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第30話

 とある高校の校門前で始まった決戦の趨勢は誰の目から見ても明らかだった。

 破壊された塀の破片が、引き抜かれた街路樹が、目に見えない破壊の波動が、一方的に鈴桐咲良を蹂躙する。

 飛礫が突き刺さり、丸太に叩きのめされ、見えない力が身体を壊す。

 その度に彼女は血を流し、転倒し、苦悶の息を吐いていた。

 しかしそれでも、彼女は立ち上がり続ける。

 何度倒れても、膝をついても、震える身体で立ち上がり続ける。

 そして変わることない眼差しではっきりと破壊子ちゃんを見据えていた。


「……なんで反撃してこないのぉ?」


 眩しい純白だった特注スーツは血と泥で汚れ、見る影もない。

 所々破れて露わになった素肌は打撲や裂傷で傷付き目を背けたくなる有り様だ。


「ボクのこと、ムカついてきたんじゃなかったのぉ?」


 ただやられるままになっている彼女に向かって、破壊子ちゃんは理解出来ないと言わんばかりにそう訊ねた。


「……ムカついてるよ……当たり前じゃん……」


 口内や喉が傷ついて声を出すのも億劫なのか絞り出すように告げられる言葉。

 しかしその眼差しと同様に、声に宿る力も失われてはいなかった。


「……だから意地でも、私の考えをぶつけてやろうと思ったんだ」


 眉をひそめる破壊子ちゃん。


「そうやって、このままボクに嬲り殺されるのがキミの考え? そうだとしたら、期待外れだなぁ。つまらない」

「……馬鹿じゃないの。殺されてたまるかよ。私はまだまだ死にたくないんだ。この先やりたいことが色々あるんだ」

「だったら戦いなよ。その拳を握ってみせなよ。キミの考えをぶつけてきなよ。この間の配信であり余るほどのポイント持ってんだろ? それを使って戦えって言ってんだよ。ボクはそれを破壊する!」

「……私は人を傷付けたくない。自分の考えを力で押し付けるようなことはしたくない。私はあなたの考えを理解したいし、あなたにも私の考えを理解して欲しいと思っている。その為には、暴力なんて邪魔なだけだ」


 その言葉には断固とした信念が宿っていて、破壊子ちゃんは真正面からそれを感じた。

 自分は決して折れないぞと語りかけるような挑戦的な咲良の瞳が破壊子ちゃんの心を波立たせた。

 どう見てもぼろぼろで立っているのもやっとな少女から、破壊子ちゃんは自分の攻撃が効いていないという屈辱感を覚えた。


「……言ってくれるよねぇ、本当に、甘ったれたことを」


 押し殺すような低い声で彼女は呟く。


「分かってないよ、世の中の汚さを。綺麗事ってのは、周りが汚いからこそ目立つんだ。キミの理想はこの世界で浮いているんだよ」


 それはともすれば、頑固な子供に対して大人が声を荒げている場面のようにも見えた。


「教えてあげるよ、親切なボクが。そんな甘えた綺麗事が、現実を見ていない理想論が、正しく歪なキミの存在が、誰かを不幸にするってことを!」


 咲良に向かって吠えるようにそう言って、破壊子ちゃんはその両手を校門の先、高校の校舎へと真っ直ぐ向ける。


「そのままそこで黙って見てろ! 同じ学校の生徒が醜くひしゃげて死ぬところをッ!」


 次の瞬間、数十メートル先に建つ校舎が一瞬で崩壊する。

 一部ではなく全体が、余すことなくばらばらの瓦礫となって倒壊する。

 いつかタワーマンションで起こった崩落と同じように。

 しかしあの時とは違って、中に大勢の人間が残ったまま。

 咲良の目の前で、破壊される。


「――ッ!!」

「あはははははははッ! どうだい、キミが甘ちゃんだったからみんな死んじゃったよ!? キミが素直にボクと戦っていればこうはならなかったかもしれないのに! キミがその正義感を曲げなかったせいで、先生も友達もみんな死んじゃったよ!?」


 嘲笑が、哄笑が、反響する。

 狂気的で満足げなその笑い声が脳を揺さぶる。

 絶望がその場を支配する。


「――は?」


 しかし不意に、その笑い声は静まった。

 破壊子ちゃんの目線の先は、崩壊した校舎――けれどその周辺に、先程までは無かった数多の人影。

 校庭に、広場に、駐車場に――崩れた校舎から離れた至る所に、生徒や教師の姿があった。

 皆一様に、自分の身に起こった出来事が理解できないとばかりに首を振って辺りを見回している。


「――まさか、瞬間移動で逃がしたっていうの? あの中にいた、全員を……」


 呆然と驚愕が入り混じった表情を破壊子ちゃんは咲良に向ける。


「お陰で、ポイントはすっかり、使い果たしちゃったけどね……」

「あり得ない! 千人近い人数を、直接見ても触ってもいないのに、一人ひとり認識して転移させるなんて――」


 咲良や破壊子ちゃんが使う超常の力で根幹になるのはイメージの力だ。頭に思い浮かべた想像を具現化する為に、より明確により詳細に心から願う必要がある。

 触覚や視覚で直接認識していない相手に何か力を働かせるには、その相手のことを明確に認識しておいてはっきりと思い浮かべる必要がある。それを千人分、学校中の人間全員を対象として力を使うなど、離れ業もいいところなのだ。

 咲良と同様の力を使う破壊子ちゃんだからこそ、その常識外れがよく分かる。ただでさえ常識外れな力を常識外れな使い方で振るった少女に、彼女は驚愕の目を向けていた。


「自分が通っている学校の仲間なんだから……。このくらいのことは、できるよ……」

「……ッ! けど、それがなんだってんだよ! もうろくにポイントも残ってないんだろ!? ボクに抵抗するための力を全部使ってあいつらを一度救ったところで――結末は何も変わらないッ!」


 破壊子ちゃんの叫びに呼応するように、校舎の瓦礫が次々と浮遊していく。人一人を圧殺するには余りある凶悪な塊が宙へ昇る。


「破壊子ちゃん、もうやめようよ……。そうやって色んなものを壊していって……。あなたの心も、壊れちゃうよ」

「うるさいうるさいうるさいッ! そんなもの、とっくに壊れてんだよッ!!」


 悲痛にも聞こえる叫びの後。無数の瓦礫が無慈悲な砲弾となって付近の生徒達へ襲いかかる――


「――ここぞという時の救世主レイモンジャー参上ッ! 拙者は正義のレイモンイエローッ! レイモォン・トルネェドハリケェンキィークッ!! イェッ!!」


 突如前触れなく現れた玲門が、降り注ぐ瓦礫を一つ残らず粉々に砕く。

 躍動する筋肉。響き渡る雄叫び。

 彼の野太い声は遠く離れた咲良と破壊子ちゃんにもはっきりと聞こえた。


「無辜なる人々を傷付けること、拙者は決して見過ごさないッ! 時に戦い時に傷付き常に人々を守り抜くッ! それが拙者の存在理由、ダッ!!」

「このトンチキ勘違いイエローゴリラ……っ! またボクの邪魔をするのかッ!」

「デストロちゃん、拙者はあの日間違えた……ッ! 恐怖と脅威に晒された人々を救うことより、目の前の悪を打ち倒すことを優先させた……ッ! 人間誰しも間違うとはいえ、拙者は正義のレイモンイエローッ! 正しきを為す義務があるッ! 故に拙者はもう二度とは間違わぬッ! 感謝するぞアンチ・ワールド、お陰で拙者はまた一段と強い正義を手に入れ、タッ! 守る為の拳ッ! それが真の正義の力ッ!」

「なんだよ、あれだけ頭ぶっ壊しても、馬鹿は治らなかったのかよぉッ!」

「デストロちゃん、拙者には返したい借りと果たしたい因縁と晴らしたい雪辱が山のようにあるッ! しかァし今その少女との決着は君に任せよう、ホワイト――いや、バイトヒーロー咲良よッ!」


 そんな玲門の声を受け、咲良は困ったように力無く笑う。


「元気そうだな、玲門さん……」


 そしてそのまま破壊子ちゃんに向き直って、彼女は言う。


「破壊子ちゃん、確かにあなたの言う通り、私は頑固だし甘っちょろいし救いようが無いかもしれない……。でも私にはああやって、私を助けてくれる人達がいる……」


 ゆっくりと覚束ない足取りで近付いてくる咲良に、破壊子ちゃんは身構える。


「――咲良ぁーッ! へこたれんなァーッ!」

「負けないでっ! 咲良ちゃん!」


 いつの間にか戦いの中心へ駆け寄ってくる生徒達が口々に叫ぶ。


「こうやって、背を押してくれる人達がいる……!」


 次第にその足取りは確固としたものに、負傷による痛みなど感じさせないものに変わっていた。

 破壊子ちゃんは咄嗟に思う。咲良の身体は意地や根性で動けるような怪我ではなかった。自分が壊したのだからよく分かる。

 にも関わらず、彼女は怪我を感じさせない。どころか、完全に治ってしまったようにさえ見える。


「超能力による回復……? でも、もうポイントは残ってないはず。こんな力、一体どこから……!?」

「こうやって、いつでも私を支えてくれる人がいる!」


 遂に、咲良は破壊子ちゃんの目の前に至った。

 度重なる能力の使用で破壊子ちゃんにも既に余力は残されていなかった。

 けれどそのこと以上に、執念さえ感じさせる咲良の存在感が彼女から抵抗の思考を奪っていた。

 吐息が感じられるほどの極至近距離で咲良が動き、破壊子ちゃんは思わず目を閉じる。

 殴られると思った。けれど身構えた衝撃は訪れなかった。

 自分の考えを力で押し付けるようなことはしたくないと語った彼女は、その言葉通りに優しく破壊子ちゃんを抱き締めたのだった。

 温かい体温と柔らかな感触が、視界を閉ざし暗闇にいた破壊子ちゃんを包む。


「だから私は、いつだって目の前の人に胸を張れるよう生きていたいんだ」


 耳元で囁かれたその言葉に、破壊子ちゃんはゆっくりと目を開けた。


「何の真似だい、正義のヒーロー……」

「私は正義でもヒーローでもないよ」

「嘘つきだねぇ、キミはずっと……」

「私はただ、自分がやりたいようにやっているだけだよ」

「じゃあどうしてこんなことをするのさ。自分のことを、周りの人間を傷付けた敵を抱きしめるのさ」

「私はただ、昔自分がやられて嬉しかったことをしているだけだよ」


 その声色はただただ優しくて、どこまでも真っ直ぐだった。


「……私はね、人は自分が大切にされていないと他人を本当に思いやることはできないと思っている。……けど私には、私のことを大切に思ってくれる人がいるから。だから私は、その分だけ他の人達のことを大切にするんだ」


 そして咲良はゆっくりとした動作で破壊子ちゃんから離れ、その瞳を覗き込む。


「破壊子ちゃん。私はあなたのことも、理解したいと思っているよ。だから教えて欲しい、あなたのことを」


 控えめな、それでいて輝かしい笑顔。

 そんな呼びかけに、破壊子ちゃんはやがて諦念に満ちた呟きを溢した。


「……キミと言葉を交わすには、キミはちょっとばかり、ボクにとって眩しすぎる。これ以上見てられないよ」


 小さな声でやってられないとばかりにそう言って、彼女は小さく息を吐いた。


「頑固なキミの想いを、どうやらボクは破壊できない。……まったく嫌になるよぉ、心底さ。けれどキミが頑固なように、ボクも頑固なんだ。自分でもこの思いを破壊できないくらいには」


 そう言って咲良にふらっと背を向ける破壊子ちゃん。

 そんな彼女を咲良は無言のまま目で追いかけた。


「ボクはキミと分かり合ってなんてあげない。理解して欲しいとも思わない。けれど今回、ボクは勝てない――でもせめてハッピーエンドにはさせない。……だから、ビターエンドで我慢してよ」


 そして咲良に対して背を向けたままその場から立ち去る破壊子ちゃん。振り返ることもしなかった。


「じゃあねヒーロー。もう二度と会いたくないよ」


 そんな言葉を残して、破壊子ちゃんはどこかへと消えていった。

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