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第4話

 最近世の中の平凡さに物足りなさを感じていたお年頃の私にとっては、昨日の夕方から各局のニュースで報じられた出来事はとても新鮮で、衝撃的なものでした。

 炎上中のタワーマンションから瞬間移動としか言い表せない現象で救助された住民達。

 突如として不自然な崩壊を迎えたマンション。

 そして宙に浮いてゆっくりと着陸する瓦礫の山。

 一部始終を中継していたカメラの片隅に映っていた、謎の人影。

 物語の中でしかお目にかかれないような出来事が実際に現実で起きたというのですから、興奮せずにはいられません。

 それは多くの生徒達にとっても同じだったようで、朝から学校中が同じ話題で盛り上がっているようでした。


紅歌べにかちゃん、咲良ちゃん、おはよう。ニュース見たよね? すごかったよね、昨日の事件!」


 教室に入るなり友人二人の姿を認めた私は、開口一番挨拶もそこそこにそんな声をかけました。

 普段の私であれば朝からこんなに興奮していることは珍しいのですが、今日はなによりもこのニュースを友達と思う存分語り合いたい! という衝動がありました。

 昨晩からこの衝撃を、この興奮を、誰かと分かち合いたいという思いを抱えつつ。けれどもそれが満たされぬまま今朝を迎えた私としては、友人と顔を合わせるこの瞬間を今か今かと待ち侘びていたのです。

 私の家は元々両親ともに帰りが遅く、唯一の話し相手と言えた兄も今年の春から寮生活で家を出てしまったせいで、昨夜は一人で眠れぬ夜を過ごしました。

 そんな精神状態だったので、二人の様子をうかがわずに自己本位で声をかけてしまった私のことは、あまり責めないでいただきたいです。


「おう……。おはよう、奈留なる。ガラにもなく元気だな」

「べ、紅歌ちゃんはガラにもなく元気無いね……。どうしたの? 何かあった?」


 私達三人の中で一番元気よく男勝りな性格の紅歌ちゃんは、何故だか今日は憔悴しきったご様子。まだ朝も早いというのに、既に疲れ切っているように見えました。


「いや、なに……。昨日の事件、うちの姉貴も出動してたんだけどさ」

「あっ、そうなんだ……。お姉さん、レスキュー隊だもんね。大丈夫だった? お怪我とかはされなかったの?」


 何かあったのかという私の問いかけに対して答える形で始まった紅歌ちゃんの台詞。その出だしから、思わず口を挟んでしまいます。


「ああ、それは大丈夫なんだ。報道の通り、昨日の事件での死傷者は警察・消防含めていないんだってさ。まさしく奇跡だよなぁ」

「そう、それはよかった」


 相槌を打ちながら、私は一人反省です。

 昨日の事件を話の種に楽しく盛り上がるつもりでしたが、その事件に深く関わった方が身内にいる紅歌ちゃんのことを考えると、それは不躾で不謹慎なもののように感じられました。

 そうでなくとも、昨日の事件は怪我人こそ出なかったのが不幸中の幸いというだけで、不幸な出来事であることには疑いようがありません。マンションはばらばらに崩壊してしまったのですから、大勢の方々が家を失われたということです。

 そんな事件に他人事ながら興奮していた自分に気付いて、私は酷く恥ずかしい気持ちになりました。


「けど、その姉貴が間の悪いことにあの謎の人影のすぐ傍に居たらしくてさ、それがカメラに映ってたんだよ。そのせいで昨日から、謎の人物の手がかりを集めようとするマスコミの連中が家にまで押しかけてきて……。姉貴は昨日ずっと当直で家には帰ってきてないってのに」

「そ、そうなんだ……。それは大変だね」

「全くだぜ。お陰ですっかり寝不足だ。あいつら、人の都合とか全く無視しやがるんだな」


 そんな伝法な口調は普段から彼女の持ち味なのですが、今日は本気の苛立ちが見えます。随分と嫌な思いをしたんだなぁと、なんだか気の毒な気持ちになりました。


「――ところで、咲良ちゃんの方はどうしたの? 紅歌ちゃんに負けず劣らず元気無いけど」


 これ以上紅歌ちゃんに昨日の出来事について聞いても憤懣を刺激するだけだと思い、私は少々強引ながらも話題の転換を試みました。

 とはいえ咲良ちゃんの状態について気になっていたのも事実です。決して話題に困って仕方なく触れたわけではありません。

 いつだって元気溌剌・天真爛漫・天衣無縫な紅歌ちゃん程ではないにしろ、咲良ちゃんも基本的に明るく元気な女の子です。

 そんな彼女が机に突っ伏して重たいオーラをこれ見よがしに纏っている姿というのは、何かがあったということなのです。


「咲良ちゃんも、昨日の事件絡み?」


 タイミング的に考えてひょっとしたらと思い投げかけてみた問いかけでしたが、思いがけず私の勘は当たっていたようでした。


「うん……。ちょっと弥生に、怒られちゃってさ……。あんまり危ないことするなって……。はぁ……」


 弥生さんというと、咲良ちゃんと一緒に暮らしているという歳上の男性の方です。血の繋がった家族というわけではないらしいですが、何やら込み入った事情がありそうなので踏み込んだことは聞いておらず、詳しいことは知りません。

 けれどそんな弥生さんが、昨日の事件絡みでどうして咲良ちゃんを怒ることがあるというのでしょう。


「なんだよ、お前も昨日、現場に行ってたのか?」


 私と同じような疑問を紅歌ちゃんも抱いていたらしく、そんな質問をしています。

 それに対して咲良ちゃんは、


「うん、まあ、そんなとこ……」


 と曖昧な返事をしていて、あまり細かく語るつもりは無いようでした。


「それより、酷いと思わない? 罰として今月のお小遣いは無しだってさ、はぁ……、一体どうやって生きてけっていうんだよぅ……」


 机の天板に身体を預けたまま顔だけをこちらに向けて、潤んだ瞳で何かを訴えかけてきます。恐らく同意の言葉が欲しいのだとは思いますが……。


「……咲良ちゃん、今月分のお小遣いは先月前借りしてなかったっけ?」

「何なら先々月は二ヶ月分前借りしてたな」


 呆れたような口調で追撃をかます紅歌ちゃん。

 一体咲良ちゃんの債務返済状況はどうなっているのでしょうかと、私は勝手に憂鬱な気分になりました。


「うぐ、ぬぬ……」


 言葉にならない苦しげな声を漏らして彼女は私達から顔を背けます。


「まったく、金を持ったらすぐに無くす女だな。一体どこにそんなに金遣ってるんだか……」


 ため息混じりな紅歌ちゃんの台詞に、同意の首肯を返します。

 咲良ちゃんはいつの間にか金欠になっている割に、いつ何にお金を遣っているのかが今ひとつ分かりません。

 別にブランド物のバッグやお洋服を買ったり、化粧品にお金をかけたりといった素振りは見えません。

 休日に私達と遊ぶ時の出費も常識の範囲内だと思いますし、金銭感覚は普通の女子高生の域に留まっているはずだと思います。

 それに確か彼女は学校に内緒でアルバイトをしていたはずなのです。詳しくは知りませんが、バイトまでしていてどうして毎月毎月お金に困っているのか……。彼女のお財布事情は謎に包まれています。


 ――もしかして何か、家庭の事情があるのでしょうか。


 ふと、そんな考えが頭を過ぎりました。

 咲良ちゃんの家はどうにも訳ありのようですし、あり得る話です。

 例えばバイト代は全てお家に納めていて、彼女の手元には毎月のお小遣いという形で極僅かな額しか返ってこないとか……。

 保護者代わりという例の弥生さんが何をされている方なのか、私は知りません。おいくつで、どんな仕事をされているのか、どんな人なのかさえ何も知らないのです。

 実は咲良ちゃんは、私達が気付かなかっただけで、とても困窮した家庭環境に身を置いているのでは……。


「――咲良ちゃん、大丈夫? 弥生さんって、ヒモじゃない?」

「……え? なに? なんで?」


 きょとんとしたつぶらな瞳。汚れを知らない純真無垢なその眼差しが、余計に私の危機感を煽りました。


「弥生さんって、お仕事は何されてる方なの?」

「し、仕事? そ、それはまあ、色々とだよ……」

「色々ってどういうこと? 就職しては辞めての繰り返しってこと? 定職に就いてないってこと? フリーターってこと?」

「フリーターというか……。個人事業主?」

「じゃあ、それはどんなお仕事なの? 月々の収入はどれくらい?」

「そ、それは、ごにょごにょ……」

「人に言えないようなお仕事をしているの?」


 言い淀む彼女は絶対何か大事なことを隠している――友人としてそう直感し、傍らで眉をひそめていた紅歌ちゃんに顔を向けます。


「紅歌ちゃん、今度咲良ちゃんのお家に行こう。弥生さんがご在宅の時に合わせて」

「いや、私は良いけどよ……。まずは咲良側の都合を聞くだろ、普通」

「咲良ちゃん、二人で遊びに行くからね。ねっ」

「えっ……、うち来るの? 弥生に会いに……? えぇ……」


 そうやって何やら難色を示す彼女を押し切って、私は咲良ちゃんの家に訪問する約束を取り付けたのでした。

 結局昨日の事件については大して何も会話しないままホームルームの時間になってしまいましたが、そんなことは既にどうでもよくなっていました。

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