目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第23話

 弥生の仕事に一日中ついて回った咲良は珍しく帰宅早々風呂場へ一直線し、疲れた身体を湯船で癒やした。

 のんびりじっくり身体を休めて、その後は弥生が作った夕食を食べる。

 疲れ切るまで働いて、温かいお風呂に入って、美味しいものを食べて、久し振りに気分がそこそこ晴れていた。

 自室へ引っ込み柔らかいベッドにその身を預け、ぼんやりと天井を見上げる。

 こうやって静かな場所で一人じっとしていると色々な考え事が頭を巡り様々な光景がフラッシュバックするけれど、今は少なくとも後ろ向きな気分ではなかった。

 なんとなく、ふと思う。


「……二人の声、聞きたいなぁ」


 火山灰の降灰による影響で学校は無期限の休校となり、友人達ともしばらく顔を合わせていない。

 しかし物理的な距離が離れていても、声を聞くことに不自由は無い。そんな便利な時代なのだ。

 咲良は思いついたままにスマホを操作し、奈留と紅歌と三人のグループ通話を開始する。

 スピーカーから呼び出し音が鳴っていたのはほんの数秒のことだった。


『――もしもし、咲良ちゃん? どうしたの? 咲良ちゃんから電話くれるなんて珍しいね』

『――いつもは大体お前からだもんな、奈留』


 初めに奈留が、次いで紅歌が通話に参加し声を発する。

 二人と会っていない期間はたった一週間程度のことだったはずだが、随分久し振りの再会に感じられた。

 いつも通りな友人の声に咲良は小さく笑みを浮かべる。


「ううん、特に用事は無いけど。なんとなく、二人の声が聞きたくなって。今、大丈夫だった?」

『大丈夫だよ〜。それにしても、嬉しいことを言ってくれるなぁ、私達の声を聞きたいだなんて』

『なんだ、たった一週間学校が休みになっただけで人恋しくなったのか? 咲良には弥生サンがいるだろうに』

「別に弥生は関係無くない? しばらく会ってない友人のことが気になるのは普通でしょ」

『会ってないって言っても、テキストチャットはしてたじゃんか。毎日会ってるようなもんだろ』

「だーから、声が聞きたかったんだって!」

『珍しい――まあいいや、どうせ暇だったし付き合ってやるよ』

『紅歌ちゃんってなんでそんなに偉そうなの?』


 そんな愚にもつかない何でもないやり取りが続いていく。

 けれどそんな取るに足らない会話の時間が、咲良にはとても心地良かった。


『――けどさぁ、まさかこんな世の中になるなんて、今月の初めには思ってなかったよな』


 お互いの近況を一通り交換しあった後で、紅歌がそんなことをぽつりと呟く。


『そうだねぇ……。世界なんて、たったひと月であっという間に変わっちゃうんだねぇ』


 紅歌の呟きに奈留が感慨深げな声でそう応えた。


『タワーマンションの事件で最初にヒーローが目撃されたのもまだ三週間前くらいだぜ。もう随分昔の話みたいな感覚だよ』

『あー、あれも今月の頭くらいだったかぁ』


 それから「色々あったなぁ」と呟いてから、奈留が少し沈んだ声で続けた。


『……あれから、ヒーローに対する評判も随分変わっちゃったね』


 声が沈んだのはまだ社会がヒーローに対して肯定的だった頃を思い出してのことだろうか。

 そんな奈留の声に、紅歌は小さく唸り声を返すだけで何も言わなかった。

 そうして生まれた僅かな沈黙。それが静寂へ変わる前に、咲良がおもむろに口を開いた。


「……二人はさ。ヒーローについてどう思う?」


 ただ単に沈黙を嫌って話題を作った、というわけではない。

 彼女は、聞いてみたいと思ったのだ。

 友人二人がヒーローについてどう思っているのか。

 一連の事件に二人はどんな思いを抱いているのか。


『――酷いもんだよな』


 咲良の問いかけには、紅歌が最初にこう答えた。


『浅草未来街の時はヒーロー持ち上げムードだったのに、今やみんな手の平返して総叩きだぜ。そんなにころころ意見変えるなら最初から黙ってろって思うんだけど』

『……うわぁ、苛烈ぅ~』

『一番気に食わないのは、ヒーローは強い力を持ってるんだから悪者と戦ったり人を助けたりするのが当然だって前提でいる奴らかなぁ。……消防士だって、防火服着てるからといって火災現場に突入するのは当然じゃない、自分の身を危険に曝す勇敢な行為なんだ――それを現場にもいない人間が外から好き勝手話しているような感じがして、腹が立つよ』


 レスキュー隊員の姉を持つ身だからこその憤懣があるのか、不快感を隠そうともせずに紅歌はそう言い切った。


『……紅歌ちゃんは、真っ直ぐだねぇ』

『なんだよ、奈留はヒーロー反対派か?』

『ううん、私も紅歌ちゃんの言ってることは分かるよ。みんなヒーローさんに自分のイメージとか考えを押し付けすぎだよね』


 ビデオはオフになっていたが、二人には奈留が浮かべている困ったような笑顔が目に浮かぶ、そんな声色だった。


『もちろん、事件で不幸な目に遭ったり大変な状況になってる人達もいるから強い意見が出てくることも仕方が無いんだと思うけど……。でも、あまりにも自分勝手な意見が多いように思えるな。そして、テレビでもネットでもそういう意見ばかりが目立つようになっちゃってる。……私は、そんな意見が全てだってヒーローさんが思っちゃわないかが心配、かな?』


 そんなヒーローのことを慮った台詞は心優しい彼女だからこそのものだろう。

 テレビやネットの意見は咲良もこれまで散々見てきた。けれど奈留のような意見は初めてだった。

 これまで触れてきたものとはあまりにも毛色の違う意見なので眉に唾をつけてみたくなったけれど、人には色々な考えた方があるのだなと、咲良は改めて思わされた。

 そして咲良は思った。

 この二人が友達でいてくれて良かったと。


『――おい、咲良、どうかしたのか?』

『――咲良ちゃん?』


 黙ったままの彼女を訝しく思ったのか、口々に訊ねてくる二人。

 そんな彼女達に、咲良は笑って言った。


「私、二人が友達で良かった!」

『はぁ? なんだそりゃ』

『わ、私も咲良ちゃんが友達でいてくれて良かったと思ってるよ!』


 様々な意見に打ちのめされて、生き方を改めた方が良いのかと思ったけれど。いなくなってしまった方がいいのかとも思ったけれど。

 たった二人の意見だけで、咲良はもう少しだけ自分らしく生きてみてもいいのかなと思った。

 自分の生き方に、自信をもらえた気がした。


「それじゃあ私、そろそろ寝るから! 今日はありがとね、二人とも」

『ばっ、おいっ、自分勝手だなお前! 恥ずかしい台詞言い逃げって――』

『えっ? あっ、うん、おやすみ咲良ちゃ――』


 何やら言い募っていた二人との通話を一息に終了し、咲良は小さく息を吐く。

 いつの間にか気分も晴れ、日中重ねた疲労も相まって、今日は久し振りにぐっすり眠れそうだと思った。

 そんな折。

 手に持っていたスマホに一件の新着メール通知。

 見慣れないアドレスを不思議に思ってそのままメールを開封すると、そこにはこう記されていた。


【名前も知らない恩人へ

 突然のメールをすみません。

 以前、◯◯橋から身を投げたところをあなたに救っていただいた△△△と申します。

 あの時のお礼を伝えたくて、ご連絡させていただきました。


 あの後私はお医者様の奨めもあって、心を休める為に山梨の実家に帰っており、そこで先日の富士山噴火に遭遇しました。

 実家は火口から近い場所にありましたので溶岩に飲まれてしまったのですが、実家に帰っていたお陰で、足の悪い母を背負って家から逃げることができました。


 あの時死のうとしていた私をあなたが救って下さったから、私は自分の母を救うことができました。

 あなたは、私と私の母にとっての恩人です。

 本当にありがとうございました。


 身辺の整理に忙殺されお礼をお伝えするのが遅れてしまい申し訳ありません。

 今は死のうなどと考える余裕も無いほど忙しい日々ですが、お陰様で充実した時間を過ごしております。

 いつか母共々直接お礼申し上げる機会をいただければと思っています。


 大変な世の中ですがくれぐれもお体にはお気をつけてお過ごしください。】


 そんなメールを最後まで読んで、それから咲良はもう一度頭から読んだ。

 思い起こされる、あの日の出来事。

 別に何か大層なことを考えていたわけではない。ただ単純に身体が動いただけだった。

 あの場で彼女を助けた後も、自分が本当に彼女を救えたかどうかは分からないと思っていた。

 彼女が抱える悩みは解決なんてしていないし、人生経験の少ない自分には彼女を思い直させる力も足りていないと思っていた。

 だから、心の奥でずっと気がかりに感じていた。

 そんな彼女の無事をこんな形で確認できて、それが何よりも嬉しかった。


「――咲良、今日のお客さんからもらったゼリー冷えたから食べ……なんで泣いてるの?」

「泣いてないっ!」

「いや、でも泣いてるし……。どうしたの? 嫌なことでもあった?」

「違う! ていうか、勝手に部屋入ってこないでよ馬鹿っ!」

「嫌なことじゃないなら――嬉しいことでもあった?」

「〜〜っ!」

「ははーん、なるほど、良かったじゃないか。だから僕は言っただろう? 君に救われた人達は君に感謝しているはずだって。別に先日の件だけじゃない。これまで咲良が救ってきた人は大勢いる。咲良はもっと誇ってもいいことをしていると、僕は思うけどなぁ」

「うるさい! 別に感謝して欲しくてやってないし! やりたいようにやってるだけだし!」

「はいはい……、それよりゼリー食べる?」

「……食べる!」


 もうすっかり、迷いも悩みも吹っ切れていた。

 そんな彼女を見て弥生は笑う。

 やはり咲良はこうでないと、と彼は思った。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?