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第7話 どう足掻いたところで変わらない現実

 カネリアがスフィネルから七日七夜の奉仕を命じられてから、早いものでもう五日が経っていた。

 いや、カネリアの主観としては「早いもので」という感覚ではない。

 一日一日がとても濃密で、強烈な毎日だった。まだこんな日々があと二日も残っているのかとげんなりする。

 けれどいざこの五日間を頭の中で振り返ってみると、なんというか怒涛というか、あっという間だったようにも思える。

 そんな不思議な時間間隔の中で彼女は翻弄されていた。


 彼女はここ数日、奉仕という名目の癖に奉仕でもなんでもないような事を色々と命じられてきた。

 例えば勇者カネリア様とご主人様が昔お風呂でやっていたというスキンシップだったり、よく夜中にベッドでやっていたというスキンシップだったり、食後の運動としてやっていたというスキンシップだったり。

 あるいはご主人様に対する呼び方を変えるよう求められたり、皆の前で勇者らしい振る舞いで荒れた場を収めるよう求められたり、民衆に向けて何かしら演説するよう求められたり。

 もしくは、リアちゃんだったらもっと蔑んで吐き捨てるような口調を遣うと期待されたり、リアちゃんだったら肉体的に慰めてくれると期待されたり、リアちゃんだったら嫌がって見せつつも最終的には抱擁し受け入れてくれると期待されたり。

 とにかく色々なことを命じられてきたわけだが、そんな多種多様な要求の中に一つ、一貫している特徴があることに、彼女は気付いていた。


 それは、勇者カネリアと同じ振る舞いを求められているということ。

 スフィネルの要求は、ただ単に彼女が好む奉仕をしろというわけではなかった。

 勇者っぽい振る舞いでは満足されない。

 カネリアそのものである振る舞いを、教え込まれていたのだ。


 元々勇者として生きることを求められているカネリアだ。

 別に、生き方を強制されることに不満は無い。

 むしろ正解の振る舞い方を教えてもらえるのであれば、それはありがたいことでもあった。


 けれど、と彼女は思う。

 ここ数日のスフィネルは、どこか様子がおかしかった。

 これまでの彼女はカネリアに対して勇者のように振る舞うことを求めつつも、本物と同じになることまでは求めていなかった。

 所詮複製体であるカネリアはどう足掻いても本物と同じにはなれないのだと、彼女はそれを認め受け入れていた。

 しかしここ数日のスフィネルは、複製体である彼女を、本物にしようとしているかのような気配があった。

 それはカネリアのただの勘違い、思い込みかもしれない。スフィネルに限って、できることとできないことを見誤るとも思えない。

 けれどもしも、思い込みでなかったとしたら。

 それはご主人様にとってよくないことだろうと、カネリアは思った。


「はぁ〜、今日もいいお湯だったねぇリアちゃん。ちゃんと休めた? 明日のお仕事は街中の視察なんだから、ちゃんと身体を休めておかないとダメだよ?」

「休ませてくれなかったのはフィーさんじゃないですか……」

「でもリフレッシュにはなったでしょお?」

「……よくわかりません」


 正直に全てを曝け出すのも癪なので何となくそう答えたカネリアだったが、同時に思う。

 きっと本物のカネリアだったら、別の答えを返していたのだろうと。


 ここ数日間の経験で彼女は以前よりも深く勇者カネリアの思考を推測することができるようになっていた。

 スフィネルから聞かされるその振る舞い、人となり。

 少しずつ、自分の中にもう一つの人格が形成されていくような感覚。

 自らの受け答えや言動を、もう一人の自分が後ろから冷静に批評しているような感覚。

 カネリアはその感覚を、少なくとも心地良いとは思っていなかった。


「……うーん、リアちゃんだったらぁ、今の場合だと――」

「――最近、そればかりですね、フィーさんは」


 不意に、口をついて出た言葉。

 言った後に気付いて、カネリアははっと口を閉ざす。


「……なに? リアちゃん」

「いえ……。なんでもありません」

「なんでもなくないから、口を開いたんだよね?」

「…………」


 冷ややかな声色で問いかけられ、そちらに顔を向けることもできない。こわい。


 まったく、最近の自分はどうしてしまったのだろう。

 反射的に大胆な行動を取ってしまったり、咄嗟に口をついて言葉が出たり。以前まではこんなことはなかった。

 まるで自分の身体ではないみたいだ。

 しかし、まるっきり自分の意に反しているわけではないというところが困りどころだ。

 今回も、ご主人様に対して苦言を呈したいという思いは確かにあった。

 冷静に考えればわざわざ口にするようなことではなかったかもしれないが。

 咄嗟に口から出たということは、自分はこの思いを、心の奥底でそれほどまでに重要だと思っているのだろうか。


「リアちゃん? 黙ってちゃわからないよ? ちゃんとこっちを見て答えて」


 そんなご主人様の圧力に屈して――というわけではない。

 ご主人様に言わなければならないことがあるから、カネリアはそちらを向いて口を開いた。

 自分の為の言葉であればそのまま誤魔化したかもしれないが、それは他でもないご主人様の為を思った言葉だったから。

 だから彼女は、ご主人様からのプレッシャーに面と向かって対峙した。


「……ご主人様は、最近少し、おかしいです。以前までのご主人様とは違います」

「……私のことは、フィーさんって呼んでって、言ったじゃん」


 ぞっとする程に冷めた瞳は感情という温度を無くしてしまったかのような眼。

 造り物の自分ですらここまで冷たい目はできないのではないかと、カネリアに思わせるほどだった。


 一瞬で自分の体温まで奪われてしまったかのような錯覚に陥るが、彼女は懸命に言い返す。


「それもです、ご主人様。貴方は最近、私に勇者様と同じ振る舞いを求めていますね」

「……当然でしょ? リアちゃん、私が最初に言ったこと忘れたの? あなたはリアちゃんの代わりで――」

「――当然、覚えています。私の存在意義ですから」


 自分がこの世界に生み出された瞬間のことを、カネリアは克明に覚えている。

 スフィネルの腕の中で、温かいその体温に包まれて。

 震えるような声で、告げられた。


 ――よく聞きなさい。今日からあなたが、リアちゃんの代わり。優しくて可憐で偉大で可愛いリアちゃんの代わり。


 忘れられるはずがない。カネリアにとっては、それが生きる全てだ。


 ……しかし。


 もしかしたら、あの瞬間からわかっていた。

 自分は本当の意味では、優しくて可憐で偉大で可愛いリアちゃんの代わりには、どう足掻いたところでなれないということが。

 カネリアには、初めからわかっていた。


「……ただ単純に、勇者様の健在を世に知らしめて世界を安定させる程度なら、できるかもしれません。私にとっては重い荷ですが、貴方が望まれるのなら、カネリア・ゴールデン・ベリルとしてこの街を収め、民達を率い、皆から望まれる勇者として振る舞うことに全力を尽くします。どんな命令でも貴方が下したものであれば従います」


 それこそが偽物の勇者として造られた自身の役目。

 与えられた仕事は全うする。

 それが彼女なりの、であった。


「ですが私は、勇者様の振りをすることはできても、勇者様の代わりにはなれません。貴方が本当に求めるものは、私では差し上げることができません」


 どこまでいっても偽物でしかない自分では。

 ご主人様の心の穴を埋めることなどできない。


 聡明なご主人様は、そんなこと当然わかっていると思っていた。

 いや、わかっていたのだろう。

 わかっていてなお、勇者様を求める熱情が、それを上回ってしまった。


「……最近の貴方は、私に勇者様の面影を重ねているようです。ただの模造品に過ぎない私を、本物に仕立て上げようとしているみたいです」

「……やめてよ」


 顔を伏せたスフィネルから漏れるのは、そんなか細い呟き。

 きっと、彼女自身も理解しているのだろう。

 理性で理解してなお、心が理解したくなかったのだろう。

 自分が求めるものは、もう手に入らないのだという現実を。


 そしてだからこそカネリアは、言葉を止めるわけにはいかなかった。

 夢の中にいつまでも囚われているなんて、ご主人様らしくない。

 自分の存在がご主人様を惑わせてしまったのなら、その責任もまた自分が果たさなければならない。


「私はどうあっても亡くなられたカネリア様本人にはなれません。私は、貴方に造られた複製体です。――もう、私に勇者様の影を重ねるのはおやめください。それはきっと、貴方の為にならない」

「――やめてよッ!!」


 耳を塞いで、スフィネルが絶叫する。

 呼吸を乱し震える彼女を、カネリアは見つめることしかできなかった。


「そんな悲しいこと、言わないでよ、リアちゃん……」


 力無く呟かれたその懇願に、カネリアは顔を歪ませる。

 もし彼女のその苦しみを取り除く力が自分にあれば。

 今ほど己の無力を恥じたことは無い。

 そして同時に、勇者カネリアが腹立たしい。

 それはカネリアにとって初めての衝動だった。


 勇者カネリアが健在であれば、今も彼女の傍で笑いかけていれば。

 きっと自分も、こんな思いをしなくてよかっただろうに。


「……私のことをリアちゃんと呼ぶのも、お控えください。私は貴方の所有物です。愛着を持って接されるような対象では、ありません」

「――ッ!」


 直後。

 轟音と共に、屋敷が揺れた。


 柱や床を軋ませる振動。

 パラパラと天井から落ちてくる石材の欠片。

 陥没し、放射状に亀裂が走る壁。

 スフィネルがその拳で壁を叩いた結果だった。


 錬金術師とは思えない力。

 勇者と共にパーティを組んで魔王討伐にまで赴いた者の力。

 けれどそこでカネリアは気が付いた。

 石の壁にめり込む彼女の拳から、ぽつりぽつりと赤い血が滴っていることに。


「ご主人様――」

「――もういい」


 駆け寄ろうとしたカネリアを、スフィネルはきっぱりと制する。


「わかった、もういい。確かに君の言う通りだよ」


 その声はとても機械的で、抑揚に乏しく、そこから彼女の感情を読み解くことは難しかった。


「つまらないことに付き合わせたね、悪かった――所詮君は、複製体に過ぎないというのに」

「ご主人様……」


 何か声をかけようとして、カネリアは口をつぐむ。


 冷たく素っ気なく言い放つご主人様の姿は、なんだかとても寂しそうに見えた。

 ご主人様を苦しめたくて責めるようなことを言ったわけではない。

 ご主人様の今後のことを考えて言いたくもないことを口にしたのだ。

 それは決して、ご主人様にあんな、今にも泣き出しそうな顔をさせたくて言った台詞ではなかった。


「……明日も早いんだから、もう休みなよ」

「…………。はい、ご主人様」


 ふらりと背を向けて一人で自室へと向かうスフィネルに、カネリアは静かに頭を下げて背中を見送る。


 ……これでいい。

 これでいいはずだ。はずなのだ。

 そうでなければ、自分はきっと耐えられない。

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