気に召さなかったのだろう。もしかすると、結婚にも反対しているかもしれない。


「あーあ、結婚かあ」


 そう言いながら口を挟んできたのは篠原先生だ。かなり酔っているのか、顔が朱に染まっている。


「あんたみたいな時間もろくに守れない奴ですら結婚できるっていうのに、公務員のわたしができないなんて、世の中って不公平なものよね」


「まあまあ、自分で生活できるだけのお金を稼げてるなら別に結婚なんてしなくてもいいでしょ。女が結婚して家を守るなんて昔の話よ」


 愚痴る篠原先生を牛尼先生が慰めるも、そんな牛尼先生を血走った眼で篠原先生は睨みつける。


「あんたはわたしやそこいらの男よりもずっと稼いで、半ば仕事と結婚してるからそんなことがいえるのよ! 結婚しないのと、できないのとじゃ話は違うの!」


「私は別に仕事と結婚なんてしてないわよ。仕事とプライベートはキッチリ分ける主義だし。それに、まだ慌てるような歳じゃないでしょ。あなた、私と同じで三十じゃない」


「何ナチュラルに歳を明かしてくれてんのよ! そんなだから、看護師の男からたった一回デートしただけで手酷く振られるのよ!」


 篠原先生は両手で顔を覆い、わっと泣き出してしまった。泣き上戸らしい。お酒とは怖いものだ。飲めるようになっても、飲まない方が良いかもしれない。


 そんな友人を尻目に、牛尼先生はぼくに話し掛けてきた。


「推理小説が好きなんですって?」


「はい、両親の影響でよく読んでいます」


「推理小説と一口に言っても色々とジャンルがあるじゃない。社会派だとか、ハードボイルドだとか。魁くんは何が好きなの」


 牛尼先生のその口調からして彼女も推理小説が好きらしい。真介と出会ってから、ぼくは本当に同好の士に恵まれている。


「ぼくはやっぱり本格物ですかね。特にヒントが所々に散りばめられていて、論理的に推理して真相を導き出せるやつが好きです」


「そう。私は探偵目線で事件についてあれこれ考えるよりも、第三者目線から事件のなりゆきを見る方が好きなのよね」


「そんな先生はどんなジャンルがお好きなんですか?」


「やっぱり、クローズドサークルかな」


 クローズドサークル……何らかの要因で外部からの連絡や救助、脱出の手段が絶たれた状況で事件が発生するというジャンルで、ここへくる前にぼくが真理花に話した『吹雪の山荘』がまさにこれである。


「日々進化していく科学の力でポンポン事件が解決していくのは結構なことだと思うけど、フィクションに出すには下品過ぎる。でも虚構を現実に近づけるにはどうしても無視することはできない」


 いったん言葉を切り、砂糖もミルクも入れていない苦そうなブラックコーヒーを先生はすする。


「だけどクローズドサークルはその問題を簡単に解消すると同時に、スリリングな舞台も生み出せる。救助はこない。どんどん殺されて数を減らし、疑心暗鬼となっていく生存者。そんな中で危険も顧みず捜査をしていく昨日までただの一般人だった素人探偵……そそらないかしら?」


 蠱惑な笑みを浮かべる牛尼先生だったが、すぐに笑みを消して窓の方を見る。すでに外では雪が途切れることなく、さんさんと降っていた。


「……もっとも、現実にそんな状況には巻き込まれたくないものね。怯えて過ごして、ましてや殺されるなんて嫌だわ。恐ろしい」


 そう言って彼女は再びコーヒーを口に運ぶのだった。言われてみれば確かに、本当に殺人事件に遭遇した際、小説の中の探偵達のように平然と事件に立ち向かっていけるか、ぼくには自信がない。


 ふと隣に眼を向けると、真理花と卯月さんが会話をしていた。


「わたし、学校の長期休暇になると父の友人の柳沢オーナーの下で、こうしてアルバイトをさせて頂いているんですよ」


「お兄さんの岳飛さんはどうなんです。あの方は普段、どのように過ごしていらっしゃるのですか」


「兄はわたしと両親の勧めで、今年の四月からここに住み込みで働いているんです。仕事はそつなく真面目にこなしてくれてはいるんですけれど、見てくれが不良染みている点に関しては、オーナーも頭を抱えていまして。あんな風にしなくても、いじめてくる人なんてもういないのに……」


 卯月さんは笑うも、その笑顔は何処か寂しげに見えた。真理花もそれを察してか、次の話題を出す。


「先ほどのお食事、すごくおいしかったです! 塩加減も適切で。オーナーさんが作っていらっしゃるんですか?」


「はい、オーナーは昔から料理上手でして。わたしも今度、本格的に料理を教えてもらう約束をしているんですよ」


「それは楽しみですね。いずれは卯月さんも、あんなおいしい料理をお作りになられるのですね」


 その時だった。どこからか、軽快なオルゴールの音色が鳴り出した。音源を探してみると、壁に掛けられた時計が九時を告げていた。


「もうこんな時間」


 真理花が腰を浮かせてぼくを見る。


「魁くん、わたし達はこの辺で……」


「そうだね。それでは皆さん、おやすみなさい」


 ソファから立ち、皆に一礼をしてからぼく達は談話室を後にした。


 二階へ上り、自分達に割り当てられた三号室へ入る。ふと正面の窓に眼を向けると、絶え間なく雪が降りしきっていた。先ほど談話室で見た時以上の勢いだ。


 もう外に出ることはできないだろう。


「魁くん、先にシャワー浴びに行っていいよ。その間、わたしはこれをするから」


 真理花はそう言いながら、鞄の中から筆記用具とノート、そして分厚い本を取り出した。


「何だいそれ。学校の課題?」


「ううん。自主的に参考書を買って勉強してるの。やっぱり学生の身であるからには、どんな時でも常に学習意欲を失っちゃ駄目だと思うから。もし良ければ教えてくれないかな? わたし、特に数学が苦手なんだ」


「苦手……ね」


 真理花が手に持つ、『微分積分』と表紙に書かれた参考書を見て呆れつつも、こうして勉強のことで人から頼られるのは嬉しかった。これまでは同世代の子達から頼られる所か、距離を置かれてしまっていたのだ。


 ぼくは快く承諾すると、真理花に尋ねた。


「そんなに勉強して、何か就きたい仕事でもあるの。うんと勉強しなくちゃ就けないような仕事にさ」


「医師。大人になったら、わたしも重い病気の子ども達を助けたいの」


 真理花は何処か誇らしげに口にした。これはまた、高ランクな職業が出てきたものだ。


「だからこうして自主的に勉強している訳か。でも並大抵な努力じゃなれないだろう」


「大丈夫。牛尼先生が仰ってたの。医師っていうのは何も考えずに勉強して、いい大学の一番いい学部に入って、そこでも何も考えずにひたすら勉強をやり続ければ、気が付いた時にはなれてるんですって」


 牛尼先生はちゃんと教師として、生徒の進路相談にも乗っているらしい。……些かざっくばらんとしているような気もするけれど。


「それじゃあ、お言葉に甘えてお先にシャワーを浴びさせてもらうよ。勉強を見るのはその後からでいいかな」


 代わりばんこにシャワーを浴びて歯を磨き終えると、真理花の勉強を手伝った。そして時刻が十時を回るころには共に床に就いたのだった。


「魁くん」


 消灯しようとベッドに付属しているスタンドのスイッチに手を掛けようとした時、ポツリと隣のベッドの真理花が言った。


「あなたのお陰で初めてスキーをすることができた。想像していたよりも、ずっと楽しかったよ。ありがとう。やっぱり、あなたは優しい素敵な人ね」


 突然の真理花の感謝の言葉に、ぼくは何だかむず痒い気持ちになった。


「そういうことは、ぼくが帰る時に言うものだと思うよ。明日も含めて、まだまだ時間は沢山あるんだからさ」


「でも……」


 真理花は言葉を切った。そして、今度は唐突にクスクスと笑い出す。


「確かにそうだよね。まだまだ時間はあるんだし、あなたには感謝しなくちゃならなくなることは沢山出てくるだろうから、最後にまとめて一度に言った方が効率的だよね。さあ、明日も早いからもう寝よう。おやすみなさい!」


 真理花が俊敏に頭まで布団を被ると、次の瞬間にはそこから安らかな寝息が聞こえてきた。


「……おやすみ」


 スイッチを押して明かりを消し、ぼくも布団を被る。そして明日に期待を膨らませながら眠りに落ちたのだった。


 ――ぼく達はまだ知らなかった。


 クローズドサークルの三つの要素。


 既に満たされた『絶たれた通信手段』。


 今晩から明後日の昼に掛けて吹雪により満たされる『脱出、救助不能』。


 最後の要素である『事件』。


 それが今晩満たされることとなるのを。


 そして、自分達の破滅が始まっていることを。

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