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【第二章 ペンション『スケープゴート』】1

「弓嶋様と小森様ですね。お待ちしておりました。当ペンションのオーナーをしております、柳沢太志と申します。どうぞよろしくお願い致します」


 玄関の扉を開けてロビーに入ったぼく達を迎えてくれたのは、人の好さそうな白髪頭の六十歳くらいの男性だった。


「素敵なペンションですね! こんな所に泊まれるなんて夢みたいです」


 辺りを見渡しながら真理花がはしゃぐ。外観だけでなく、内装も木材をふんだんに取り入れた造りとなっていた。


 柳沢オーナーは嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます。訪れる方々に温かみを感じて頂けるよう、ここを建てる際、特に考慮したのですよ。お気に召して頂けたご様子で幸いです。それでは、こちらに住所とお名前の記入をお願い致します」


 オーナーの手から宿泊者名簿とボールペンを渡されたぼく達は、今日の日付が書いてあるページを開いた。


「あら」


 そのページを見た瞬間、真理花が反応した。


「どうしたの。知っている名前でもあった?」


「ええ、お世話になっている人の名前が……。後で挨拶に行こう」


 ページにはすでに二人の名前が書かれていた。名前からして、どちらも女性であるらしい。


 お世話になっている人か……。もしもその人が真理花と対等な関係の友人ならば、そのような言い方はしないだろう。友情等ではなく、敬愛の念を真理花はその人に抱いているらしい。もしかすると、学校の先生辺りかもしれない。


 自分達の名前と住所を書き、オーナーから部屋の鍵を受け取ると、奥から二人の若い男女が出てきた。男性の方は茶髪で耳や口に、いくつも煌めく金銀のピアスを付けていて、柄の悪そうな印象を受けた反面、女性の方は黒髪のショートボブで、大きな瞳が自信に満ちていて活発そうな印象を受けた。二人とも、お揃いの黒と白のギンガムチェックのエプロンを着けていたため、このペンションの従業員なのだろう。


「隅野卯月と申します。お荷物をお部屋までお持ち致しますね」


 卯月と名乗った女性が、微笑みながら真理花の鞄に手を掛ける。


「このくらいは自分達でしますよ」


「仕事だからな。おれ達に任せろ」


 今度は男性がぼくの手から鞄を取る。


「お部屋へご案内致します。どうぞこちらへ」


 すっかり手ぶらとなったぼくと真理花は、それぞれの荷物を持つ男女の従業員に案内されて階段を上がった。そこでぼくは、男性の胸についたネームプレートがふと眼に入った。『隅野岳飛』とある。


 姓が同じ、年齢もそう離れている様子もなかったので、ぼくは尋ねた。


「お二人はご兄妹ですか?」


 よくそんな質問を宿泊客にされるのか、すぐに卯月さんが笑顔で答える。


「ええ、そうなんですよ。わたしが妹で岳飛が兄です」


「ご兄妹で同じペンションで働いていらっしゃるんですか。仲がよろしいんですね」


「……血の繋がりはないけどな」


 ボソリと面白くなさそうに岳飛さんは呟いた。――もしかすると、タクシーの中で運転手さんが言っていた、お客さんと揉めた従業員というのはこの人のことなのかもしれない。


 客室は全て二階に固まっていて、一から四号室まである部屋の内、三号室にぼく達は案内された。


 部屋の中はシングルベッドが二つ。作り付けのテーブルの上に小型テレビと固定電話、赤い薔薇の造花が入った黄色の花瓶が一つずつ置いてあった。部屋の隅に大きなクローゼット。そしてバスルームへ続く扉。鍵はオートロックではなく、ごく普通のシリンダー錠だった。


「荷物はベッドの上に置いておいて下さい。後はわたし達の方で良いように致しますので。お二方、ここまで荷物を運んで下さりありがとうございました。正直に申しますと、重たくて辛かったんですよね」


「夕食は七時から始まりますので、それまではゆっくりしていらして下さい。それと、大変申し訳ございませんが、今朝から当ペンションの電話は内線、外線を含め、使用できなくなっておりますので、何か御用がございましたら直接わたくし共にお申し付け下さい」


「えっ!?」


 それを聞いてぼくの背筋に寒気が走った。冗談が現実となってしまった。


「外線電話が使えないって……外部と連絡が取れないってことですよね? 孤立するってことですよね? 圏外だからスマホも繋がりませんし……一体どうしてそんなことになってしまったんですか?」


「厄災の仕業さ。マジで自重って奴を知らねえ……」


「またそんなことを言う……!」


 岳飛さんが忌々し気に吐き捨てるのを、卯月さんが小声でたしなめる。厄災とは……積雪の影響か何かで電話線が切れてしまったということだろうか?


「……ご不便をお掛けして大変申し訳ございません。食料に関しましては、十分な蓄えがございますのでご安心下さい」


「別に構いませんよ。わたし達、そういうことは大好きな人種ですから」


「そういうことが……好き?」


「ええ、大好きな小説のシュチュエーションみたいでわくわくします」


「まあ! 素敵ですね」


 卯月さんは軽く手を合わせてぼく達を一瞥した。彼女は真理花の大好きな小説というのを、閉ざされたペンションで男女が仲を深めていく恋愛物とでも思ったのだろうか? だが、真理花がそう言ってくれたことで、ぼくの不安は晴れて、どこか安心することができたのだった。


「ところで、牛尼小夜子さんという方がこのペンションに泊まっていらっしゃいますよね。今はどちらにいらっしゃるのですか」


「牛尼様は一階の談話室でご友人と談笑をしているかと思われます」


「分かりました。ありがとうございます」


 岳飛さんと卯月さんが立ち去った後、ぼくは真理花に聞いた。


「その牛尼さんって人が、真理花がお世話になっている人?」


「ええ……とてもね」


 真理花が手で左胸をそっと押さえる。


「わたしはこの後、牛尼先生の所へ挨拶に行くけど魁くんはどうするの。夕食の時間までここで待ってる?」


 先生……か。先ほどの推理はどうやら正しかったようだ。


「いや、ぼくも談話室に行くよ。きみがお世話になっている人なら、ちゃんと挨拶しておきたい」


「なら先に行ってて。わたし、ちょっと準備してくるから」


「分かった。それじゃあ待ってるよ」


 ぼくは着ていた上着を脱いで自分の鞄の上に放ると、一足先に部屋を出て、先ほどの階段を降りて行った。

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