ようやく祭りが始まった王都は、それはもうかつてない盛り上がりを見せていた。
そこかしこから聞こえてくる陽気な音楽と熱狂的な人々の喧騒が合わさり、すぐ隣にいる相手と会話するのも一苦労だ。
カネリアはそんな人混みの中を、屋台で手に入れたお面を被って歩いていた。はぐれてはいけないからと、使用人姿のウィンアットに手を取られながら歩いていた。
「確かにこんな騒ぎの中に勇者が現れたら、ちょっとした事故が起きそうだなぁ。……いいお面が見つかったな、カネリア。似合ってるぜ」
「ありがとうございます、ベリドートさん。仮面を被ることには慣れていますから」
祭りの熱に浮かされているのか、少しピントのズレた返答をするカネリア。
彼女にとって今回の祭りには問題事が山積みだったし、色々と考えなければならないことがあって心穏やかにはいられなかったが――それでも、こうして屋台が並ぶ通りを歩いているだけで胸の躍るような感覚があった。
お祭りというもの自体は、彼女はベリルの街でこれまで何度か経験していた。
けれども今回はそれらとは比べ物にならない規模であり、早い話が、彼女は興奮していた。
「お二人とも、あれを見て下さい。勇者パーティのメンバー一人ひとりをイメージしたブレンドティーの屋台らしいですよ。面白いですね。流石に五人分全て一人で飲むのは厳しいので、それぞれ手分けして飲んで味の感想を教えていただけませんか?」
「おいおい、なんか変な使命感に駆られてるぞ。焦るなって。祭りは七日間もあるんだから、毎日通ってお前が全種類試せばいいじゃないか」
「はっ……。ベリドートさん、やはり天才ですね……。その助言、いただきます」
「……思っていたよりカネリア様が楽しそうで何よりです」
この祭りにおける自らの使命を考えれば呑気に楽しんでいる余裕など彼女には本来無かったのかもしれないが、ウィンアットの言う通り、カネリアは様々な屋台に目を輝かせていた。
久々にベリルの街から出て羽が伸ばせた反動で、少々制御が利かなくなっているようにも見える。その姿は単純に祭りにはしゃぐ少女だった。
そんな彼女の様子を眺めて、ベリドートは苦笑する。
「まあ、気を張り続けるよりは余程いい。いっそのこと、カネリアはこのまま最終日まで祭りを楽しみ尽くしてしまえばいいんだ。面倒な事はウィンアットに任せてさ」
「……ベリドート様? あなたにもしっかり働いていただきますからね。怠けようとしても無駄ですよ」
使用人に変装したままベリドートへ剣呑な視線を向けるウィンアット。
二人のやり取りを聞いて初めて、カネリアは自分が祭りにはしゃいでいたことを悟る。
「す、すみません、少し興奮してしまいました」
「カネリア様は別にそのままで構いません。加護の炎の件はベリドート様が手を打ってくださるでしょうから」
「おいおい、丸投げすんなって」
屋台で購入したスフィネルイメージだという複雑な味わいのブレンドティーを飲み干して、彼女は言う。
「確かに私に出来ることなんて高が知れていて、お二人に比べたらお遊び程度の働きしかできないと思います。……ですが、勇者の役目は私の仕事です。誰かに任せっきりなんて、できるはずがありません」
それが彼女の役割であり、使命であり、存在意義だ。全うすることで初めて、生みの親であるご主人様に報いることができる。
ご主人様は今この場にいないけれど――なんなら既に自分への興味を失ってしまったのかもしれないけれど。だからこそ、手を抜くつもりは無かった。
例え不可能に思える事でも、勇者カネリアは乗り越えてきた。ならば自分も、そうあらなければならない。
そんな彼女の決意表明に、ウィンアットとベリドートは無言のまま顔を見合わせた。どちらももの言いたげな顔であったが、彼女の言葉に反対することはしなかった。
「ま、そういうことなら一緒に頑張ろうぜ。ただしあんまり張り切りすぎないようにな。程々でいいんだ、何事も」
「カネリア様、まずは中央の炎を確認しに行きましょう。加護がどの程度弱まっているのか、見ておく必要があると思います」
二人の言葉に頷いて、カネリアは街の中央へと足を向けた。
王子からの疑いを晴らす為にも。
今後も勇者の役目を果たし続ける為にも。
自らの存在意義を証明する為にも。
彼女にはこの祭りの中で、やらなければならないことがあった。
◇◇◇
加護の炎が灯る祭壇は、ベリルの街のそれとほぼ同じ造りであった。元々はそこで揺らめく炎も同程度の大きさで等しく街を照らしていたのだろう。
しかし今は確かに炎の勢いが弱まっているようで、ベリルの街に灯る炎と比べればおよそ半分程度の大きさに見えた。
「……弱まっちゃってますねぇ」
「弱まっちゃってますなぁ……」
弱々しく輝く炎を見上げながら、カネリアとベリドートが呟く。
「炎を何度かに渡って継ぎ足すことで何とかならないかとも少し期待しましたが……。これを元の大きさにまで戻そうと思ったら、七日では足りないでしょうね」
手のひらサイズの可愛い炎が精一杯なカネリアには、正攻法で加護を復元することは不可能に思えた。
となると、見た目だけそれっぽく見せかける偽装工作が候補に上がるが。
「スフィネルなら普通の炎を金色にするくらいのことはできそうなもんだが、どっか行っちゃってるんだもんなぁ。……マジで何してんだよあいつ」
ベリドートが不満げな呟きを溢してため息をつく。
「ベリドートさんは、魔法で金色の炎は出せないのですか?」
「出せたら悩まずに済んだんだけどな。俺が出せるのは赤いのと青いのと黒いのと、あと紫くらいかな」
「色々出せるんですね……」
色の違いに何の意味があるのか気になったが、無駄話をしているような余裕は無かった。
改めて現実に直面してみると、腹の奥辺りがきゅっと締め付けられるような気分になる。
はてさてどうしたものだろうかと、しばし無言で見上げるカネリア。
そんな彼女に近付く人物がいた。
「やあ、カネリア。加護の点検かい? お疲れ様。その仮面似合ってるよ」
「……ストウォード王子殿下」
昨日の昼間と同じように付き人を一人だけ伴って、ストウォード王子が立っていた。
昨晩の一件を思い出して気を引き締めるカネリアだったが、王子は変わらぬ様子で話しかける。
「見ての通り、だいぶ弱まってしまっているんだ。まあこれでも加護の力は残っているようだし、そもそも王都周辺の魔獣は駆逐済みだから問題は無いと思うんだけど。……けれど、勇者がもたらした平和の象徴が無くなってしまっては、民が悲しむだろう?」
「……この街には偉大な国王陛下と王子殿下のご威光がありますし、こんなものはもう必要無いかもしれませんよ」
「ははは、それは困る。何より僕の心の支えが無くなってしまうからね」
頭上で燃える炎に細めた目を向け、それから王子は続ける。
「勇者カネリアの存在は、君が思っているよりも大きいものだ。毎年この祭りの度に君が王都へ訪れてくれるようになれば、ここに住む民達は喜ぶだろう――できれば今もそんな仮面で素顔を隠さず、堂々と向き合ってあげて欲しいところなんだけど」
「……申し訳ありません。注目されるのが苦手なもので」
カネリアの返答にストウォードはにこりと笑って、
「まあ、君の好きにしてくれて構わない。ただし、今この場で加護の炎を再点火するのは控えてね。一応、この祭りの最後を飾るメインイベントなんだから」
それだけ言い残して、祭りの人混みの中へと消えていった。
「――なんというか、思わせぶりなお人だな、王子殿下は。ここで偶然会ったという感じはしなかったぜ」
王子の背中が見えなくなった後で、ベリドートがそう呟く。
「……恐らく、私の様子を探っていらっしゃるのではないかと思います。王子にはどうやら、私の正体に疑いを持たれてしまったようですから」
「ほーお、なるほどねぇ……。これは思ってたより面倒な事になってきたな」
「はい……。すみません、炎の件だけでもただえさえ面倒なのに、加えて王子から正体を疑われるなんて……」
「いや、そうじゃあない。恐らくその二つは最初から繋がってたんだ」
気落ちするカネリアの言葉を打ち消してから、ベリドートは続けた。
「あの王子様がカネリアの正体に疑念を抱いているのであれば、明確な手段でそれを確かめにくるだろう。あの人は、そういう人だ」
「……明確な手段、ですか」
「少なくとも、会話から違和感を見つける程度の探りで満足するような性格じゃあない。ましてや勇者カネリアのことともなればな」
確信を持った口調で語るベリドート。その目はどこか遠くを見ていた。
「お詳しいんですね、ストウォード王子について」
「おいおい、誤解を招くような言い方はやめてくれ。ただ単に昔、色々あっただけさ」
彼はそう肩を竦めるけれど、それでは返って意味深長なことを言っているなと、カネリアは思った。
しかし今は細かい話は置いておこう。過去にストウォード王子と勇者パーティの間でどんな出来事があったのか、それはまた今度聞き出すことにした。
「それで、加護の炎が弱まっている件と、王子が私の正体を疑っていることが繋がっているとは、どういう意味でしょうか?」
ベリドートのやり取りの間にも頭の中で考えてみていたカネリアだったが、一向に何もわからない。
彼女の問いに、彼は咳払いを一つした
「ああ、話が逸れたな。取り敢えずまずは加護の炎についてだが――ここで直接炎を見てみてわかったんだが、これが弱まっているのはただの経年による変化じゃないな。恐らく何者かによって、人為的に力を弱められている」
恐らく呪いの類だな、とつまらなそうな口調で彼は言った。
あまりにも平静な口調で告げられたものだから思わず聞き流しそうになったカネリアだったが、冷静に振り返ってみると彼はとんでもないことを言っていた。
「……え? ええ!? ゆ、勇者様の加護を、誰かが破ろうとしているということですか!?」
「で、その首謀者が恐らくストウォード王子なんだろうな」
「えええええ!?」
昼下がりの世間話みたいな口調で更に信じられない台詞を続けたベリドート。カネリアは混乱する一方だった。
「そ、そんなことをして、王子に一体何の得が……」
勇者の加護は街を守る力であり、人々の心の支えでもあり、平和の象徴だ。それが如何に重要であるかは王子も語っていた。そしてそんな加護を復活させる為の黄金華の祭りは、他でもないストウォード王子が企画したものなのだ。
なのに彼がその裏で、加護の炎を消そうとしているなど、カネリアには到底信じられなかった。
王子と出会ったばかりの彼女ではあるが、彼は切れ者であっても悪人ではないと感じていたからだ。
「――もし今の勇者カネリアが偽物であれば、加護の炎を再び灯すことはできない。だから、正体を暴くことができると考えたんだろう。この黄金華の祭りという舞台なら」
あの王子が勇者の加護を破壊するなんて大それたことをするとは思えないと感じていたカネリアだったけれど、しかし、そのベリドートの台詞にはなるほどと思わされる部分があった。
加護の炎は勇者の異能【黄金】が具現化したもので、余人に再現できるような力ではない。
天才錬金術師スフィネルによって勇者の複製体として造り出した彼女ですら、その一端を行使するのが精一杯だ。
そして、僅かに【黄金】を受け継ぐカネリアでも、勇者がかつて施した加護を再現することは不可能なのだ。
現に勇者としての体面を保つ為に頭を悩ませていた彼女としては、それが王子の目論見だったと言われれば、強弁に否定することができなかった。
押し黙る彼女の横で、それまで会話の成り行きを見守っていたウィンアットが口を開いた。
「……ベリドート様の仰る通りこれが王子殿下の企みであり、炎の弱まりが何らかの手段によるものならば、それを阻止することで加護を元に戻すこともできるのでしょうか」
確かに加護の弱体化が人為的なものであれば、原因を絶つことで状況は改善するかもしれない。
「それについては何とも言えないな。恐らく遠隔から呪紋を通して呪いを発動しているんだと思うが、術式の隠蔽が上手くてどういった呪いか判別できない――だがどの道、元を絶たなければいくらカネリアが頑張って加護をかけ直したところで同じことだ」
「私がいくら頑張っても加護を元に戻すことはできないと思いますが……。勇者様が遺した加護を侵害する何かがあるのだとすれば、気に入りません」
今から呪いに対処したところで事態が好転するとは限らないと、ベリドートは言う。
しかしそういった理屈は抜きにしても、この状況は放置できないとカネリアは思った。
「……ちなみに、王子を殺せば呪いは解除されるのか?」
随分と物騒なことを口走っているが、ウィンアットも彼女と同じ思いらしい。変装中だというのに口調が乱れる程度には、感情が昂っているようだった。
「確かに王子を殺して解決するならそれが一番楽だが……。今の段階では何とも言えないな。術者を殺すと更に強まる術式というものも、呪いには多い。まずは起点となる呪紋を見つけることが先だろう」
魔法や呪いのエキスパートである導師ベリドートの言葉に、ウィンアットは頷く。カネリアとしても、まだ容疑者に過ぎない王子を暗殺するのは良心が咎めたので、ほっと一息ついた。
「ともあれ、これで当面の行動方針が決まりましたね」
勇者の加護にかけられた呪いを解く。
その為に、どこかにある呪紋とやらを見つけ出す。
未だ手がかりは少なく、目を背けたくなるような新事実が判明したりもした。
しかしそれでもカネリアの胸中は先程までと比べて晴れていた。少なくとも道のりが明確になったのだから、良いことだ。
後はただひたすらに進むだけである。
「……別に、お前は祭りを楽しんでいてもいいんだぞ。これは【黄金】絡みとは違って、お前でなくてもできる仕事だ」
「いいえ、これは勇者への挑戦です――即ち私への挑戦です。ただ黙って見ているつもりはありません」
そんな断固としたカネリアの言葉に、ベリドートはそれ以上何も言い返さなかった。
この平和な街の裏側にどんな思惑や企みがあろうと関係無い。この平穏を脅かすものは見過ごせない。
偽物であっても勇者を名乗る以上は、譲るわけにはいかない信念があった。