王都フォルナトラスの中心で、カネリアは乱れる鼓動を落ち着かせるべく懸命に呼吸を整えていた。
辺りには彼女の呼びかけで避難してきた住民達がひしめき合うように押し寄せていて、そんな彼らを彼女は加護の炎が消えた台座の上から見下ろしていた。
勇者の加護が無くなり魔獣が攻めてきているという非常事態にも関わらず、住民達が彼女を見る目には恐れや不安といった感情はほとんど見受けられなかった。
そこにあるのは希望や羨望。
確かに加護は無くなってしまったが、勇者自身がこの場にいてくれる。
その事実が彼らを勇気付けていた。
改めて、勇者の肩書が持つ重さを実感するカネリア。
絶対に情けないところは見せられないと気を引き締める。
幸いにも魔獣が現れて暴れているのは街の外縁部であって、この中心にまでその被害は及んでいない。
恐らく騎士団やベリドート達が食い止めてくれているのだろうと、カネリアは心強い気持ちになる。
自分には魔獣と戦うなどという役回りは無理だが、せめてここで民達の心の支えになるくらいは果たしてみせよう――そう考えていた彼女にとって、不意に聞こえてきた不気味な声は想定外だった。
「――恨めしい相手ではあるが、こうして獲物を一処に纏めてくれたことには感謝するぞ、勇者カネリア。お陰で魔王様に捧げる魂を、一度に回収することができる……!」
それは先程まで何も無かった空中から発せられた声。
しかしそこには今、漆黒のローブを靡かせる一つの人影があった。
腹の底に重く響くような重圧を持った声。人間のそれとは全く違う色の肌。
「我は魔人エルバルドラ。魔王様の復活を目指す者――貴様にはここで住民達と共に消えてもらうぞ、勇者よッ!!」
そんな宣告と共に、湧き上がり、収束し、解き放たれる黒き波動。
カネリアが言葉を返す暇も無かった。
振り返れば既にそこは黒一色。
自身の身体を丸々呑み込み後ろの人々もまとめて辺りを吹き飛ばすような威力を秘めた魔法攻撃。
瞬間的にカネリアの本能が叫ぶ。
目の前の敵を倒せ。
全力をぶつけろ。
さもなくば人々を守れない。
実際にはその思考は言葉としての形を持つよりも早く、彼女の脳に認識されるよりも早く、彼女の身体を動かした。
意志が介在しない反射的な行動。
――彼女にとってのそれは、身体に刻み込まれた勇者カネリアとしての力を解放することに等しかった。
彼女の右腕が腰の聖剣を引き抜き一直線に振るう。
瞬間、目を焼かんばかりの光の奔流。
見る者を魅了し離さない絶対的な黄金の煌めき。
彼女が率いるパーティの名を冠する輝きの炎が、エルバルドラの放った黒き波動を吹き飛ばした。
術者であるエルバルドラの身体も巻き込んで、破邪の力を持つ黄金の炎は邪悪な全てを燃やし尽くす。
勇者の敵を、灰燼に帰す。
「――ばッ、馬鹿なッ!? なんだこの力は、ふざけるなッ! この我が、こんな一瞬で、何もできずに――」
反撃の一太刀で吹き飛ばされたエルバルドラはそれ以上の言葉を発することはできなかった。
巨大な炎が通り過ぎたそこには、何も残っていなかった。
「……あれ?」
そして残るのは、きょとんとした顔の少女。
勇者の本能によって衝き動かされている瞬間の記憶は、彼女にほとんど残らない。
エルバルドラを消し飛ばした炎は今も台座の上で、煌々と燃えている。
掻き消されていた加護の炎は、期せずして再度街の中心に輝いた。
それはほんの数秒の出来事。
けれど民達の目にははっきりと映っていた。
現れた魔人を一瞬で討ち倒し、再び奇跡の炎を灯した勇者の御業を。
わっと、群衆が沸く。
割れんばかりの歓声が王都に響く。
「あれれぇ……?」
その中心で、相変わらずきょとんとした表情のカネリアはふらふらとその場にへたり込む。
力を使い果たした彼女の身体は、意識を保っているのも既に限界だった。
かくんと気を失うカネリア。
そんな彼女の身体をどこからともなく現れたスフィネルが支える。
「……まったく、リアちゃんったら。私が出る暇無かったな」
そんな呟きはもう、彼女には聞こえていない。
スフィネルは自身の腕の中ですーすーと寝息を立てている少女に微笑みを漏らす。
彼女は思う。
やはりこの世界はまだまだわからないことだらけだと。
「以前の記憶を失って力だって衰えてるはずなのに、ここまでのことをやってのけるとは……。やっぱりリアちゃんは、どこまで行ってもリアちゃんなんだなぁ」
カネリアは魔王との戦いで命を落とした勇者の複製体である――という話は、記憶を失った勇者カネリアにスフィネルがついた嘘である。
魔王と決着をつける際に魂の大半を失い力と記憶を失くしてしまった勇者に、スフィネルは平穏な日常を与えたかった。
その為には、勇者という肩書は重荷になると考えた。
だから彼女は、カネリアに対して自分は記憶を失った勇者なんだという真実を教えるよりは、偽物の勇者であるという嘘で彼女の心にかかる負担を和らげようと考えた。
スフィネルは知っている。
カネリアは誰よりも優しく、気高い少女だ。
真実を知れば、例え記憶が無かろうと力の大半を失っていようと、そんなもの何の関係も無いとばかりに、また人々を救う旅へと旅立つだろう。
彼女はそういう人間だ。子供の頃からそうだった。
だから、何も知らずにベリルの街でのんびり穏やかに余生を過ごして欲しい。
それがカネリアの親友であるスフィネルの願いだったのだが――
「中々上手くは、いかないもんだねぇ。まあ、リアちゃんを相手にしているんだから当たり前か」
結局、かつての記憶があろうが無かろうが、カネリアはカネリアだった。
力強く煌めく黄金の炎を見上げ、スフィネルは諦念に満ちた困った笑顔を浮かべた。