上空から見る王都フォルナトラスはやはり巨大であり、偉大であった。
丘の上には国王が住まう王城が天を衝くほどの威容を誇り、城壁に囲まれたその城下町はベリルの街より三倍ほどは広大だ。建ち並ぶ建造物を見ても、その街が長い歴史の中で栄えていることがよくわかる。
初めて王都を訪れたカネリアはそんな光景に見とれて――いる暇は無かった。
「きゃあああああああッ!? きゃあああああああッ!? きゃあああああああッ!?」
刻一刻と眼前に迫る王都。そして地面。
ベリドートのテレポートで連れて行かれた先は案の定王都上空で、カネリアは短い人生の終焉を覚悟した。
直後、轟音と土煙を上げて地面に激突する三人。
しかしカネリアに痛みは無かった。衝撃さえも感じない。
身体と地面との間に展開された分厚い魔法壁が、全ての衝撃を吸収してくれたようだった。
「――な? 何も問題無かっただろ?」
得意気に笑うベリドートから腕を引かれて立ち上がるカネリア。確かに死なずに済んで良かったとは思うが、上空から落下する恐怖は軽くトラウマものだったし、危うくショックで心臓が止まるところだった。
「……城壁の外に落ちたからよかったですが、これが街中だったらと思うとゾッとします。帰りは、絶対に、馬車で帰りましょう。ふた月かかろうが構わないです」
「街から外れたのは計算尽くさ。ちょっとは俺を信頼してくれよ」
「なら、ちゃんと地面の上に出られるようにも計算していただいていいですか……?」
「カネリア、諦めろ。こいつに何を言っても時間の無駄だ」
空から落とされた件についてはウィンアットも腹に据えかねているらしく、使用人に変装した女性の姿であるにも関わらず、いつもの口調でそう吐き捨てていた。
「何はともあれ到着だ。気を取り直して王都を楽しもうじゃないか、お二人さん」
「とてもそんな心境ではないのですが……」
到着したら到着したで、この後に控えているイベントを思うと心は重くなるばかりだった。
……まあ、まだあと七日ある。先のことは考えないようにして。
取り敢えずは王都の人々から偽物だとバレないように、いつにも増して勇者の姿を演じなければいけないなと、カネリアは心を引き締めた。
◇◇◇
加護の炎再点火を祝うお祭りが始まるのは明日からという話だったが、街では既に準備が整っているらしく、熱気と喧騒に包まれていた。通りに所狭しと並ぶ屋台は営業こそしていないが、もうほとんどお祭り騒ぎだった。
「流石にベリルの街と比べても賑やかですね、王都は」
門をくぐり王都に入って街並みを眺めたカネリアは、第一声でそう呟いた。
「まあ祭り直前だし余計にな。明日からは更に盛り上がるんじゃないのか?」
「人混みではぐれないようお気をつけ下さい、カネリア様」
使用人に変装して同行しているウィンアットがぴったりと彼女の傍に張り付く。
屋敷の中で動きやすいからという理由の変装だったが、こんな街中では返って目立ってしまうのではないだろうか? 布で顔を隠すようにしてこそこそと歩く彼女は、ウィンアットに対してそんな心配をした。
「おいおいカネリア、祭りの主役が何を憚っているんだよ。もっと堂々としていろよ」
「勘弁して下さい、ベリドートさん。知らない街でこんな大勢からもしも注目を浴びることになってしまったら、私はまともでいられません。多分吐きます、緊張で」
「そんなことで最終日の再点火は大丈夫なのかぁ? 絶対大勢の注目が集まるぞ」
「だから、大丈夫ではないと、言ってるじゃないですか……ッ!!」
この人は一体何を言ってくれているのだろうと、カネリアは腹立たしい気持ちになる。他でもない彼が持ってきた面倒事だというのに。
いや、実際にはベリドートは依頼を伝えただけで、この面倒事の主催者は他にいるのだが。
「――お久し振りです、勇者カネリア様。ご到着を心待ちにしておりました」
不意に横合いから聞こえた声に、カネリアの背筋がぴしりと伸びる。
それは高貴で威厳のある雰囲気を伴った声だった。
そこにいたのは、輝くような笑みを浮かべた長身の青年。控えめな意匠ではあるものの、明らかに高級な布地で誂えられた服装。極めつけに、胸元には王家の紋章。
カネリアは何も考えずにとにかく頭を下げた。
「はっ、お招きいただきありがとうございます、王子殿下。到着が遅くなりまして申し訳ございません。それにまさか、このようなお出迎えまで」
王都に来るのも初めてなカネリアは王子の顔など知らなかったが、自然とそれがストウォード・ルデル・フォルナブルーム殿下その人であるという確信があり、口をついてつらつらと挨拶の言葉が出る。
人違いであれば大変なことであったが、殿下は輝く笑みを湛えたまま続けた。
「ははは、久し振りに貴女とお会いできると、今か今かと待っていましたからね」
そんな王子の言葉に、カネリアは内心で動揺する。
彼女自身はストウォード王子との面識は無いが、勇者カネリアはそうではないのだろうか? であれば、どのような関係性だったのだろう。
ただの知り合い程度なのか、ほとんど会話したことは無いのか、あるいは――
「――それに、カネリア。お互いこんな堅苦しいのはやめにしないかい? また以前のように語り合おうじゃあないか」
まずい、と、カネリアは貼り付けた笑みの奥で思考する。
どうやら――というか完全に、ストウォード王子は勇者カネリアの知り合いだ。それも結構、打ち解けた関係だったらしい。
彼女が勇者の仮面を被るにあたって一番警戒を要するのは、生前の勇者と関わりがあった人物との接触だ。
元々の勇者を深く知らない人々に対してそれっぽく振る舞うだけならば何とかなる。
しかし、勇者をよく知る人物が相手となると話は変わる。所詮彼女は勇者と姿が同じなだけの存在だ。
細かい振る舞いや態度、言葉遣いなどでボロが出る。加えて思い出話なんてされた時にはどうしようもない。
「魔王を打ち倒してから一度も顔を見せてくれないから、僕は正直寂しかったよ。そして心配だった。もしかして君は、僕との約束を忘れてしまったんじゃないかって」
「〜〜っ!」
まずいまずいまずいまずい。
物憂げな影を見せながら話しかけてくる王子に対して、カネリアは精一杯取り繕った笑顔を向け続ける。
約束? どういう約束だ?
当然カネリアにはわからない。
勇者様、王子と一体どんな約束をしたんですか!
「は、はは、申し訳ありません、ストウォード王子。陛下から賜ったベリルの街を治めるのに、精一杯でして。王都へ参じるような余裕がありませんでした」
これは嘘ではない。本当のことだ。事実で以て真実を誤魔化す。
冷や汗混じりな彼女の回答に、王子は気遣わしげに秀麗な眉をひそめた。
「そうか……。元々は魔王が支配していた危険な土地だ。様々な苦労があると思う。僕に何か手伝えることがあれば、遠慮無く言って欲しい――君と僕の、仲じゃないか」
「あ、ありがとうございます、王子……」
勇者様、王子と一体どんな間柄だったんですか!
なんとかこの場を乗り切ろうと必死なカネリアに王子は再度気遣わしげな視線を向けて、
「……まあ、旅の疲れもあるだろう。呼び止めてしまって済まなかったね。今日はしっかり身体を休めて、明日から始まる黄金華の祭りを楽しんで欲しい」
それから傍らで控えていた男に声をかけた。
「ルンカース、勇者様御一行を城へ案内して差し上げろ。僕は祭りの準備状況を確認してから戻るよ」
「はっ、承知いたしました」
どうやら王子は王城に部屋を用意してくれているらしい。カネリアとしてはその辺の宿屋の方が気が楽だったが、下手に断るわけにもいかない。
ここは取り敢えず成り行きに身を任せることにした。
今日から七日間、どうやら気を張り詰めておく必要があるらしい。
身体を休めることなどできそうにないなと、彼女は誰にも悟られないため息をついた。
◇◇◇
カネリア達と別れた後、ストウォードは一人で王都のとある裏路地にいた。本来であれば供を付けずに出歩くなど許されない身分であったが、今は一人で隠れて行動する必要がある。
目的地へ着くまでの間、彼は先程のカネリアとのやり取りを思い出していた。
初めから疑っていたことではあったが――いざ再会してみると、やはり彼女には違和感があった。
一年以上顔を合わせていないということを差し引いても、拭い切れない違和感。
彼女の姿形をした別人と話しているような、そんな背筋がざわつく感覚。
やはり彼女は、偽物なのだろうか。
頭の中の理性的な部分で自分は荒唐無稽なことを考えていると思いつつも、しかし彼の直感は意見を曲げなかった。
「……だとすると、他のパーティメンバーはどうして偽物を守っているのか」
自然と思考が呟きとして漏れる。
あるいは、他のメンバーも含めて全員偽物であるという可能性もある。
ストウォードは黄金華の祭りに関する依頼の件でベリドートとも接触したが、その際にはカネリアに対して感じたような違和感は無かった。
けれど彼はカネリアについてならある程度人となりを理解しているが、他のパーティメンバーについてはその限りでは無い。
偽物だったとして、気付けない可能性もある。
しかしそれも、大きな問題ではない。
そして、今は考えても仕方が無い。
この疑念を解消する為の準備は、既にほとんど完了していた。
路地裏の目的地に辿り着いたストウォードは、物陰に薄く刻まれた魔法陣へ手を掲げ、魔力を流す。
これは厳密には魔法ではなく呪術の領分なので呪力というべきなのだろうが、彼にはその辺りの拘りは無かった。
呼び名が何であろうと、所詮は目的を果たす為の手段に過ぎない。
彼にとって重要なのは、手段の先で手にするものだ。
「……まあ、どちらにせよ計画実行は最終日。それまでは、もう少し探ってみるかな」
今頃は勇者一行も王城へと着いた頃だろう。
ただの杞憂ならばそれでよし。しかしそうでなかった時は――
暗い路地裏の奥で、王子ストウォードは不敵に笑った。
◇◇◇
王都を守る勇者の加護、黄金の炎。
経年で弱まる加護に再び力を与える為の儀式を行うのと同時に、平和への感謝と、その礎となった数々の英霊へ祈りを捧げ、この平穏が永く続くことを祈念する。
それが今年から王都で行われる黄金華の祭りの趣旨だった。
招かれた王城の晩餐会で祭りの説明を受けたカネリアは、今すぐご主人様を捜し出して、自分の代わりにもう一人勇者の複製体を作って欲しいという思いに駆られた。
いや、そこまで多くは望むまい。
せめてご主人様が、今この場にいてくれさえすれば。
この心はもっと穏やかだっただろう。
今も傍にはベリドートとウィンアットがいて、二人とも頼りになる仲間ではある。
けれど人にはそれぞれ向き不向きがあって、今回のような事態においては勇者パーティの頭脳であるスフィネルの存在を何よりも求めてしまうのだった。
彼女は常識の通じない箍が外れた性格ではあるものの、それでも頼りになるご主人様だ。
彼女の不在は自らが招いた結果だというのに、都合よくそれを嘆いてしまう。
嗚呼、ご主人様はいったい今どこで何をなさっているのだろう。
「――カネリア、こんなところにいたのかい。主役の姿が見えなくなって、皆悲しんでいるよ」
明日からの黄金華の祭りに先立ち前夜祭と称して王城で開かれた晩餐会は、王国で要職に就くお歴々や有力な貴族達が集まっていて、とても気の休まるものではなかった。だが立食形式だったお陰で出席者の目を盗んでバルコニーで夜風に当たることができていたのだけれど、それもストウォード王子に見つかってしまった。
着慣れないドレスでの立ち居振る舞いに気を配りながらカネリアは振り返る。
「王子こそ、会場を抜けられてはお付きの方達が心配されるのではありませんか?」
「ははは、いつかみたいに城を抜け出したわけでもあるまいし、大丈夫だよ。最も、君と二人でいることについては心配する者もいるかもしれないけどね。また何かやらかすんじゃないかと、ルンカース辺りは気が気じゃないかもしれない」
それは王子にとって勇者カネリアとの思い出話だったのだろうが、カネリアは曖昧に笑って返す。下手に話を合わせて墓穴を掘るわけにはいかない。
「ふふふ、お戯れを。ふふふ」
「あはは」
そんな空虚なやり取りが繰り広げられるバルコニーで、カネリアは失敗したと内心冷や汗を流していた。
彼女が前夜祭の会場を抜け出したのは、単にパーティの雰囲気に疲れたからという理由もあった。しかし何よりも、勇者カネリアと面識があるのか無いのかもわからない大勢の人々と会話を続けていては、自らが偽物であることが気取られるかもしれないという懸念あってのことだった。
しかしそんな不安から抜け出した結果、ストウォード王子に捕まるとは……。
正直今この王城で最も油断ならないのは、この王子殿下だろうと彼女は思う。
昼間の邂逅で何やら違和感でも与えてしまったのか、彼が向けてくる視線は巧妙に隠されているものの、こちらを探るような気配があった。人の目線に敏感な彼女はそれに気付いていた。
「……ベリルの街での生活は上手くいっているかい? 昼間にも言ったけれど、僕に手伝えることがあれば遠慮せず教えてくれよ」
「ありがとうございます。色々と大変なことは多いですが、皆さんのお力を借りながらなんとかやっていますよ」
パーティの会場で奏でられている穏やかな音楽を遠くに感じながら、カネリアは王子に向き合った。
彼の探るような視線がきらりと光ったような気がした。
「……君はなんだか、変わったね。落ち着いたというか丸くなったというか……。うん、大人っぽくなった気がするよ」
正面から「以前と比べて変わった」と告げられ心臓が跳ねるが、カネリアはそれを表に出さない。
「当然ですよ。いつまでも、子供のままではいられません。色々と背負うものがありますから」
その台詞にはカネリア自身思うところがあったから――もっとしっかりした人間になりたいとは常日頃思っていたから、言葉に真実味が宿る。
真剣な響きを伴って発せられたその言葉に、王子は僅かに目を細めた。
そんな彼に対して、彼女はここぞとばかりに一歩踏み込んでみることにした。いつまでも向こうからの言葉をのらりくらりと躱しているだけでは、疑われ続けるだけだろう。
「そういうストウォード王子も、変わられましたよ。以前にも増して、ご立派になられました」
そんな当たり障りのない台詞。
しかし、敢えて「以前と比べて変わった」と言うことで、こちらはちゃんと昔の事を覚えているのだという印象を植え付ける。
彼女の台詞に、王子は驚いたように目を見張ってから、小さく笑った。
「――ありがとう、そう言ってもらえて嬉しいよ。でも、やはり変わったのは君の方だよ」
そうして、彼の言葉が纏う雰囲気が僅かに変わる。
カネリアは王子の機微を認識し、失敗したかと直感する。
「昔の君ならば、そんなことは言わなかっただろう。……僕が変わっていようがいまいが、君は「変わっていない」と言ったはずだ。君は、そういう奴だった」
ただただ昔を懐かしむような響きで彼は言う。
カネリアには王子が言っていることがよくわからなかったけれど、どうやら彼の疑念を確信に変えてしまったようだという予感はあった。
何も言えないでいる彼女に、ストウォードは背を向ける。
「黄金華の祭り最終日、楽しみにしているよ。君に手間をかけさせることになってしまって済まないとは、思っているけどね」
そうして彼はカネリアからの返答を待たず、パーティの会場へと戻っていった。
「君もそろそろ会場に戻った方がいいよ」
という言葉だけ残して。
遠ざかっていく王子の台詞を、カネリアは黙って見つめる。
黄金華の祭り最終日。
加護の炎を再度灯すというその仕事を、くせ者である王子の眼の前で、どう乗り切ればよいのだろうか。
考えども妙案は思い付かなかった。