恐ろしく濃密な夜のことは細かく記憶に残っていない。
とにかく酷い目に遭ったという漠然とした感想が、朝目を覚ましたカネリアの胸に去来した。
自分がいつ眠りに落ちていたのかもわからない。
いつの間にか窓からは綺麗な朝陽が差していて、なんでもない穏やかな空気がただれた心をより一層引き立てた。
そこはカネリアの寝室。無駄な飾り気などはないが、屋敷の主、領主の居室ということで彼女の疲れを癒やせるよう様々な工夫が凝らされている。
そんな立派な部屋の豪華なベッドで寝たというのに疲れが全く取れていないというのはどういうことなのだろうと、彼女は納得のいかない気分だった。
「ふぁぁ……。むにゃ……。リアちゃぁん……」
隣――というより皮膚を一枚隔てただけの距離には恐ろしきご主人様ことスフィネル・バー・パロックル。
両腕両脚でがっちりとカネリアを抱え込んだまま、むにゃむにゃと無防備な姿を見せていた。
「……もう朝ですよ、起きて下さい、ご主人様。あと、離してください……」
拘束から逃れようともがきつつ、カネリアは言う。
そして言った後に思い出した。そう言えば自分は、彼女のことをご主人様ではなくフィーさんと呼ぶよう求められていたのだと。
昨晩は一応心がけていたのだが、一夜明けると気が抜けて忘れてしまっていた。
呼び方を変えるというのは、本気で意識しないと中々難しい。彼女の認識としては、スフィネルはご主人様以外の何者でもない。
そして本物の勇者カネリアが彼女のことをどう呼んでいたとしても、自分がそれを真似するというのは、なんだかとても気が引けた。
本物と同じように振る舞うことが偽物である彼女に課せられた使命ではあるものの、それはあくまでも世間に対して勇者の健在を示す為だ。
彼女自身が勇者に成り代わりたいわけではない。そんなこと、できるはずもない。
彼女にできることは、仮面を被ることだけだ。勇者カネリアらしい振る舞いを心がけることだけだ。
勇者カネリアの内面までも、再現することはできない。彼女がどれだけ努力を重ねても、勇者本人にはなれない。
だからこそ、勇者の仮面を被ったままご主人様と接することは、彼女にとって心苦しいものだった。
何故ならご主人様が本当に求めているのは、勇者カネリア本人なのだから。
「うぅん……。いかないでぇ……。いかないでよぉ、リアちゃぁん……」
カネリアがようやく腕の一本を解いたところで、スフィネルが眠ったまま縋ってくる。
「このままでは、執務の時間に遅れてしまいます。早く支度をしないと……」
とっとと自らの手で朝の身支度を済ませて部屋を出ないと、カネリアを着せ替えさせたくてたまらない使用人達が来てしまう。
街の領主ともなれば世話を焼いてくれる使用人の一人や二人は抱えているのだが、彼女は人からお世話されることが好きではないので、使用人達が手を回すより早く自分で支度を済ませてしまうことでいつも逃げている。
しかしこのままでは、自分で準備を整えるより早く彼女達が来てしまう。
いや、この際、世話を焼かれる事自体は別に我慢できる。
だがしかしなによりも、ご主人様とベッドで二人裸になって肌を重ねているこの光景を見られることが我慢ならないのだ。
「くっ……。眠っているというのに、なんという力ですか……!」
本来なら他の職業に比べて身体能力に劣る錬金術師。しかしスフィネルは睡眠の真っ最中にありながらカネリアよりも強力な膂力を発揮していた。
これが恐ろしきスフィネル・バー・パロックル。魔王を討伐した勇者パーティの一員であることは、伊達ではない。
そんな立派なご主人様が、こんなだらしのない姿を晒していることがなんだか悲しい。人には絶対見せられない。
ご主人様の名誉のためにも、なんとしてもこの場を脱しなければならないと静かに意気込むカネリア。
そんな彼女の胸に、眠ったままのスフィネルがぽすりと頭を埋めた。
「ごしゅじ――」
「――リアちゃん……。どうして……? どうして私を置いて、いっちゃったの……?」
いつの間にか、湿った声色。彼女が顔を埋めた胸部に、温かい水滴の感触。
スフィネルから溢れたその言葉に、カネリアは身動きができなくなった。
身動きもできず、何も言えない。
スフィネルが勇者カネリアに対してどれほどの感情を向けているのか。
魔王との戦いで命を落とした勇者に対して、今も尚どれほどの想いを抱いているのか。
カネリアにはその全てまではわからないものの、彼女の想いが並一通りではないということぐらいはわかっていた。
今でもまだ、ご主人様は勇者カネリアを求めている。
他にも色々な理由があったとはいえ、自分のような模造品を創り出したことからもそれは明らかではないだろうか。
そしてそれを理解しているが故に、勇者の仮面を被ったままご主人様と接することには気が引けた。
自分ではご主人様が本当に求めているものを差し出せない。ご主人様の心の穴を埋められない。
けれど。
それでも勇者を演じることが自らの使命であるならば。自らが作られた理由であるならば。
自分はそれを全うしようと、カネリアは思った。
何よりも、自分の胸で涙を流すご主人様をこのままにはしておけない。
ゆっくりと目を閉じ息を吐いて、集中する。
そしてスフィネルの後頭部へ手を回し、撫でるようにして髪を梳きながら囁いた。
「――フィーさん。ダメですよ、起きてください」
「――リア、ちゃん……?」
カネリアの囁きに、スフィネルははっと目を開いてすぐ傍にある彼女の顔を見上げる。
そんなご主人様に、彼女は柔らかく微笑んで答えた。
「フィーさんは立派な人なんですから、朝もしっかり起きられますよね? いつまでも夢の中にいては、いけませんよ」
「う、うん……。ごめん……」
寝ぼけ眼をぱちくりとさせてから、スフィネルはゆっくりと頷いた。
そして抱きかかえたままだったカネリアからするりと離れ、身体を起こす。
「――いやぁ、びっくりした。びっくりしたよこれは。……在りし日のリアちゃんに、起こされたようだった」
「そうですか。それはよかったです」
拘束から解放されたカネリアもスフィネルに続いて上体を起こし、脇に落ちていた薄手のローブを羽織る。
「勇者様らしい振る舞いができていたということであれば、喜ばしいことですね」
ベッドから立ち上がって朝の準備に取りかかろうとするカネリア。
そんな彼女の背中に、スフィネルがぽつりと物欲しそうな声色で呟いた。
「……でも、リアちゃんは、私が寝起きで落ち込んでいた時はそのまま慰めてくれたなぁ……。もちろん肉体的な意味で」
「…………。私は勇者様ご本人にはなれませんので」
仮面を被ることすらも難しい。
それが勇者カネリア・ゴールデン・ベリルという存在だった。
◇◇◇
朝の支度を調え朝食を済まし、執務室にて仕事を始めたカネリア。
領主としての仕事はいくつかあるが、大半はこの部屋に引きこもってこなすことになる書類仕事だ。
そして普段であれば、執務室での仕事中は、彼女は一人である。
屋敷の外へ出て街中を視察するような際にはスフィネルや他の勇者メンバーが同行してくれるのだが、屋敷の中では基本的に一人で黙々と仕事に取り組む。
けれど今日は普段とは違い、執務室にはスフィネルがいた。
椅子に座って書類仕事を進めるカネリアの脇へ控えるようにして立っていた。
「あの……、フィーさん。落ち着かないと言いますか、気が散ると言いますか、仕事に集中できないのですが……」
困った顔でそう訴えるカネリアだったが、対するスフィネルは満面の笑顔だ。
「七日七夜の奉仕はまだ半日分しか終わってないよ! 片時も離れる気は無いって言ったでしょ!」
「ですが、流石に領主としての仕事がありますので……。四六時中というわけにも……」
「大丈夫! 私はこれで満足だから! お仕事頑張ってるリアちゃんを眺めているだけで満足だから!」
「はあ、そうですか……」
「リアちゃんのリアちゃんらしいところをいっぱい見せて!」
「…………」
リアちゃんのリアちゃんらしいところ。
つまり、勇者カネリアとしてしっかり振る舞っているところを見せろということだ。
ご主人様は奉仕という言葉で誤魔化しつつ、自分が日頃きちんと役目を果たしているのか確認するつもりなのだろうか、とカネリアは思った。
そしてそうなると、自然と身が引き締まる。
別にスフィネルの目が無い時には気を抜いているというわけでもないが、僅か足りとて下手なところは見せられないという緊張感が、彼女の精神に重くのしかかる。
そしてそんな折り、不意に執務室の扉が外から叩かれた。
「カネリア様、バーツです。昨夜の件でご報告にあがりました」
昨夜の件とは、ゲイン小隊の失踪及びシーナの行方不明事件のことだろう。
スフィネルの介入もあって奇跡的に無事解決したその事件。
カネリア達が街へ戻った頃には夜も遅くなっており、シーナ達も気を失っていたということから、事後の整理は翌日に回すという話になっていた。
カネリアにとっては忘れがたく強烈な事件であったはずだが、その後のスフィネルへの奉仕の印象が強すぎてなんだか遠い昔の出来事のように感じられた。
「どうぞ、お入りください」
手元の書類を軽く片付けてカネリアがそう返すと、「失礼します」という厳かな声と共に扉が開かれた。
そしてそこから入ってきたのはバーツだけではなく。
ゲイン小隊の四人と、シーナを含めた合計六人。思っていたよりも多い入室者に、彼女は少し驚いた。
「――おはようございます、皆さん。報告に来られるのはバーツさんだけだと思っていましたが……。ゲインさん達も、シーナさんも、もうお身体は大丈夫なのですか?」
彼女がそう水を向けると、バーツから一歩後ろへ下がって直立不動で控えていた面々が、一斉にひざまずいて頭を垂れた。
一糸乱れぬ見事な動き――ただの少女であるシーナまでもその所作に倣っていた。
そしてその一列の中心に居たゲインが頭を下げたまま声を張り上げる。
「カネリア様ッ! 昨日の一件、申し開きのしようもございませぬッ! 任務の失敗ばかりか、御身のお手を煩わせるような失態ッ! この身を以てお詫び申し上げる所存ッ!!」
「――え、えーっとですね……」
突然の謝罪、対応に窮するカネリア。
彼女は領主としてこの街を治めているものの、人から敬われることに未だ慣れていない。なのでこのように面と向かって仰々しく接されると、どう反応したらよいものか困ってしまうのだ。
「カネリア様。このように、まずはお詫びを申し上げたいということでしたので、一同連れて参りました。お部屋へ押しかけるような形になり申し訳ございません」
そしてバーツまで深く頭を下げる始末。
向けられたそれぞれの頭頂部に、カネリアは平静を保って見せるので精一杯だった。
「そ、そうですか……。取り敢えず皆さん、頭を上げて普通になさってください。ソファに座りましょう。そうだ、ハーブティーでも淹れましょうか。丁度お気に入りの茶葉がここに……」
何よりもまずこの重苦しい空気に耐えられなくなったカネリアはそう言って椅子から立ち上がり、お茶の準備を始める。
彼女のそんな温かな言葉に、頭を下げていた面々は恐る恐るといった様子で顔を上げる。
そんな中で、スフィネルがぽつりと溢した。
「――リアちゃん。それって、リアちゃんがやらないといけないことなのかなぁ」
小さく呟かれただけのその声は部屋にいた全員の耳を突き刺し、空気が一気に冷え込む。
棚からティーセットを取り出そうとしていたカネリアはビクリと肩を震わせ、カップがガチャリと音を立てた。
シーナが真っ青な顔で、お茶の準備を代わろうとわたわたとカネリアに駆け寄る。
ゲイン達は浮かしかけていた腰を再び下ろし、先程よりも深く頭を下げる。
バーツは沈痛な面持ちで目を伏せた。
そして場の空気を地獄にしたスフィネルはそのままゆっくりとした足取りで、硬直しているゲイン達に近づいていく。
「――ねーえゲインくん。君はさぁ、何の為にここにいるんだっけ? 忘れちゃったから教えてよ。忘れたままだとよくないからさ。この錬金術師に教えてよ」
「そ、それは――。昨日の失態をカネリア様にお詫びする為です」
「そうじゃなくてぇ〜。それ以前の問題だよ。――君は、何の為に、この街に、いるんだっけ?」
「っ! べ、ベリルの街と、我等が偉大なご領主、カネリア様をお守りする為ですッ!!」
「そうだよねぇ、そうだったよねぇ。思い出したよありがとう。――でもだとすると、おかしいよねぇ?」
跪いたままであるゲインの隣へしゃがみ込んで、耳元に顔を寄せるスフィネル。
その表情は笑顔であるのに、人の目からは笑顔と認識されない顔をしていた。
「どうして守る側の人間が守られてんの? 何の為に剣と盾を与えてやったと思ってんの? ――ママゴトのつもりでリアちゃんに仕えてんじゃねえぞオイッ! ああッ!? 死ねよ! 任務失敗したならその場で死んどけ! お前らが無様に生きてっからリアちゃんが助けに行くんだろうがッ!! ンなこともわかんねぇのかオラッ!!」
「――ッ!! 申し訳、ございません……ッ!!」
突然豹変したように怒鳴り散らすスフィネル。
激昂する彼女の姿に、カネリアはこっそり部屋から抜け出したい衝動に駆られた。
自分がご主人様から怒られるのは勿論嫌だが、ああやってご主人様が誰かを怒っているところを眺めるのも嫌だった。
「スフィネル殿……。貴方の仰ることはもっともです。しかし、此度の責任は全て私にあります。元はと言えば私が、カネリア様の言いつけを守らずにゲイン小隊を偵察へ向かわせたのが――」
「あーそうだったなバーツのジジイッ! てめぇリアちゃんの指示を無視するとか何様? 舐めてんの? 舐めてんだろ!」
「そのようなことは……」
「リアちゃんの指示じゃ手ぬるいと思ったから勝手に小隊動かしたんだろ!? 何が違うんだよアァン!? その結果がこの体たらくかよざけてんじゃねぇぞ! リアちゃんがなんで樹海の警戒は程々でいいって言ったかも分からねえような耄碌ジジイが、この街の防衛隊仕切ってんじゃねェ!!」
「――ッ!!」
そんな地獄のような空気で、カネリアは穏やかな笑みを浮かべていることしかできなかった。
ここで自分まで引いてしまっては本来スフィネルをコントロールする立場である勇者としての面目が丸潰れだ。
ご主人様の振る舞いはやり過ぎだと思うほかなかったが、かと言ってそれを止めることもできないカネリアとしては、敢えて好きにやらせている感を出しつつ泰然自若と振る舞うことくらいでしか威厳が保てない。
そもそもカネリアが樹海の警戒は程々で良いと言ったことに大した理由なんて無いのだが、何故だかそこには深い思惑があったかのような扱いをされてしまって居心地が悪い。
「――カネリア様は、私が北の樹海へ入ってすぐに助けに来てくださいました。……きっとカネリア様は初めから、樹海で何かが起こっても、ご自分で対処なさるおつもりだったのです」
それは、棚の前で立ち竦んでいたシーナの震えるような声。
「北の樹海に備えるにはまだ力不足な防衛隊を慮り、更にはそのプライドを傷付けぬよう配慮までしてくださっていた……! それを私達が、全て無駄にしてしまったのです……」
「……シーナさん、面白いことを言いますね」
シーナは利発的で聡明な少女のはずなのだが、カネリアに対して過剰な信頼を置いているきらいがある。それ故に、深く考えすぎてしまうのだろう。
カネリアは防衛隊に配慮などしていない。全くの的外れである。
「――へぇ。バーツのおじさんさんより見どころあるかもね、シーナちゃん。まあ、場を引っ掻き回したのもシーナちゃんだけど」
そんな容赦の無いスフィネルの言葉に、シーナはきゅっと唇を噛む。
そしてシーナが正解を言い当てたみたいな言い方をスフィネルがしてしまったので、カネリアは彼女の言葉を否定することができなくなった。
「……それでぇ? あんた達はこのままでいいのかな? このままだとあなた達全員、要らない感じなんだけど」
「よくありませんッ!!」
スフィネルからの問いかけに、ゲインが勢いよく立ち上がり叫ぶようにして答える。
「自分の命は、我等が偉大なご領主、カネリア様に捧げております! せめて少しでも役に立ったと思っていただけるような死に方を望みますッ! このままで終われるわけがありません!!」
「自分もっ!」「自分もでありますッ!」
ゲインに呼応するように、他の隊員達も立ち上がって叫ぶ。
いつの間にか捧げられていた他人の命の重さに胃が痛くなってきたカネリアは、部屋の隅っこでこっそり自分の分だけハーブティーを淹れて味わっていた。
無理矢理にでもほっとひと息、つかなければならない。
「……ママゴトやお遊び気分じゃないって、証明できるんだろうねぇ」
「無論であります! 如何なる試練でも、乗り切って見せる覚悟です!」
「面白い。それじゃああんた達を、リアちゃんの配下として相応しい兵士に改造してあげる。私が強くしてあげる。ちょっとリアちゃんへの忠誠以外の感情とか無くなっちゃうかもしれないけど――」
「――フィーさん、その辺にしておきましょう。そこまでする必要は無いでしょう」
それまで遠目から成り行きを眺めていることしかできなかったカネリアだが、そこで咄嗟に割って入った。
なんとなく、越えてはならない一線をスフィネルが越えようとしているのを感じ、気が付けば勝手に口が動いていた。
しんと静まる室内で、スフィネルが意外そうにカネリアを見つめる。
当のカネリアは、何故ご主人様に楯突くようなことを言ってしまったのかと猛烈に後悔していた。
しかし割って入ってしまったものは仕方ない。
どうにかしてこの場を収めなければ……。
それに、今日のスフィネルの振る舞いは、彼女の恐ろしさを知っているカネリアにしてみても、些か常軌を逸しているように感じられた。
普段のご主人様らしくない、という違和感。
そしてカネリアは気付いた。
今こちらを見ているスフィネルの眼差しに、何かを期待するような光が灯っていることに。
――自分は今、何かを期待されている?
瞬時に巡らされた思考の中で、カネリアは思い至る。
少し前にご主人様が言った、今日はリアちゃんのリアちゃんらしいところをいっぱい見せてという言葉。
勇者らしい振る舞いを見せろという言葉。
もしかしたら今までのご主人様の振る舞いは全て、自分を試していたのだろうか。
部下に対して過剰な叱責を繰り返すご主人様を、勇者として相応しい振る舞いで諌められるかどうかを試していたのだろうか。
そこに思い至ってカネリアは、随分大変な試験だと絶望的な気分になった。
ご主人様に楯突くなんて、本音で言えば絶対にやりたくない。
しかし確かにこの場において、本物の勇者カネリアであれば、冷静さを失った彼女を諌め場を収めたことだろう。
そこまで考えて彼女は小さく息を吐いた。
「――なによリアちゃん、私おかしなこと言ってる? リアちゃんの負担を和らげる為にも、こいつらは強化しておいた方がいいでしょ。その結果人間としての感情を失ったとしても、リアちゃんの役に立てるなら本人達も本望だよ」
「それでは私が本望ではありません。フィーさん、少し落ち着いてください」
言いながら、カネリアは自分用に淹れていたハーブティーのカップを差し出す。
これがただの試験であったとしても、キレているご主人様の相手をするのは心臓が保たないので、少しでも落ち着いて欲しいという一心だった。
スフィネルは驚いた顔でそれを受け取って、しげしげとカップを見つめた後、やがてゆっくりと口を付けた。
「――確かにゲインさん達が今よりもっと強くなってくれれば私も助かりますが、改造までする必要はありませんよ。そんなことをしなくても、彼らは強くなれるはずです。そもそも既に、飛び抜けて優秀な方達ですしね」
スフィネルがハーブティーを飲んで大人しくなった隙に、カネリアは言う。
ゲイン達は息を呑んだような顔付きで姿勢を正した。
彼らが優秀だというのは偽らざる本心だ。昨日だってゲイン小隊は、相討ちとはいえ北の樹海で魔獣を仕留めている。
改造なんて必要無いというのも、また本心。そんな非人道的な所業を認めてしまっては、勇者どころか人としての常識を疑われてしまう。
「バーツさんが小隊を偵察へ向かわせたのも、街を思ってのこと。シーナさんが一人で樹海へ向かったのも、お兄さんやその仲間の身を案じてのこと。誰かの事を想ってした行動に良いも悪いもありません。ただ必要だった、そういうことでしょう」
そしてカネリアは執務机の前に立ち、部屋の中の面々を順に見回す。
「第一、この街で起こることの責任は全て、領主である私のものです。誰を責めることもできません。――そして、昨日は誰も犠牲になることなく、こうして今日を迎えられた……。それでいいじゃありませんか」
言って、スフィネルに視線を送りお伺いを立てる。
ご主人様、これでいかがでしょうか……。
「……リアちゃんがぁ。そう言うならぁ……」
すっかり険が無くなった声色のスフィネルに、部屋の空気がどっと弛緩する。
カネリアもぐったりと脱力したいのを堪えて、余裕のある動作で応接用のソファに座る。
これ以上立っているのは限界なのだということを悟らせず自然に腰を落ち着ける彼女の所作は、伊達に勇者の仮面を被り続けていなかった。
「それでは話の続きを始めましょうか。皆さんもどうぞ座ってください。――シーナさん、申し訳ないのですが、人数分のハーブティーを淹れていただけますか?」
「は、はいっ! ただいま!」
「私はこれあるから要らな~い」
先程までの剣幕が嘘のような甘い声を上げながら、カネリアから手渡されたカップを両手で抱えてソファに腰を沈めるスフィネル。他の面々もそれに続く。
そして以降は穏やかな空気のまま、事件の事後整理はつつがなく終了した。