目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第28話

 東京へ降灰した火山灰の影響で都市機能は麻痺し、咲良達が通う高校も無期限の休校となっていた。

 しかし富士山の噴火から二週間あまり。

 火山灰の清掃も進み影響が無くなったところから順に社会活動も再会していき、今日は久々の登校日だった。

 同居人の弥生に見送られ、制服姿で外へ出る咲良。

 久し振りの学校は嬉しい。直接友人達と顔を合わせるのも楽しみだ。

 しかし彼女には一つ、憂鬱なことがあった。

 それは先週彼女が敢行したゼイチューブでのライブ配信に起因する。

 日本国民の十分の一にあたる人数がリアルタイムで視聴したその配信、彼女は素顔を隠さず本名まで明かして臨んだ。

 その結果、当然の帰結とも言うべきなのだが、彼女は同級生や上級生、教師やその他の知り合いから山のように連絡を受けていた。

 SNSのメッセージ通知はあっという間に表示上限を越えてしまい、もう手が付けられない状態だ。

 休校中もそうだったのだ。

 学校に直接顔を出せばそれはもう大変なことになってしまうのではないだろうか。

 そんな訳で、彼女は登校中ずっと憂鬱な気分だった。

 そして結果として、その心配はまだまだ足りていなかったと言わざるを得ない。

 高校の校門までの一本道に差し掛かって、彼女は前方に大きな人集りを見つけた。あれはちょうど校門の前。

 集まっているのは学校の関係者には見えない。というより、彼らが持つカメラやマイクといった機材を見ればその正体は明らかだ。


「……うわぁ〜。学校までバレちゃってるんだぁ……」


 自然と咲良の顔から血の気が引く。

 集まっていたのはテレビ局や新聞社などの報道関係者。

 校門を通ろうとする生徒達にマイクを近付けては「正義のヒーローと同じ学校に通っているのってどんな気持ちですか?」とか「ヒーローの正体については知っていましたか?」とか聞いて回っているので、目的は明らかだろう。

 咲良は思わずため息をつく。

 あんな配信をしておいて今更ではあるのだが、彼女は別に目立つのが好きなわけではない。

 むしろ悪目立ちは嫌いだ。

 あの報道陣の壁に堂々と踏み入っていくのには相当な勇気が必要だった。もう適当にその辺の塀をよじ登って入ろうかとも思った。

 しかし「まああの人達も仕事なんだし仕方が無いか」と思ってしまうくらいには彼女は人が好く、そして「私が行けば他の生徒達が取材されることはないだろうし」と考えるくらいには思いやりがあった。

 諦めてそのまま人混みを目指して――正しくはその奥にある校門を目指して――歩いていた彼女に、たむろしていた取材陣が気付く。


「おい、本人だ!」


 誰が言ったかその叫びで一斉に押し寄せる。


「鈴桐咲良さん! 鈴桐咲良さんですよねっ!?」

「ヒーロー、こっち向いてください!」

「いくつか質問したいことがあるのですが!」


 口々に投げかけられる言葉、向けられるカメラ、浴びせられるフラッシュ、連続するシャッター音、突きつけられるマイク。

 咲良は引きつった笑顔を浮かべた。


「えっと……。おはようございます……」


 あまり気が乗っている様子でこそないものの挨拶が返されたことで、少なくとも自分達と言葉を交わしてくれるつもりではあるようだと、取材陣の姿勢がぐっと前のめりになる。無言のまま押しのけられたりすげなくあしらわれたりといった経験を日頃から重ねている彼らの目には、咲良の応対はかなり好意的なものに映った。


「咲良さん、こちらのカメラに目線お願いします! これから、臨時ニュースで中継させてもらいたいんですが――」

「――ええっ!? 中継ですか!? 私これから学校なんですけど!」

「ではやはり、こちらの高校の生徒であるという噂は本当だったんですね!」

「どこから聞いたんですか……」


 完全に辺りを取り囲まれ、一歩も動けなくなった咲良。仕方がないので登校は諦めて、この熱が引くまでは質問に答えようと思って彼女は小さく咳払いした。


「例の配信以降音沙汰がありませんでしたが、アンチ・ワールドとの戦いはどうなったんでしょうか!」

「えっと、それはまだ……」

「記者会見という形ではなくライブ配信という手段を選んだ理由はなんだったのでしょうか!」

「り、理由ですか? うーん、配信の方が皆さんの生の意見が聞けるかなと思ったから、ですかね……。あと私普通の女子高生なので、記者会見とか馴染みないですし……」

「世の中にはまだまだ咲良さんに色々話を聞かせて欲しいと思っている人達が大勢いらっしゃいますが!」

「ええ、そうなんですか? 困ったなぁ……」

「今度うちの番組出てくださいよ!」「ずるい、うちもだッ!」「うちもうちも!」

「……き、機会があれば……」


 大量の視聴者が集まった生配信を堂々とやり切った彼女ではあるが、実際に聴衆から物理的に取り囲まれるのはそれとはまた違った経験だった。

 精神的疲労が毎秒蓄積されていく。

 そろそろ解放してもらいたいなぁと早くも彼女が思い始めた、そんな折。

 唐突にその場に現れた少女は――残念ながら、救いの女神というわけではなかった。


「――すっかり人気者だねぇ、正義のヒーロー」


 それは、咲良が以前対峙した少女の声。


「昨日もちやほや今日もちやほや、けれど明日はどうなってるかな?」


 それは、浅草未来街にて暴れる彼女の下に飛び込む形で咲良が問答を交わした相手。


「そんな喧しい人達じゃなくてさぁ、ちょっとボクの相手もして頂戴よ」


 その名を、破壊子ちゃん。


「それともヒーローはこんなひねた人間なんてお嫌いかなぁ」


 嘲るような笑い声混じりのその声は咲良の頭上から届いた。見上げれば、塀の上に腰を下ろして咲良と報道陣を見下ろす破壊子ちゃん。

 一斉にカメラがそちらを向き、どよめきが巻き起こる。


「――あー、うるさいなぁ。あと眩しい。ボク、カメラ嫌いなんだよねぇ」


 途端に苛立った声で吐き捨てる破壊子ちゃん。その声の直後、すぐ傍の街路樹が一本、見えない大腕に引き抜かれたような挙動で持ち上がる。

 そしてそのまま無造作に記者の山目掛けて振り抜かれる――


「う、うわァッ!?」

「きゃああああああああッ!?」


 一変する空気、悲鳴が上がる。


「へ〜んし☆んっ!」


 しかしいつの間にか報道陣の壁を抜け出ていた咲良が両腕で街路樹を受け止める。そのまま動かなくなった樹を元々生えていた穴に根っこから突き刺す。


「……もう、いきなり何するんですか破壊子ちゃん。危ないですよ」

「危ないのは良いことじゃんか正義のヒーロー。君の物差しだけが世の中の全てじゃないんだぜぇ」


 突然幕が上がった路上での決戦に記者達は蜘蛛の子を散らしたように避難する。しかしそれほど安全十分とは言えない距離からカメラを向け続けるのは彼らのプロ根性と言えるだろう。

 報道陣が逃げたことでできた空間に飛び降りて破壊子ちゃんは咲良へ目を向ける。


「ボクは手っ取り早く壊してやろうとしてるんだよぉ、ヒーロー。そこのうるさい連中まとめてさ。無価値な存在は壊れることでようやく価値を生む、無駄が無くなるという価値を。だから、これはボクなりの救済なんだ――それにキミも迷惑してただろぉ? しつっこく周りを付きまとわれてさ」

「……迷惑なのはあなたですよ、破壊子ちゃん。そんなに気安く人を壊そうとしないでください」

「イイコちゃんだなぁ、ボクだったら我慢できないけどねぇ。その時その時の空気に合わせて同じ相手を賞賛したり貶したり。そしていつだって無遠慮に色んな事をかぎ回る……、まさに人間の嫌なところだよねぇ。どいつもこいつも、世の中馬鹿みたいだよ」


 ゆっくりと近付いてくる破壊子ちゃんに向き直った咲良はヘルメットのバイザーを上げる。

 元々は素顔がバレないように被っていたヘルメットだ、今となっては拘る必要は特に無い。そして会話をするのに顔を隠したままでは気分が良くないという思いがそうさせた。

 そう、会話だ。

 咲良には破壊子ちゃんと戦いたいという意思は無い。そもそも暴力は嫌いなのだ。言葉をぶつけ合ってわかり合えるのならば、それに越したことは無い。

 例え分かり合えなくても、お互いが尊重し合えるポイントを見つけることができればそれは素晴らしいことだ。暴力による闘争はそこに至る為の機会を奪う。だから咲良は超人的な超常の力を持ってはいても、その力に訴えかけることは忌避していた。


「……あなたは、人が嫌いなんですか?」


 それは責めるような口調ではなく、静かで落ち着いた問いかけ。


「嫌いだよぉ。ていうか好きな人なんているの? 醜いし浅ましいし自分勝手だし嘘つきだし」

「私は、人のことが好きですよ」


 それは偽らざる彼女の本心。


「本当に? そう思い込もうとしているだけなんじゃないのぉ? だって、この世界でキミの事を邪魔するのも蔑むのも笑うのも、みぃんな人間だよ?」

「……だけど、私を思いやってくれるのも背を押してくれるのも一緒に歩いてくれるのも、人間ですから」


 彼女が今こうしてここに立っているのは、自分の力ではない。自分以外の人間に支えられて存在しているのだということを、彼女はお為ごかしではなくはっきりとそう認識していた。

 そして言わばそれこそが、彼女の根幹。

 人は人を救い支えられるのだという、過去に身を以て実感したその事実が、今の彼女の生き方を作ったのだから。


「ふぅん、そっかぁ。平行線だね。まぁ、分かってたけど」


 つまらなさそうにそう言って、破壊子ちゃんは咲良まであと数歩という位置で足を止めた。


「けど、ボクにも一つだけ人間の好きなところがあるよ」


 そしておもむろに持ち上げた左腕を、遠巻きに二人を見つめる報道陣へ向ける。


「――簡単に壊れるところとか、さ」


 直後、破壊子ちゃんの立つ路面に走る稲妻状の裂け目。舗装された歩道をビキバキと砕きながらその亀裂はたちまちの内に報道陣の下へ伸びる。

 超常的な力の奔流が彼らを襲う――


「やらせない!」


 ――その直前、咄嗟に破壊子ちゃんと彼らの間に割って入った咲良は脳を揺さぶられるような感覚を覚えた。そして腹部から胸部にかけて発する身が引き裂かれるような痛み。

 いや、実際に身体の内部が深刻なダメージを受けていた。


「ごぼっ……!」


 咲良の口から溢れる赤黒い液体。報道陣からどよめきが漏れる。

 その場に膝をつきそうになるのを彼女は気力で堪えたは、その脚は小刻みに震えていた。


「他人を庇うだなんて、ご立派ご立派ぁ。まだあんまり上手くないけど――ボクもようやく人体を直接壊せるようになってきてねぇ。お腹の中、ちゃぁんとお医者さんに診てもらった方がいいよ? ここから生きて帰れたら、だけど」

「……私を、殺す気ですか……?」

「専務がさぁ、キミのことは邪魔になっちゃったんだって。だからまぁ、悪く思わないでよね」


 邪悪に光る破壊子ちゃんの眼差しに、咲良は顔をしかめて後ろを振り返る。


「とは言っても土台無理な話か! なんてったって、ボクは悪の組織アンチ・ワールドの破壊子ちゃん! 悪く思われるのがお仕事だもの!」

「皆さん、ここは危険です……! 早く遠くに逃げ――」

「――残念、逃さないよぉ。その人達にはキミをこの場に縛り付ける為の囮になってもらうんだから!」


 そんな彼女の宣言通り、事態は既に引き返せないところまで進行していた。


「うあっ、なんだ!? か、身体が動かない……!」

「ど、どうなってんだよこれ!」


 口々に上がる狂気の悲鳴に、破壊子ちゃんは短く答える。


「金縛り。いいからそこで、黙って見ててね」


 既に場は整ったとばかりに、破壊子ちゃんは舌舐めずりするような笑みを浮かべて咲良を睨む。


「さて……。ボクはこれから君を少しずつ壊していく。もちろんキミはボクに反撃したっていいし、逃げ出したって構わない。ただし逃げた場合には、そこの人達は用済みだから死んでもらうけどねぇ」


 そんな一方的な台詞に、身動きを封じられた報道陣から悲痛な声が上がる。


「や、やめろ! 殺さないでくれ!」

「咲良さん、逃げないでくれよ!? 戦ってくれ!」

「嫌だぁ! 死にたくない!」


 そんな彼らを破壊子ちゃんは氷のように冷たい視線で一瞥する。


「……うるさいなぁ。静かにできない人は、先に死んでもらうよ」


 彼女の牽制に慌てて口を引き結ぶ男達。

 そんな彼らの視線を背中に受けながら咲良は口を開いた。


「……私を殺すだけにしては、手の込んだことをするんですね」

「ふふふ、確かに専務の指示はキミの殺害だけどぉ――ボクはその前に、キミという人間を壊したい。キミの心を壊したい。殺すのは、壊した後だ。そうじゃないとボクの心は満たされない」

「……どうしてそんなに、私を壊すことに拘るんですか?」


 咲良の静かな問いかけに破壊子ちゃんは声を張り上げ主張する。


「どうしてって、そんなのムカつくからさ! 誰かの為に行動するキミが腹立たしい! 温かなその眼差しが気に食わない! 綺麗事を平気で口にする神経が許せない! ボクはねぇ、ヒーロー。こんな世の中、全部壊してしまいたいんだ。でもキミはそれを守ろうとする。だから壊す! キミごと、キミの周りを全部ッ!」


 そんな叫びにも近しい声を受け、咲良には動じた様子は見られなかった。


「キミは結局、どこまで行っても正義のヒーローなんだよ。キミは違うというけれど、それはキミが、自分自身を自覚していないだけだ。そして無自覚な正しさほど見ていられないものはない。ボクみたいに穢れて捻じ曲がった人間は、キミみたいな人間が存在するというその事実だけでどうしようもなく壊れた気分になるんだよ。ああムカつく、ムカつくなぁ。正しく真っ当に存在するキミが許せない」


 だから破壊するのだと、少女は言う。

 決して分かり合えない、自分とは根本から異なる存在。

 破壊子ちゃんと相対した咲良はただおもむろに口の周りの血を拭って、それからゆっくりと息を吐く。


「――少し、その気持ちは分かるかな」


 真っ直ぐな視線で彼女を射る。


「私も、あなたには段々ムカついてきたから」


 そして挑戦的に小さく笑った咲良に対して、破壊子ちゃんも酷薄な笑みを浮かべ返した。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?