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第17話 目指すものの為に

 カネリアはそれが夢であると、すぐに自覚した。それが現実ではありえない体験だということを理解したからだ。

 平和な日の温かな夕暮れ。

 幼い少女が二人、肩を並べて笑っている。

 少女の片方は自分であると、彼女は認識した。

 夢に特有の、漠然とした理解。

 夢の中で一歩引いて冷静な思考を保つことができていた彼女は、不思議な気分を抱いていた。

 勇者の複製体として創り出された自分に、子供の頃など無い。彼女はこの世界で初めて意識を持ったその時から、今とほとんど変わらぬ容姿で、今と大して変わらぬ背丈だった。

 だから今夢に見ている、子供の頃の自分は、本来存在しないものだ。

 現実ではありえない体験。

 だからこそ、夢。

 思考は冷静であるが、漠然としている。頭に靄がかかっているようだと言い換えてもいい。

 そんなぼんやりとした意識の中で、彼女はふと、隣の少女は誰だろうかと思った。

 自分と肩を並べて、笑い声を上げる少女。

 こんな女の子は知らない。

 けれど見覚えはあった。

 いや、知っている。

 初めから知っている。

 自分はこの少女を、ずっと前から知っている。


「――どうしたの? リアちゃん」


 気付けば、夢は終わっていた。

 眼の前には未だ慣れないベッドの天蓋。王城に用意された部屋へ備え付けられていた、豪奢な寝台だ。


「……フィーさん……」


 ぼんやりとした頭で夢の余韻を追いかけながら、ゆっくりと上体を起こす。口から溢れたその呟きは意識してのものではなかった。

 当然その場に、呼びかけた相手はいない。この部屋はカネリア一人に割り当てられた部屋だし、そもそもスフィネルは王都に滞在もしていない。

 しかし、だからだろうか。

 目を覚ましたカネリアは、無性に彼女に会いたいと思った。


「……いけませんね、こんなことでは」


 自らの顔を二、三度軽く叩いて意識を覚醒させてから、カネリアはそう独りごちる。

 気が緩むとついつい誰かの力を頼りにしてしまうのは自分の悪い癖だと彼女は思っている。自分一人の力でどうにかできることなんて高が知れているということも理解しているが、なんでもかんでも人を頼れば良いというものでもない。

 ましてや、単に心細いという理由だけで――スフィネルの夢を見たのは自分が現状を心細く思っているからだと彼女は解釈した――ご主人様に会いたいなど、そんな望みが許されるはずもない。

 ご主人様の夢を見たのは自分の弱さから来る甘えだと、彼女は気合いを入れ直した。

 得体の知れない陰謀が蠢いている今の王都で、弱気になっているわけにはいかないのだ。


 ベッドから降りた彼女は、使用人に扮したウィンアットが朝の支度を手伝いに来るより先に、一人で着替えを済ませる。

 元々カネリアは他人に自身の世話を焼かれることを善しとしていないが、今は何よりも、ウィンアットの手をこんな些事に煩わせたくないという思いがあった。

 黄金華の祭りが始まって既に五日目。

 調査を優先して欲しいと何度言っても、ウィンアットは使用人として毎朝この部屋を訪れるのだ。変装中はその役割を忠実に果たすというプロ意識なのだろうが、カネリアとしては気が引けるだけだった。

 初日の夜にベリドートから与えられた言いつけを守って王城で待っていることしかできない彼女は特に、自分のことは放っておいて調査を進めて欲しいという思いが募っていた。


「……このまま何事も無く、全て終わってくれればよいのですが」


 そんな楽観的な独り言が思わず漏れるくらいには、彼女は現状を不安視していた。


 朝の支度も終わり、頭もすっかり覚醒し、祭りの裏に隠されているという陰謀に思いを巡らせる。

 いつの間にか彼女はすっかり、目覚めた直後に抱いた疑問を忘れていた。

 子供の頃の自分が少女の姿をしたスフィネルと肩を並べるという、夢でしかあり得ない光景。

 どうして自分はあの光景を、懐かしいと感じたのだろう。


 ◇◇◇


「エルバルドラ様、全ての準備が整いました。計画はいつでも実行できます」


 暗闇の中で恭しく傅いた部下からの報告に、エルバルドラは鷹揚に頷いて立ち上がる。


「大変結構。それでは、早速行くとしようか。我らが魔王様を、お迎えに」


 そんな彼の言葉に、傍らで腕を組んでいた別の魔人が声を発する。


「いいのか? あの人間と交わした契約では、計画実行は祭りの最終日という話だっただろう? まだあと二日、残ってるぜ」

「貴様の欠点は馬鹿正直なところだな、ルドルドジアスよ。所詮は愚かな人間との口約束。愚直に守る必要など無い」


 鼻で笑うようにそう吐き捨てて、エルバルドラは自らがルドルドジアスと呼んだ魔人へ向き直る。


「よもや、まだ心の準備ができていないとはほざくまい? 貴様には王都の騎士共を屠ってもらわねばならんのだからな」

「はははっ、馬鹿を言うなよ。今か今かとうずうずしてたぜこっちはよ。だからわざわざ確認したんだ。本当に、始めちまっていいのかってな。一度始めれば、俺は絶対に止まらねえぜ」

「構わん。目に映る人間は皆殺しにしろ。あのルンカースという人間も、奴が仕える王も王子も気にするな。あの街に住む人間の魂は全て、魔王様へ捧げる」


 そう告げる魔人の瞳には、獰猛な光が宿っていた。


 ◇◇◇


 部屋の中で一人、何とは無しに窓の外に広がる街並みを眺めていたカネリアは、突然不気味な悪寒のようなものを感じた。


 ――加護の炎が、消えた?


 瞬時にそう悟った彼女は、それ以上何も考えず、壁に立てかけていた聖剣を腰に提げ、部屋の窓を開け放った。

 炎が消えたことを何故自分が感じ取れたのかという理屈も、そもそもその予感が事実なのかという疑問も関係無かった。

 気がつけば彼女は、窓の外へ身を投げ出し、街の中心に向かって飛び出していた。

 ベリドートから言いつけられていた「城でお留守番する」という約束のことは全く頭から無くなっていた。

 実際に加護の炎が消えていたとして自分に何ができるというのか。

 普段なら必ず過ぎっていたであろう後ろ向きな思考も今は浮かんでこなかった。


 彼女を衝き動かしたのは、内から湧き上がる衝動。

 今ここで自分が動かなければならないという直感。


 そこには、勇者としての立場は特に関係無かった。

 余計なことは考えず、カネリアの身体は動いていた。


 ◇◇◇


 突如として加護の炎が消え去るという異変に気付いたのは、丁度その瞬間に炎の目の前にいた住民達だけでは無かった。

 その時自身の執務室で仕事をしていたルンカースは、自らが王都内に仕掛けていた呪いの術式が発動したことを察知して、慌ててバルコニーへ飛び出した。

 勇者の加護が消滅するという事態そのものは彼が望んでいたものではある。その為に彼はストウォード王子が施した弱体化の呪紋に細工をして、炎を完全に消滅させる算段だった。魔人と契約し呪いの技術提供を受けてまでして、その計画を準備していた。

 しかし計画の実行は黄金華の祭り最終日の予定であり、彼にとって、この時点で炎が消えるのは想定外であった。


「――いや、奴らが契約を破ったか。下賤な魔獣崩れめ……」


 自らが仕掛けた呪紋を通じて遠隔で呪いが行使された事実を彼は察知していた。魔人に呪紋を利用されることは想定外だったが、元々は彼らから提供された術式だ。予めそのつもりで術式自体に仕掛けが施されていたのだろうと、ルンカースは冷静に事態を受け入れようとしていた。

 こちらを出し抜いて好き勝手やる目論みであろうが、ならばこちらも計画の実行を早めるだけだと、踵を返して執務室へ戻ろうとする。

 しかし、そんな彼の行く手を阻む者がいた。


「ただならぬ様子だな、ルンカース」

「ストウォード王子殿下……!」


 いつの間にか背後に現れていた王子の姿に、ルンカースは目を見開く。

 そんな反応を咎めるように、王子は目を細めて彼を見据える。


「どうした? 僕に対してやましいことがあるなら聞こうではないか」

「そんな、殿下に対してやましいことなど……」

「ならばこちらから尋ねよう」


 咄嗟に目線を逸らしたルンカースに、ストウォードは有無を言わさぬ口調で続けた。


「君は魔人と内通し、僕を利用して勇者の加護を打ち破ろうとした。そうだね?」


 そしてそれはもはや質問ではなく、単なる確認作業だった。

 秘密にしていたはずの情報を淡々と言い当てられ、ルンカースの顔から血の気が引く。


「で、殿下! それは……!」

「言い訳の言葉は必要無い。時間の無駄だからね」


 ばっさりとそう切り捨てて、ストウォードは先程まで自分の腹心であった男に冷たい視線を向ける。


「ルンカース。確かに僕は加護の炎を弱める為、呪いに手を染め君の力も借りながら民を裏切るような行為を続けてきた……。だから君を糾弾する権利は無いかもしれないが、一つ聞かせて欲しい。君はどうして、こんなことをしたんだ?」


 それは刃のような鋭さを持った問いかけ。

 有無を言わさぬその眼差しにルンカースは呑まれる。

 彼はそっと目を伏せて、隠し立てはせず素直に自身の考えを述べることに決めた。


「……魔王が滅びたことで民の暮らしは平和になりました。しかし、人類共通の敵がいなくなったことで、政治は滞るようになりました……。人類には、ある程度の脅威が必要なのです! 国を治め民を纏める為にはわかりやすい敵が必要だ……! 今の時代にはそれが無い、だから私が作り出そうと思ったのです!」

「……それが魔王軍残党と共謀までして勇者の加護を破った理由か」

「はい、ですが共謀したとしても、寝返ったわけではありません! 炎を消すのは、祭り最終日の予定だった! 侵攻してくる奴らを出し抜いて、王都への被害を抑える算段はできていたのです……!」

「それは今、どうでもいいことだ。君が奴らに出し抜かれたことには変わらない。そしてそうである以上、あるはずだった未来の話なんて無駄なだけだ」


 せめてもの反駁を容赦無く両断され、ルンカースはその場に崩れ落ちる。

 その顔からは生気が失われ、真っ白な蝋のような表情で呆然と床を見ていた。


「殿下……。殿下、私は……」

「ルンカース、君の沙汰は後で決める。自分の足で牢に入っていろ。僕にはこの後、やることがある」


 きっぱりとそう告げてストウォードはその場を後にする。向けられた背中へ、ルンカースは力の無い問いを投げた。


「殿下は、どちらへ……」

「決まっているだろう、不躾な客の相手をする。王都はまだ祭りの最中なんだから、お引き取り願わないといけない」


 そう語る彼の声には、気負いは無かった。それは、彼が今のような事態にある程度心構えができていたからかもしれない。

 元々彼は加護を呪いで弱めるにあたって炎を完全に消すつもりこそ無かったが――別に消えてしまっても構わないと心の奥では思っていた。

 勇者の施した加護を軽んじていたわけではない。むしろその逆だ。

 彼は勇者の加護が持つ力を理解していたからこそ、それに頼りきりになっている人々の生き方について疑問を持っていた。

 勇者という一人の英雄にいつまでも縋って生きることを快く思っていなかった。

 加護が無くなったならば無くなったで、自分達の足で立って歩いていかねばならないという考えを持っていた。

 また、そうなった場合は王子として民を率いまとめ上げ、王家の責任を果たす覚悟は持っていた。

 だから、突然加護が消え、それを狙い澄まして魔族が攻めてくるという今の状況にも動じていなかった。


「……ただ、やはりやり方が間違ってはいたのかな」


 不意にバルコニーから下の景色に視線を向け、彼はそう独りごちる。

 そこには自分の部屋を飛び出し真っ直ぐに街の中心目掛けて走るカネリアの姿。

 聖剣を引っ提げいつだって最も危険な場所に我先にと乗り込む姿は、変わっていないなと彼は思った。


「……もしかしたら、今の君は偽物なんじゃないかと思っていた。だからそれを確かめようと、君を騙して馬鹿な真似をした……。けれどやっぱり、僕が間違っていたんだね」


 そんな呟きは当然カネリアには届かない。

 けれどストウォードは満足げな笑みを浮かべた後彼女から視線を切って、再び迷い無い足取りで歩き出した。

 自身の責任を果たす為に。

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