目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第16話 恐怖の序章

 加護の炎にかけられた呪いを解くため、呪いの起点である呪紋を探し出すべく行動を開始したカネリア達。

 ベリドートの話では、呪紋は不可思議な文様や文字が刻まれたもので見ればすぐわかるという話だったが――その探索は難航していた。

 この広い王都の中で手がかり無く探し物をするのは無謀なのだろう。ましてや今は祭りの真っ最中である。平時よりも混雑している街中は、ただ練り歩くことですら容易ではなかった。

 結局何の成果も得られず、疲労感だけを持って帰って、カネリアは王城へと帰還することとなった。


「はあ……。すみません、お二人とも。一日中、無駄足に付き合わせてしまいましたね」


 祭りの期間中カネリア一行が滞在する為に用意された部屋の中、彼女は今日一日連れ回す形になってしまったウィンアットとベリドートにそんな謝罪を口にした。

 呪紋の捜索にあたって二人を先導していたのはカネリアだ。めぼしい場所の心当たりなど無くただ闇雲に探すしかなかった彼女としては、どの分野においても自分より優秀な二人のどちらかにその役目を代わってもらいたいところだった。けれどどちらも乗り気ではなかったので、結果彼女がイニシアティブを取って街を回ることになってしまったのだ。

 端的に言えば二人から押しつけられた役回りなので、その結果が振るわなかったとしてもカネリアがそこまで重く責任を感じる必要は無く、開き直ってしまっても責められないはずなのだが――事実、二人には一日かけた成果が零であったことについて気にしている素振りは見えない――簡単に割り切れないのが彼女だった。


「いや、無駄足なんかには全くならなかったさ。なあ、ウィンアット」


 だから、例え気休めであったとしても、ベリドートの返したその言葉はカネリアの心を僅かなりとも軽くした。もっとも、彼のその言葉は気休めなどではなく、本心だったのだが。


「そうだな……。まあ、普通にカネリアと祭りを楽しめていた方が、より有意義な時間ではあっただろうが。それでも、収穫はあった」


 カネリアとベリドート以外の人の目が無い部屋の中ということで、ウィンアットは口調を使用人然とした丁寧なものからぞんざいなものに変えている。恐らくそれが一番気楽な形なのだろう。


 二人からのそんな返答を受け、カネリアは今日の不本意な結果を気にし過ぎるのは止めようと思った。何の成果も得られなかったと落ち込むよりは、明日以降に結果を出すことへ意識を向けた方が建設的だ。ベリドート達も暗にそれを伝えたかったのだろうと彼女は判断した。

 それになによりも、タイムリミットまではまだあと六日あるのだ。


 カネリアにとってはベリドート達の言葉が気遣いから来る慰めのようなものだという認識だったので、ありがたくそれを受け止め明日からまた頑張るつもりだった。

 しかしどうも彼らの言葉を聞いていると、二人は本当に、今日の探索中に何かを見つけていたらしかった。

 彼女に向き直ったベリドートが、それまでの気安い雰囲気を真面目なものに変えて、真剣な眼差しで見つめてくる。


「――カネリア。今回の一件に対するお前の覚悟や責任感は理解しているし、呪紋を一緒に探して回ることを了承した手前申し訳ないんだが、明日からしばらく城でお留守番していてくれ」


 そんな突然の戦力外通告に、カネリアは思わず息を呑んだ。


「……やはり、私では力不足でしたでしょうか」


 顔を伏せて声を落とす彼女に、ベリドートが慌ててといった様子で手を左右に振る。


「いやいや、そういうわけじゃない。ただちょっと――事情が変わった。これはかなり厄介で、程々では済まない深刻な事態だ。街中でも直接的な危険に曝される恐れが出てきた」

「事情が、変わった……?」


 彼の言葉を上手く飲み込めず、カネリアはそのまま呟く。

 今日一日王都を見て回って、彼は何に気付いたというのだろうか。共に行動していたカネリアには何もわからない。


「ただ単純に王子が馬鹿な真似をしているというだけなら、まだよかったんだがな」


 目を瞑って眉間に皺を寄せたウィンアットが呟く。

 どうやらベリドートとウィンアットは同じ結論に至っているらしい。カネリアは密かに疎外感を強く覚えた。


「どうやら祭りの裏で蠢く思惑は一つだけではなかったらしい。……いや、もはや陰謀と呼ぶべきか」


 抑揚に乏しい声色で重たく放たれたその言葉に、カネリアは生唾を飲む。

 ベリドートとウィンアットが揃って警戒するほどの何かが、この王都で進行している。

 彼女はその事実が、ただただ恐ろしかった。


 ◇◇◇


 そこはどことも知れぬ暗闇。

 循環しない湿った空気が満ちる地下深くの穴蔵は、普通の人間が居座れば精神に異常を来すかもしれない。

 しかし普通でもなければ人間でもない彼らには、常人が感じるであろう快・不快など関係が無かった。


「祭りは無事に始まったようだな。貴様の苦労も報われたということだ。よかったではないか」


 重苦しく腹の底に響くような声が言う。

 眼前の、青白い炎へ映った人間に向かって。


『これはこれは、エルバルドラ殿。まさか私共の祭りにそのような関心を持っていただいていたとは、恐縮です。素直に言祝として受け取らせていただきましょう』


 慇懃無礼なお辞儀をしてそう返す男は、今この場にはいない。しかし遠く離れた相手とこのように意思疎通を行う為の魔法や呪術は長きに渡って開発されてきた。難易度が高く誰しもに使えるものではないものの、重要な技術だ。

 ただ、今この場で使用されている魔法は人間によって開発されたものではない。

 これは魔王を王と戴く魔人達が作った魔法。

 潔癖な人間なら邪法と呼んで人の魔法と区別する類のものだった。


「なに、我等とて慈愛の心は持ち合わせているのだ。死にゆく人間共も、せめて最期の数日間くらいは平穏に浸りたいところであろう。盛大に楽しむがよい」


 口元に酷薄な笑みを浮かべて、エルバルドラと呼ばれた魔人は続ける。その、人間とは大きく異なる不気味な色の顔を歪ませて。


「それに、魔王様へ捧げる魂だ。我等としても、より上質なものを用意できるに越したことはない――幸福から絶望へと転じた直後の魂は、格別の味わい深さがあるものだ」

『……それはそれは。趣味のお悪いことでございますな』

「貴様がそれを言うか、ルンカース」


 燕尾服を纏った男の直接的な侮蔑に、エルバルドラは気を悪くした素振りは見せない。ただただ邪悪な笑みをより深くして、笑った。

 彼らは協力関係でこそあるが、仲間ではない。お互いがお互いの目的の為に、利用し合っているだけの関係に過ぎない。そしてそれを、どちらも正しく理解している。そしてどちらも、相手を出し抜こうと画策している。馴れ合うつもりも無ければ必要も無いのだ。


「まあよい。貴様が主人に背信するような無礼で愚かな執事であるということは理解している。だからこそ貴様と手を組んだのだからな」

『はて。私には主に背いた覚えなどございませんが。私は偉大な主が考えられた祭りの余興を、より効果的に盛り上げたいだけですよ』


 そう嘯くルンカースを鼻で笑って、エルバルドラは言う。


「その余興の主役へ暗殺者を差し向けておきながら、よく言ったものだ。もっとも、そちらは失敗に終わったようだがな」

『――あの件は残念でした。黒蛇遣い、もう少し役立つ連中だと思っていたのですが。……まあ、失敗なら失敗で、こちらとしては別に構わないのですよ』


 辺境都市ベリルの勇者に暗殺者を差し向けたことも、そしてそれが失敗したことも、ルンカースはエルバルドラに教えていない。

 にも関わらず事もなげに話題へ上げてくる辺り、魔人の諜報能力も侮れないものだなと、ルンカースは静かに警戒心を引き上げた。


『あれは、あなた方に気を利かせて手を回していただけのこと――流石に、魔王を斃した勇者相手に、魔王の部下の一人に過ぎなかったあなたが勝つのは難しいでしょうからね』


 そんなルンカースの言葉に、エルバルドラが今度はその笑みを消す。瞳に宿った冷たい光は、遠隔通信魔法で炎に映された虚像であっても、彼を戦慄させるには十分だった。


「――お心遣い、痛み入る。だが余計な世話であったな。我等の目的はあくまでも、魔王様の復活。そしてそれが成りさえすれば、後には何も残らぬ。城も、街も、もちろん勇者も」

『……私があなた方にお約束するのは、加護の炎の消失と、街への侵入の手引までです。それを、お忘れなきよう』

「ああ、もちろんわかっている。貴様がその裏で考えていることも含めてな」

『…………』


 再び冷酷な笑みを浮かべたエルバルドラに、ルンカースは難しい顔で押し黙る。


「くくく、そう警戒するな。我等は、貴様にはある程度感謝している。魔王様復活には、王子の魂までは使わないでおいてやろう」


 まあその後、復活した魔王様が王子を生かしておくと判断基準なされるかは、別の問題であるが。

 エルバルドラはその一文を付け加えるのをやめておいた。

 その程度のこともわざわざ口に出してこちらから言ってやらねばわからぬようなら、救えぬ程に愚かだったというまでだと、彼は思ったのだった。


『……計画は予定通りの日程で進めるということで、よろしいのですな』

「ああ、もちろんだ。魔王様復活の儀は、加護の潰える祭り最終日。……嗚呼、今から待ち切れないな」


 大仰に両手を上げ、薄闇の穴蔵の中で天を仰ぐエルバルドラ。

 ルンカースはそんな魔人の口元がこれまでで最も高く吊り上がっていた意味を、深くは考えなかった。

 いや。

 もしかしたら、敢えて考えないようにしたのかもしれない。

 彼はこの時点で、自らの選択に対して疑念を感じていた。

 そしてそれは余りにも遅かったと、断じられるべきであっただろう。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?