東京都内、とあるオフィスビル。
私が勤める株式会社安泰世界はそのワンフロアにオフィスを構えている。
そんなオフィス内の会議室――たった二人で使うにしては広すぎる部屋に、私は破壊子ちゃんと向かい合う形で座っていた。
土曜日にも関わらずオフィスへ出社しているわけだが、私達はこの会社の役員である為、労働基準法や就業規則には縛られない。休日返上で仕事に忙殺される哀れな会社員というわけではない。
『それでは次の議題です先日のタワーマンションでの活動の際に邪魔をしてきた何者かについてです恐らく私達と同じ超常的な力を操っているものと思われますその後何か分かったことはありますか
会議室内でその台詞を発したのはもちろん私でも、破壊子ちゃんでもない。男と女の声を行ったり来たりするように変調する耳障りの悪い機械音声が、一定の抑揚で矢継ぎ早に発言する。
その声は会議室のテーブル上に設置された、リモート会議用のスマートスピーカーから発されていた。部屋にはビデオ通話相手の映像を映し出す為のディスプレイも備え付けられているのだが、その画面は暗いまま。
「いえ……。私の方では何も。しかし、社長と同じ類の力を持っているということであれば、社長にはお心当たりがあるのでは?」
スピーカーの声に呼びかけられ、私は慇懃無礼にならない程度の口調で問い返す。
『無論裏で糸を引いている者には心当たりがあります私と同じ異次元生命体ですこちらで何と名乗っているのかは分かりませんですが恐らくビッグクランチを目論む一派の一人でしょう』
「手掛かりが分かってるならさぁ、さっさと教えてくれればよかったじゃんねぇ。崩壊左衛門のイジワル」
間延びした声でそう口を挟んだのは、テーブルに両肘をついて両手で顔を支えながらじっとりとした視線をスピーカーへ向ける破壊子ちゃんだ。
『破壊子ちゃんお行儀が悪いですよそれにこの程度のことは手掛かりとは言えません私が伝えずとも柊木さんなら察していたでしょう安泰世界の専務取締役の肩書きは伊達ではないはずですから違いますか?』
「過分な評価ですね。しかし期待をしていただいてるのであれば、それを裏切るのも気が引けます。あの邪魔者についての対応は私に一任してもらいたいのですが、いかがでしょうか」
『構いません私達の状況は知っての通りですのであまり人手は出せませんがそれでもよければ柊木さんにお任せしようと思いますそもそも初めからそのつもりでした』
「ありがとうございます。人員については、私と破壊子ちゃんだけで十分です」
そんな私の台詞に破壊子ちゃんは両肘を机についたまま満足げな笑みを浮かべた。
『それでは二人ともよろしくお願いしますただ柊木さん一応この場であなたのプランを聞かせていただいてもよろしいですか知っておかないと私や他のメンバーが邪魔をしてしまう可能性もありますし第一単純に興味があります』
「もちろんです、社長。破壊子ちゃんもしっかり聞いておいてくれ。同じ説明は二度としない」
「はいはい、分かってるってぇ」
破壊子ちゃんが体勢を変えて少なくとも話を聞く姿勢になったことを一瞥してから視線をスピーカーへと落とす。
「まず、先日の邪魔者をヒーローと仮称しますが……。ヒーローには我々にとっての利用価値があると考えています。即ち、我々の目的である【ビッグリップ】の実現にヒーローの存在を活用することが計画の骨子となります」
ビッグリップ――宇宙の膨張が極限にまで進行し原子と原子が結びつきを保てなくなり宇宙の全てが塵と化す結末。
私はそれを「我々の目的」と語ったが、実際にはそれは崩壊左衛門こと森羅万象破綻必滅崩壊左衛門社長の目的であって、私個人の目的ではない。厳密に言えば私には目的と呼べるものなど何も無い。ビッグリップを目指しその為の組織として崩壊左衛門が設立した株式会社安泰世界――そしてその裏で存在する秘密結社アンチ・ワールドに所属する幹部として、この場では「我々の目的」という言葉を遣ったまでだ。
三パターン想定される宇宙崩壊シナリオの一つであるビッグリップが実現した場合、宇宙の寿命は約二千億年になると想定されているという。ダークマターによって生み出される重力を、それに対して反発する重力として作用するダークエネルギーが上回った場合に実現すると考えられているビッグリップは、ダークマターとダークエネルギーが均衡した場合のシナリオであるビッグフリーズと同様に、次の宇宙には繋がらない。しかしビッグクランチが起こる場合よりは確実に現宇宙の寿命が延びるこのシナリオを、崩壊左衛門社長は積極的に支持していた。
しかしそんなスケールの大きな話は私にとってどうでもいい。
そもそも社長の語る宇宙崩壊シナリオが正しいのかどうかすら、私には判断が付かない。
異次元生命体と現在の地球人類の知見には隔絶した差が存在する。社長は地球人類が持つ数ある仮説の中で最も異次元生命体の思想概念に近い【共形サイクリック宇宙論】になぞらえる形でシナリオを言語化したに過ぎず、その翻訳の過程で重要な情報や概念が抜け落ちている可能性は否定できない。
そんな訳なので、私にとっては社長の目的も宇宙の終焉もどうでもいい。
どうせ地球人類は宇宙の寿命が訪れるよりも遥かに早く星ごと滅亡するだけの儚く取るに足らない存在だ。
だから私は人生における成功も失敗も全て等しく無価値だと考えているし、人生なんて崩壊左衛門の目的と同じくらいどうでもいい。
私が安泰世界に所属し社長の目的の為に働くのは、死ぬまでの単なる暇潰しに過ぎない。
もっとも、ダークエネルギーを生み出す為に地球人類の精神総和を不幸へと傾ける為の活動は、無意味な人生において無駄を繰り返す愚かな人類に身の程を教えてやれるようで、多少は胸のすくような思いが無いでもなかったが。
だから、或いはそれがやりがいとでも呼べるのだろうか。
ともかく、私は自身の目的とは関係が無い安泰世界での仕事に対して、真面目で真摯に取り組んでいるつもりだった。
「人の精神というものは、上り調子であったり希望で満ち溢れている時にこそ、一度のショックで絶望へと転じるものです。ヒーローには、日本中の国民を絶望へと叩き落とす為の下準備を手伝ってもらいたいと思っています」
『今世間を賑わせている謎の存在を正義のヒーローとして公に周知させることで人々の精神を一度正の方向へ誘導するということですねそしてその後に大いなる絶望でもって負の感情をより強く発生させると』
「その通りです。下準備が整えば、分かりやすいショックとして私達アンチ・ワールドの存在も公にすべき時が来ると想定されますが」
『それは構いません安泰世界の方はともかくアンチ・ワールドであれば柊木さんのタイミングで公表してしまって大丈夫ですよりインパクトの強いやり方でお願いします』
「承知いたしました」
するとそこで、向かいに座る破壊子ちゃんが首を傾げて訊ねてきた。
「でも、その下準備をする為にヒーローの存在を世間に知らしめないといけないんだよね? そんな面倒なことどうやってやるつもりなのさ」
「何も面倒なことは無い。奴が――個人なのか複数いるのかは知らないが、ビッグクランチを目論む集団の人間ということは、人々を幸福にする為に活動している。つまり大勢の人間を不幸にする事件を起こせばおびき出せる。近くにテレビの取材などでカメラが回っているような場所で事件を起こせばなお良いな」
「……前置き長いなぁ、つまり?」
「ちょうど明日都内でオープンを迎える大型複合施設、浅草未来街――注目度の高いそこで事件を起こすのが、最も手っ取り早いだろう」
そして私は獰猛な笑みを浮かべる少女に計画を細かく説明した。