ぼくの名前は弓嶋魁。趣味は読書で、両親の影響で主に推理小説を愛読している。
両親は教育に熱心な人々で、学校のテストでただ良い点数を採ることだけを目指すのではなく、様々なスポーツや各地への旅行を通してもっと根本的に、人としての成長を促すような教育方針をとっていた。そしてその教育のお陰で、ぼくは世界的にも有名なN大学への入学を認められたのだった。
だが、そんなぼくの当初の大学生活は充実したものではなかった。というのも、ぼくは友人というものが一人もできなかったのだ。……いや、生まれてこのかたと言った方が良いだろう。
大学に入って環境が変われば……と、淡い期待を抱いていたが無駄だった。話し掛けてくる者は幾人かいたものの、いずれも興味本位の冷やかしばかりだった。
そんな孤独な大学生活が数ヶ月続き、人々の着る服が薄くなり始めたころ、ぼくは小森真介と出会った。
食堂で昼食を食べ終えて、父から借りた本を読んでいた時、ぼくの正面に位置する席の椅子が引かれ、そこに座る者がいた。食堂にはまだ多くの空席があった。
「横溝正史の『幽霊男』か。『獄門島』や『八つ墓村』と比べてネームバリューは劣るが、話のテンポが小気味良い名作だよな」
顔を上げると眼の前に、整った顔立ちの青年が座っていた。黒い髪は頬に掛かり、口元にはわずかに笑みがたたえられている。
「……推理小説に興味がおありなのですか」
突然のできごとに様々な驚きがあったが、ぼくは何とか言葉を返した。青年は嬉しそうに口角を上げる。
「ああ、大好きさ。子どものころから読み漁ってる。国内外問わず、幅広くな」
ぼくも自然と笑みが零れた。今までどうにか周囲の人々と打ち解けようと努力はしたものの、いかんせん、彼等とは趣味が合わなさ過ぎた。乱歩や正史はおろか、エラリイやヴァンの話をしても冷めた眼でしか見られなかった。こうして同好の士と出会えたことが、何よりも嬉しかった。
「あっ悪い、自己紹介がまだだったな。俺は
「ぼくは弓嶋魁と申します。もしよろしければ、あなたが今までに読んだ本についてお聞かせ願えませんでしょうか?」
こうして、ぼくと真介の交友は始まったのだった。ぼく達は互いに読んだ本についての感想や意見を出し合ったり、時には彼が暮らしているマンションへ行ってテレビゲームに興じたりした。父と母に真介を紹介すると、二人はすぐに彼を気に入った。特に父は真介を誘って、夜な夜な二人で飲みに行くほどだった。
真介は推理小説好きが高じて、将来は探偵になりたいという風変りな夢を持っている上、ぼくより些か歳が上だったが、それはさしたる問題ではなかった。いかなる夢でも本人が真剣に取り組んでいるのであればこの上なく素晴らしく、友情に年齢差は関係ない。ぼくは真介と友人になったことで、ようやく自分の大学生活を、そして人生を充実したものにできたのだ。
真介の妹、小森真理花と出会ったのは、真介と友人になって数ヶ月が経った夏休みのこと。ぼくがいつものように真介のマンションへ遊びに訪れた際、ぼくを迎えてくれたのが初対面だった。
「いらっしゃい。あなたがお兄ちゃんが言ってた弓嶋魁くん?」
男一人で暮らしているはずの真介の部屋から女の子が顔を出したため、ぼくは面食らってしまった。すぐに奥から真介が出てきて彼女を紹介した。
「妹の真理花だ。ほら、いつか話しただろ? お前の一個下の妹がいるって。この夏休みを利用してここまできたんだ。……一人でな」
遠路はるばるやってきた妹を紹介する兄の表情はなぜか、どこか苦々しげだった。
失礼な話ではあるが、ぼくが初対面の真理花に対して抱いた第一印象は『病人』だった。顔立ちは以前に兄が自慢していた通り確かに可愛らしかったが、その肌は青白く、肉付きも同年代の女の子達と比べて良くなさそうだった。ぼくに向けられた人懐こい無邪気な笑顔と、その身にまとった真っ赤な色のワンピースが、彼女の痛々しさをさらに際立たせていた。
しかし、それに反して彼女の性格は明るく、行動は活発的だった。「せっかくここまできたのだから」と、毎日のように真理花はぼくと真介の手を引き、街の名所を観光して回った。
公園、美術館、展望台……
ぼくはこの世に生をなして以降、ずっとこの街に住んでいるにも関わらず、ほとんどそれらの名所に足を運んだことがなかったが、こうして真理花が連れ出してくれたお陰で、国内有数の大都市と称される自分の故郷の魅力を認識することができ、そして何よりも、小森真理花という新たな友人を得られたのだった。
真理花は一週間ほど滞在した後、兄の付き添いの元、郷里である東京へと帰っていった。空港まで見送りに行った際、真理花は瞳を潤ませながらぼくに言った。
「わたし達、また会えるよね? また、一緒に色々な所へ遊びに行けるよね?」
半ば自分に言い聞かせているような真理花の語り口に切ない気持ちになったぼくは、彼女の手を取り、固く再会を約束したのだった。真理花は感傷屋で、ぼくとしてもこの淡い出会いを大切にしたかったのだ。
真理花が帰った後もぼく達は電話やメールで連絡を取り合い、再会のその日その時を心待ちにしていた。
こうして小森兄妹と親交を深めていく中で冬休みが間近に迫ったある日、我が家の夕食の席に招待した真介から、ぼく達家族はある提案をされた。
「今度の冬休みですが、私達と一緒にスキー旅行へ行きませんか?」
冬休みになると家族で泊りがけのスキー旅行に行くのが小森家の恒例行事なのだという。真介はこまめに電話で両親に、大学で知り合った友人とその家族に常日頃から良くしてもらっており、夏休みにこちらへ遊びにきた妹も、その友人と過ごすのが楽しそうだったと伝えていたらしい。すると今朝の電話で、今年のスキー旅行には是非、弓嶋家の人々とご一緒したいと言われたそうだ。
ぼくとウィンタースポーツ好きの両親は二つ返事でその誘いを了承した。
生まれて初めて父の生まれ故郷に行くことができる。そしてまた、真理花と遊ぶことができる。ぼくは期待に胸を膨らませた。
しかし自分達のスキー用具やウェアを新調までして、しっかりと準備をしたにも関わらず、旅行の直前に二つのアクシデントに見舞われてしまった。ぼくの父と真介が高熱を出してしまったことが一つ。もう一つは、真介の両親が急に入った仕事のせいで旅行に行けなくなってしまったことだった。当然、スキー旅行はおろか、真介の実家へ行くこともキャンセルの話が上がったが、ぼくが真介のお見舞いへ赴いた際、病床で苦痛に喘ぐ彼からこう言われた。
「魁、せめてお前だけでも東京へ行って、真理花に会ってやってほしい。あいつ、お前に会うのを凄く楽しみにしているんだ。頼む」
そう懇願されると断る訳にはいかない。両親も了承してくれたため、ぼくは父の看病を母に任せて独り、飛行機で東京へと発ったのだった。