崎十郎はその晩、伝馬町牢屋敷の揚屋に留め置かれた。
翌朝から評定所での吟味が行われて、夕刻になってようやく解き放ちとなった。
辻斬りの疑いが晴れた崎十郎は、晴れ晴れとした心地で本所の我が家を目指した。
評定所で事情を聞かれていた善次郎と男ふたりの道行きだった。
善次郎は自宅にも見世にも戻らず北斎宅に向かうという。
「虚偽の自白をしたかどで、真吾は〝江戸払い〟になるやもしれませぬが、浪人として画師を目指すには支障ありますまい」
〝江戸払い〟は品川、板橋、千住、本所、深川、四谷大木戸以内で町奉行所支配の地域には住めなくなるが、旅の途中としての通行は許され、草履履きの旅装であれば咎められない緩い刑罰だった。
内藤新宿のような町奉行所支配外に住んで、北斎宅に通うこともできる。
「もっと軽くて済むかもしれねえ」
居住地にだけ住めなくなる〝所払い〟も有り得た。
「火盗の頭である永田与左衛門さまはお気の毒でした。いかなることに相成るやら。冤罪にかかわる享保の先例では、山川安左衛門なる先手頭が御役御免になっています。このときは、冤罪に加えて、配下の与力二名、同心五名が死罪、同心二名が遠島となる不祥事も重なっておりましたが……」
「百年前のことだぜ。永田さまは進退伺いを出すだろうが、叱られてお終いってところじゃねえか」
善次郎はいつもお気楽な予想が身上らしかった。
「ところで見世のほうは大丈夫なのですか。ずいぶん顔を出していないではありませぬか」
他人事ながら気になった。
「見世のことより、師匠が描いたという真吾の絵姿を早く見てえんだ。従容と死におもむく美少年ってえ図柄を、鬼気迫る筆でどのように写しとったのか。描く者と描かれる者の死闘ってえわけだ。めったにねえ傑作に決まってらあ」
やはり善次郎は渓斎英泉なのだ。
「そんなものですかね。確かに、親父が特別、思いを込めて描いた傑作には違いないでしょうが」
崎十郎も見たいと思った。
だが、善次郎のように矢も楯もたまらず急いでこの目で確かめたいわけではなかった。
善次郎はあくまで絵師で、崎十郎は真剣勝負に生き甲斐を見いだす剣客だった。
右膳はまた崎十郎の目の前に現れるに違いない。
そのときこそ存分に戦いたい。
来るべき決戦の日を夢想すれば、心地よい身震いが襲ってきた。
浅草御門の手前まで来た。
両国橋も近い。
「善次郎殿はお急ぎでしょうし、ここで別れましょう。拙者は少し寄り道します」
「帰ればお説教が待っているだけだから帰りたくねえのもわからあな」
善次郎はしたり顔で頷くと、
「じゃあな」と町人らしい身のこなしで駆けだしていった。
ふらふらと上半身を揺らせながら走る姿が、砂埃の舞う道を遠ざかっていく。
「お世話になりもうした」
善次郎の後ろ姿に向かって深々と頭を下げると、小伝馬町の方角に向かった。
日本橋本町一丁目にある《鈴木越後》で煉羊羹を買い求めた。
煉羊羹を懐にしていそいそと両国橋を渡り、回向院の横を歩いて御台所町の閑静な通りを東へずんずん歩いた。
崎十郎の顔を見て園絵はどのような顔をするだろう。
良い歳をした息子を捕まえて、子供のように説教する園絵の福々しい顔が目に浮かんだ。
(拙者と右膳との違いは……)
宿敵となった右膳の顔を思い浮かべた。
亀沢町で左に曲がり、御竹蔵を左に見て二町ほど歩くと南割下水が見えてきた。
澄んだ流れが堰を超えていく際の、さらさらという音が耳に心地よい。
「そうだった」
思わず声に出して叫んだ。
周囲を歩く鳶のふたり連れが驚いて振り返った。
(あの夜はたしか……)
過日の記憶が、いまになって唐突に蘇った。
その日の夕刻、崎十郎は、園絵が煉り羊羹の食べ残しを、さも大事そうに文箱に隠すところを、たまたま目撃した。
夜中に手水に起きたとき、腹が減っていたため、文箱に隠された煉羊羹を思い出して、むさぼり食ってしまった。
寝惚けていたのでしかと覚えていなかったのだ。
(惚けていたのは養母上ではなく拙者だった)
謝るべきだろうか、はたまた黙っておくべきか、悩みながら角を右に曲がった。
懐手をしながら南割下水沿いに歩いていくと、左手、我が家に通じる道の先に、ぽつんと小さな人影が見えた。
「母上、ただいま戻りましてございます」
崎十郎は、襟元をきっちり直してから姿勢を正し、足早に我が家に向かった。
了