安泰世界のオフィスで私は辟易とした気分になっていた。
今日は今頃、鈴桐咲良の抹殺へ向かった破壊子ちゃんの補佐へ赴いているはずだった。アンチ・ワールドの邪魔となる一人の少女を確実に排除する為、万全を期すつもりだった。
こんな予定では、断じてなかった。
「――柊木さん、少し僕と商談をしませんか」
ノックもせずに執務室の扉を開けて入ってきたその男は、挨拶も無しにいきなり本題を提示してきた。
この部屋に至るまで、全くのノーチェックで部外者が入ってこれるはずがない。オフィスビルとしてのセキュリティは元より、アンチ・ワールドの構成員による警備もある。
しかしそれらを全て突破してきたにしては、彼の様子はあまりに平然としていた。何食わぬ顔でそれが当然だと語るようにこの場にいる彼ははっきりと異質だった。
「……不躾だな、立花弥生。君はもう少し礼儀正しい男だと思っていたが」
そんな私の言葉に彼は肩を竦めて見せるだけ。どうやら無駄な会話に時間を割くつもりは無いらしい。勝手な男だ。
「……商談とはなんだ、言ってみろ。一応聞くだけ聞いてやる」
「あなたが仲間の応援に向かわずこのままここを動かなければ、今日のところは危害を加えません。そういう取引です」
立花弥生はそんな不穏な内容を悪びれもせず笑みを浮かべながらのたまった。
そんな物言いに私の口からは思わずため息が漏れる。
「……随分と強気な商談だな。成立するとでも思っているのか?」
「そちらこそ、この期に及んでまさか僕と対等な立場で取引できると思っているのですか?」
返ってくる言葉は口調こそ穏やかであったがそれは一種の冷淡さだった。
「あなた達は、明確に咲良へ危害を加える為に動き出した。その時点で僕の敵です」
子供に道理を説くような口調で彼は言う。
「僕はあなたを見逃してやると言っているわけではありません。寿命を少し延ばして差し上げようかと、提案しているだけです。今日、大人しくしているのなら」
今日の彼には浅草未来街で一度対峙した際には感じられなかった有無を言わさぬ雰囲気があった。
それはつまり、彼がそれだけ本気だということだ。
「……随分と、お優しいことだな」
「そう言っていただけると嬉しいです。日頃からそうあろうと、努力しているものですから」
心にも無い言葉には無感情な返答が返ってきた。
やれやれ、やはり私の予感は正しかった。
そして彼の予感も正しかった。
やはり立花弥生は邪魔者だ。もう二度と会いたくはなかったのだが。
「残念だが、その商談は受けられない。私にも予定というものがあるのでね」
私は実のところ暴力がそれほど好きではない。それはあまりに原始的な力だからだ。暴力に頼らず物事を解決できるのならその方がいいと思っている。
しかし必要であるならば、私は原始的な闘争を否定しない。そして今がその必要な局面だ。
取引を突っぱねられたにも関わらず、彼の反応は冷めたものだった。
「そうですか。どうやら世界に未練は無いようで」
たったそれだけの言葉で立花弥生は会話を打ち切る。
その瞳にはもはや淡々とした殺意しか残ってはいなかった。