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バイトヒーロー歩合制、本日も赤字なり
バイトヒーロー歩合制、本日も赤字なり
カワナガ
現代ファンタジースーパーヒーロー
2025年01月29日
公開日
6.2万字
連載中
女子高生の鈴桐咲良はアルバイトで正義のヒーローとして働いていた。

第1話

 空気を焦がす炎はまるで天へ届けともがく人の手のようであった。

 東京都のとあるタワーマンションで発生した火災は、その高くそびえる建造物を夜の街を煌々と照らす幻想的なモニュメントへと作り替えていた。

 炎は予め細工でもされていたかのように異常な燃え広がりを見せ、マンションの上層を全て飲み込もうとしている最中。地上にはその様子を見守る群衆の壁が出来ていて、その中には炎の中に子供が取り残されているのだと泣き叫ぶ女性の姿もあった。

 人々はそんな彼女を気の毒そうな眼で見るが、だからといって何かができるわけでもない。

 現場に駆けつけた消防車の放水もはしごもそこには届かず、ヘリによる救助活動も間に合わない。

 突入を試みたレスキュー隊を指揮しているらしい人物の顔色からは、その作業が上手くいっていないことが伝わってくる。

 頼みの綱である彼らでも歯が立たない以上、その他大勢の一般人は精々見守ることしかできない。

 他の誰かに願いを託すしかない。

 神でも仏でも、なんでもいい。

 取り残された人々を助けてやってくれ、と。


「あー、ちょっとすいませーん。ここ通して下さーい、すいませーん」


 不意に、そんな気の抜けた声があった。

 声と共に群衆の壁が割れ、一人の少女が「おっとと」とよろめきながら姿を現す。


「あっちゃー、めちゃくちゃ燃えてるなぁ……。あつそー」


 どこか暢気な口調でそんなことを言う少女に、人々は訝しむような視線を向ける。

 中学か高校の制服を身に纏った華奢な少女。

 無邪気な様子の彼女の姿は、決してその場に相応しいとは思えなかった。

 野次馬、他人事、物見遊山。

 常識がなっていない彼女を咎めるような眼差しで、大人達は顔をしかめた。


「ちょっと君、ここは危ないから、下がっていなさい」


 そんな少女に気付いた消防隊員が近づいてくる。


「あっ、すみません。私、あの中に用あるんで」


 すると彼女はあっけらかんとした声と共に走り出し、隊員の脇をすり抜けて、燃え盛るマンションへと駆けていった。


「ええっ! ちょ、ちょっと君、待ちなさい!」


 制止の声も聞かず、力尽くで止めようとした隊員の身体もひらりと躱し、少女はまるでスキップでもするような軽やかさでマンションのロビーへ消えていった。

 そんな背中を眺めていた群衆がざわざわとざわめく。

 一体何のつもりなのだと。

 事態が分かっていないのかと。

 おふざけにしてはタチが悪すぎると。

 人々は非難に満ちた視線を、少女の消えた燃えるマンションへと向けた。

 そんな人々の視線も意に介さぬように炎は逆巻き、先程にも増す勢いで燃えあがり、沈み始めた太陽の代わりに空を焦がしていた。


 ◇◇◇


 世の中で起こる出来事は不可思議で、理解のできないことがそれなりに多くあるけれど。

 それは物事を理解するのに必要な情報が足りていないだけなのだと、僕は思っている。

 現代の科学では説明ができないとか、超常の現象だとか、都市伝説として語られるようなそういった類の出来事にも理屈や道理は存在するはずだ。それを僕達が認識し、理解し、解釈できるかどうかが問題なのだろう。

 要は、世界は複雑怪奇という話。それでも大体の人間が日常を送ることに苦労しない程度には、一応理屈が通っている――いや、通っていた。今日、この日まではである。


「大火災に見舞われた都内のタワーマンション、高層階の住民が全員、いつの間にか地上に転移しており被害を免れる、か……」


 夕方のトップニュースとして語られるにはあまりにも非科学的な見出しだと思うけれど、チャンネルを変えても各局どの番組もこぞって同じような文言で同一のニュースを報じている。

 ともすればオカルト的なバラエティ番組のネタに使われそうな題材がこうして大真面目にニュース番組で語られるのは、目撃者の数も去ることながら、実際に住民が地上へ転移されてくる瞬間を撮影していた映像や写真がネットに多く出回ったからという事情もあるだろう。テレビのニュースでもSNSから拾ってきたのであろう視聴者提供の映像がいくつか流され、キャスターなりコメンテーターがそれについてあれこれと語っている。

 しかし、僕に言わせればその大体が的外れだった。

 憶測、推量、机上の空論。

 地球に潜む宇宙人の仕業だの、未来人が何かのメッセージを伝えようとしているだの、政府に雇われた超能力者による社会貢献だの。

 よくもまあ色々と思い付くものだと、むしろ感心の念に堪えない。

 もっとも、彼らのコメントが的外れであることは仕方が無い。ただの高卒に過ぎない僕が真実を察していてご立派な社会経験を持つ彼らが荒唐無稽な空想論に熱中していることに、優越感を抱いたりなんてことは無い。

 これは言わば当然の帰結というものだ。

 僕と彼らとでは、事前に触れている情報の量が違う。特に、こういった不可思議な現象の知見についてなら僕は人後に落ちない自信がある。それも、圧倒的に。

 気の毒なことに、彼らの状況はピースの大半が欠けたパズルを渡されて、それを完成させろと迫られているようなものだ。

 にも関わらず視聴者を満足させるくらいの出来栄えは確保しているのだから、むしろ賞賛されるべきだろう。僕には関係の無い話だからわざわざそんな手間はかけないけれど。


「今回は随分派手にやったみたいじゃないか、咲良さくら幸福丸こうふくまるからは、今のところは目立たないようにと言われているんだろう?」


 最初に見ていたニュースにチャンネルを戻してからリモコンを置く。同時に、ソファに横たわって両手でスマホを弄っている少女へ声をかけた。

 栗色の長髪に華奢な体型。

 皺になるからやめた方がいいと何度も言っているのに制服のまま寝転がることをやめない彼女――鈴桐りんどう咲良はスマホの画面に目を向けたまま答えた。


「あー、うん。なんか思ったより人多くて。初めは一人ひとり担いで降りようかとか思ってたんだけど、間に合いそうになかったからさ」


 顔も動かさず、目線すらこちらに向けようともせずに、そんな気の無い返事をした。


「……君がマンションに入るところを捉えた映像は今のところ出回ってないみたいだけど……。いつものように、変身はしていたのかい?」

「いや、してなかったよ。みんな空見上げてたから、ま、いっかなって」


 相変わらず呑気な回答に、僕は深々とため息をつく。

 あまり口うるさくはしたくないけれど、それでも彼女の保護者代わりを務める成人男性として一言申しておかねばならないだろうという、独りよがりな使命感がそうさせた。


「咲良、そういう無謀な行動は関心しないな。今の時代、どこに人の目があって記録されているかも分からない。幸福丸の肩を持つわけではないけれど、それでも、不特定多数の前で活動する際はなるべく素顔を隠しておくべきだ」


 写真一枚あればその人物の名前や学校、会社、住所まで探られてしまうような世の中だ。目立って得をすることなんて、目立つ事自体が仕事でも無い限り、中々ありはしない。

 ましてや咲良はちょっと変わったアルバイトをしているというだけで、表面的には普通の女子高生。目立つ意味も必要も無い。


「――もう、分かったって。うるさいなぁ、弥生やよい


 そんな投げやりな、反抗的な台詞を放って咲良は勢いよく身体を起こした。


「取り敢えず顔は誰にも撮られてないし、マンションの人達はみんな助かったんだからそれでいいじゃん。あんまりぐちぐち言わないでよ」


 語気はそれほど強くない、どころか先程までとほとんど変わらず一定だ。

 けれどその口調には、隠そうともしない不快感があった。

 不快感――というよりかは反抗心と言うべきだろうか。

 とにかく彼女の言いたいことは言葉の通り「あまりしつこく小言を垂れるな」ということだろう。

 年齢的に彼女とそう大差無い僕としては、保護者からそういった説教を受けることへの忌避感は理解ができる。僕だって一般よりも少々過激な反抗期を経験した身だ。そんなに偉そうなことは言えない。

 けれど、ならば言われた通りに押し黙るのかと問われれば、答えは否だ。

 僕は小言を言いたくて小言を言っているわけではない。僕なりの考えと理屈があって、言わなければならないと思ったから言いたくもない小言を垂れているのである。要はこれは、必要な事だった。


「K3システムや幸福会のことがバレて困るのは、君だろう。学校にバイトの届け出も出していない癖に。先生から怒られるよ、咲良」

「……その時はその時だもん」

「何がだもんだよ、開き直りって言うんだよそれは」

「困ったことになれば、弥生が解決してくれるもん」

「丸投げか……」


 不貞腐れたように膨らませた顔を背ける彼女に思わず苦笑いが溢れる。

 取り敢えずこの場は「面倒事を押し付けられるのは信頼されている証拠だ」と好意的に解釈しておこう。

 この話を続けることは僕としても気乗りがしない。

 それは咲良も同じだったのか、わざとらしく転換した話題を投げかけてくる。


「ところでさ、弥生。ちょっと相談なんだけど」

「なんだい」

「お小遣い、くれない?」

「…………」


 これまで頑なにこちらを見ようとしなかった咲良が、そこで初めてスマホを置いて、上目遣いでこちらを見上げてくる。「お願い事」をする時の常套手段だ。こんなあざとい真似を他所で僕以外の男性にもしているようであれば問題なのだけど、今のところそういうことは無いらしいので今回は触れないでおこう。

 それよりも、お願い事の内容について話をしなければなるまい。


「今月の分はもう渡したよね。先月、前借りって名目で」

「足りなくなっちゃった」


 てへっという吐息が漏れ聞こえて来そうな芝居がかった笑顔。

 僕は女子高生に対して与えるお小遣いとして決して少なくない額を毎月渡しているつもりなのだけど、咲良はどうも金遣いが荒くて困る。


「今日の分の収入は? もう幸福丸から振り込まれてるでしょ?」

「いやー、他人の瞬間移動って必要ポイントが多くて、今回も普通に赤字だよね。やっぱり無難に消火活動を頑張るべきだったか……」

「はあ……。咲良はもう少し、コスパ良く立ち回ることを覚えないとね。いつだって全力全開じゃ、すぐにガス欠になってしまうものさ」


 アルバイトに勤しんだ結果その収支がマイナスになるなんて、馬鹿馬鹿しい話だ。

 やっぱりこんなバイトは早々に辞めてしまえばいいのにと、思わずにはいられない。


「でもコスパって言ったってさぁ。人の命がかかってるんだから、そりゃ最善の方法を選ぶでしょ、普通」


 再び不貞腐れたような表情に戻った咲良が口を尖らせる。それに対して僕は肩を竦めるジェスチャーを返すことしかできなかった。

 この辺りが、僕と彼女との決定的な考え方の違いだ。

 今更議論する内容も無い程度にはこれまで語り尽くしてきているので、この場でわざわざそれを繰り返すこともない。

 会話を続ける必要性が認められなかったので、僕はこの話を終わらせにかかった。


「……それで、お小遣いはいくら欲しいんだい? 十万? 五十万?」

「……弥生ってさ。普段ドケチな癖に、私に対して甘過ぎるよね」


 何故か白けた声と白けた眼差しを向けてくる咲良。

 心外だな。確かに僕はお金が大好きで貯め込みがちだけど、遣い時が分からぬわけではないのだ。


「本当に必要な支出なら出し惜しみはしない。それが僕の生き方だ。……必要だから、お小遣いをねだってきたんだろう?」


 そんな返答に咲良は口を尖らせたまま押し黙った。

 何か反論したくて言葉を探しているが、上手くまとめるのに時間がかかっている。そんな顔だ。

 無言のまま視線は逸らさない彼女から僕の方が目線を外して、手元のラップトップ端末を操作する。

 彼女への送金作業は慣れたものだ。K3ポイントに変換可能な電子マネーを適当に彼女のアカウントへ送りつけて、端末を閉じた。


「……ありがと」


 僕の耳にぎりぎり届くくらいの声量でそう言ってソファから立ち上がる咲良。そしてそのまま玄関の方へ足を向ける。


「……ちょっと、散歩してくる」


 まだ夜中でこそないものの、そろそろ日も暮れてこれから夜闇の帳が下りようという時間帯。

 女子高生が何の用も無しに外出するのは感心できないけれど、今に始まったことではない。

 散歩と言うよりも、パトロール。

 しかしそれは仕事と言うよりも、彼女の趣味のようなものだった。


「……気を付けて。それから、あんまり遅くならないようにね。明日も学校なんだから」


 そんな僕の声には返答せずに、彼女は制服のまま家の外へと出ていった。

 テレビではまだ、マンション火災事件についてのニュースが続いていた。

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