「――というわけで、今ご説明した案について色々と許可をもらいたいんですが」
友人二人と通話して元気を取り戻した翌日。
咲良はダイニングで一人電話をかけていた。弥生は一人で仕事へ向かった為、家には彼女一人きりだ。
電話の相手はバイト先のボス、幸福丸。大宇宙救済解放幸福丸。超常の力を操る異次元生命体。
三次元的な形を持たない彼との限られた意思疎通の手段。それが音声通話を介することだった。
『許可は出そう、仕方無い、事ここに至っては』
抑揚の乏しい男とも女とも言えない合成音声で答えた彼は「しかし」と言葉を区切ってからこう続けた。
『お前はそれでいいのか、本当に。遠いものになるぞ、これから先、日常は』
彼の合成音声に感情は介在しない。
しかしそれでも、咲良のことを案じる念が確かにその台詞には込められていた。
そのことに若干の意外感を覚えて咲良は薄く笑った。
「構いません。私にとっての日常は、このくらいでは揺らぎません」
しかしはっきりとそう言い切った彼女を前に、幸福丸はそれ以上反駁を重ねなかった。
『ならば善し――任せたぞ、咲良。我らの使命だ、救済こそが』
そんな決まり文句を残して通話が切れる。
画面の暗くなったスマホをポケットに仕舞いながら咲良は呟く。
「使命とか救済とか、そういうのは別にどうでもいいんですけど」
その瞳に宿った光は真っ直ぐに前を見据えていた。
「今まで通り、やりたいようにやらせてもらおうと思います」
それは既に覚悟が決まった少女の声だった。
◇◇◇
私の人生観を変えた富士山の噴火から早一週間。
逃げ延びた先の体育館に開設された避難所での生活にも落ち着いて、これからの生活について考え始めるには私にとってちょうどいい期間だった。
後回しになってしまっていた恩人へのお礼も昨日メールという形で送ることができ、心理的にも一歩踏み出す準備ができたのだと感じる。
一度精神がどん底にまで落ち更には大きな災厄を経験した今ようやく前向きな気持ちになれるというのは、一つの奇跡みたいなものかもしれない。
あの日の偶然が無ければ決して起こっていなかったであろう奇跡。
たった一人の、かなり歳下の少女との偶然の出会いが私を今に連れてきてくれたのだ。
もう一度自分の人生を生きて、彼女に胸を張れる人間になろう。
救ってよかったと思える人間になろう。
そんなやる気が今の私を奮い立てていた。
――その衝撃的な配信は、そんな矢先の出来事だった。
体育館の一角でどよっとしたざわめきが上がり、何事かと目を向ける。
するとみんな何やらスマホの画面へ釘付けになっていて、スピーカー出力になっている音声から何か途切れ途切れに聞こえてくる。
『――……たしは……、の……ヒー…………です』
残念ながら台詞は上手く聞こえない。
けれど何故だか、漏れ聞こえてきたその声を私はどこかで知っているような気がした。
聞き覚えのある、少女の声。
「おい、ゼイチューブのライブ配信だってよ!」
「マジかよなんてチャンネル?」
近くでそんな男子高生の会話が聞こえてきて、私は内から湧き上がる何かに衝き動かされるようにしてスマホのアプリを立ち上げた。
ライブ視聴用の画面に移動すると、問題の配信はすぐに分かった。
急上昇中の配信として、画面の一番上に表示されていた。
「これは……」
配信タイトルとサムネイルに虚を突かれた思いを受けながら、そのサムネをタッチする。
「……うそ」
そうして画面に表示された少女のバストアップに、私は衝撃を受けた。
まさかこんな形で、再びその顔を見ることになるなんて。
◇◇◇
「ちょっと紅歌! これ、あんたの友達じゃないの!?」
いきなり部屋のドアを蹴破って突入してきた無礼な姉貴に蹴りを一発喰らわせる。
「っせーな! 非番で寝てたんじゃねぇのかよ!」
「いいからこれ見なさいよ! ほら! ほら!」
腕を交差して私の蹴りを受け止めた姉貴は、まったく衰えることを知らない勢いでスマホの画面を見せつけてくる。
一体何事かと眉をひそめて目を向けるとそこには――
「――咲良ぁ?」
見間違えるわけもない、友人の顔。
友人が素顔でライブ配信していた。
何やってんだあいつ。
あいつ私達に内緒でこんなことをしてたのかと思いながら、視線を落としてライブタイトルを確認する。
――〝他称〟正義のヒーロー、皆さんの質問にお答えします。
「……。……? ――ッ! はぁぁああああああッ!?」
タイトルの内容は最初頭に入ってこなかった。
私の中にある咲良という友達と正義のヒーローという概念がすぐには結びつかなかった。
しかし意識的に結びつけてみれば、その二つは驚くほどに咬み合わせが良いというか、不思議なほどにしっくりくるような気もする。
咲良という私の友人は、基本的には普通の女子高生なはずなのに突拍子の無さという点では人後に落ちないところがあった。
だからだろうか。これまで別々の存在であったその二つが私の脳内で綺麗に結合することそれ自体への違和感は無かった。素直に受け入れることができた。
けれどそれ故にと言うべきか、驚きや憤りといった感情が衝動的に噴出した。
「あんたこれどういうことよ! あのヒーローの正体、あんたの友達だったの!?」
「知らねぇよッ!」
「なんで知らないのよ!」
「私が聞きてぇよッ!」
まったく、一体どういうことだ。
混乱する頭で強く思う。
どうしてこんな大変な事実を、あいつは一人で背負い込んでいたんだ。
私達に隠し事とはいい度胸だな。今度会ったら殴ってやる。
◇◇◇
「お兄ちゃん、私まだ寝ぼけてるみたいだから、ちょっとほっぺたつねってくれない?」
色々事件もあったので久々に家族へ顔でも見せておこうかと帰ってきた実家で、心此処に非ずといった調子の妹がそんなアホみたいなことを言ってきた。
ここ数年は「汗臭いから近寄りたくない」などと切れ味の鋭い台詞を吐いて自分からは近付いて来ようとしなかったのに、そんなスタンスも忘れるほどの衝撃を受けているのだろうか。
「……自分でつねれば?」
「もうやったんだけど、覚めなくて……」
「じゃあ現実なんじゃないの」
高校生にもなって何を馬鹿なことを言っているんだと兄として心配になりつつ、俺は差し出された妹の頬を力いっぱいにつねり回した。
「ぎゃあ! 千切れるッ! 離せ、離してよ! お兄ちゃん嫌いッ!」
「ひどいなぁ」
お望み通りにやっただけなのにな。
「それで、何がそんなに信じられないんだよ」
「これなんだけど……」
右手で左頬をさすりながら、奈留が自分のスマホを差し出してくる。
その画面にはゼイチューブでのライブ配信が表示されていた。配信者に見覚えは無い。知らない少女だ。
「その子、私の友達なんだけど……」
「へぇ」
素顔を晒して配信するなんて、随分お転婆な女子高生だと俺は思った。
そりゃあ友達がこんな配信をしているところを見つけたら驚きもするかと、妹の奇行について一人で勝手に納得をする。
一体どんな配信をしているのやら。
……随分チャットの流れが早いな。
画面右端のチャット欄が下から上に猛スピードで流れていく。到底目では追いきれない量だ。
『――えーっと、なになに? 本物だという証拠見せろ、今ここで変身してみろ……。まあ、別にいいですけど』
ちょうど画面の中の少女がチャットを拾って読み上げているところだった。
『うーん、カメラの前って緊張するなぁ――へ〜んし☆ん。……こんな感じなんですけど』
淡白な台詞の中で、画面の中の少女が一瞬にして白いフルフェイスヘルメットとスーツを身に纏う。
それは先日の浅草未来街事件の際に俺が直接であったヒーローとまったく同じ出で立ちだった。
「……まじ?」
思わずそんな声が漏れる。配信のチャットは今まで以上の勢いで見たことが無いほど盛り上がっていた。
「……奈留、ちょっと兄のほっぺたつねってくれないか」
「え? やだよ……」
妹は短くそんな拒絶を示して俺の手からスマホを回収し「うーん、長い夢だなぁ」と未だアホみたいなことを言いながら自室に戻っていった。
俺は仕方がないので自分のスマホでゼイチューブアプリを起動した。