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第4話 まだまだわからないことだらけな世界

 自身が吹き飛ばした魔獣の残骸にも、気を失ったままのシーナやゲイン達にも一切の興味を示さずに。

 未だ樹海に潜んでいるであろう他の魔獣を歯牙にもかけない超然とした態度で。


「おーかしぃなあ。おかしいよねぇ。何がおかしいのかなぁ……。私の目? 脳みそ? それとも、この世界かなぁ?」


 小首を傾げて何やらブツブツと呟きつつ。

 一直線の最短距離でぬるりと近づいてきた彼女は、カネリアの眼前で立ち止まる。


「――やっほーリアちゃん、数日ぶりだね。元気元気?」

「は、はい、ご主人様。まさかこんなところでお会いするとは……。あはは」


 彼女から笑いかけられたカネリアは、何とか懸命に笑顔を作って返す。

 ご主人様の心の内はまだ定かではないが、そういう時は取り敢えず同調を示しておくのが最も安全だ。

 これは、彼女に振り回され続けるカネリアなりの統計なのだ。


「そうだねぇ。流石の私も、予想できなかったなぁ。……やっぱり、世界はまだまだわからないことだらけだなぁ」


 そんなご主人様の言葉が意味するところは、カネリアにとっては何一つとしてわからない。

 カネリア達の窮地を予見して狙い澄ましたかのようなタイミングで現れた彼女が、一体何を予想できなかったと言っているのかわからない。

 彼女が世の中わからないことだらけだと言うのなら、きっとカネリアにはこの先で世界のことなど毛ほども理解出来ないのだろう。


 そんなカネリアの心中を知ってか知らずか、彼女はケラケラとあっけらかんに笑いながら。


「ねえリアちゃん、私の職業って、なんだったっけ?」


 非の打ち所の無い笑みを浮かべながらも彼女が纏うのは、相対するのを忌避させる程の異様な雰囲気。

 少なくとも、カネリアはそう感じた。


 機嫌が悪い……。

 やはりご主人様は怒っている、と、カネリアは認識を確かにする。


「あ、錬金術師アルケミストです、ご主人様」


 恐る恐る、様子をうかがいながら彼女は答える。

 それに対して、スフィネルは満面に貼り付けた笑顔を崩さずに頷いた。


「そう、錬金術師なの。この世の、真理を、解き明かすのが、仕事なの」


 子供に道理を説くような優しい口調で。

 けれどその奥に何やら苛烈な感情を隠して、彼女は続ける。


「だけど、わからないことが、あるんだぁ。……こんな私にも、わからないことがあるんだぁ。そんなんじゃあダメだよね。天才錬金術師である私に、わからないことなんてあったら、ダメだよね……」


 台詞は同意を求めているようでありながら、その実そんなもの必要としていないようで、彼女はゆったりとした足取りでカネリアに近づく。

 そして至近距離からご主人様に覗き込まれたカネリアは、そこから目を逸らすことすらできなかった。


「リアちゃんはさぁ……。手伝ってくれるよね? そんな私の、疑問解消を」

「も、もちろんです。私にできることは、なんでもいたします」


 慌ててこくこくと何度もしきりに頷くカネリア。

 とにかく敵意や害意や翻意が無いことを示さねば。

 その一心で上下する頭。

 今更ながら、その姿に勇者としての貫禄は欠片も無かった。


 本来ならばこんな姿は誰にも見せられないのだけれど、今ここには彼女とご主人様以外の目は無い。

 そしてご主人様相手に隠し事はあり得ない。

 彼女はカネリアのことなど、本人以上に知り尽くしているのだから。


「よかったぁ! それじゃあ、早速質問なんだけど――」


 それは、全く邪気の無い可憐な笑顔だった。

 放たれる言葉にも棘は無かった。


 しかし不思議とカネリアは凍てつく冬の山中に裸で放り込まれたような錯覚を覚えた。


「――どうして、ここにいるのかなぁ? 私のリアちゃんが、今、ここに」

「ッ!」


 カネリアは自分の顔が引きつるのを感じた。


 先程魔獣に襲われた時ですら感じなかったような、根源的な恐怖。

 一つの些細な過ちで全てが吹き飛ぶような、そんな理不尽な盤面に立たされている錯覚。


 スフィネルは、時として魔獣などよりも余程恐ろしい。

 いや、大体いつでも魔獣などより遥かに恐ろしい。


「言ったよね、私、一人で街の外に出ちゃダメだよって、何度も何度も口を酸っぱくして。言ったよね、危ないから、私やウィンがいない時は、大人しくお留守番しててねって。約束だったよね。頷いてくれたよね、リアちゃんも」

「は、はい……」


 いつの間にかその眼差しは虚ろで、うわごとのように話し続ける姿は狂気そのもの。

 カネリアにはその場でただただ縮こまることしかできなかった。


「教えたよね、どうしようもなく困った時は、他の全てを犠牲にしてでも、自分だけは生き残れって。リアちゃんは、私の大事な、大事な大事な、大事な作品、なんだから」

「は、はい、ご主人様……」

「……おかしいなぁ。おかしくない? おかしいよねぇ。それなのに、一体誰の許可を得て、ここにいるのかなぁ、リアちゃんは?」


 カネリアは知っている。

 魔獣や怪物など可愛く思えてくるような存在のことを。

 魔王、悪魔など、この世には決して怒らせてはいけない相手が存在することを。


 そして今目の前にいるスフィネル・バー・パロックルという錬金術師は間違いなくそういった類の存在だった。

 人の身でありながら、世界で一番敵に回したくない存在だった。


 単純な能力や戦闘力といった面で言えば、勇者パーティには他にも化け物がたくさんいる。というか化け物しかいない。

 しかしその中で一番恐ろしいのは誰かと問われれば、彼女は間違い無くスフィネルの名前を挙げる。

 嘘だ。

 後が怖すぎるので答えない。


「リアちゃんはお利口で、素直だから、私の言いつけを破るはずはないよねぇ。だとしたら、リアちゃんを唆した誰かがいるってこと? ――誰? バーツのおじさん? シーナちゃん? それとも――」

「い、いえ、ご主人様!」


 このままでは怒れるご主人様による被害が他の人間にも及ぶと察し、カネリアは慌てて彼女を制す。


「私がここに来たのは、私の意思です。ゲインさん達が安否不明になって、シーナさんがそれを心配して一人で樹海に入って……。紛いなりにも勇者で領主である私が、そんな状況を座して眺めているわけにはいかないと、愚考しました。そんなことでは、本当のカネリア様の名声を傷付けてしまうと……」


 事実をありのまま伝えれば、ご主人様の機嫌を損ねるだろうか。

 言いつけを守らない道具など要らないと、処分されるだろうか。


 しかし例え結果がどうなろうとも、カネリアにとってはスフィネルに隠し事をすることこそが最も避けたいことだった。


 聡明な彼女なら自分の秘事など即座に見抜いてしまうだろうし、隠し事をするということ自体が主への絶対の忠誠に背く行為だからだ。

 ご主人様への反抗などあり得ない。考えることすら咎められるような行為だ。

 自分をこの世に生み出してくれた大恩ある彼女には、どうせ裁かれるにしても、二心を抱いたからというような理由ではなく、単純に使えないからという理由での方がマシなのだ。


 だからカネリアは、自分の考えを偽ることなく、主に伝える。


「樹海へ足を運んだ結果私が命を落としたとしても、また新しい私が代わりを務めるだけです。勇者様の名誉は守られます。新しく私の代わりを作り出すのにかかる三十万ギルの材料費と、カネリア・ゴールデン・ベリルという存在の名声。どちらが重要かは、議論の余地無く明らかだと判断しました」


 そう、これは、ただの合理的な判断だ。

 その点に関してカネリアの考えは揺るがない。


 自身の持つ紛い物の命などより大切なものなど、この世界にはいくらでもある。

 例えば、人々から慕われる勇者という存在。

 その居場所に代わりに立っているだけの偽物の自分が、偉大な勇者の評判を貶めるような真似をするわけにはいかない。


 ゲイン小隊の救助は成功させる見込みが無かったから、失敗して勇者の名声を傷つけるわけにはいかなかったが故に、冷静なトップの判断として収められる範囲の選択で、見捨てることを選んだ。


 一人で樹海へ突入してしまったシーナについては、見捨てると逆に人倫にもとると判断し、助けに行く道を選んだ。


 シーナの行動からはそれなりに時間が経っていたから助けられなかったとしても言い訳はつくし、救助の過程で自身が命を落としたとしても、それくらいなら後でご主人様がフォローしてくれるだろうという考えがあった。いなくなった自分の代わりに、また新しい複製体がこの役目を継いだことだろう。


 ご主人様は自分などとは比べるのもおこがましいほどに優秀なお方なのだ。

 流石は勇者と共に魔王を打ち倒した真の英雄だ。

 現に天才錬金術師である彼女は、これまで不可能と言われていた悉くを成し遂げてきた。

 その偉業を並び建てれば天を衝く荘厳な塔ができあがることだろう。

 まさしく彼女は雲の上の存在なのだ。

 いつも頼りきってしまうのは申し訳なく忸怩たる思いであるが、しかしご主人様に任せることが何よりも確実なのだから仕方がない。


「所詮私は勇者様の模造品です。ご主人様にはお手間をかけることにはなりますが、壊れても替えがききます。ですが勇者という存在は違います。偉大過ぎるが故に、たった一度のほんの少しの傷で揺らぎうる。……勇者は、常に人々を導かなければならない。だからあなたは、私をお作りになったのではないのですか?」


 そんなカネリアの問いかけ。

 彼女の本心からの言葉が、そこで初めて、スフィネルの表情から完璧な笑みを消し去った。


 それは全く意図してのことではなかった。

 無表情。

 急に氷点下まで冷え込んだような錯覚。

 キラリと光るその眼光に睨めつけられ、気を失いそうになる。


「――リアちゃんさぁ。……私でも、怒ることぐらい、あるんだよ? そういうこと言われたら、ショックだなぁ、私は」


 まるで今まで怒っていなかったとでも言いたげな台詞にカネリアは驚きかけたけれど、しかしご主人様の様子は確かにこれまでとは打って変わっていて、どこか不貞腐れたような様子だった。


「……あ、あの、ご主人様……」

「はぁ〜……。あのさぁリアちゃん。私は確かに天才錬金術師だから色んな道具を作ったりするけれど、そのどれに対しても、壊れても替えがきくなんて思っちゃいないよ」

「それは……。どうしてですか?」

「……どうしてだと思う? うふふ、教えてあげない。ロマンチックな答えになっちゃうからね――私のキャラではないんだよねぇ」


 ひとときの間表情を無くしていた顔に悪戯っぽい笑みを浮かべて、彼女はカネリアの周囲を跳ねるように練り歩く。


「なんでもすぐに答えを求めちゃあいけないよ。慌てていると、偽物を掴んでも気付けなくなる。大切なのは、自分の頭でしっかりと考え抜くことさ」

「……私はご主人様ほど頭の出来がよくないので、考えたところで真実を見つけられるかはわかりませんが」

「真実か嘘かは大抵の場合重要じゃあないよ。錬金術師が言うのも、変な話だけどねぇ」


 カネリアの身体を舐め回すように確認して傷が付いていないことを確かめた後、正面に戻ってきた彼女は続ける。


「重要なのは、それを人がどう思うかさ。周りの有象無象が、かけがえの無い大切な人が、他でもない自分自身が。それをどう思うかなのさ」


 とかくこの世は曖昧だからねと、嘯くようにそう言って。


「少なくとも私は、あの女の子を助けに樹海へ入ってきたことは、勇者らしい行動だったと思っているよ?」


 にやりと笑う彼女に、カネリアの心は弛緩する。

 彼女にそう褒められることは、カネリアにとっては何よりも重要なことなのだ。


「ご、ご主人様……」

「――でも、私の言いつけを破ったこともまた事実だ。こんなに問題行動ばかり起こすだなんて、私は製造責任を感じてやまないよ。リアちゃんの今後が不安で夜も眠れないよ。寝不足で私の脳みそが本来の力を発揮できなくなったらどうするんだよ。人類の進歩の足を引っ張ることが、申し訳なくならないかい?」

「……ご、ご主人様?」

「というわけでリアちゃんには罰を与えよう――今日から七日七夜、私にしっかり奉仕してねっ」


 そんな最高の笑顔で突きつけられた命令に、血の気が引く。

 カネリアが過去に同じような罰を喰らったことは、一度や二度ではない。

 その度に彼女の尊厳や誇りはぐちゃぐちゃにされ、自らの矮小さを思い知らされてきた。


 しかしご主人様本人は、悪気の無い笑顔。

 当然だ。彼女には本当に悪気なんて無いのだから。

 そして、悪気無く周囲の人間を振り回すのだ。


 本物の勇者様は一体どうやってこの人と接していたのだろうかと、偽物は一人で途方に暮れた。

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