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第11話 死はいつだってすぐ傍に

 その日の夜、帳も下りきった頃。

 ウィンアットは煮えたぎる程の腹立たしい気持ちを抑えこんで、自らの心情を努めて冷静にコントロールしようとしていた。

 いつだって感情を表に出さない暗殺者がここまで激情に駆られるというのは、かなり珍しい事態であった。


 意図していたわけではないが色々とあって、明日はカネリアと二人でベリルの街を周ることになっていた。

 だから今夜は明日の為に準備を整え英気を養おうと思っていた。


 ――にも関わらず、こんな時に。


 まったく、腹立たしい限りだった。

 そこはカネリアの寝室、その隣にある隠し部屋――ウィンアットの私室。

 勇者パーティのメンバーはそれぞれ屋敷内に自分の部屋を持っているが、人の目に留まることを良しとしない暗殺者はその隠し部屋を使用していた。

 部屋の存在は屋敷の主であるカネリアにも悟られていない。


 そんな隠し部屋で眠りに就いていたウィンアットだったが、不意に鳴ったベルの音で目を覚ましたのだ。

 それは、天才錬金術師スフィネル・バー・パロックルがベリルの街に張り巡らせたセキュリティシステム。招かれざる客が来訪したことを告げる、ベルの音だった。


 魔王を討ち滅ぼした勇者、カネリアが治める街、辺境都市ベリル。

 その街を脅かす脅威は、何も魔獣や魔人だけではない。

 人類にとっての英雄であるカネリアは、しかしその人類によって身柄を狙われることもある。

 人の世は様々な利害関係や思惑がせめぎ合い、一筋縄ではいかない。カネリアを讃えるものがいる一方でその存在をよく思わない者もいるというありきたりな事情が、いつだって彼女を取り巻いていた。

 けれど、そんな身勝手で不条理な運命から彼女を守ろうとする者達も当然いる。

 勇者パーティ【輝きの炎ヘリオドール】。

 そのメンバーの一人、ウィンアット・マーリシ・ナイトはものの数秒で準備を整え屋敷を抜け出す。

 お客様の目的は定かではないが、セキュリティシステムが示した情報を見るに、真っ直ぐに屋敷へ向かってきているようだった。


 ――屋敷へ到達する前に消す。


 夜の街を駆けるウィンアットは、背がやや高くスラッとした印象な男性の身体に姿形を変えていた。関節の可動域や動作速度を阻害しない程度に付いた、引き締まった筋肉。

 潜入活動時にはもっと小柄で小回りの利く体型を選んだりするのだが、戦闘時には今回のような男性体を選択することが多かった。


 招かれざる客を迎撃すべく街中を駆け抜けてきた彼は、適当な民家の屋根の上で立ち止まり、周囲の様子を探るべく感覚を研ぎ澄ませる。

 敵の正確な位置はわからない。何人いるのかもわからない。見逃して屋敷に向かわれるわけにはいかないので、一人残らず見つけて始末しなければならない。

 屋敷に施されているセキュリティは侵入者感知のみではなく、迎撃・撃退用のトラップが張り巡らされているので侵入することすら困難だろうが、あれ等が作動すれば流石にカネリアも目を覚ましてしまう。

 こんな不躾な連中に彼女の眠りを妨げられるのは業腹だったので、絶対に一匹も取り逃さないと静かに闘志を滾らせるウィンアット。

 そんな彼は察知する。

 招かれざる客が、向こうからこちらに寄ってくる気配を。


 直後、闇夜の下で二本の黒い短剣が交差する。

 背後から接近してきた敵の攻撃を振り向きざまに弾いて、ウィンアットはその相手に素早い蹴りを叩き込む。

 苦しげな吐息を溢して吹き飛ぶ、黒装束の男。

 しかしそれとは別に、更に四人の人影が四方から姿を現し彼を襲う。

 連携の取れた、一糸乱れぬ動き。攻撃を回避できるような隙は無いことを、彼は瞬時に悟る。

 そして回避ができないのならばと、彼は飛びかかってくる四人の内の一人に向かって突進する。

 懐から取り出した暗器を投擲し、相手がそれを弾く間に斬りかかる。

 掌底や蹴撃を織り交ぜたウィンアットの攻撃に、相手の体勢が崩れる。そうして生まれた隙を利用して、彼は敵の包囲から逃れた。


 飛び退って謎の集団から距離を取り、改めて敵の素性を確認する。

 思っていたよりも、数が多い。そしてかなりの手練れだ。それも、ウィンアットと同じ、闇へ紛れることに長けた暗殺者。

 恐らく、セキュリティシステムが検知できたのは五人の内の一人だけだったのだろう。これほどの手練れなら、セキュリティの網を掻い潜って侵入してきても不思議ではない。

 このレベルで組織的に訓練された暗殺者を用意できる勢力など、候補はそれほど多くない。

 そして何よりも、先程連中が見せた連携に、ウィンアットは覚えがあった。


「――黒蛇遣いか。相変わらず、面倒な奴らだ」


 吐き捨てるような彼の言葉に、黒装束の男達は獰猛な視線を投げ返す。


「貴様がこの街へ戻っているという情報は無かったのだがな……。忌々しい勇者だけでなく、組織の裏切り者を始末できる良い機会だ」

「我々は、勇者を十分に殺せるだけの準備を整えてこの場へ来ている。貴様一人で阻めるとは思わないことだ、フィブロ・アライト」


 そんな男達の台詞にウィンアットは目を細め、身体を屈めて短剣を構え直す。


「その名でオレを呼んでくれるな。生憎その名前だけは二度と名乗らぬと決めている」


 直後、屋根の煉瓦を蹴って移動したウィンアットが、一瞬にして男達の懐へと潜り込む。

 それとほぼ同時に、一人の男の胸部を彼の短剣が貫いた。


「――そしてカネリアへ迫る敵に、素性や人数は関係無い。一人残らず排除する」


 次いで両脇の二人を瞬く間に斬り伏せて、四人目を屠るべく追撃するウィンアット。

 鬼気迫る彼の猛攻に男達は意表を突かれながらも、四人目の男はその攻撃を受け止めた。


「舐めるなよ、裏切り者が……ッ!!」


 一瞬動きを止めたウィンアットに、先程斬り伏せられたはずの三人が飛びかかる。

 戦闘用薬物。痛覚の鈍化や興奮など様々な作用をもたらし、肉体が死に絶えるまで戦闘継続を可能にする組織秘伝の薬。

 それを服用した男達は、ウィンアットによる致命の一撃にも怯むことなく、彼を追い詰めた。


「――最初から死ぬつもりだったか、貴様ら」


 眼前まで迫った血走った瞳に、ウィンアットは眉をひそめ呟いた。


「言っただろう、我々は勇者を十分に殺せる準備を整えてこの場に来ていると……ッ!」

「組織を裏切り矜持を失った貴様は忘れたのだろう……! 任務の遂行のみが、我等の望むものである!!」


 そして走る、複数の衝撃。


「――ッ!!」


 背後から数本の短剣に刺し貫かれ、ウィンアットの顔が苦悶に歪む。まともに知覚しては意識が飛ぶほどの激痛を彼は意識的に遮断して、空いていた左手に握った短剣で、戦闘人形と化した三人の首を落とす。

 しかしその後ろに潜んでいた五人目が、狙い澄ました一閃でウィンアットの左腕を斬り飛ばした。

 痛みは元より、重心の変化で体勢が崩れる。

 そして敵はその隙を的確に狙う。彼と押し合っていた四人目が前へと踏み込む。


「確かにお前は、暗殺者としては優秀な奴だった――しかし、一対多の状況で正面から我々とやり合って生き残れるほど、優れた戦士ではない」


 その言葉と共に、断ずるように。

 振り下ろされた黒い短剣が、ウィンアットの胴体を一切の容赦無く引き裂いた。


「――カネ、リア……」


 消え入るような微かな呟きが、夜闇へ紛れるように溶けていった。


 ◇◇◇


 昇りきった太陽の下、カネリアは一人、執務室でウィンアットを待っていた。

 ウィンアットのことをよく知るために二人で街へ出かけるという昨日の約束を果たすためだ。

 執務机での仕事もそこそこに、彼女はいつでも街へ繰り出せるよう準備を整え終えていた。


 ――けれど、おかしい。


 約束の時刻を越えていくら待っても、ウィンアットが部屋へやって来ない。時間になったら執務室まで迎えにきてくれるという話だったのだが、これはどういうことだろう。

 ウィンアットのことなので実はもう部屋の中にいて隠れているのだろうかと、何度か執務室内をくまなく捜して呼びかけてみたりもした彼女だったが、残念ながら見つけることはできなかった。突然の登場にいつでも驚かされる覚悟はしていたのだが、それはすっかり無駄になってしまった。

 どうしたのだろう。寝坊でもしたのだろうかと、初めは深く考えていなかったカネリア。

 しかしそれがやがて不安に変わり、心配でいても立ってもいられなくなるまで、そう時間はかからなかった。


 ――ウィンアットさんの身に、何かあったのではないか。


 勇者パーティの暗殺者を脅かすほどの脅威に何か具体的な心当たりがあったわけではないけれど、彼女はそんな漠然とした不安に駆られて窓からベリルの街を見る。そこにはいつもと変わらない平穏な景色。暖かな陽光に照らされ溌剌とした空気で満たされている。

 けれどウィンアットはそんな何気ない日常の裏で生き、影に潜んで戦う暗殺者。影の仕事も、その功績も。或いはその失敗も。決して表に浮かび上がってくることは無い。

 しかしそれは間違いなく存在し、そんな人目に付かない世界の戦いがどこかで日常を支えている。

 窓の外の景色を眺めながら、彼女は思った。

 目の前の平和な世界が何か大切なものを覆い隠してしまっているのではないだろうかと。


「……捜して見つけ出さないと」


 身体を包み込んでくる不安感を振り払うように、カネリアは意を決して動き出す。

 執務室を出て、屋敷を飛び出し、街へ向かう。

 先日破ったばかりの一人で外出してはならないという言いつけのことなど頭に無かった。

 彼女はまだウィンアットのことを深くは知らないけれど、なんならほとんど何も知らないのだけど、何も告げずに約束を破るような人物ではないという風には理解していた。

 ならばこそ、今のこの状況は異常事態だ。何かしらの事件が起こっているということは間違い無い。

 そしてカネリアは、偽物であっても勇者である。

 パーティーメンバーの身に何かがあったのであれば、見過ごすわけにはいかない。


 ――否。


 そんな理屈など関係無く、ただ仲間の安否を確認したいという一心で、彼女は一人街の中を駆けていった。

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