日本中――いや、世界をも震撼させた富士山噴火事件による直接の死者数は三桁に上った。
無論、被害は噴石による死傷者だけではない。
時間をかけてゆっくりと街を飲み込んだ溶岩流。
偏西風に乗って関東一帯にまで降下した火山灰。
噴石と溶岩流による火口周辺地域の壊滅的な被害はもちろんのこと、火山灰によって日本という国が受けたダメージも深刻だった。
降灰による影響で電車は各社運休、車道もスリップの危険がある為に一般車は通行禁止。飛行機もエンジンが故障するため国内線はもちろん羽田空港と成田空港を発着する国際線も全て欠航。
更には一部地域では水道水が汚染されたため計画的な断水を実施。電線に灰が積もったことで漏電が発生し、静岡と山梨を中心とした四十万軒以上で停電も発生した。
また、灰を吸い込むことによる健康被害への懸念から火山灰が飛来した地域では屋内退避が推奨され、静岡県から千葉県までの一帯は人も出歩かない死の街と化した。
陽光を遮る分厚い雲。まさしく絶望の世界。
都市機能の麻痺による経済損失は莫大なものとなり、被害総額は数兆円にも及ぶと試算された。
かように、完膚なきまで叩きのめされた社会。
屋外での活動が制限され復旧は遅々として進まない。
どころか、静岡や山梨を中心とした降灰量が多く山がちな地域ではいわゆる降灰後土石流等の二次災害も発生し、日常が戻るのには長い時間がかかることを予感させた。
テレビはそんな富士山噴火による被害を連日連夜伝え、列島全体を沈痛な空気が覆っていた。
噴火直後の数日こそ、人々は被害状況の把握や対応に追われてそれどころではなかった。
しかしやがて少しずつ非日常が落ち着いてくると、柊木亜心という富士山の噴火を引き起こした個人――それと同時に、彼が敵視し宣戦布告した正義のヒーローについて議論も報道も加熱していった。
柊木亜心は、アンチ・ワールドとは何者なのか。
そして正義のヒーローもまた、何者なのか。
富士山の噴火は柊木によるヒーローへの報復ではないのか。
ヒーロー達とアンチ・ワールドの抗争に巻き込まれて多くの犠牲者が出たのではないのか。
ヒーローには噴火による被害から国民を守る責任があったのではないのか。
今回出た犠牲はヒーローの怠慢によるものではないのか。
ヒーローは国民の前に姿を見せて今回の件についてしっかり説明すべきではないのか。
再度姿を見せる気配の無い柊木にも、沈黙を守り続けるヒーローにも、人々は説明の声を求めた。
もちろん人々は、今回の事件を引き起こしたのは柊木亜心という、ヒーローと敵対する勢力の人間であるということを忘れたわけではなかったはずだ。
しかし、これだけの大災害を引き起こした個人に表立って非難を向けることに心理的抵抗があったのか。
はたまた、柊木の持つ特殊な力の恐ろしさを見せつけられたことで同じような力をもつれヒーローにも同様の恐怖が向いたのか。
柊木やアンチ・ワールドに対して向けられる非難よりも、ヒーローに対して向けられる不満や怒りの方が数は多いようだった。
一部ヒーローを擁護する立場に回った論者もいたが、彼らにテレビのマイクが向く機会は少なかった。
そしてテレビ番組が報じるそんな国民の声など可愛いもので、インターネット掲示板やSNSなどの場では極端な意見が過激な表現で数限りなく飛び交っていた。
【ヒーロー消えろ。無能なだけじゃなく周りも巻き込むとかただの迷惑】
【何の為の力なんだよ】
【俺の母ちゃん目の前でヒーローに見捨てられた】
【悪人から人を守れない癖にヒーロー面するな】
【大勢の人間を死なせたことを死んで謝罪しろ】
【今すぐ火口に飛び込んで溶岩に飲まれた人の気持ちを味わってこい】
【俺の家元に戻してくれよ、マジ最悪】
【アンチ・ワールドとの戦いに国民を巻き込まないで欲しい】
【あんなふざけた格好をした奴ら信じるんじゃなかった】
【政府はこんな危険人物を野放しにせず捕まえて檻の中へ入れるべき】
【都合が悪いからいつまでも出てこずに隠れてるんだろ】
【ヒーローが無能なせいで日本は柊木に征服されるんだ】
【あいつらに正義のヒーローを名乗る資格は無い】
【今までだってあいつらのせいで起こってた事件とかあるんじゃないの】
【俺は前から気に食わなかった、雰囲気が偉そうだったし】
【人でなしはこの国から出ていけ】
【勝手に戦ってろ、日本以外のどこかで】
そういった人々の怨嗟の声は交わり、反響し、増幅され、より力を増したうねりとなって国を飲み込む。
事件前までは好意的だったヒーローへの風当たりは、あっという間に逆風となった。
元々注目と期待を集めていたからこそ、一度のきっかけでどん底にまで落ちる。
期待は失望へと変わり、羨望は嫌悪に転じ、希望は絶望に反転する。
負の感情は更なる負の情動を呼び、不幸へと育つ。
この国は柊木亜心という一人の人間が思い描いた通りに、その望んだ場所へと向かって奈落の中を堕ちていった。