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第5話 新入社員の越智

変化が訪れたのは付き合って3年目の春、百合の会社に新入社員の越智が入ってきてからだった。越智は百合が乗る次の駅から乗っていた。



最初は、電話で同じ電車に新入社員に似ている子がいると話す程度だったが、ある朝「似ていると思ったら本人だった!!」と教えてくれた。そして朝の電話に出ないことが続いた。理由を聞くと新入社員と改札で一緒になりそのまま会社まで行ったから。と言ってきた。



今まで一度もそんなことはなかった。会社の男の話が出ることは初めてだった。

俺が日ごろから心配していることを知っていて、飲み会でも一軒目で帰ってくるし、同期の男ともプライベートな連絡先は交換していないらしい。



そんな百合が毎朝、男と通勤するようになった。いてもたってもいられず電車を変えてほしいと言ったが「私の駅からの始発駅で空いているからこの電車がいいんだよなー。まさ君が心配するなことは何もないよ?」と全然気にしていない様子だった。



俺は、今まで見てきたから知っている。百合は人見知りで誰とでも心を開くタイプではないが気心を許した相手には猛スピードで親しくなり交流を深めていた。

そして素直で無邪気な子だ。嬉しいとすぐに顔に出て満面の笑みでこちらを見て喜ぶ。大袈裟なくらい褒めて喜びを伝えてくる。その一点の曇もない瞳で見つめられ喜んだ姿を見たら、好きになる男もいるかもしれない。もしかしたら自分のことが好きなのかと勘違いをしてアプローチをしてきたり、良からぬことを考える男もいるかもしれない。



どんな男なのか気になり、百合には秘密で遠くから駅から出てくる二人を待った。

越智は長身のひょろっとしたやせ型で、日照不足のもやしのようにへなへなしていた。

しかし、会話のたびに頭をかいたりじっと見つめている視線は本物だった。

百合は、空いている電車だから一緒になっただけと言っていたが違う。

良からぬことを考えている感じではなかったが、会社の先輩だけではなく異性として意識している。



百合にその気がなかったとしても、越智が悪い奴じゃなかったとしても、何かの拍子でお酒に酔ったり、弱っている姿を見たら、あいつだって男だ。献身的に介抱して終わりとは限らない。…そんなことは絶対にさせない。百合は俺の女だ。そして、百合の初めての男は俺で、これから先も百合の初めてに名前を刻んでいくのは俺だ。俺は百合がこの手から離れていかないよう必死だった。


***


変化が訪れたのは付き合って3年目の春、新入社員の越智が入ってきてからだった。越智は百合の最寄り駅の一つ隣の駅から乗っていた。


いつも乗っている電車は百合の駅が始発だったので、朝でも混雑していない。

都会ほどではないが、地方でも朝は学生やサラリーマンで立って出入り口付近だとぶつかることもあるが始発駅だと座っていられる。


隣の越智が乗る駅についてもまだ座席がまばらに空いていることもあるほど乗車率は低く快適だった。百合は降りる駅の改札から近く座れる車両に乗っていた。


それは百合だけでなく、ほかの乗客も「改札から近い」・「ドアが開かない」などおのおのが気に入った「いつもの場所」を持っていた。そして新入社員の越智も、百合と同じ車両と場所を好んでいた。



電車は10分に1本なので、大体顔馴染みになる。名前も年齢も知らないけれど同じ場所に同じ顔が集まる。そんな不思議な親近感が生まれる場所でもあった。


GWが終わり新緑の爽やかな季節に、お互いの存在を認識するようになった。最初は、同じ会社の◯◯さん。「おはようございます」の挨拶の意味合いを込めて会釈する程度だった。


しかし、改札を抜けて向かう先は同じ。混雑しない列車では同じ場所から降りれば改札を抜けるのも同じタイミングになる。こうして、特に意識することもなく一緒に通勤することが増えていった。



会社の人と会って話をしているから、と電話に出られない日が続くようになったことで昌大は、『新入社員は気があるから場所を変えてほしい』といい気はしていなかったが、越智に何かされたわけでも、嫌な理由もない。



百合も越智も同じ電車と場所を好む理由は、空いていて改札口に一番近いからでお互いに恋愛感情があるわけではなかった。始発のあの電車は、ある意味切符のない指定席のようなもので特に理由もないので変える気はしなかった。



昌大にも、一緒に通勤する時もあるが連絡先も知らないし交換する気もない。

プライベートの話は一切していないので思い過ごしだと伝えていたが私が鈍感で気づいていないだけだと珍しく譲らなかった。



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