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第18話 無刀の剣士

 彼女が直感で悟った通り、加護の炎は消えていた。

 それはわざわざ中央の広場まで見に行かずとも、現在起こっている事態を踏まえれば明らかだった。

 街中の各所、城壁内に、前触れなく魔獣が出現し暴れている。

 恐らく何者かによって瞬間転移の魔法で送り込まれているのだろうが――勇者の加護が健在であれば、そんな真似は不可能なはずだ。

 にも関わらず次々と魔獣が王都内へ進入してきているという事実が彼女の直感が正しかったことと、非常事態が目下進行中であることを教えていた。


「――ッ! 皆さん、こちらへ避難して下さい! 外周部は危険です! 中央へ、街の中央へ向かってください!」


 彼女は今、祭り初日に王都を歩く際に被っていた仮面を外していた。

 彼女に魔獣を相手に戦うような力は無い。けれど勇者の威光は伊達ではない。

 突然の出来事に混乱する住民達の心を鎮め、導くことができる。そしてそれこそが今この場での自分の役割だと彼女は思った。

 走りながら声を張り上げる。

 避難において街の中央を目指すように言ったのは、ベリルの街で今回と同じような事態を想定して立てた対応計画で、住民を中央に集めることになっていたからだった。

 ここは王都フォルナトラス。ベリルの街とは違う。

 けれど街の中央に住民を集めた方が――単純に守りやすい。

 そして今この街には、頼れる勇者パーティのメンバーが二人もいる。

 彼らがこの事態を座視するとは思えない。

 カネリア自身に力は無くとも彼女の仲間は一騎当千だ。

 だからこの危機的状況においても、彼女の胸中に絶望は無かった。


 ◇◇◇


「――一体どうなっている?」


 完全な計画通りに進行しているとは言い難い王都侵攻の状況に、エルバルドラは苛立ちを隠そうとしなかった。

 そんな彼の憤懣がこもった問いかけに配下の魔人は跪き顔を伏せたまま答える。


「はっ……。どうにも、転移魔法陣を織り込んだ呪紋が、中心部にあったものは全て街の外縁部に移動されていたようでして……。転送位置が計画からズレたせいで、侵攻に遅れが出ているようです」

「何故そんなことになっている!」


 勇者の加護を破壊する為にエルバルドラ達がルンカースへ提供した呪いの呪紋。それにはルンカースに気付かれないよう巧妙に、瞬間転移の魔法陣が織り込まれていた。

 陣を削って巧妙に隠したことで一度使用すれば使えなくなるような脆い魔法陣。

 しかし呪紋はルンカースが街中無数に張り巡らせていて、たった一度の瞬間転移だとしても、街中のあちこちに魔獣を送り込めば王都の警備体制など容易く瓦解させられる算段だった。


「……魔法陣が破壊されれば気付けるが、形を保ったまま移動されれば感知できない――だが、高度な技術だ。あの男如きには不可能だろう」


 計画の算段を狂わせたのはルンカースの仕業かと疑うエルバルドラだったが、すぐに自身で否定する。

 魔法陣の破壊ならばまだしも、効力を保ったままそれを移動させるというのは彼の常識では考えられないほどの荒業だった。

 そんな技量を持った謎の人物が、今の王都にはいる――いや、謎の人物ではない。今の王都には、あの憎き勇者パーティのメンバー数名が訪れている。


「――既に手を打っていたか、勇者め……ッ!」


 忌々しげに吐き捨てたエルバルドラは勢いよく立ち上がって、下知をとる。


「侵攻計画を繰り上げるッ! 我々も出るぞ! 勇者の首は、このエルバルドラが落とすッ!!」


 ◇◇◇


 王都の外縁部に次々と現れる魔獣。

 それを事もなげに屠って回る人影があった。


「あーあー、いよいよ始まったか……。参ったねどうも」


 ぼやく彼が発した光の筋は魔獣の頭部を消し飛ばし、その身体が力を失って崩れ落ちる。

 ただし魔獣を一体葬るにはあまりにも威力が大きかったようで、その後方で地面に着弾した光線が辺り一帯を吹き飛ばした。

 そんな自らがもたらした惨状に気不味い視線を向けた後で、ベリドートはため息をこぼす。


「ここがベリルの街じゃなくて良かったな……」

「良い訳ないだろう、もっと威力を弱めて撃て」


 前触れなくベリドートの傍らに出現したウィンアットがうんざりとした口調で彼を非難する。


「これでも頑張って威力下げてるんだって――それより、お前は西側担当だろう。こんな所に来てていいのか?」

「あちらは粗方片付けた。ただし、魔獣一体一体は大したことないが数が多いな。王子率いる騎士団と戦っている魔人もいるし、すぐに手が足りなくなるぞ」

「王都は広いし、少人数でカバーするには限界があるよなぁ……。まあ、そろそろ応援も到着する頃だ。もう少しこのまま気張ってみよう」


 そんな彼の言葉に呼応するように、今この時、王都の上空には二つの人影が現れていた。


 ◇◇◇


 王都フォルナトラス正門付近。

 そこではたった一体の魔人と王都近衛騎士団が対峙していた。

 近衛騎士団は王都と王家の守りを司る、王国中から集められた優秀な騎士の集団。その一人一人が高ランクの冒険者パーティにも匹敵する戦闘力を持つとされる。

 そんな彼らが、一体の魔人を相手に既に半数以上叩き伏せられていた。


「あークソっ、思ってたのと違ぇなあ。俺はとっとと城に突っ込んで王の首を貰い受けるつもりだったんだぜ? それがよぉ、こんな王都の入り口に出ちまって……。やってらんねぇぜ」

「……やってられないのはこちらも同じだ、化け物め」


 騎士団を率いてルドルドジアスと向かい合っていたストウォードはその魔人に剣を向けたまま周囲の配下達を鼓舞する。


「臆するな、フォルナトラスの騎士達よ! 我々には退くことも負けることも許されない! 我々の後ろには守るべき民達がいるのだ、守るべき街があるのだ! 邪悪な侵略者達には屈しない! 今一度、王国の盾としての矜恃を胸に抱けッ!」


 そんな王子の言葉に騎士達は気勢を取り戻し、奮い立つ。


「――なるほど、お前、ストウォードとかいうこの国の王子か……! 面白ぇ、王を殺しに行く前の準備運動とさせてもらおうか」


 獰猛に笑って二本の長剣を構えるルドルドジアス。

 ストウォードは相手を見据えたまま構えを研ぎ澄ませる。

 両者の間で張り詰める空気、一瞬の沈黙――


 ――ちょうどそこへ、上空から落下してきた何かが猛烈な勢いで地面に激突し、張り詰めた両者の間に割り込んだ。


「……あぁ?」

「な、なんだッ!?」


 ルドルドジアスとストウォード、どちらからも虚を突かれた声が上がる。自然と視線は落ちてきた何かに向く。

 道を舗装する石煉瓦は粉砕され、陥没した地面。巻き上がる砂埃。

 そんな破壊の中心で、ゆっくりと立ち上がる人影があった。


「――やれやれ、空の上に転送された時はどうしたものかと思いましたが……。案外いい所へ落ちてくることができましたね」


 それは落ち着いた印象のある男の声。ストウォードには聞き覚えのある声だった。


「君は……!」


 風で舞った砂埃が晴れ、混乱の中心に立つ男の姿が露わになる。

 えんじ色の着流しを身に纏い、頭の後ろで束ねた黒の長髪を風にたなびかせる長身痩躯の男性。彼はゆったりとした動作でストウォードに向き直ると、丁寧な所作でお辞儀をした。


「冒険者パーティ【輝きの炎】の剣士、ジャスパー・トア・イオライ、王都の危機に馳せ参じました――ご無沙汰しております、王子殿下」

「――俺様を無視して暢気にお喋りしてんじゃねェぞッ!!」


 そんな怒気と共に、王子へ頭を下げるジャスパーへルドルドジアスが背後から長剣を振り下ろす。

 しかしそんな一閃をジャスパーは振り向かずに受け止めた。

 剣を抜いたわけではない――そもそも彼の腰には険など提げられていない。

 何の武器も持たない全くの素手で、ジャスパーは背後から繰り出された斬撃を掴み取っていた。


「……王子殿下。僭越ながら、この場は私にお任せいただければと思います。上空から見たところ、王都の外周部には魔獣が大量に発生している様子。騎士団の皆様には、その対応と住民の保護に向かっていただいた方がよろしいでしょう」

 背後に憤怒の形相をした魔人がいるにも関わらず彼はそれを意に介さぬようにストウォードを真っ直ぐ見ていた。

「てめぇ……!!」


 絞り出されるルドルドジアスの呻きにも眉一つ動かさない。

 ストウォードはそんなジャスパーを見やって、小さく頷く。


「感謝する、ジャスパー――皆の者、ここは彼に任せて魔獣の討伐へ向かうぞ! 動ける者で隊を再編し、各地を鎮圧する!」

 そんな彼の声で騎士団の面々は次々にこの場を撤退する。

 残されたのはジャスパーと、魔人・ルドルドジアス。

「随分、虚仮にしてくれるじゃねぇかよ。ええ、勇者パーティの剣士さんとやら。ちゃんとこの怒りを受け止めてくれるんだろうなァ……!」

「……あまり吠えるな。今少し、自分を抑えるのに苦労している」


 ルドルドジアスの威圧に対し、先程までとは打って変わって胡乱な口調のジャスパー。重く押し殺されたその声に、ルドルドジアスは眉をひそめる。


「……いや、抑える必要は最早無いか。殿下達もこの場を離れたことであるし――何より、相手は魔人ッ! 人間じゃねェならやり過ぎるってこともねェよなァッ!!」

「ッ!?」


 突然豹変したジャスパーの様子。

 ルドルドジアスは何事かと目を見開く。

 豹変したのは彼の振る舞い、口調だけではない。身に纏う雰囲気、発される威圧感。

 これまで感じたことが無い程のプレッシャーに圧倒され、彼は咄嗟に身構える。

 脅威を前に身を守らなければならないという本能的な反応。

 しかし彼にできたのは、そこまでだった。


「あ……?」


 彼の意識は事態を正確に認識しない。そんな時間は、彼にはもう残っていなかった。

 首を刎ねられ、頭部を両断され、身体を細切れに引き裂かれ。

 彼に残っていた命の時間は無慈悲にも一瞬で全て奪い尽くされた。

 ぼとぼとと地面に落ちていく肉塊と、辺りを濡らす血飛沫。

 そんな地獄絵図の中心でジャスパーは一人大きく息を吐く。


「……申し訳ない。戦場で剣を見せつけられ、我慢ができなくなってしまった。ここまで非道い殺し方をするつもりは、無かったのだが……」


 そんな呟きの後、ただの肉塊の山となったルドルドジアスへ丁寧にお辞儀をして彼はその場を後にした。

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